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第3章 少年期 ミリア編
第六十一話「託されたもの」
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「――」
目を覚ましたベルは、虚ろな目で天井を見る。
ここは、ミリアで唯一無事だった避難所だ。
つまり、エリーゼとシャルロッテが最初に避難してきた場所ということになる。
「――! ベル!」
「――っ」
「良かった……! 良かったよぉ……!」
「――リーゼも、――ったです」
「ごめんなさいっ……!
あたしっ……! あたしのせいでっ……!」
「――」
エリーゼに抱き寄せられたベルは、なおも目に光が戻らない。
望んでいた再会が叶ったはずなのに、全く何の感情も沸いてこない。
声すら、まともに出すことができない。
否、出す気になれないのだ。
エリーゼの謝罪の意味すら、気にもならない。
「ベル。目を覚ましたのだな」
「…………はい」
エリーゼの後ろから、ランスロットがゆっくりと歩いてきた。
「聞いたぞ。シャルロッテが――」
「――っ」
「何考えてんのよ! ランスロット!」
「……すまん」
ランスロットはそう言って俯き、その場に腰を下ろした。
エリーゼは、涙をこらえながらベルを抱きしめる。
――此度の一件による被害は、甚大なんてレベルでは済まなかった。
『海王』ネプが起こした巨大な津波によって、街の3分の2程度が流された。
また、海上に浮かんでいたミリア監獄は、跡形もなく消え去ってしまった。
人的被害も、目も当てられないような現状が明らかになっている。
街の総人口の3分の1が死亡、もしくは行方不明となっている。
街のほとんどが流されたのにも関わらず人的被害をここまで抑えられたのは、奇跡としか言いようがない。
シャルロッテ含む治癒魔術師の尽力のおかげで、
運び込まれた生存者は全員一命を取り留めたという。
しかしながら、今の生活環境はかなり劣悪だと言える。
避難所の面積に対して、被災者の数が多すぎる。
つまり、何百人もの人々が、外での生活を余儀なくされているのだ。
幸い、今は昼夜の寒暖差が激しくはないため、まだマシな方ではあるが。
そして、あの二人。
――『海王』と『天王』だ。
まずは、『天王』ウラヌス。
彼は、ランスロットによって撃破された。
互いの全力の限りを尽くして、戦い抜いた末に、ランスロットが胴体と下半身を二つに斬った。
『捧血の契』という権能を持った相手に、ランスロットは一本の槍のみで勝利したのだ。
ウラヌスが倒れた後、ランスロットもその場に倒れた。
撃破した途端に全身の力が抜けてしまい、すぐに意識を失った。
近くに魔物がいれば、格好のエサだっただろう。
その後、咆哮を聞きつけて避難所から来た衛兵によって発見され、この避難所に運び込まれた。
そして、『海王』ネプ。
彼の亡骸は、黒く焼け焦げた状態で発見された。
いわゆる、「焼死体」だ。
ネプは、エルシア、ベル、シャルロッテによって、死闘の末に撃破された。
だがこの勝利には、あまりにも大きすぎる代償を払ってしまった。
――シャルロッテ・ミトーリア。
彼女は、凄惨な死を遂げた。
ベルが『ヴァルクルス・ヴォルト』を放った後、
すぐさまネプは腕を結集させ、繭を作ってその魔力を吸収しようと試みた。
ネプの腕には、魔力を吸収するという特性があったのだ。
実際、魔法陣から放たれたベルの魔力はかなり吸収されていた。
