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出会う
しおりを挟む彼は飢えに突き動かされるまま、目の前の食べ物に手を伸ばした。果物の瑞々しい甘さ、パンの柔らかさ、そしてチーズの濃厚な塩味。全てが、少年の舌を喜ばせ、胃を満たし、彼の飢えた心を温かく包み込んでいった。
「おいしい…」
少年はその言葉を小さく、けれど何度も呟きながら、夢中で手に取った食べ物を次々と口に運んだ。食べること以外、何も考えられなかった。世界が一瞬で狭まり、ただ目の前の食べ物だけが全てになった。
満腹になった少年は、荷馬車の隅に腰を下ろし、深い安堵の息をついた。お腹が満たされると、体は自然とリラックスし始めた。森の中での飢えとの戦いが与えた疲労が、徐々に彼の全身を支配していく。いつの間にか、彼の目は重たくなり、少年はその場で眠りに落ちた。
静かな寝息だけが聞こえる中、荷馬車はゆっくりと動き始めた。少年はそれに気づかないまま、穏やかな眠りの中に身を委ねていた。荷馬車は森を抜け、見知らぬ土地へと進んでいく。小さな振動が時折車体を揺らし、その規則的なリズムが少年をさらに深い眠りへと誘っていた。
少年の体が静かに揺れる中、荷馬車は確実に新しい目的地へと向かっていた。しかし、彼が目を覚ます時、その世界がどう変わっているのか、少年はまだ何も知らなかった。
目が覚めた時、彼を取り巻いていたのは、見慣れない空間と絶え間ない揺れだった。荷馬車の中の木の香りと、外から聞こえる風の音。それらすべてが少年に恐怖をもたらし、彼の体は自然と縮こまっていた。視界に映るのは、全く知らない風景だった。
荷馬車の隅でじっとしていた狼が、少年に気づき、ゆっくりと近づいてきた。その気配を感じた少年は、思わず身を引いた。その直後、荷馬車の扉がゆっくりと開き、褐色の肌と金の髪を持つ青年が姿を現した。
その瞬間、少年の心は強い恐怖に包まれた。
「くる…やだ…こないで…」
震える声で、少年はそう呟いた。言葉を忘れかけている彼が、それでも言葉を使わなければならないほどの恐怖。それが、彼の中に鮮明に刻まれていた。腕で顔を覆い、体を小さく丸める。恐怖で息が荒くなり、全身が震え始めた。
青年は、そんな少年を見て立ち止まった。そして、しゃがみ込み、少年と目線を合わせるように静かに姿勢を低くした。その表情には、困ったような笑みと、驚くほどの優しさが込められていた。
少年の震えた体に再び狼が近づいた。無言のまま寄り添う狼。その体温が、少年の心にわずかな安らぎを与える。少年は恐る恐る手を伸ばし、狼の毛並みに触れた。その瞬間、少しずつ、ほんの少しずつ、彼の震えが収まっていく。
青年は一言も発しなかった。ただ、静かに少年を見守るだけだった。その沈黙の中にある穏やかさが、少年にとってはかつて経験したことのない感覚だった。狼の温かさ、そして青年の視線。それらすべてが、少年の中に恐怖の隙間を作り出していった。
「だめ…怖い…」
少年は小さな声で呟いたが、その言葉には以前ほどの震えがなかった。狼を撫でながら、彼の呼吸はゆっくりと整い始めた。恐怖はまだそこにあったが、同時に、初めての安心感が彼の中に芽生えていた。
その時、少年の中で何かが変わり始めていた。恐怖の中に差し込む一筋の光。その光が、やがて彼の心をどのように照らしていくのか。少年自身もまだ知らなかった。
───────
少年がようやく警戒心を解き、少しずつ心を開いているのを感じた青年は、不意に何かを思い出したようにポケットを探り始めた。彼の手が取り出したのは、カラフルな包み紙に包まれた小さなロリポップだった。その輝く色が、淡い光の中でひときわ目を引いた。
「食べるかい?」
青年の声は、まるで冬の朝に差し込む陽だまりのように温かく、その問いかけには穏やかな優しさが込められていた。
少年は差し出されたロリポップをじっと見つめた。見たこともないその形、その色、その甘い香り――どれもが彼にとって未知のものであり、同時に心を揺さぶるほどの魅力を放っていた。警戒心を抱きながらも、少年の指先は自然と伸び、青年の手からそれを受け取った。
ロリポップを手にした少年は、それをまるで宝石のようにかざして眺めた。その表情には疑念と好奇心が入り混じり、目の中には初めて目にする物への期待が宿っていた。
青年は微笑みながら、「こうするんだ」と言ってロリポップの包み紙を外し、そのまま口に運ぶ仕草を見せた。そして再び、柔らかな声で囁いた。
「食べてごらん。」
少年は、少しの躊躇いを残しながらもロリポップを口に運んだ。その瞬間、彼の目が大きく見開かれた。甘い味わいが彼の舌の上に広がり、それが何とも言えない幸福感となって彼の心を満たしていった。
「おいしい…」
彼は小さな声で呟いた。その声には、どこか驚きと喜びが混ざっていた。少年はロリポップに夢中になり、目を輝かせながら舐め続けた。これほどの甘さを味わうのは、彼にとって生まれて初めての体験だった。
青年はそんな少年の様子を見て、声を上げた。「そうだ!」
彼はロリポップを指差し、ひらめいたように続けた。
「君の名前を“Repop”って呼ぶのはどうだい?“再び”って意味もあるんだ。今日は君にとって新しい始まりの日だからね。」
その言葉には、どこか遠くを見つめるような静かな情熱が込められていた。まるで、これまで一度も知らなかった何か新しいものを少年に与えようとしているような響きがあった。
少年は名前の意味を完全には理解できなかったが、ロリポップの甘さに夢中のまま、その名前を否定することもなかった。ただ、その眼差しには、何か新しいものが芽生え始めているような淡い光が宿っていた。
ロリポップを舐めながら、少年の中には少しずつではあるが、新しい何かが生まれつつあった。それが何なのか、彼自身もまだわからない。ただ、“Repop”という名前と共に始まる未来が、どんなものになるのかを知るには、まだ時間が必要だった。
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