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第2話:補給係の仕事は、戦わないこと
しおりを挟む補給部隊の詰所は、兵舎の裏手にあった。
表から見れば、ただの物置みたいな建物だ。わざわざ日当たりの悪い方を選んだのか、という場所にある。戦いに出ない連中は、太陽の下に立つ必要もない——そう言われている気がして、エドガーは少しだけ背中を丸めた。
荷物を抱えて扉を押す。きしむ音がして、空気が変わった。
中には三人。帳簿とにらめっこしている男が一人、木箱を積み上げている男が一人、壁に寄りかかって半分寝ている男が一人。
帳簿の男が顔を上げる。目だけが先に動いた。
「新入りか」
「はい。エドガーです」
「ああ、聞いてる。俺はオズワルド。ここ、任されてる」
班長だ、と名乗る声は淡々としていた。
四十代くらい。痩せた体つきで、左腕に古い傷跡が走っている。前線の傷だ。前線にいた人間の腕は、だいたい語りたがらない。
「荷物置いたら、こっち来い。仕事、ざっと教える」
「……はい」
エドガーは部屋の隅に荷物を置き、オズワルドの隣に立った。
帳簿には、細かい文字がぎっしり詰まっている。戦場の地図より、よっぽど怖い。地図は見間違えても、せいぜい迷う。帳簿は見間違えると、迷子になるのは人の命だ。
オズワルドが指でページを叩いた。
「今月の物資リスト。食料、武器、防具、薬草。全部ここ」
エドガーは目を走らせた。
麦粉、干し肉、塩、油。矢、弦、革の鎧。包帯、薬草——。
「……これ、全部覚えるんですか」
思わず声が出た。
オズワルドは笑わなかったが、鼻で短く息を抜いた。笑いに近い何か。
「覚えなくていい。覚えるのは、数が合ってるかどうかだ」
そう言って立ち上がり、奥の扉を開けた。
「ついて来い」
◇
扉の向こうは倉庫だった。
広い。天井まで積まれた木箱、麻袋、樽。壁際には剣や槍がまとめて立てかけられている。油の匂いと、乾いた木の匂いが混ざって、鼻の奥が少し痛い。
「ここが腹だ」
オズワルドが言う。
戦場の腹ではなく、部隊の腹。食べ物も、武器も、薬も、ここから出ていく。腹を空っぽにしたら、腕が何本あっても勝てない。
「食料は向こう。武器はこっち。薬草は奥」
歩きながら、雑に指す。
雑に見えるけど、迷いはなかった。倉庫の中の配置が、体に染み込んでいる感じだ。
「毎朝、数を見る。帳簿と合ってるか確認。合わなかったら、すぐ報告」
「……それだけですか」
つい言ってしまった。
前線の仕事みたいに「敵が来たらどうする」とか、そういう緊張はない。だから、逆に、拍子抜けしたのだ。
オズワルドは棚の前で立ち止まり、こちらをちらりと見た。
「それだけで済むなら、俺がこんなに痩せてねえ」
「……」
「食料には期限がある。古いのから使う。武器は錆びてないか。薬草は湿気で死ぬ」
棚の奥から麻袋を引っ張り出し、軽く叩く。
粉が舞った。こういう粉は、放っておくと虫を呼ぶ。虫は、戦争よりしつこい。
「それも全部、こっちの仕事だ」
エドガーは頷いた。
「で、もう一つ」
オズワルドは、倉庫の奥を指した。
「前線に物資を運ぶ手配もする。何が要るか、いつ要るか、どこへ出すか。全部、ここで決める」
「前線に……」
「そうだ。お前は剣を振らない」
オズワルドはそこで一拍置いた。
言葉の刃を、わざとゆっくり研ぐみたいに。
「でも、お前が間違えたら——前線の誰かが困る。困るで済めば、まだいい」
エドガーは喉が詰まった。
困る、の次を言わなくても、わかる。
「わかるか」
「……はい」
「よし。今日は倉庫整理だ。箱、積み直せ」
命令は軽い。でも、意味は軽くない。
◇
エドガーは一日中、木箱を運んだ。
持ち上げて、置いて、並べて、また持ち上げる。汗が背中を流れ、腕が痺れてくる。
それでも、剣を握っていた時のような恐怖はなかった。
誰かがこちらに斬りかかってくるわけじゃない。ミスをしたら怒られる。怒られるで済む。——いや、済まないかもしれない。だが、少なくとも「今この瞬間に殺される」感じはない。
隣で作業していた若い兵士が、箱を置きながら声をかけてきた。
「お前、前線から?」
名前はトマスだと、さっき誰かが呼んでいた。
「ああ」
「俺も。足、やっちまってさ」
トマスは右足を軽く叩く。叩き方が慣れている。痛みと付き合う人間の叩き方だ。
「もう走れない。だからここ。最初はクソだと思ったけど……まあ、慣れる」
「そうか」
「ここ、悪くないぞ」
トマスは笑った。笑い方が軽い。
軽いのに、どこか重い。人間ってそういうところがある。
「誰も、目の前で倒れたりしないし」
エドガーは、少しだけ口の端を上げた。
「……そうだな」
「ただ、地味だ。びっくりするほど」
「それは、そうだ」
妙に噛み合って、二人とも黙った。
木箱を運ぶ音だけが続く。戦場の剣戟とは違う音だが、こっちの方が長く続く音かもしれない。
◇
夕方、オズワルドが倉庫の扉を閉めた。
重い音がして、今日の仕事が終わったことがわかる。
「今日はここまで。明日、帳簿の確認をやらせる」
「わかりました」
詰所に戻り、椅子に座る。体は疲れている。けれど、胸のあたりが妙に軽い。
この軽さが怖い、とも思う。前線で軽くなるのは、だいたい良くない兆しだったから。
オズワルドが水を持ってきて、差し出した。
「どうだ、補給は」
「……思ったより、やることが多いですね」
「そうだろ」
オズワルドは椅子に座り、窓の外を見た。
前線の方角を見る癖が残っている。
「剣振るよりは、楽だ。少なくとも、逃げたくて足が固まるってことは起きにくい」
言い方は淡々としていたが、突き刺す意図も、慰める意図も、たぶん両方あった。
「班長も前線に?」
「昔な」
オズワルドは左腕を軽く動かした。
その動きだけで、十分だった。
「腕、やって。ここに来た。最初は嫌だった」
「……今は」
「今は、こっちの方がいい」
言い切ったあと、オズワルドはエドガーを見た。
「お前も、そのうちわかる」
「……はい」
エドガーは水を飲む。喉がからからだった。
汗をかいたからじゃない。今日一日、頭の中でずっと「間違えたら」を反芻していたからだ。
◇
夜、ベッドに横になる。
体は重い。腕も背中も痛む。それでも、前線にいた頃のような緊張はない。
補給係の仕事は、戦わないことだった。
剣を振らない。敵を睨まない。
ただ数を確かめ、運び、腐らせず、錆びさせない。
天井を見上げる。
戦う才能がないなら、戦わない才能を拾えばいい。そんな言い方をすると、少し笑える。だが、笑えるうちはまだ生きている。
自分にもできるかもしれない。
剣は使えなかった。けれど、木箱は運べる。数も数えられる。
小さな仕事だ。小さすぎて、見落とされる仕事だ。
でも、戦争は、そういう見落としで負ける。
エドガーは目を閉じた。
明日も、数を確かめよう。
それだけでいい。今は。
※本作は本日22:30に第3話が続けて更新されます。
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