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序幕
Run in the 雪国
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微かに街灯が先を照らす年の瀬の東北の田舎街。出張で訪れたその街は朝から降りしきる雪で、都会育ちのオレには幻想的なほど真っ白に見えた。
オレの名前は多田駆。バツイチの独身アラフォーサラリーマンだ。趣味は『ラン』。ランと言っても花の蘭や応仁の乱ではない。走る方のランだ。少し前までは『マラソン』とか『ランニング』と呼んでいたのだが、ここ数年で周囲にお洒落な俄かランナーが増え、彼らの影響でオレまで『ラン』と呼ぶようになった。
ただし、オレの走りはそんなお洒落なものではない。正直これを趣味と呼んで良いものかちょっと戸惑うくらいだ。昨年の春先などインフルエンザに罹ったにも拘わらず、マスクを着けて人通りの少ない道を密かに走っていた。オレがインフルエンザを患っていることを知っている人に見られたら、異常行動を引き起こしていると思われたに違いない。
今だってそうだ。年老いたママと50代と思しき娘が2人でやっている場末のスナックで、取引先の営業に無理やり安物の焼酎をたらふく飲まされた後だというのに、ホテルに戻って寝ようとしていたら気が付くと着替えてランへ向かっていた。無意識のうちにだ。
自分で言うのも何だが、これだけ雪の積もった夜更けに屋外でランをするなど尋常ではない。それを頭で理解しながらも体はランを欲して止まない。流石にこの時ばかりは大きな病院で精密検査を受けてみるべきかと本気で思った。
それでも白い息を弾ませながら走っていると頭の中は雪道と同じ真っ白に染まっていく。心地良さに全てを忘れオレは走り続ける。
元嫁とこじれていた頃に「私とランとどっちが大事なの?」って聞かれ答えに詰まったのには自分でもひいた。頭では「お前に決まってる」と思いながらも、オレの体は「ラン」と答えようとしていたに違いない。今思えばあれが夫婦の間に出来た細かな亀裂が、一気に巨大な裂け目へと変貌した瞬間だった気がしてならない。
スケベな先輩に「ジョギングで持久力が付けば、アッチの持久力もアップするらしい」などと教えられたのを真に受け、元嫁と付き合いはじめてすぐにランをするようになった。最初の数週間は面倒くさくてたまらなかったが、気が付くと毎朝の日課になっていた。まあ、肝心のアッチの成果はほとんど感じられなかったのだが。
それまで全く気にした事がなかったがランを趣味とする人達は少なくない。毎朝走っているとすぐにラン仲間も出来て、タイムもどんどん縮んでいき何度か大きな大会にも誘われた。けっこう良い成績だった。でも、オレには決められた順路に従って走るより、こうして気ままに走るのが向いている。
街灯に照らされキラキラと輝く粉雪の中をひた走る。静寂の中でオレの足音だけが一定のリズムを刻み、信号機の点滅が雪に赤や黄色に反射する。このままどこまでも走っていける。いつまでも走っていられる。
そんな万能感に浸っていた矢先、オレは凍結した悪路に足を取られてよろめいた。そのまま尻もちでも付けば良かったのだろうが、転ぶまいと踏ん張ったせいで逆に態勢を崩し道路脇の暗闇へと倒れ込んだ。
思いも寄らない浮遊感に襲われた直後に、身を裂くような痛みに襲われる。それが尋常で無い冷たさである事に気付いた時には、全身を氷水で覆われていた。流されている。上着や靴が時折、硬い物に勢い良く擦れる。体が硬直して上手く動かない。
オレは薄れゆく意識の中で氷水と共に流されている事を認識した。そう言えば昼に得意先を訪れた際に歩道脇の設置された大きなグレーチングが開いていたので聞いたら、排雪作業に使うための溝だと教えてくれた。確か流雪溝と言ったか。道路の下に設けられた水路のことで、そこに投げ込まれた雪を流水で河川まで運ぶ。
本来は通行する際に危険なため、排雪作業時以外は締めっぱなしにしておくべきものらしいのだが、朝から降り続ける雪の片付けに追われ開けっ放しにしている箇所が多いらしい。取引先の営業も数年に一度は老人や子供が流されるのだとあっけらかんとした様子で語っていた。今回はオレか。
どれくらい流されたのだろうか。この勢いだとあっという間に河川までたどり着きそうだ。何度か手と足で流れを止めようと試みたが、低温に浸かり切ったオレの体はほとんど言う事を聞いてくれない。オレは思いのほか冷静で、不思議なくらい頭も冴えていた。
もしここで死んだらオレの死体はなかなか見付からないだろう。それでもこれだけ冷たい場所なら簡単に腐敗することもないはずだ。急に連絡の取れなくなったオレを会社もそこまで放ってはおかないだろう。それ以前に宿泊先のホテルから真っ先に警察へ連絡が行くかも知れないな。
思い起こせばそれなりに楽しい人生だった。悔やまれるのは実家の両親に孫の顔を見せてやれなかったことか。だが、これは相手があっての話だ。仕方ない。ここは潔く辞世の句ってヤツでも考えるか。あれ、辞世の句って『五・七・五』かそれとも『五・七・五・七・七』か。
