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IF/オメガバース※支部版のみエロシーン追筆あり
大嫌いな奴が運命の番だった!その後後編
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*
その日はまだ朝方だった。
まだ予定日より数日早かったせいで油断していたのかもしれない。
甲斐が前触れもなくおなかを押さえて蹲った。
とても苦痛な顔で今にも倒れそうだったので、オレは急いでスマホで各々に電話。
病院に直行して、甲斐はストレッチャーに乗せられて運ばれて行く。
それをオレも一緒について行き、甲斐の手を握った。
「甲斐……大丈夫。大丈夫だから」
まるで自分に言い聞かせるように言った言葉が精一杯で、今にも心臓が飛び出るほど落ち着かない。
「それは俺のセリフ。直は俺を信じて待ってて……」
「甲斐……」
「俺は死なない。絶対」
甲斐はいつも通り微笑んだ。そのまま手術室へバタバタと運ばれて、手術中のランプがつく。
レアオメガの出産は普通の出産とは違い、安定が確認されるまで家族同伴の立ち合いはできない。それはあまりに悲劇的な瞬間が多いためだからと言われている。
以前までレアオメガの出産立ち合いもできたが、番の苦しみや死を目の当たりにしたアルファが絶望のあまり後追いしてしまう事が多いためにそうなったらしい。
オレはその話を聞いて他人事には思えなかった。
「直!」
「直君」
「お兄様!」
甲斐の家族やオレの家族も到着した。
「今、始まったばかりだよ」
当然仕事は数日休みをとったし、当分の引継ぎは久瀬や部下達がやってくれる。オレはひたすら甲斐の無事を祈りながら手術室の扉をじっと眺めつづけた。
手術が始まって数時間後、オレもだが妹達も落ち着かない様子で行ったり来たりをしている。
看護師が時々バタバタしたりして、状況を訊ねればもうすぐ赤ちゃんが出そうだって聞いた。女の子だって。
それに嬉し泣きをしそうになったが、肝心の甲斐の状態はわからないのでまだ素直に喜べない。
そうして引き続き甲斐を信じて待つ。
何度見ても時計の針が進んでいるようで進んでない。甲斐の家族も同じ気持ちなのか何度も時計と手術室を見ては息を吐いている。地獄のような生殺し状態に、遅いか早いかの違いすら分からなくなって時の流れが残酷に思えた。
「黒崎さん」
再び何時間か経ったしばらく、急に手術着の医者に呼ばれてどきりとした。
「赤ちゃんは無事生まれました。女の子です」
オレは深く息を吐いた。
「少し低体重なのでNICUで引き続き治療が必要ですが、異常がなければ後で会いに行けますよ」
「っ……そう、ですか……っ。ありがとうございます……」
誰かが喜びを口にしようとした時、
「ですが、母親の方は――――非常に危険な状態です」
息が止まりそうになった。
「産科危機的出血。つまり出血が多く、容体は芳しくありません」
「っ……」
妹達が言葉を失っている。
「……ですから、覚悟はしておいてください」
そう言って、医者は頭を下げて戻っていった。
「直……」
「直君……」
一同が顔色が悪くなっているであろうオレに視線を向ける。そんなオレは次第に甲斐を失う恐怖に覆われて眩暈がしていた。
「はー……、は、はっー……はー……」
いつぞやの時のように、また過呼吸が起きてしまい、冷静さを失っていた。
「は……はーっ、はーっ」
「直君!」
「直!」
「っ……はー……っ」
母さんや悠里に背中をさすってもらうが、なかなか普通に呼吸ができない。うまく息ができない。
怖い。甲斐を失うのが恐い。この世で一番恐ろしい。
ドッ、ドッ、と激しく心臓が警告音のように高鳴っている。
いやだ。
甲斐を連れて行かないで。
オレから取り上げないで。
愛する番を失う恐怖に目の前が真っ暗で、胸もとても痛い。今までで一番。
「大丈夫。大丈夫よ、直。甲斐くんはきっと大丈夫だから」
