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動く歯車1
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洗濯物を干す時にうっかり網戸を開けっ放しにしていた隙を逃さずに、ジジジっと音を立てて家の中に侵入してきたセミ。
そしてそのセミを追いかけるトラ。
最初はいちいちびっくりして武史に助けを求めていたが、今ではすっかり慣れっこだ。
セミは平気になったが、この田舎の刺すような陽射しは慣れない。
洗濯物を干す僅かな時間だけでも肌はジリジリと焼かれる。
グッタリした千尋は体を引きずるように家の中に入る。
「……暑い」
武史が聞いたら当たり前やろ、と言われるのがオチだが、幸いなことに仕事に行って不在だ。
千尋は重い体にムチを打ってパソコンといくつかの本を持って、かつて武史の祖母が趣味の部屋として使っていた玄関側の部屋に向かった。
梅雨が空けると一気に暑くなり、陽射しもキツくなった。それに比例して、千尋は食欲も落ちた。
(夏バテ始まったなぁ)
毎年夏が苦手な千尋だったが、東京のような蒸すような暑さがないから乗り越えられると思っていたが、そうすぐには体質は変わらない。
最初に気づいたのはさくらだったので、武史に言わないように口止めをしたのだが効果はなかった。
ある日慌てて仕事から戻って来た武史は、一旦2階の自分の部屋に行ったと思うとすぐに降りて来て、千尋を連れて再び自分の部屋にあがる。
「え?ちょっと」
覗くことはあっても踏み入れるのが初めての武史の部屋に戸惑う暇もなく、椅子に座らされて水を飲むように言われる。
「さくらから聞いたわ。夏バテしとるやろ?」
海の男らしく、武史はこんがりを通り越して真っ黒だ。
「暑いの苦手なんか?」
ごまかしは許さないという表情の武史の目の前に言葉は出てこなかった。黙って頷いた千尋に武史は珍しく考え込む。
「どうするかな」
元々武史の祖父母と武史しかいなかったため、クーラーが置いてある部屋が限られていた。
2階の武史の部屋と、1階の祖父母の寝室だったところだけだ。
それも使う人がいなかった祖父母の寝室のクーラーは壊れていた。
1階は比較的風通りがよく、暑さに強い武史だけなら扇風機で事足りていたため、ほぼクーラーを使用していなかった。
ダメ元で知り合いの電気屋に頼んでみるが、案の定混んでいるらしく早くても2週間はかかるとのことだった。
「とりあえず、クーラーつけるまでしばらく俺の部屋で生活しぃや」
「……クーラー設置代と光熱費分は多めに入れる」
「そんなん今気にすんなや。まず当面のことや」
そう言って武史は千尋のために部屋を片付けた。
「タケちゃんって絵描くんだね」
片付けをしている武史を横目に部屋の片隅で椅子に腰掛けて涼んでいた千尋が武志に話しかける。
「言うなよ。殆ど知らんけん」
恥ずかしそうに言いながら作品を隠す武史。
「ん、わかった。気が向いたら作品見せてね」
武史は黙って頷いた。
千尋に部屋を貸している間は武史は居間で寝ることにした。
「親戚だし、家族みたいな生活しているから気にしなくていいのに」
「……頼むから気にしてくれや。俺は俊樹じゃないぞ」
千尋の言葉に少し傷つく。千尋の中でまだ弟と同レベルで、男として見られていないと実感させられる。
傷ついている武史の横で千尋は何故落ち込んでいるのかわからない様子で首を傾げる。
千尋にとって家族扱いするくらいには武史に心を許していた。
最近武史の前では上手くバリアが張れなくなっていた。
一番傷ついて弱っている千尋の心を、否定することなく受け止めてくれた。
何故武史の前でそこまで素直になれたのか分からない。
だが武史の腕に包まれながら泣く心地よさは、遠い昔、まだ両親が生きていた頃に無邪気に甘えていた頃の自分を思い出させた。
『ちひろは我慢強いなぁ。でも今はとしきがいないから甘えていいんだよ』
そう言って両腕を広げて千尋が来るのを待っていた父親。
俊樹が生まれて母親は弟にかかりっきりになった。幼心に仕方ないことと分かっていたが、寂しかった。
そういう時、父親は千尋をこっそりと抱きしめてくれた。
そして、千尋が父親の胸で散々泣かせてくれた。
その後二人で母親の元に行くのがお決まりだった。
泣いて目が赤い千尋を母親もギュッと抱きしめてくれる。
大好きだったお父さんとお母さん。
事故で二人共いなくなった。
それでも自分はまだ恵まれている。
俊樹より2年早く生まれた分、父母の思い出が多いからだ。
両親がいなくなって毎日泣く俊樹の親代わりになってあげないといけない。
そう思い、千尋は自分の心の内、特に負の感情を見せなくなった。
それは恋人に対してもそうだった。
柳田の前にいい感じになった人がいなかったわけではない。
だが、心を見せれない千尋は一歩踏み込むことができなかった。
柳田に惹かれたのは、彼が親しくなっても千尋に心を見せないと心のどこかで感じていたからだ。
なのに武史の側にいると、20年以上封印していた気持ちが溢れ、上手く感情がコントロールが出来なくなる。