そんなことを思いながら何度目かに頭を強打した瞬間に、オレの意識は吹き飛び深い闇へと沈み込むように落ちて行った。
オレの名前は多田駆。バツイチの独身アラフォーサラリーマンだ。趣味は『ラン』。ランと言っても花の蘭や応仁の乱ではない。走る方のランだ。少し前までは『マラソン』とか『ランニング』と呼んでいたのだが、ここ数年で周囲にお洒落な俄かランナーが増え、彼らの影響でオレまで『ラン』と呼ぶようになった。
ただし、オレの走りはそんなお洒落なものではない。正直これを趣味と呼んで良いものかちょっと戸惑うくらいだ。昨年の春先などインフルエンザに罹ったにも拘わらず、マスクを着けて人通りの少ない道を密かに走っていた。オレがインフルエンザを患っていることを知っている人に見られたら、異常行動を引き起こしていると思われたに違いない。
今だってそうだ。年老いたママと50代と思しき娘が2人でやっている場末のスナックで、取引先の営業に無理やり安物の焼酎をたらふく飲まされた後だというのに、ホテルに戻って寝ようとしていたら気が付くと着替えてランへ向かっていた。無意識のうちにだ。
自分で言うのも何だが、これだけ雪の積もった夜更けに屋外でランをするなど尋常ではない。それを頭で理解しながらも体はランを欲して止まない。流石にこの時ばかりは大きな病院で精密検査を受けてみるべきかと本気で思った。
それでも白い息を弾ませながら走っていると頭の中は雪道と同じ真っ白に染まっていく。心地良さに全てを忘れオレは走り続ける。
元嫁とこじれていた頃に「私とランとどっちが大事なの?」って聞かれ答えに詰まったのには自分でもひいた。頭では「お前に決まってる」と思いながらも、オレの体は「ラン」と答えようとしていたに違いない。今思えばあれが夫婦の間に出来た細かな亀裂が、一気に巨大な裂け目へと変貌した瞬間だった気がしてならない。
スケベな先輩に「ジョギングで持久力が付けば、アッチの持久力もアップするらしい」などと教えられたのを真に受け、元嫁と付き合いはじめてすぐにランをするようになった。最初の数週間は面倒くさくてたまらなかったが、気が付くと毎朝の日課になっていた。まあ、肝心のアッチの成果はほとんど感じられなかったのだが。
それまで全く気にした事がなかったがランを趣味とする人達は少なくない。毎朝走っているとすぐにラン仲間も出来て、タイムもどんどん縮んでいき何度か大きな大会にも誘われた。けっこう良い成績だった。でも、オレには決められた順路に従って走るより、こうして気ままに走るのが向いている。
街灯に照らされキラキラと輝く粉雪の中をひた走る。静寂の中でオレの足音だけが一定のリズムを刻み、信号機の点滅が雪に赤や黄色に反射する。このままどこまでも走っていける。いつまでも走っていられる。
そんな万能感に浸っていた矢先、オレは凍結した悪路に足を取られてよろめいた。そのまま尻もちでも付けば良かったのだろうが、転ぶまいと踏ん張ったせいで逆に態勢を崩し道路脇の暗闇へと倒れ込んだ。
思いも寄らない浮遊感に襲われた直後に、身を裂くような痛みに襲われる。それが尋常で無い冷たさである事に気付いた時には、全身を氷水で覆われていた。流されている。上着や靴が時折、硬い物に勢い良く擦れる。体が硬直して上手く動かない。
オレは薄れゆく意識の中で氷水と共に流されている事を認識した。そう言えば昼に得意先を訪れた際に歩道脇の設置された大きなグレーチングが開いていたので聞いたら、排雪作業に使うための溝だと教えてくれた。確か流雪溝と言ったか。道路の下に設けられた水路のことで、そこに投げ込まれた雪を流水で河川まで運ぶ。
本来は通行する際に危険なため、排雪作業時以外は締めっぱなしにしておくべきものらしいのだが、朝から降り続ける雪の片付けに追われ開けっ放しにしている箇所が多いらしい。取引先の営業も数年に一度は老人や子供が流されるのだとあっけらかんとした様子で語っていた。今回はオレか。
どれくらい流されたのだろうか。この勢いだとあっという間に河川までたどり着きそうだ。何度か手と足で流れを止めようと試みたが、低温に浸かり切ったオレの体はほとんど言う事を聞いてくれない。オレは思いのほか冷静で、不思議なくらい頭も冴えていた。
もしここで死んだらオレの死体はなかなか見付からないだろう。それでもこれだけ冷たい場所なら簡単に腐敗することもないはずだ。急に連絡の取れなくなったオレを会社もそこまで放ってはおかないだろう。それ以前に宿泊先のホテルから真っ先に警察へ連絡が行くかも知れないな。
思い起こせばそれなりに楽しい人生だった。悔やまれるのは実家の両親に孫の顔を見せてやれなかったことか。だが、これは相手があっての話だ。仕方ない。ここは潔く辞世の句ってヤツでも考えるか。あれ、辞世の句って『五・七・五』かそれとも『五・七・五・七・七』か。
そんなことを思いながら何度目かに頭を強打した瞬間に、オレの意識は吹き飛び深い闇へと沈み込むように落ちて行った。
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