シャルロッテは自らの命を犠牲にして、魔力を吸収させまいとした。
――『最期の爆発』。
読み方は、『ラスト・インパクト』。
文字通り、最終手段としてごく稀に用いられる攻撃魔法である。
いわば、「自爆魔法」。
術者の体の中に秘められた魔力の全てを体内の一か所に集め、魔力を爆発させるだけの魔術だ。
メカニズムとしては簡単といえばそれまでなのだが、
自爆魔法であるこの魔術を使えば、当然術者も命を落とす。
シャルロッテは、全属性の全魔法の中で唯一の突撃系聖級魔法である「ライディング・ヴォルト」で、
捨て身の覚悟でネプとの距離を詰めた。
掌に込められた魔力でネプの腹部を貫き、
水魔法でありながら氷の華を咲かせる「フロストブルーム」で、相手と自分の身動きを封じた。
そして、シャルロッテはネプと共に勇敢に散っていった。
「……外の空気、吸ってきます」
「分かったわ。行ってらっしゃい」
ベルは生気のない顔でよろけながら立ち上がると、避難所の外へと歩き出した。
---
生き残ったベルもエルシアも、軽傷では済んでいない。
もっとも、ベルには目立った外傷はなかったが。
ベルは、人生で初めて、聖級魔術を撃った。
これで、ベルは晴れて聖級魔術師だ。
しかし、ベルは残りの魔力を全てあの一撃に注いだため、魔力枯渇で倒れた。
倒れたベルを避難所まで運んだのは、エルシアだった。
エルシアは、生還した味方陣営の中ではランスロットに次ぐ重傷だった。
体の欠損こそないものの、深い傷が多く、出血多量で意識が朦朧としていた。
加えて、全身の骨が何本も折れていた。
だがそれでも、ベルを避難所まで背負って歩いたのだ。
魔術を放った瞬間に倒れたベルとは違い、
目の前でネプの撃破とシャルロッテの死亡を見たエルシアは、
ベルだけでも助けようという強い思いで、必死に歩き続けた。
「――」
虚無感を漂わせながら、避難所の外を歩く。
荒廃した街の中を、どこに行く当てもなく。
外で生活している人々の視線が、ベルに向けられた。
その手には、シャルロッテの杖が握られている。
懐にしまっている杖も、シャルロッテの杖と同じ店で買ったものだった。
二人で一緒に杖を見に行った、あの店だ。
「――くうっ……! うぅっ……!」
ベルは歩きながら、すすり泣く。
目が覚めてからというもの、ふとした時にシャルロッテの顔が浮かぶ。
目の前から消える瞬間の、覚悟を決めた顔。
あの顔が、何度もフラッシュバックする。
もうどう足掻いても、シャルロッテは戻ってこない。
巻き戻せるなら、シャルロッテがネプへ突撃する前に戻りたい。
自分がもっと、強ければ。
ネプなんて一撃で仕留められるくらいに強ければ。
誰も傷つけずに、誰も死なせることもなかった。
「……もう、死のうかな」
ベルは、その場に膝をついた。
まだ濡れている地面を見つめ、両手をつく。
その目に、右手に握るシャルロッテの杖が映る。
それをゆっくりと持ち上げ、杖先を自らの首筋に当てる。
そして――、
「フレイム、ブラス――」
「――ダメ!」
自殺を図ったベルを、何者かが止めた。
シャルロッテの杖を取り上げて、ベルの視界に入ったのは、
「そんなことしたらダメだよ、ベル!」
「……エルシア」
顔を覗き込むようにして、エルシアが立っていた。
ベルはその顔を見るなり、無性の怒りが湧き上ってきた。
「……何すんだよ! 返せよ!」
「ダメだよ」
「返せよぉぉぉ!」
「返したら、ベルが死んじゃうじゃん」
「死ぬんだよ!
