傷ついた心を癒すのは大きな愛

雪本 風香

文字の大きさ
37 / 61

祭りと花火2

しおりを挟む
朝方まで仕事をしていた千尋が仮眠を取っている間に武史は出掛けたようだ。
(完璧昼夜逆転になっているなぁ) 
武史とキスをした日からだ。
武史が同じ家にいると思うと、どうしてもあの時のことを思い出して寝付けない。
忘れるために仕事をして、武史が出掛けた後に睡眠を取る。

武史のことを意識している。
痛いほど自覚していた。
忘れて欲しいと言ったのは自分なのに、すっかり忘れている武史に無性に腹が立った。
そして、他人に対してここまで感情を揺さぶられることがなかった千尋は戸惑っていた。

武史はあっさりと千尋の内側に入ってくる。
柳田の前ですら泣いたのは、たった1回だ。最初に関係を持った時だけだ。それからは、柳田の前でも心をさらけ出すことはなかった。
なのに、武史の前ではもう何度も泣いている。
ありのまま受け入れてくれる武史に、感情をさらけ出すのは楽だった。

武史のことを好きなのかどうか。
何度も自問自答しているが、まだ結論は出ない。

だけど。
唯一わかっていることはある。

(私は、タケちゃんに両親の愛を求めている)
子どもの頃、突然失った心の穴。それを武史は満たしてくれる。
祖父も祖母も俊樹も大事にしてくれていた。
それでも、千尋の穴を埋めることができなかった。
当時は強制的に大人にならないと心が耐えきれなかった。だけど、今は子どもの頃の愛情不足にあえいでいる。
それがわかっているから、今まで柳田以外と付き合ってこなかった。
千尋の求めている愛は、親の愛の代わりだと気付いていたからだ。

柳田と付き合っていたのは、柳田も同類だからだ。
柳田は千尋に何も与えなかった。徹底的に翻訳能力だけしか求めなかった。だから、好きでいられた。
好きにならないと、好きになってくれないとわかっていたから安心して身を任せられた。
なのに、長く付き合えば付き合うほど正反対の気持ちが生まれた。
すべて包んでほしい。受け入れてほしい。
この愛情に飢えた人が私を選んでくれるなら、私は何もかも捨てて選べる。
そこまで思い詰めていた頃に、あの事件が起きた。
柳田は薄々潮時だと感じていたのだろう。別れを告げたときはあっさりしていた。そのおかげで千尋も東京を離れることができた。
もし、あのまま東京にいたら今でもズルズルと柳田と関係をもっていた。
東京を離れ自分のことを見返す時間が増えたから、美香から柳田の連絡先を渡されそうになったときも断れた。

それでも、美香からの仕事をしているときにいちいち柳田の影がよぎる。
(こんな文章は、柳田さんに評価されない)
そう思い、書き直そうとする手を必死に止める。そして、心が苦しくなる。
翻訳者として名前が出るのは、千尋自身だ。翻訳がつまらないと評価されるのも千尋だ。装丁家は売り上げには貢献するが、本の中身を評価される時には矢面にたたない。
あくまで本の面白さを決めるのは、元々の作者の技量と、訳者の力だ。
それに、装丁するのは柳田と限らない。にも関わらず、千尋の評価は柳田が基準になっていた。
今まで一人で生きてきた。強がりだったかもしれないが、それでも自分で食べられるだけの仕事を得て、必死に努力をしてきたつもりだった。
なのに、いざ振り返ると足元がぐらぐらとなっていることに気付いてしまった。

(タケちゃんだったら、こんな私でも受け入れてくれそう)

武史はありのままの千尋を受け入れてくれるだろう。
柳田へのぐちゃぐちゃな気持ちも、武史に求めていることも、すべて理解してくれ、それでも受け入れてくれる。
そんな武史の気持ちを受け入れるのが、怖かった。



色々考えながら眠りについたからか、さくらが迎えに来たときも眠っていた。
「さくらちゃん、大樹くん、ごめん!ちょっと待って!」
慌てて支度をする。
「早めに来たから気にしないで。でもちーちゃんが寝坊なんて珍しいね」
「ちょっと寝付けなくて」
そういいながら、バタバタと準備をする。麦茶を飲んだだけで、なにか食べる余裕はなかった。
急ぎで準備をして、さくらと大樹と連れだって家を出る。
(飲み物忘れたけど、どこかで買えばいいか)
あとでこのことを後悔するのだが、今の千尋はさくらたちを待たせたくない気持ちを優先させた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

とっていただく責任などありません

まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、 団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。 この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!? ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。 責任を取らなければとセルフイスから、 追いかけられる羽目に。

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

処理中です...