ドリーム野郎

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「任せろ」俺は意味もなく怪気炎を上げた余韻を引きずり 熱い泳ぎになっていた。
 市民プールで松村とおるは、闇雲に手で足で水を掻いた。 
 高校の水泳部で一緒だった友 塩田たかしから電話があり、泳げなくなったと告げられた。どういうことなんだと声を荒らげると足を怪我したという。かつて泳ぎを競ったライバルの不幸が悔しくて、なんてヘマをやらかしたんだと愚痴のひとつでも言ってやらないと気が済まない。
 だから、入院先へ見舞いにいくと、足早に歩く姿、それに揺られるカーテン。主のいないストレッチャーなど、どれも白で統一されたまほろばの中で気が滅入る分だけ黒ずんだ灰色の、それは、カーテンの撓みだとかストレッチャーの下に広がる影だとか知らない患者の名が記された部屋番号の印字の色だとかに囲まれた中で焦点が合った墨痕鮮やかな友の名前を認めてドアを開ける。
力なく向けた痛ましい作り笑いに続いて車に轢かれてこの有り様だとたかしは説明した。包帯で膨らむ足を白いベッドに固定され、身じろぎの欲求を突っ撥ねる拘束に言葉を失う。
もう泳げない。彼は笑って、自由な手で俺の足を叩いた。
 たかしは自分の分も泳いでくれとでもいうように、市民プールの回数券を俺に託した。

 市民プール、柄じゃないが、プールはプールだ。久しぶりに感じる水の抵抗が心地よい。
 俺は、進学しても水泳をやるつもりでいたが
一切をすっぱり辞め今はサイクリングのサークルに所属している。
 だから心臓は鍛えられていて、久方ぶりの泳ぎでもストレスなく水に馴染める。どれだけ攻めても、スタミナが尽きない。ブランクを感じさせない。
 かつてのコンディションを取り戻すならともかく、泳ぎを楽しむ程度には十分力を発揮できる。

 手前味噌になるが俺達が凌ぎを削った水泳部は、県大会でも常に上位に食い込む強豪だった。
 しかし去年、部員の不祥事が発覚し、謹慎の後に廃部となる。
 その不祥事というのが、複数の部員による、女性への暴行事件だ。あろうことか後輩たちは一人の女性を寄ってたかって乱暴したのだ。
 OBの俺は、悔しさを噛み締めるように、そしてかつての悪夢を掻き消すように水を掻き分けた。
 廃部の原因がショックで水泳からも距離を置いた。
 サイクリングのサークルに入ったのも同じ理由からだ。
 手も足も、たかしが泳げない分、代わりに取り返すつもりで水を掻く。

 足がつるほど熱中した。もういいだろう。
誰と競うわけでもないこれで十分だ。
 プールサイドに上がり、肩を大きく上下して息を吸い、そして吐く。
 誰かが自分を凝視している。
 おぼろげに見える、ワンピース水着の影。
 自分の世界に没頭するあまり、知らないうちに他人に迷惑を掛けている。
 後輩の不祥事以来、客観的に自分を見る癖がついた。
 何が人の不評を買っているかわからない。白い目に過敏になっていた。
 自分もまた、我が青春の燃焼をしてきたもう今はない水泳部の栄光を汚さないうちに引き上げよう――

 新調した鮮やかな色のタオルをビーチバッグから取り出して両手で顔を拭い、まぶたを開けたとおるは、女と目が合う。
 不思議なまなざしという以前に、見ず知らずの者に向ける視線としては、彼女のそれはあまりに長すぎる。
 赤の他人であることが、日没に等しく物憂い。
 どこかで会ったなら、覚えているだろう。
 とおるは、さっきから幾度となく凝視を続けてきた若い女の正体が、たまらなく知りたくなる。
 喉の乾きに似た欲求に焦がれる。

 そこに立つスリムな彼女は、スプールサイドに焼き付く影が妖しい。
 夕暮れの太陽が、彼女の正体を複雑にする。
 彼女の胸には、どこから拾い集めたのか、とおるのモラルや理性がいっぱい詰まっていて、それが新体操のボールにして二個分、ぶら下がっている。 だから、どこかでひと目でも見ていたなら、忘れようがない。
 そこには、まだ問われることのない彼の責任や、社会的制裁も含まれて膨らんでいる。
 泳ぎに全精力を使ったせいか、彼の頭はまっ白で、彼女が突き付けるものが何かわからない。いや、わからないふりをしたのかも知れない。
 へたなことをしゃべって、それが美辞麗句として言質を取られるくらいなら、黙っていた方がいい。今は言葉を飾れるほど力が残ってない。
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