俺は死んで、シャルロッテの所に行くんだよ!」
ベルはそう言って、泣き叫んだ。
エルシアに縋りつくように、ベルは杖に手を伸ばす。
身長差もあって、その手が届くことはない。
ベルの爪が、エルシアの体を引っ掻く。
エルシアは痛がる様子も見せず、ただ慟哭するベルを見つめる。
「ベルが死んじゃったら、意味がないじゃん」
「……?」
「命を懸けて君を守ったシャルロッテの覚悟が、無かったことになる」
「――うるさい! 何も知らないくせに!」
ベルの心に一瞬、さざ波が起きる。
だがすぐに、また感情を爆発させた。
悲痛を孕んだその声に、エルシアは胸の内を掻き毟られるような痛みを味わう。
ベルの爪による引っ搔き傷よりも、心を引っ掻くベルの声の方が、何百倍も痛い。
「何も、知らないよ。当たり前じゃん」
「なら、知ったような口聞くんじゃねぇよ!」
「――」
エルシアは拳をグッと握る。
まだ小さなこの少年が味わっている苦痛は、計り知れないものだ。
だから、今どんな言葉をかけるべきなのかを、必死に考える。
「どれだけ泣いても、どれだけ願っても――」
「――」
「死んだ人の命が戻ってくることは、もうないんだよ」
「――!」
辿りついたのは、ひどく、冷たい言葉だった。
ベルは、その言葉に感情を抑えられなくなった。
懐にある杖を取り出して、エルシアにその杖先を向けた。
「……いいよ。撃ちたければ撃って。
恨まれて、当然だと思う」
「……」
「最後に君の背中を押したのは、他でもないわたしだからね」
「――」
目を伏せてそう言い放ったエルシアの顔を見て、ベルは杖を下ろした。
エルシアは言葉通り、無抵抗だった。
剣を抜く素振りも、見せなかった。
ただ真っ直ぐに、涙がにじむベルの目を見つめていた。
ベルは、シャルロッテの必死の叫びを聞いても、決断をすることができなかった。
そんなベルに魔術を撃つように言ったのは、エルシアだ。
エルシアはあの時の自分を、責めている。
まだこんなに幼い少年には大きすぎる決断を強いた自分を。
「私は、後悔してないよ」
「――」
だが、後悔はしていない。
寧ろ、正しい判断だと思った。
ベルに魔術を撃たせずに自分がシャルロッテだけ救い出しても、結局は同じことだった。
きっとそうすれば、全滅していただろう。
それでも、エルシアは、
「――でも、私が何も思わずに君に指示したと思う?」
エルシアだって、苦渋の決断だったのだ。
エルシアにとっては、シャルロッテはたまたま増援に来てくれたベルの仲間程度の認識しかなかった。
しかし、ベルや自分のために必死に戦う顔をしてくれていた彼女の顔は、
痛いほどエルシアの脳裏に焼き付いている。
ましてや、シャルロッテはベルの大切な仲間。
そんな彼女ごと殺させるなんて、本当はしたくなかった。
でも、そうするしかなかったのだ。
「私は、今この世界をすごく憎んでる。
まだこんなに小さな君に、あんな決断を強いるこの世界が、すごく嫌い。
神様がそう仕向けたなら、今すぐにでもその顔を殴ってやりたい」
「――」
エルシアは再び拳を握り、声を震わせる。
ベルは、その様子をじっと見つめる。
「でもね、ベル。君は、間違ったことをしてない」
「……もっと他に、方法があったはずなんだ。
シャルロッテだけ助けて、ネプだけ殺せるような、最善の方法が」
「――うんん。ないよ」
「――っ!」
ベルは再び、怒りの感情が湧いてくる。
エルシアの言葉は、今のベルをことごとく逆撫でする。
それはあまりにも、無神経な言葉かもしれない。
だが、エルシアはベルを傷つけに来たわけではない。
「自分を傷つけるようなことは、しちゃダメだよ。
シャルロッテが、悲しむよ」
「……でもっ」
「ベルが、シャルロッテの分まで生きるんだよ」
「……っ」