「っ、は、はーっ」
「直、ゆっくり息を……そう。そうやってゆっくり呼吸を吐くんだ。焦らなくていいから」
父さんに諭されるように促されて、ゆっくり安定を取り戻していく。
この時ばかりは本当に窒息するかと思った。それほど気が動転して我を失っていた。
「アルファによる番喪失の不安症状の一つだね。僕も昔、早苗の出産の時になった事があるんだ」
「父さん……」
「不安な気持ちなのがすごくわかるよ」
なんて言ったらいいかわからない。今、自分の精神状態が極限に恐怖な事だけはわかる。こんなひどい状態じゃ頭も体もまわらない。みんなに合わせる顔もない。また過呼吸を起こしそうだ。
「外の空気……吸ってくるよ……」
「直……」
オレはその場にいられなくなり、別のフロアへ移動した。生きた心地がしなかった。
廊下を歩いている最中、いつの間にか夜になっていたのか窓の外から月が見えた。
あんな綺麗な月を見たのはいつぶりだろうか。ああ、そういえば体育倉庫に閉じ込められた時もあんな月だった気がする。
あの時、一緒に体育倉庫に閉じ込められて二人して言い合いになって、ふて寝を決め込もうとしたけど妙に気になって寝られなかった。閉じ込められたと言っても蹴破れば出られただろうし、非常ベルでも鳴らせば助けはいくらでも呼べた。だけど、あえて呼ばなかった。
甲斐と一緒にいたかったから。
きっとその時から、もう手遅れなほど甲斐に惹かれていたのだ。
だけどそれを認めたくなくて、必死でそれに蓋をしようとして素直にならなかった。
今思えば笑える思い出だ。まだまだ精神がガキだったなって思う。素直にならない事でいい事なんて全然なかったのに。
考えれば考えるほど甲斐との思い出がよみがえってきて、涙と共に乾いた笑いがこみあがった。
「ははは……はははは……」
「直……」
「お兄様……」
背後に悠里と友里香が来ていた。オレの様子が変だから心配してきたのだろう。
「……言わなきゃよかった」
「え……」
「産んでいいなんて言わなきゃよかった」
オレは死にそうな顔でそう言った。後悔した。
「直!」
非難するような視線を向けられたが、オレはもう心が疲弊していた。
「そうすれば甲斐を苦しめる事なんてなかった。甲斐が死にかける事もなかった」
「っ、やめてよそんな事」
「全部オレが悪いんだよ。オレが甲斐を止めていればお互いに辛い目に遭わなかったのに……」
「お兄様!」
胸倉を掴まれて、ぴしゃりと友里香に平手で叩かれた。
「しっかりしてください!あなたは誰の旦那様だと思っているのですか!愛する甲斐様の夫じゃないんですか!甲斐様の意思を尊重していたくせに今更後悔してっ――!勝手な事を言わないでください!」
「落ち着いて友里香ちゃん!」
もう一発殴ろうとする友里香を悠里が羽交い絞めする。
「落ち着けるわけありませんわ!そんな事を言うお兄様なんか甲斐様にとことん嫌われちゃえばいいんです!生まれた子供からも嫌われて、間抜け面さらして生きていけばいいんです。そうしたらわたくしが甲斐様をもらいますから。甲斐様を私が幸せにして……っ、ひっく、っああああーん!」
「友里香……」
失恋と甲斐を失う恐怖に友里香が子供のように泣き始めた。悠里も肩を震わせて涙を流している。
「直の立場や後悔したい気持ちもわかるけど、私も友里香ちゃんの気持ちもわかる。今更そんな事言うなんて、今必死で頑張ってる甲斐くんや赤ちゃんが可哀想だよ。そんな踏みにじる事を言わないでよ」
「悠里……」
ふと気配を感じて顔をあげると、その向こうには甲斐の妹も涙目で立っていた。
「直様……次お兄ちゃんを泣かせる事言ったら、絶対許さないんだから……ぶっ殺すんだから」
「………」
オレはまだ合わせる顔がなかった。
「先生が呼んでる。手術が終わったから来てって」
甲斐の安否を知るのが怖くて恐怖に逃げ出したかったが、身を固くしながら扉を開けた。