それでも武史は当たり前のように受け止めてくれる。
(早めにどうするか決めないと。……じゃないと)
その先は、今は考えたく無かった。
そしてそのセミを追いかけるトラ。
最初はいちいちびっくりして武史に助けを求めていたが、今ではすっかり慣れっこだ。
セミは平気になったが、この田舎の刺すような陽射しは慣れない。
洗濯物を干す僅かな時間だけでも肌はジリジリと焼かれる。
グッタリした千尋は体を引きずるように家の中に入る。
「……暑い」
武史が聞いたら当たり前やろ、と言われるのがオチだが、幸いなことに仕事に行って不在だ。
千尋は重い体にムチを打ってパソコンといくつかの本を持って、かつて武史の祖母が趣味の部屋として使っていた玄関側の部屋に向かった。
梅雨が空けると一気に暑くなり、陽射しもキツくなった。それに比例して、千尋は食欲も落ちた。
(夏バテ始まったなぁ)
毎年夏が苦手な千尋だったが、東京のような蒸すような暑さがないから乗り越えられると思っていたが、そうすぐには体質は変わらない。
最初に気づいたのはさくらだったので、武史に言わないように口止めをしたのだが効果はなかった。
ある日慌てて仕事から戻って来た武史は、一旦2階の自分の部屋に行ったと思うとすぐに降りて来て、千尋を連れて再び自分の部屋にあがる。
「え?ちょっと」
覗くことはあっても踏み入れるのが初めての武史の部屋に戸惑う暇もなく、椅子に座らされて水を飲むように言われる。
「さくらから聞いたわ。夏バテしとるやろ?」
海の男らしく、武史はこんがりを通り越して真っ黒だ。
「暑いの苦手なんか?」
ごまかしは許さないという表情の武史の目の前に言葉は出てこなかった。黙って頷いた千尋に武史は珍しく考え込む。
「どうするかな」
元々武史の祖父母と武史しかいなかったため、クーラーが置いてある部屋が限られていた。
2階の武史の部屋と、1階の祖父母の寝室だったところだけだ。
それも使う人がいなかった祖父母の寝室のクーラーは壊れていた。
1階は比較的風通りがよく、暑さに強い武史だけなら扇風機で事足りていたため、ほぼクーラーを使用していなかった。
ダメ元で知り合いの電気屋に頼んでみるが、案の定混んでいるらしく早くても2週間はかかるとのことだった。
「とりあえず、クーラーつけるまでしばらく俺の部屋で生活しぃや」
「……クーラー設置代と光熱費分は多めに入れる」
「そんなん今気にすんなや。まず当面のことや」
そう言って武史は千尋のために部屋を片付けた。
「タケちゃんって絵描くんだね」
片付けをしている武史を横目に部屋の片隅で椅子に腰掛けて涼んでいた千尋が武志に話しかける。
「言うなよ。殆ど知らんけん」
恥ずかしそうに言いながら作品を隠す武史。
「ん、わかった。気が向いたら作品見せてね」
武史は黙って頷いた。
千尋に部屋を貸している間は武史は居間で寝ることにした。
「親戚だし、家族みたいな生活しているから気にしなくていいのに」
「……頼むから気にしてくれや。俺は俊樹じゃないぞ」
千尋の言葉に少し傷つく。千尋の中でまだ弟と同レベルで、男として見られていないと実感させられる。
傷ついている武史の横で千尋は何故落ち込んでいるのかわからない様子で首を傾げる。
千尋にとって家族扱いするくらいには武史に心を許していた。
最近武史の前では上手くバリアが張れなくなっていた。
一番傷ついて弱っている千尋の心を、否定することなく受け止めてくれた。
何故武史の前でそこまで素直になれたのか分からない。
だが武史の腕に包まれながら泣く心地よさは、遠い昔、まだ両親が生きていた頃に無邪気に甘えていた頃の自分を思い出させた。
『ちひろは我慢強いなぁ。でも今はとしきがいないから甘えていいんだよ』
そう言って両腕を広げて千尋が来るのを待っていた父親。
俊樹が生まれて母親は弟にかかりっきりになった。幼心に仕方ないことと分かっていたが、寂しかった。
そういう時、父親は千尋をこっそりと抱きしめてくれた。
そして、千尋が父親の胸で散々泣かせてくれた。
その後二人で母親の元に行くのがお決まりだった。
泣いて目が赤い千尋を母親もギュッと抱きしめてくれる。
大好きだったお父さんとお母さん。
事故で二人共いなくなった。
それでも自分はまだ恵まれている。
俊樹より2年早く生まれた分、父母の思い出が多いからだ。
両親がいなくなって毎日泣く俊樹の親代わりになってあげないといけない。
そう思い、千尋は自分の心の内、特に負の感情を見せなくなった。
それは恋人に対してもそうだった。
柳田の前にいい感じになった人がいなかったわけではない。
だが、心を見せれない千尋は一歩踏み込むことができなかった。
柳田に惹かれたのは、彼が親しくなっても千尋に心を見せないと心のどこかで感じていたからだ。
なのに武史の側にいると、20年以上封印していた気持ちが溢れ、上手く感情がコントロールが出来なくなる。
それでも武史は当たり前のように受け止めてくれる。
(早めにどうするか決めないと。……じゃないと)
その先は、今は考えたく無かった。
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