エルシアは涙を浮かべながら、そう言った。
優しくて、柔らかな微笑みを浮かべて。
ベルの脳内で、シャルロッテの笑顔が再生される。
そして、最後の瞬間の顔へと変わる。
それが、目を覚ましてから永遠と繰り返されている。
エルシアはゆっくりと、ベルに歩みを寄せる。
腰を下ろしてしゃがみ込む。
そして、ベルの頭に手を伸ばす。
「大丈夫。君は間違ってない」
「――」
「君は、独りじゃない」
ベルはその言葉を聞いて、目を見開いた。
エルシアは、ベルをそっと抱き寄せた。
「シャルロッテが君に杖を渡したのはね。
突撃するのに邪魔だからって理由だけじゃ、ないと思うんだ」
「……他に、何の理由があるって言うんだよ」
ベルの感情は、爆発寸前だ。
しかし、問い返されたエルシアは間髪を入れずに、
「――君に、未来を託したんだよ」
「――!」
そう、言い放った。
ベルは、エルシアの胸の中でハッとした。
初めて「ヴァルクルス・ヴォルト」を教わった、あの日。
シャルロッテは、「私の後継者になるに相応しい」と言った。
ベルは、シャルロッテの思いを託されたのだ。
ベルの目に、大量の涙が浮かび上がった。
エルシアの胸に滲む熱い涙は、体を伝って地面に落ちる。
「シャルロッテは、きっと君を見守っている。
あの子のことをあまり知らないから分からないけど、
君が来るのがあまりにも早すぎたら、怒っちゃうんじゃないかな」
「――」
「その杖は、シャルロッテが生きてた証。
そして、シャルロッテの願いの証」
ベルは、咽び泣いた。
しゃくりあげて、エルシアを抱きしめて泣いた。
エルシアもまた、ベルを抱きしめ返して涙を流した。
「僕、強くなりますっ……!」
「……うん」
「誰も敵わないくらいに、強くっ……!」
握っていた杖が、ベルの手から滑り落ちた。
コツンと、地面に触れた瞬間に、
「――あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ベルの感情が、決壊した。
なおも浮かんでは消える、彼女との記憶。
この先しばらくは、頭から離れないだろう。
だが同時に、ベルは決心した。
――『九星』を、滅ぼす。
完膚なきまでに、叩き潰す。
――――この瞬間初めて、ベルはこの世界に生きる目的を見つけた。
目を覚ましたベルは、虚ろな目で天井を見る。
ここは、ミリアで唯一無事だった避難所だ。
つまり、エリーゼとシャルロッテが最初に避難してきた場所ということになる。
「――! ベル!」
「――っ」
「良かった……! 良かったよぉ……!」
「――リーゼも、――ったです」
「ごめんなさいっ……!
あたしっ……! あたしのせいでっ……!」
「――」
エリーゼに抱き寄せられたベルは、なおも目に光が戻らない。
望んでいた再会が叶ったはずなのに、全く何の感情も沸いてこない。
声すら、まともに出すことができない。
否、出す気になれないのだ。
エリーゼの謝罪の意味すら、気にもならない。
「ベル。目を覚ましたのだな」
「…………はい」
エリーゼの後ろから、ランスロットがゆっくりと歩いてきた。
「聞いたぞ。シャルロッテが――」
「――っ」
「何考えてんのよ! ランスロット!」
「……すまん」
ランスロットはそう言って俯き、その場に腰を下ろした。
エリーゼは、涙をこらえながらベルを抱きしめる。
――此度の一件による被害は、甚大なんてレベルでは済まなかった。
『海王』ネプが起こした巨大な津波によって、街の3分の2程度が流された。
また、海上に浮かんでいたミリア監獄は、跡形もなく消え去ってしまった。
人的被害も、目も当てられないような現状が明らかになっている。
街の総人口の3分の1が死亡、もしくは行方不明となっている。
街のほとんどが流されたのにも関わらず人的被害をここまで抑えられたのは、奇跡としか言いようがない。