手術を終えたばかりの医師たちが慌ただしく動いており、まずは番のみ奥へ入室するよう促された。エプロンを付けて消毒をして恐る恐る入室すると、今しがた使われた機材や器具がたくさん置かれている。
一番奥の仕切りカーテンをゆっくり開けると、愛しい妻が病衣の姿で眠っていた。
「甲斐……」
なんの機材もつけておらず、生気がなくなったように白い顔をしている。まるでもう天に召されたような姿にまた息が止まりそうになる。
「眠っているのか」
体ががくがく震えて強張っている体を必死で動かそうとする。ここで逃げるわけにはいかない。
どんな結末になっても最後まで見届けるって約束したから。
「……よく、がんばったな。オレのために可愛い女の子を産んでくれてありがとう……」
ひとつ、ふたつと、涙が甲斐の頬に零れ落ちる。
とめどなく涙があふれて来て、この現実に向き合おうとする。
「愛してるよ、甲斐……ずっと……この先も……永遠に……」
覚悟を決めて甲斐に触れようとすると、その手に温もりを感じた。
「なに、泣いてんだよ……ばか」
甲斐が目を開けて神々しく微笑んでいた。
「っ、甲斐」
驚いて茫然とする。
「言っただろ」
甲斐が手を伸ばしてオレの涙を親指で拭う。
「俺は死なないって」
その言葉通り、甲斐は生きていてくれた。約束を守ったのだ。
死ぬ時は一緒だって。
「っ……ああ。そう言ってた。ちゃんと、約束守ってくれた。すごい奴だよ、お前は。誰よりも尊敬する……」
感極まって甲斐を強く抱きしめる。
「なあ、赤ちゃん……はやく見たいな」
「あとで一緒に見に行こう」
「女の子、なんだよな……嬉しい」
「甲斐に似てとっても可愛いよ、きっと」
背後から泣き声が聞こえる。家族達が喜びにすすり泣いているのだろう。特に甲斐の妹の泣き声がでかくて看護師に注意されていた。それが可笑しくて、みんなして泣き笑いに変わった。
*
退院後、子供と共に自宅に戻った。
家事に育児に追われるようになったが、そこはベビーシッターのバイトとしてEクラスの女子にも手伝ってもらっている。クラスメートがテスト前だったり直の仕事が忙しい時は、母ちゃんや早苗さんに住み込みで手伝ってもらって日々を慌ただしく過ごしている。
相変わらず外出はなかなかできない生活だけれど、それでも妊娠前より体が軽くなったし、どんどん健康的になってきている。この分ならそのうち一人で外出もできるようになるでしょうって医者にも言われて滅茶苦茶喜んだ。
今ならどんな事も乗り越えていけそうな気がする。それほど活力に満ちていた。
医者が言うには、オメガやレアオメガは初出産という大仕事を終えると、一つの区切りとして体にまた変化が訪れるらしい。
出産という大きな壁を乗り越えた事、生きたいという意思を持ち続けた事で、体がベータのように強くなる事があるのだという。
「ただいま」
「おかえり」
夜遅く仕事から帰宅した直をお帰りのキスで出迎えた。
「甲夜は?」
「今やっと寝てくれた。なかなか寝付けなくて大変だったけど、あの分ならしばらくは起きないかな。今日、たくさん構ってあげたし、悠里達も来てくれて遊んでくれたから」
毎日子育てに慌ただしい。だけど、子供のためだからこそ頑張れる。
「明日はオレが率先して甲夜を見るよ。たまにはお前もゆっくり休まないと」
「直だって仕事で疲れてるだろ」
「いいんだよ。最近はそこまで忙しくないし。それに子供と全然触れ合える時間が少ないから。顔を忘れられないようにちゃんと遊んでやらないと」
「ふふ……一児の父親だもんな。じゃあ、明日は率先して頼むよ」
直も父親としての顔をよく見せるようになった。おむつ替えもミルクの準備もお手の物で、俺がいない時でも安心して任せられる。
世間では独身で四天王の矢崎直という顔で通しているが、実は結婚していて子供もいるなんて、世の女性達が知ったら発狂して大騒ぎだろうな。
「ところで、セックスしたいんだけど」
「っ……いきなりだな」
「だって最近がっつりしてないだろ」
