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プロローグ
サンパウロの双星 その①
しおりを挟むこの年の三月も一週間ほどが過ぎたその日。
サンパウロ市の上空は絵に描いたような快晴で、はぐれ雲ひとつない透きとおった碧空が無限の広がりを見せていた。
つい先日まで降り続いていた雨も、厚く重なりあった灰色雲の消失と同時にすっかり過去のものとなり、それは市の中心部から北東に向かうこと約二十五キロに位置するグアルーリョス市も同様だった。
この都市にはブラジルの主要空港のひとつ、グアルーリョス国際空港がある。
八十年代半ばに開港した比較的新しい空港で、公式名称は「サンパウロ・グアルーリョス・アンドレ・フランコ・モントーロ国際空港」というのだが、ブラジル特有の姓名と同様、あまりの長さに現地の人々ですら公式名称を使うことはなく、もっぱら所在地に由来するグアルーリョス国際空港というのが一般的な呼称である。
グアルーリョス空港は二十四時間休むことなく運営されているブラジルを代表するハブ空港で、世界各国の四十社あまりの航空会社が乗り入れし、世界二十八ヶ国の百を超える都市との間に定期旅客便を就航させている巨大国際空港である。
年間乗降客数約二千万人にのぼり、これは世界の空港において三十六番目の規模となる。
この日も空港のターミナルビルには多種雑多な利用者たちが群れつどい、ビル内は喧騒につつまれていた。
国際空港らしく外国から来た者がいれば、逆にこれから国外に旅立つ者がいる。
自分の生まれた国に戻ろうとする外国人がいれば、それを見送りにきた自国人もいる。
ターミナル内の中二階フロアー。
その一画に設けられた待合室のソファーに座る、コーヒーカップを手に談笑する二人の少年たちのように。
一人は黒い髪と黒い瞳を持つ、一見して東洋系とわかる少年で、もう一人は淡い亜麻色の髪と碧眼を持つ白人の少年である。
黒髪の少年の名を久住涼といい、年齢はこの年16歳になる。
やや細身ではあるが、180センチという均整のとれた長身の所有者で、磨きあげられた黒曜石を思わせるぱっちりとした優しげな瞳がたいそう印象的である。
生まれたのは日本で両親も日本人だが、六歳のときに商社マンである父親の転勤にともないブラジルに移住。
以来十年間、家族とともにサンパウロ市内で暮らしている。
その傍らに座る亜麻色の髪の少年――レイナウド・ソウザ・ダ・リヴィエラも、年齢は涼と同じ十六歳である。
身長は170センチ余りと、こちらは日本人の涼とくらべても小柄だが、逆に肩幅は広く骨格や筋肉も厚くひきしまっており、眉目が鋭くととのった顔だちもあいまって、見る者に精悍な印象をあたえている。
彼もまたサンパウロ市内で暮らしているのだが、こちらは生まれついてのブラジル人で、しかも両親に祖父母、さらには曽祖父母までもがサンパウロ育ちという、一家そろってのパウリスタ(生粋のサンパウロ市民という意)である。
くわえて地元に本拠を置くプロサッカークラブの下部組織にあって、キャプテンとエースストライカーを兼務する、将来を有望視されるサッカー選手なのだ。
「そう、あと四、五年もすれば、まちがいなくブラジル代表に選ばれるだろうな」
と、クラブの関係者や地元マスコミの間でもっぱらの評判である。
涼とレイナウドが知り合ったのは、今から10年前のことだった。
家族と日本から移住してまもない時分、父親の知人の紹介で市内の少年サッカーチームに入団した涼は、そこで一ヶ月だけ早く入団していたレイナウドと出会い、以来十年間、公私両面での付き合いが続いている。
否、続いていたというべきか。実は昨日付けで涼は所属していたチームを退団し、そればかりかまもなく離陸する飛行機で日本に帰国することになっていたのだ。
理由は商社マンの父親が日本の本社勤務の辞令を受けたためで、チームの中心選手である涼の退団を惜しむチーム関係者の中には、このままブラジルにとどまってどうかという声もあった。
その一人がレイナウドである。
今年の初め、涼から突然の帰国話を聞かされたレイナウドは心底から驚き、困惑し、このままブラジルに残るように必死に説得を続けたのだが、結局、家族とともに帰国することを選んだ涼を翻意させることはできなかった。