シャルロッテ含む治癒魔術師の尽力のおかげで、
運び込まれた生存者は全員一命を取り留めたという。
しかしながら、今の生活環境はかなり劣悪だと言える。
避難所の面積に対して、被災者の数が多すぎる。
つまり、何百人もの人々が、外での生活を余儀なくされているのだ。
幸い、今は昼夜の寒暖差が激しくはないため、まだマシな方ではあるが。
そして、あの二人。
――『海王』と『天王』だ。
まずは、『天王』ウラヌス。
彼は、ランスロットによって撃破された。
互いの全力の限りを尽くして、戦い抜いた末に、ランスロットが胴体と下半身を二つに斬った。
『捧血の契』という権能を持った相手に、ランスロットは一本の槍のみで勝利したのだ。
ウラヌスが倒れた後、ランスロットもその場に倒れた。
撃破した途端に全身の力が抜けてしまい、すぐに意識を失った。
近くに魔物がいれば、格好のエサだっただろう。
その後、咆哮を聞きつけて避難所から来た衛兵によって発見され、この避難所に運び込まれた。
そして、『海王』ネプ。
彼の亡骸は、黒く焼け焦げた状態で発見された。
いわゆる、「焼死体」だ。
ネプは、エルシア、ベル、シャルロッテによって、死闘の末に撃破された。
だがこの勝利には、あまりにも大きすぎる代償を払ってしまった。
――シャルロッテ・ミトーリア。
彼女は、凄惨な死を遂げた。
ベルが『ヴァルクルス・ヴォルト』を放った後、
すぐさまネプは腕を結集させ、繭を作ってその魔力を吸収しようと試みた。
ネプの腕には、魔力を吸収するという特性があったのだ。
実際、魔法陣から放たれたベルの魔力はかなり吸収されていた。
シャルロッテは自らの命を犠牲にして、魔力を吸収させまいとした。
――『最期の爆発』。
読み方は、『ラスト・インパクト』。
文字通り、最終手段としてごく稀に用いられる攻撃魔法である。
いわば、「自爆魔法」。
術者の体の中に秘められた魔力の全てを体内の一か所に集め、魔力を爆発させるだけの魔術だ。
メカニズムとしては簡単といえばそれまでなのだが、
自爆魔法であるこの魔術を使えば、当然術者も命を落とす。
シャルロッテは、全属性の全魔法の中で唯一の突撃系聖級魔法である「ライディング・ヴォルト」で、
捨て身の覚悟でネプとの距離を詰めた。
掌に込められた魔力でネプの腹部を貫き、
水魔法でありながら氷の華を咲かせる「フロストブルーム」で、相手と自分の身動きを封じた。
そして、シャルロッテはネプと共に勇敢に散っていった。
「……外の空気、吸ってきます」
「分かったわ。行ってらっしゃい」
ベルは生気のない顔でよろけながら立ち上がると、避難所の外へと歩き出した。
---
生き残ったベルもエルシアも、軽傷では済んでいない。
もっとも、ベルには目立った外傷はなかったが。
ベルは、人生で初めて、聖級魔術を撃った。
これで、ベルは晴れて聖級魔術師だ。
しかし、ベルは残りの魔力を全てあの一撃に注いだため、魔力枯渇で倒れた。
倒れたベルを避難所まで運んだのは、エルシアだった。
エルシアは、生還した味方陣営の中ではランスロットに次ぐ重傷だった。
体の欠損こそないものの、深い傷が多く、出血多量で意識が朦朧としていた。
加えて、全身の骨が何本も折れていた。
だがそれでも、ベルを避難所まで背負って歩いたのだ。
魔術を放った瞬間に倒れたベルとは違い、
目の前でネプの撃破とシャルロッテの死亡を見たエルシアは、
ベルだけでも助けようという強い思いで、必死に歩き続けた。
「――」
虚無感を漂わせながら、避難所の外を歩く。
荒廃した街の中を、どこに行く当てもなく。
外で生活している人々の視線が、ベルに向けられた。
その手には、シャルロッテの杖が握られている。