「たしかにそうだけど……っん」
直に不意打ちでキスをされる。舌を入れてきて口内を性欲がたまっていると言わんばかりに荒していく。
それだけで体がどんどん熱くなって、腰がどんどん痺れてきた。
「っ、は……」
気持ちがよくて頭がぼうっとしてしまう。キスだけでこうなってしまうって俺も性欲結構溜まっていたのかも。
「甲斐の可愛いところも見たいし、可愛い声も聞きたい」
「……っ、直」
ここまで言われたらもう止められない。番であるアルファ様のおねだりには弱いのだ。
「いいよ……でも、激しいのはだめだから。甲夜が起きちゃうから……」
「わかってる。メシ食ったら久しぶりにいっぱいイチャイチャしたい」
きゅんと腰の奥が熱くなって疼いた。
子供が夜泣きで起きちゃうから簡単にスル事はあったけど、がっつりはご無沙汰だった。
出産を終えてからヒートがほとんどこなくなって、性欲も前ほどはなくなった。だけど、こうして愛する番に求められたらやっぱり体が反応してしまうし、レアオメガとして体も愛されたくなってしまう。
「うん……いっぱい抱いて……。いっぱい可愛がってほしいな……」
俺は色っぽい顔で無意識にそんな事を言っていた。
レアオメガとしての一面が出てしまい、心の中ではよほどシタかったのかもしれない。
あまりに娼婦みたいな発言に言ったそばから恥ずかしくて真っ赤になった。
「っ、おい、そんな顔でそんな事言うな。メシ食うまで我慢できなくなっちまう」
今の台詞に直もムラムラしたのか余裕のない表情で迫ってきた。
「~~っ。だ、だって……なんか久しぶりだと思うと、妊娠前のヒートの時思い出しちゃってっ、き、気持ちよくなりたいっていうか、直といっぱいえっちしたくて……ううう、俺ってやっぱレアオメガだよぉおお!」
恥ずかしくて逃げようとしたら腕を掴まれて、直はネクタイをしゅっと外して自らのシャツのボタンを外していた。
「生殺しみたいでもう我慢できない。可愛いお前を前にして食うなって方が無理。てことでまずは少しだけ味見するから」
「……っ、うん。味見、ね」
体がベータ寄りになってきたと言っても、性的快楽の欲求はレアオメガだなって納得してしまう。
ダメだと思いながらも止められなくて、ソファで直にねっとり優しく愛された。
その後、少しだけと言いながらも止まらなくなり、夕食どころか結局最後までがっつりしてしまい、甲夜が夜泣きで起きるまでそれが続いたのであった。
「悪い。知らぬ間にがっついてた。気が付いたら思いっきり中出ししてた」
再び甲夜を寝かせてからソファで再びイチャイチャ。あれほどたくさんシテもなんだか物足りない気分だ。
「も、いいよ。それだけ求めてくれて嬉しいし」
「甲斐が望むならいくらでも求めてやるけど」
「ちょ、また大きくなってるし……」
「甲斐の胎内に入りたいからだろ」
「っ……いいよ……きて。だけど、また赤ちゃんできちゃうかも……」
「あ……」
少し不安そうな直を見て俺は微笑む。
「大丈夫だよ。あの時みたいな事にはもうならない。先生だって言ってたじゃん」
たとえ本当に妊娠したとしても生死を彷徨う程の事はもう起きない。
自分の体はレアオメガとはいえもうベータ寄りだ。体も日に日に健康的で体力も増えてきている。それに一度経験しているからこそ、レアオメガの二度目の出産は案外すんなりいく事が多いとも言われた。二度目の安全に出産できる確率は9割超え。一度目とは大違いだ。
大きな壁を乗り越えたレアオメガは、精神的にも肉体的にも誰よりも強くなっているのだから。
「子だくさんなのもいいなって思ってたんだ。あんたとの子供なら何人いてもいいなって」
「それはオレもだ。可愛い甲斐の子供なら何人だってほしい」
「じゃあ、頑張らないとだね。いろいろと」
「まずは可愛い奥さんをたくさん可愛がってあげないと。愛情あるセックスで」
「っ、うん。可愛がって、旦那さん」
「もちろん。オレの可愛い奥さん」
その言葉通り、少しして再び妊娠がわかり、また新しい家族が増えるまでもう少し――――