以来、会うたびにその口から出るのは帰国に対するぼやきと愚痴で、それは見送りにきたはずの今日もかわらなかった。
待合室で搭乗する便を待っている間も、レイナウドは内なる不満をすべて吐きだしてやるとばかりに愚痴を連発して、涼を苦笑いさせたものである。
「今日は素直に見送りにきてくれたんじゃないのか、レイ?」
そう涼が軽く皮肉ると、レイナウドはぶ然とした表情を浮かべ、
「言っておくけど俺だけじゃないぞ。監督だってあいかわらずぼやいているんだからな。お前がいれば連覇は確実なのに、なんで帰国するんだって」
二人が所属するサッカークラブ「サンパウロFC」の下部組織チームは、昨季、州選手権と全国大会の両方を制し、十年ぶりとなる国内王者に輝いていたのだ。
その二冠達成に多大な貢献を果たした主力選手の一人は、手にするコーヒーをひと口飲んで微笑をこぼした。
「俺一人いなくなって連覇は確実だよ。今のサンパウロFCは攻守ともに選手層は厚いし、なにより州ナンバーワンのストライカーがいるんだからさ」
「だけど、州ナンバーワンのボランチがいなくなるんだぞ。中盤の守備力が落ちるのは避けられないって、クラブのスタッフ全員が口をそろえて言っているぜ」
似たような表現で切りかえされて、またしても涼は苦笑を漏らした。
本人たちが本気で思っているかはともかく、実際のところ涼とレイナウドの二人は、チーム内にあって攻守両面における中心選手として知られていた。
かたや〈大砲〉と称される強烈なシュート力と、五十メートル五秒台という駿足をもって、数々の大会で得点王に輝いている天性のストライカー。
かたや的確な判断力、堅実な守備力、高い身体能力にくわえ、中盤の底からゲームを冷静にコントロールする能力に長けた、やはり数々の大会で最優秀選手に輝いているミッドフィールダー。
石を投げれば将来の代表選手に命中するとまで言われるサンパウロFCの下部組織にあって、とりわけ突出したセンスでチームを牽引するこの二人を指して、地元のメディアは「サンパウロの双星」と呼んでいた。
その呼び名があらわすとおり、二人は実力と実績において拮抗していたが、チームのエースの座をめぐって互いをライバル視するということはなかった。
それどころか試合においては攻守の要として呼吸のあった連携を発揮し、多くのタイトルをチームにもたらせてきた。グラウンドを離れても彼らは友人として深い親交があり、それは六歳のときに出会って以来、変わることはなかった。
そして、それはこの先十年も二十年も続くものとレイナウドは思っていた。「日本に帰ることになったよ」と、唐突に告げられたあの日までは……。
追憶の淵から脱したレイナウドは、ふと心づいて自身のスポーツバッグを開けた。
「そうそう、お前に渡すものがあったんだ」
そう言って中から取り出したのは一個のサッカーボールである。
その表面には、一見して手書きとわかる数多の文字類が無秩序に記されていた。
「チームのみんながお前のためにボールに寄せ書きをしたんだ。家族とリオに出かけていたマルセロの帰りを待っていたので、今日まで渡せなかったけど……」
「本当だ。ルーカス、ガンソ、デニウソン、ルシオ……」
レイナウドから渡されたボールの表面には、グラウンドで苦楽をともにしてきたチームメイトたちの、それぞれ思い思いの言葉で涼の帰国を惜しむ寄せ書きが記されてあった。
中には、涼の帰国でようやく自分がレギュラーになれると冗談めかしたものもあって、涼の口もとをほころばせたものである。
しばしの時間、涼は黙然とボールの寄せ書きを見つめていたが、ふいに顔をあげると自分のスポーツバッグを開け、中からサッカーボールとマジックペンを取り出した。
レイナウドが黙して見つめる先で涼はボールの表面にペンを走らせていたが、ほどなくその手は止まった。
「それじゃ、レイ。これをみんなに……」
そう涼が手にするボールをレイナウドに渡そうとした、まさにそのとき。ふいに鼓膜をたたいた女性の悲鳴に二人は同時に視線を転じた。
わずかに遅れて今度は怒号のような声があがり、さらにあがった複数の悲鳴がそれに重なったのだ。
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