懐にしまっている杖も、シャルロッテの杖と同じ店で買ったものだった。
二人で一緒に杖を見に行った、あの店だ。
「――くうっ……! うぅっ……!」
ベルは歩きながら、すすり泣く。
目が覚めてからというもの、ふとした時にシャルロッテの顔が浮かぶ。
目の前から消える瞬間の、覚悟を決めた顔。
あの顔が、何度もフラッシュバックする。
もうどう足掻いても、シャルロッテは戻ってこない。
巻き戻せるなら、シャルロッテがネプへ突撃する前に戻りたい。
自分がもっと、強ければ。
ネプなんて一撃で仕留められるくらいに強ければ。
誰も傷つけずに、誰も死なせることもなかった。
「……もう、死のうかな」
ベルは、その場に膝をついた。
まだ濡れている地面を見つめ、両手をつく。
その目に、右手に握るシャルロッテの杖が映る。
それをゆっくりと持ち上げ、杖先を自らの首筋に当てる。
そして――、
「フレイム、ブラス――」
「――ダメ!」
自殺を図ったベルを、何者かが止めた。
シャルロッテの杖を取り上げて、ベルの視界に入ったのは、
「そんなことしたらダメだよ、ベル!」
「……エルシア」
顔を覗き込むようにして、エルシアが立っていた。
ベルはその顔を見るなり、無性の怒りが湧き上ってきた。
「……何すんだよ! 返せよ!」
「ダメだよ」
「返せよぉぉぉ!」
「返したら、ベルが死んじゃうじゃん」
「死ぬんだよ!
俺は死んで、シャルロッテの所に行くんだよ!」
ベルはそう言って、泣き叫んだ。
エルシアに縋りつくように、ベルは杖に手を伸ばす。
身長差もあって、その手が届くことはない。
ベルの爪が、エルシアの体を引っ掻く。
エルシアは痛がる様子も見せず、ただ慟哭するベルを見つめる。
「ベルが死んじゃったら、意味がないじゃん」
「……?」
「命を懸けて君を守ったシャルロッテの覚悟が、無かったことになる」
「――うるさい! 何も知らないくせに!」
ベルの心に一瞬、さざ波が起きる。
だがすぐに、また感情を爆発させた。
悲痛を孕んだその声に、エルシアは胸の内を掻き毟られるような痛みを味わう。
ベルの爪による引っ搔き傷よりも、心を引っ掻くベルの声の方が、何百倍も痛い。
「何も、知らないよ。当たり前じゃん」
「なら、知ったような口聞くんじゃねぇよ!」
「――」
エルシアは拳をグッと握る。
まだ小さなこの少年が味わっている苦痛は、計り知れないものだ。
だから、今どんな言葉をかけるべきなのかを、必死に考える。
「どれだけ泣いても、どれだけ願っても――」
「――」
「死んだ人の命が戻ってくることは、もうないんだよ」
「――!」
辿りついたのは、ひどく、冷たい言葉だった。
ベルは、その言葉に感情を抑えられなくなった。
懐にある杖を取り出して、エルシアにその杖先を向けた。
「……いいよ。撃ちたければ撃って。
恨まれて、当然だと思う」
「……」
「最後に君の背中を押したのは、他でもないわたしだからね」
「――」
目を伏せてそう言い放ったエルシアの顔を見て、ベルは杖を下ろした。
エルシアは言葉通り、無抵抗だった。
剣を抜く素振りも、見せなかった。
ただ真っ直ぐに、涙がにじむベルの目を見つめていた。
ベルは、シャルロッテの必死の叫びを聞いても、決断をすることができなかった。
そんなベルに魔術を撃つように言ったのは、エルシアだ。
エルシアはあの時の自分を、責めている。
まだこんなに幼い少年には大きすぎる決断を強いた自分を。
「私は、後悔してないよ」
「――」
だが、後悔はしていない。
寧ろ、正しい判断だと思った。
ベルに魔術を撃たせずに自分がシャルロッテだけ救い出しても、結局は同じことだった。
きっとそうすれば、全滅していただろう。
それでも、エルシアは、
「――でも、私が何も思わずに君に指示したと思う?」