おわり
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その日はまだ朝方だった。
まだ予定日より数日早かったせいで油断していたのかもしれない。
甲斐が前触れもなくおなかを押さえて蹲った。
とても苦痛な顔で今にも倒れそうだったので、オレは急いでスマホで各々に電話。
病院に直行して、甲斐はストレッチャーに乗せられて運ばれて行く。
それをオレも一緒について行き、甲斐の手を握った。
「甲斐……大丈夫。大丈夫だから」
まるで自分に言い聞かせるように言った言葉が精一杯で、今にも心臓が飛び出るほど落ち着かない。
「それは俺のセリフ。直は俺を信じて待ってて……」
「甲斐……」
「俺は死なない。絶対」
甲斐はいつも通り微笑んだ。そのまま手術室へバタバタと運ばれて、手術中のランプがつく。
レアオメガの出産は普通の出産とは違い、安定が確認されるまで家族同伴の立ち合いはできない。それはあまりに悲劇的な瞬間が多いためだからと言われている。
以前までレアオメガの出産立ち合いもできたが、番の苦しみや死を目の当たりにしたアルファが絶望のあまり後追いしてしまう事が多いためにそうなったらしい。
オレはその話を聞いて他人事には思えなかった。
「直!」
「直君」
「お兄様!」
甲斐の家族やオレの家族も到着した。
「今、始まったばかりだよ」
当然仕事は数日休みをとったし、当分の引継ぎは久瀬や部下達がやってくれる。オレはひたすら甲斐の無事を祈りながら手術室の扉をじっと眺めつづけた。
手術が始まって数時間後、オレもだが妹達も落ち着かない様子で行ったり来たりをしている。
看護師が時々バタバタしたりして、状況を訊ねればもうすぐ赤ちゃんが出そうだって聞いた。女の子だって。
それに嬉し泣きをしそうになったが、肝心の甲斐の状態はわからないのでまだ素直に喜べない。
そうして引き続き甲斐を信じて待つ。
何度見ても時計の針が進んでいるようで進んでない。甲斐の家族も同じ気持ちなのか何度も時計と手術室を見ては息を吐いている。地獄のような生殺し状態に、遅いか早いかの違いすら分からなくなって時の流れが残酷に思えた。
「黒崎さん」
再び何時間か経ったしばらく、急に手術着の医者に呼ばれてどきりとした。
「赤ちゃんは無事生まれました。女の子です」
オレは深く息を吐いた。
「少し低体重なのでNICUで引き続き治療が必要ですが、異常がなければ後で会いに行けますよ」
「っ……そう、ですか……っ。ありがとうございます……」
誰かが喜びを口にしようとした時、
「ですが、母親の方は――――非常に危険な状態です」
息が止まりそうになった。
「産科危機的出血。つまり出血が多く、容体は芳しくありません」
「っ……」
妹達が言葉を失っている。
「……ですから、覚悟はしておいてください」
そう言って、医者は頭を下げて戻っていった。
「直……」
「直君……」
一同が顔色が悪くなっているであろうオレに視線を向ける。そんなオレは次第に甲斐を失う恐怖に覆われて眩暈がしていた。
「はー……、は、はっー……はー……」
いつぞやの時のように、また過呼吸が起きてしまい、冷静さを失っていた。
「は……はーっ、はーっ」
「直君!」
「直!」
「っ……はー……っ」
母さんや悠里に背中をさすってもらうが、なかなか普通に呼吸ができない。うまく息ができない。
怖い。甲斐を失うのが恐い。この世で一番恐ろしい。
ドッ、ドッ、と激しく心臓が警告音のように高鳴っている。
いやだ。
甲斐を連れて行かないで。
オレから取り上げないで。
愛する番を失う恐怖に目の前が真っ暗で、胸もとても痛い。今までで一番。
「大丈夫。大丈夫よ、直。甲斐くんはきっと大丈夫だから」
「っ、は、はーっ」
「直、ゆっくり息を……そう。そうやってゆっくり呼吸を吐くんだ。焦らなくていいから」
父さんに諭されるように促されて、ゆっくり安定を取り戻していく。
