狼が死んだ日

白木 まいる

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緑の扉 3

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日が沈み、夕焼けの火傷の痕が残る程の空。私は数時間、ソラが運転するキャリィーバンの後部座席のシートの上で揺られていた。ミルフィーユ状の分厚い雲が覆い、そろそろ顔を出しても良いはずの月は沈黙を保っている。助手席にいるアゲハが数分置きに振り返る。彼女の結わえられた茶色の髪がさらりとシートを撫でる音がする。
砂埃で白い幕の張った窓から覗けば、車は都内の高級住宅外に向っているようだ。法の前ではお目に掛かれない様な高価な庭や大理石の門。その前を通り過ぎていく。誰もが罪人、資本の前では人は善人ではいられない。そう、誰も善人ではいられないのだ。
車は大通りを左折し、如何にもな日本風景を油絵で描いたような屋敷に到着した。大きな大理石の門は新調した物だろうが、こう言った屋敷は近代的なセキュリティーゲートが登場する以前から建てられているものが多い。中は連なった屋敷と日本庭園が広がっているのだろうか?なんとなく、貧相な想像を描きたてられていた。
ソラは正面門の脇を通り過ぎ、屋敷の裏手に回った。舗装されたばかりの広い敷地と車庫がある。其処に車を止めるとリンは印刷した屋敷の見取り図をアゲハに確認させる。アゲハとソラはゴム製の手袋を着用し、それを私にも差し出す。私は拒否した。今まで手袋をしたまま作業をしたことは無かったし、これからも手袋を持参するつもりもなかった。アゲハは一瞬、怪訝そうに表情を顰めたが、何も言わなかった。
私とアゲハとソラはバンから降り、裏口のドアへと突っ切った。松や盆栽が裏庭に並べられていた。屋敷に近づいた途端、センサーライトが私達を照らし出したが、誰一人として怯むことはなかった。
二人はドアの前で立ち止まる。此処からは私の出番というわけだ。私は皮のケースを取り出して仕事を始めた。専用のレンチとピックを抜き出す。レンチを鍵穴の奥に滑り込ませる。そしてピックを使いピンの感触を探る。上下のピンの境目でかろうじて引っ掛かるように其々のピンを押し上げる。そのままレンチで適度に捻りを保ったまま、もう一度順に、細かく繊細にミリ単でピンを押し上げていく。心は無心で、一切のことを脳内から締め出している。白状しよう、この時、錠と会話しているときは君のことも一切考えないようにしている。だって、もし君の笑顔や声を思い出していたなら、私はきっと、何故此処にいるのかとか、どうしてこんな事をしているのかとか……そんな単純な事実に押し潰されてしまうだろうから……。この瞬間、世界に存在しているのは私と五本の金具だけだ。
一本、二本、三本、四本、五本。
シリンダーが私に屈して全てを吐き出す。仕上げにレンチの力を強くすると、シリンダーが回転した。背後に立っていた二人が簡単の吐息を漏らしたように感じた。
アゲハが私の肩を優しく叩いて中へと進み、真っ直ぐに警報装置へと向う。電子警報機器にも付け入る隙は沢山ある。ドアや窓の電気センサーに迂回路をつけて無効にする。システムそのものを停止させるか、電話回線そのものを遮断するか……直接警備会社の人間に手綱をつけてもいい。どれを選択するにしろ、それは彼女達の仕事で私には関係ないことだ。
二人は暗証番号を知っていた。恐らく、リンがハッキングで知りえたのかも知れない。もしくは屋敷に内通者がいたのか。家政婦?修理業者?どちらにせよ、アゲハは数秒でこの屋敷の全セキュリティーを解除した。何よりも安全で簡単な方法だった。
アゲハが不敵な笑みを浮かべるのを見届ければ、ソラは見張りのためかその場から素早く立ち去った。
私は?私は、君のことを考えていた。いつか終わりが来るのだろうか?私は君を眺めるのが好きだ、とても気持ちよかった。君は胸の薄いほっそりとした女性で、すらりと立ったその肩の温もりも、青白くて何処となく虚無感を与える魅力的な顔に、私に対する好意と関心を慎ましい炎で燃やしながら、茶色の瞳を眩しげに細めて、此方を見返している。君の顔を始めて見た時に私は――――。いや、いま考えるのは止めておこう。
アゲハが私の肩を揺らした。小さく手招きする彼女に私は続いた。此処まで完璧な家を見たのは初めてだった。何もかもが揃っている、鏡やスツール。快適さを重視した装飾に巨大なテレビ。
階段を上に上がり、廊下を進み、寝室に入った。何処に何があるのか、アゲハは迷う素振りがない。
大きなクローゼットの前で立ち止まった。勿論、高価なネクタイやスーツが目当てじゃない。アゲハは慎重にスーツを横へとずらしていく。其処には金庫が置かれていた。嗚呼、又もや私の出番という訳だ―――――。
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