エルシアだって、苦渋の決断だったのだ。
エルシアにとっては、シャルロッテはたまたま増援に来てくれたベルの仲間程度の認識しかなかった。
しかし、ベルや自分のために必死に戦う顔をしてくれていた彼女の顔は、
痛いほどエルシアの脳裏に焼き付いている。
ましてや、シャルロッテはベルの大切な仲間。
そんな彼女ごと殺させるなんて、本当はしたくなかった。
でも、そうするしかなかったのだ。
「私は、今この世界をすごく憎んでる。
まだこんなに小さな君に、あんな決断を強いるこの世界が、すごく嫌い。
神様がそう仕向けたなら、今すぐにでもその顔を殴ってやりたい」
「――」
エルシアは再び拳を握り、声を震わせる。
ベルは、その様子をじっと見つめる。
「でもね、ベル。君は、間違ったことをしてない」
「……もっと他に、方法があったはずなんだ。
シャルロッテだけ助けて、ネプだけ殺せるような、最善の方法が」
「――うんん。ないよ」
「――っ!」
ベルは再び、怒りの感情が湧いてくる。
エルシアの言葉は、今のベルをことごとく逆撫でする。
それはあまりにも、無神経な言葉かもしれない。
だが、エルシアはベルを傷つけに来たわけではない。
「自分を傷つけるようなことは、しちゃダメだよ。
シャルロッテが、悲しむよ」
「……でもっ」
「ベルが、シャルロッテの分まで生きるんだよ」
「……っ」
エルシアは涙を浮かべながら、そう言った。
優しくて、柔らかな微笑みを浮かべて。
ベルの脳内で、シャルロッテの笑顔が再生される。
そして、最後の瞬間の顔へと変わる。
それが、目を覚ましてから永遠と繰り返されている。
エルシアはゆっくりと、ベルに歩みを寄せる。
腰を下ろしてしゃがみ込む。
そして、ベルの頭に手を伸ばす。
「大丈夫。君は間違ってない」
「――」
「君は、独りじゃない」
ベルはその言葉を聞いて、目を見開いた。
エルシアは、ベルをそっと抱き寄せた。
「シャルロッテが君に杖を渡したのはね。
突撃するのに邪魔だからって理由だけじゃ、ないと思うんだ」
「……他に、何の理由があるって言うんだよ」
ベルの感情は、爆発寸前だ。
しかし、問い返されたエルシアは間髪を入れずに、
「――君に、未来を託したんだよ」
「――!」
そう、言い放った。
ベルは、エルシアの胸の中でハッとした。
初めて「ヴァルクルス・ヴォルト」を教わった、あの日。
シャルロッテは、「私の後継者になるに相応しい」と言った。
ベルは、シャルロッテの思いを託されたのだ。
ベルの目に、大量の涙が浮かび上がった。
エルシアの胸に滲む熱い涙は、体を伝って地面に落ちる。
「シャルロッテは、きっと君を見守っている。
あの子のことをあまり知らないから分からないけど、
君が来るのがあまりにも早すぎたら、怒っちゃうんじゃないかな」
「――」
「その杖は、シャルロッテが生きてた証。
そして、シャルロッテの願いの証」
ベルは、咽び泣いた。
しゃくりあげて、エルシアを抱きしめて泣いた。
エルシアもまた、ベルを抱きしめ返して涙を流した。
「僕、強くなりますっ……!」
「……うん」
「誰も敵わないくらいに、強くっ……!」
握っていた杖が、ベルの手から滑り落ちた。
コツンと、地面に触れた瞬間に、
「――あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ベルの感情が、決壊した。
なおも浮かんでは消える、彼女との記憶。
この先しばらくは、頭から離れないだろう。
だが同時に、ベルは決心した。
――『九星』を、滅ぼす。
完膚なきまでに、叩き潰す。
――――この瞬間初めて、ベルはこの世界に生きる目的を見つけた。
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