この時ばかりは本当に窒息するかと思った。それほど気が動転して我を失っていた。
「アルファによる番喪失の不安症状の一つだね。僕も昔、早苗の出産の時になった事があるんだ」
「父さん……」
「不安な気持ちなのがすごくわかるよ」
なんて言ったらいいかわからない。今、自分の精神状態が極限に恐怖な事だけはわかる。こんなひどい状態じゃ頭も体もまわらない。みんなに合わせる顔もない。また過呼吸を起こしそうだ。
「外の空気……吸ってくるよ……」
「直……」
オレはその場にいられなくなり、別のフロアへ移動した。生きた心地がしなかった。
廊下を歩いている最中、いつの間にか夜になっていたのか窓の外から月が見えた。
あんな綺麗な月を見たのはいつぶりだろうか。ああ、そういえば体育倉庫に閉じ込められた時もあんな月だった気がする。
あの時、一緒に体育倉庫に閉じ込められて二人して言い合いになって、ふて寝を決め込もうとしたけど妙に気になって寝られなかった。閉じ込められたと言っても蹴破れば出られただろうし、非常ベルでも鳴らせば助けはいくらでも呼べた。だけど、あえて呼ばなかった。
甲斐と一緒にいたかったから。
きっとその時から、もう手遅れなほど甲斐に惹かれていたのだ。
だけどそれを認めたくなくて、必死でそれに蓋をしようとして素直にならなかった。
今思えば笑える思い出だ。まだまだ精神がガキだったなって思う。素直にならない事でいい事なんて全然なかったのに。
考えれば考えるほど甲斐との思い出がよみがえってきて、涙と共に乾いた笑いがこみあがった。
「ははは……はははは……」
「直……」
「お兄様……」
背後に悠里と友里香が来ていた。オレの様子が変だから心配してきたのだろう。
「……言わなきゃよかった」
「え……」
「産んでいいなんて言わなきゃよかった」
オレは死にそうな顔でそう言った。後悔した。
「直!」
非難するような視線を向けられたが、オレはもう心が疲弊していた。
「そうすれば甲斐を苦しめる事なんてなかった。甲斐が死にかける事もなかった」
「っ、やめてよそんな事」
「全部オレが悪いんだよ。オレが甲斐を止めていればお互いに辛い目に遭わなかったのに……」
「お兄様!」
胸倉を掴まれて、ぴしゃりと友里香に平手で叩かれた。
「しっかりしてください!あなたは誰の旦那様だと思っているのですか!愛する甲斐様の夫じゃないんですか!甲斐様の意思を尊重していたくせに今更後悔してっ――!勝手な事を言わないでください!」
「落ち着いて友里香ちゃん!」
もう一発殴ろうとする友里香を悠里が羽交い絞めする。
「落ち着けるわけありませんわ!そんな事を言うお兄様なんか甲斐様にとことん嫌われちゃえばいいんです!生まれた子供からも嫌われて、間抜け面さらして生きていけばいいんです。そうしたらわたくしが甲斐様をもらいますから。甲斐様を私が幸せにして……っ、ひっく、っああああーん!」
「友里香……」
失恋と甲斐を失う恐怖に友里香が子供のように泣き始めた。悠里も肩を震わせて涙を流している。
「直の立場や後悔したい気持ちもわかるけど、私も友里香ちゃんの気持ちもわかる。今更そんな事言うなんて、今必死で頑張ってる甲斐くんや赤ちゃんが可哀想だよ。そんな踏みにじる事を言わないでよ」
「悠里……」
ふと気配を感じて顔をあげると、その向こうには甲斐の妹も涙目で立っていた。
「直様……次お兄ちゃんを泣かせる事言ったら、絶対許さないんだから……ぶっ殺すんだから」
「………」
オレはまだ合わせる顔がなかった。
「先生が呼んでる。手術が終わったから来てって」
甲斐の安否を知るのが怖くて恐怖に逃げ出したかったが、身を固くしながら扉を開けた。
手術を終えたばかりの医師たちが慌ただしく動いており、まずは番のみ奥へ入室するよう促された。エプロンを付けて消毒をして恐る恐る入室すると、今しがた使われた機材や器具がたくさん置かれている。
一番奥の仕切りカーテンをゆっくり開けると、愛しい妻が病衣の姿で眠っていた。
「甲斐……」
なんの機材もつけておらず、生気がなくなったように白い顔をしている。まるでもう天に召されたような姿にまた息が止まりそうになる。
「眠っているのか」
体ががくがく震えて強張っている体を必死で動かそうとする。ここで逃げるわけにはいかない。
どんな結末になっても最後まで見届けるって約束したから。
「……よく、がんばったな。オレのために可愛い女の子を産んでくれてありがとう……」
ひとつ、ふたつと、涙が甲斐の頬に零れ落ちる。
とめどなく涙があふれて来て、この現実に向き合おうとする。
「愛してるよ、甲斐……ずっと……この先も……永遠に……」
覚悟を決めて甲斐に触れようとすると、その手に温もりを感じた。
「なに、泣いてんだよ……ばか」
甲斐が目を開けて神々しく微笑んでいた。
「っ、甲斐」
驚いて茫然とする。
「言っただろ」
甲斐が手を伸ばしてオレの涙を親指で拭う。
「俺は死なないって」
その言葉通り、甲斐は生きていてくれた。約束を守ったのだ。
死ぬ時は一緒だって。
「っ……ああ。そう言ってた。ちゃんと、約束守ってくれた。すごい奴だよ、お前は。誰よりも尊敬する……」
感極まって甲斐を強く抱きしめる。
「なあ、赤ちゃん……はやく見たいな」
「あとで一緒に見に行こう」
「女の子、なんだよな……嬉しい」
「甲斐に似てとっても可愛いよ、きっと」
背後から泣き声が聞こえる。家族達が喜びにすすり泣いているのだろう。特に甲斐の妹の泣き声がでかくて看護師に注意されていた。それが可笑しくて、みんなして泣き笑いに変わった。
*
退院後、子供と共に自宅に戻った。
家事に育児に追われるようになったが、そこはベビーシッターのバイトとしてEクラスの女子にも手伝ってもらっている。クラスメートがテスト前だったり直の仕事が忙しい時は、母ちゃんや早苗さんに住み込みで手伝ってもらって日々を慌ただしく過ごしている。
相変わらず外出はなかなかできない生活だけれど、それでも妊娠前より体が軽くなったし、どんどん健康的になってきている。この分ならそのうち一人で外出もできるようになるでしょうって医者にも言われて滅茶苦茶喜んだ。
今ならどんな事も乗り越えていけそうな気がする。それほど活力に満ちていた。
医者が言うには、オメガやレアオメガは初出産という大仕事を終えると、一つの区切りとして体にまた変化が訪れるらしい。
出産という大きな壁を乗り越えた事、生きたいという意思を持ち続けた事で、体がベータのように強くなる事があるのだという。
「ただいま」
「おかえり」
夜遅く仕事から帰宅した直をお帰りのキスで出迎えた。
「甲夜は?」
「今やっと寝てくれた。なかなか寝付けなくて大変だったけど、あの分ならしばらくは起きないかな。今日、たくさん構ってあげたし、悠里達も来てくれて遊んでくれたから」
毎日子育てに慌ただしい。だけど、子供のためだからこそ頑張れる。
「明日はオレが率先して甲夜を見るよ。たまにはお前もゆっくり休まないと」
「直だって仕事で疲れてるだろ」
「いいんだよ。最近はそこまで忙しくないし。それに子供と全然触れ合える時間が少ないから。顔を忘れられないようにちゃんと遊んでやらないと」
「ふふ……一児の父親だもんな。じゃあ、明日は率先して頼むよ」
直も父親としての顔をよく見せるようになった。おむつ替えもミルクの準備もお手の物で、俺がいない時でも安心して任せられる。
世間では独身で四天王の矢崎直という顔で通しているが、実は結婚していて子供もいるなんて、世の女性達が知ったら発狂して大騒ぎだろうな。
「ところで、セックスしたいんだけど」
「っ……いきなりだな」
「だって最近がっつりしてないだろ」
「たしかにそうだけど……っん」
直に不意打ちでキスをされる。舌を入れてきて口内を性欲がたまっていると言わんばかりに荒していく。
それだけで体がどんどん熱くなって、腰がどんどん痺れてきた。
「っ、は……」
気持ちがよくて頭がぼうっとしてしまう。キスだけでこうなってしまうって俺も性欲結構溜まっていたのかも。
「甲斐の可愛いところも見たいし、可愛い声も聞きたい」
「……っ、直」
ここまで言われたらもう止められない。番であるアルファ様のおねだりには弱いのだ。
「いいよ……でも、激しいのはだめだから。甲夜が起きちゃうから……」
「わかってる。メシ食ったら久しぶりにいっぱいイチャイチャしたい」
きゅんと腰の奥が熱くなって疼いた。
子供が夜泣きで起きちゃうから簡単にスル事はあったけど、がっつりはご無沙汰だった。
出産を終えてからヒートがほとんどこなくなって、性欲も前ほどはなくなった。だけど、こうして愛する番に求められたらやっぱり体が反応してしまうし、レアオメガとして体も愛されたくなってしまう。
「うん……いっぱい抱いて……。いっぱい可愛がってほしいな……」
俺は色っぽい顔で無意識にそんな事を言っていた。
レアオメガとしての一面が出てしまい、心の中ではよほどシタかったのかもしれない。
あまりに娼婦みたいな発言に言ったそばから恥ずかしくて真っ赤になった。
「っ、おい、そんな顔でそんな事言うな。メシ食うまで我慢できなくなっちまう」
今の台詞に直もムラムラしたのか余裕のない表情で迫ってきた。
「~~っ。だ、だって……なんか久しぶりだと思うと、妊娠前のヒートの時思い出しちゃってっ、き、気持ちよくなりたいっていうか、直といっぱいえっちしたくて……ううう、俺ってやっぱレアオメガだよぉおお!」
恥ずかしくて逃げようとしたら腕を掴まれて、直はネクタイをしゅっと外して自らのシャツのボタンを外していた。
「生殺しみたいでもう我慢できない。可愛いお前を前にして食うなって方が無理。てことでまずは少しだけ味見するから」
「……っ、うん。味見、ね」
体がベータ寄りになってきたと言っても、性的快楽の欲求はレアオメガだなって納得してしまう。
ダメだと思いながらも止められなくて、ソファで直にねっとり優しく愛された。
その後、少しだけと言いながらも止まらなくなり、夕食どころか結局最後までがっつりしてしまい、甲夜が夜泣きで起きるまでそれが続いたのであった。
「悪い。知らぬ間にがっついてた。気が付いたら思いっきり中出ししてた」
再び甲夜を寝かせてからソファで再びイチャイチャ。あれほどたくさんシテもなんだか物足りない気分だ。
「も、いいよ。それだけ求めてくれて嬉しいし」
「甲斐が望むならいくらでも求めてやるけど」
「ちょ、また大きくなってるし……」
「甲斐の胎内に入りたいからだろ」
「っ……いいよ……きて。だけど、また赤ちゃんできちゃうかも……」
「あ……」
少し不安そうな直を見て俺は微笑む。
「大丈夫だよ。あの時みたいな事にはもうならない。先生だって言ってたじゃん」
たとえ本当に妊娠したとしても生死を彷徨う程の事はもう起きない。
自分の体はレアオメガとはいえもうベータ寄りだ。体も日に日に健康的で体力も増えてきている。それに一度経験しているからこそ、レアオメガの二度目の出産は案外すんなりいく事が多いとも言われた。二度目の安全に出産できる確率は9割超え。一度目とは大違いだ。
大きな壁を乗り越えたレアオメガは、精神的にも肉体的にも誰よりも強くなっているのだから。
「子だくさんなのもいいなって思ってたんだ。あんたとの子供なら何人いてもいいなって」
「それはオレもだ。可愛い甲斐の子供なら何人だってほしい」
「じゃあ、頑張らないとだね。いろいろと」
「まずは可愛い奥さんをたくさん可愛がってあげないと。愛情あるセックスで」
「っ、うん。可愛がって、旦那さん」
「もちろん。オレの可愛い奥さん」
その言葉通り、少しして再び妊娠がわかり、また新しい家族が増えるまでもう少し――――
おわり
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