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はじめての作曲依頼
みんな初めまして! エルメスお兄さんだよ!
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「見えてきたぞ、あれが通称大砲宮殿だ」
「こんなに離れた場所からも見えるなんて……」
貴族住居区から僅かに離れた活気ある通りの突き当りにそれはあった。
左右に大きく広がる真珠色の屋敷。一人の従者が見えるがスプーン先に乗った米粒のように小さい。左方には広大な四角い溜め池があり、水は冷たく透き通っている。右方には植物園が広がっている。古今東西の名花が凛と咲いている。鋭利に尖った鉄柵に囲まれながらも血生臭い厳めしさを忘れさせるほどの壮麗さがそこに束ねられている。
宮殿とはそもそも王族が住む邸宅をいうが、その壮麗さ、雅趣に庶民だけでなく貴族までもがこの御殿を宮殿と呼ぶようになり、国を治める王族も宮殿の呼称を特別に認めている。
「な、なんだか、すごい、緊張してきました……や、やぱり止めにしませんか? またた今度にできませんんかか?」
「落ち着け。ところどころ言葉がおかしいぞ」
屋敷の前で馬車を止める。すると中から一人の男性が出てきた。
カンタービレ家の従者ではなかった。そして知らない人物ではなかった。
「げっ」
フォルテはその人物を見るとげっそりする。
「ややや! ややや! そこにいらっしゃいますはもしやフォルテッシモ様ではございませんか! お久しぶり元気してた? エルメスお兄さんだよ!」
大きく膨らんだ唐草模様の風呂敷を背負ったエルメスと名乗る商人が景気よく手を振る。物腰柔らかいがいかにも胡散臭い雰囲気を漂わせている。
「こんなところで会ったのも何かの縁。どうです、私の自慢の商品を見ていきませんか?」
「見ない。どうせいらないものを押し付けるだけだろ」
「まっさか~! エルメス商団はそんな溺れる者に藁を売るような真似は決して致しません! 欲しい物を欲しい時に! それがエルメス商団のモットーでございます!」
「ふうん、それじゃあマッチは売ってるか? なんでも爪楊枝みたいに細い木が魔法いらずで火を噴くという最先端の便利アイテム」
「おやおや、フォルテッシモ様は火遊びがご所望でございますか?」
「馬鹿言うな。屋敷には火の魔法が使えるのが俺しかいないんだよ」
「あああ! なんて従者思いなご主人なんでしょう! 泣かせてくれるではありませんか! いいでしょう、サービスさせていただきます! 少々お待ち下さい……」
唐草模様の風呂敷を背負ったまま、手を突っ込む。
「お、あったあった、これだこれだ」
そして出てきたのが、
「じゃーん! これで誰でも簡単発育! ロー村産ミルク~!」
「マッチじゃねーのかよ!」
「あ、こちら、無料試供品ですのでどうぞどうぞ」
エルメスは渡そうとするがフォルテは頑なに受け取らない。
「待て。ロー村といったらここから遠く離れた南の小島だろ。偽物か? たとえ本物だとしても腐ってヨーグルトにでもなってるんじゃないか」
「いえいえ、エルメス商団は胡散臭いと言われても提供する品はどれも本物でございます」
「胡散臭いは公認かよ」
「それよりも見てください、この小瓶。よく見るとガラスではなく魔法の氷なんですよ」
「うん? 言われてみるとその通りだな。マナが通っている」
「でしょう? つまり冷え冷え。だから品質になんら問題はありません。なんなら今ここで飲んでみせましょう」
エルメスは風呂敷の中からもう一本牛乳瓶を取り出した。
「この一見普通の紙の蓋ですが、これにも空気を操る魔法が与えられているんです」
蓋の淵に爪を立てて開ける。そして腰に手を当ててぐいっと一気に飲む。
「ぷはーっ! うまい! どうです? これで嘘ではないとわかったでしょう?」
「高度な氷と空気の魔法を同時に……生産者はどんな魔術師なんだ? 宮廷で働けてもおかしくないのに牧場で働いているのか……?」
「おや、牛乳そのものよりも生産者に興味がおありですか? 面白い視点ですね。あ、まだまだ試供品はございます。お二人もいかがですか?」
エルメスは馬車に上がりこんでセールスを始める。
「老体にその量の牛乳はしばし身体に負担ですな……骨が丈夫になるのは大変魅力的でございますが」
アレグロは丁重に断る。
「お身体をお気になされているのですか? それでしたら良いものがあります。働き者のアレグロ様にはこちら。湿布でございます。少量ですがどうぞどうぞ」
「頂いてよろしいのですか? 払いますよ?」
「今は構いません。ですがきっと明日からはこれなしでは生きていられないでしょう」
「よほど自信のある一品のようですな。これは楽しみだ」
エルメスの次の相手は、
「あなたがピアニー嬢でございますね」
「……私のこと、ご存知で?」
エルメスは胸の前で手のひらをこすり合わせる。
「当然でございます。あなたは大事なお客様ですので」
「でも私、まだ何も買っていませんよね? これが初対面では?」
「今は未来のお客様でございます。それに演奏会には居合わせておりませんでしたが噂はかねがね。ぜひともあのへそ曲がりのフォルテッシモ様を落とした演奏をお聞きしたいものですね」
「おい、エルメス」
「はい、なんでしょう」
エルメスがフォルテの方向を向くと、
「ふんっ」
「あいだっ!」
脛を蹴られる。
「あいたたた……これは手痛い、いや足痛い」
「口を滑らす前にさっさと帰れ」
「え~? 今でもちゃんと秘密は守っていますでしょう? 頼まれた仕事はちゃんとこなしてますよ?」
「ほら言ってるそばから! チキンレースを始めやがって信用ならん! 帰れったら帰れ」
「あともうちょっとだけ! ピアニー様にお渡ししたいものがありますので」
「私にですか?」
「ええ、あなたにです。初対面ですのでね、しっかりと仕事ができる姿を見せておかないと」
「今更だな、おい」
「エルメス商団の名に賭け、今ここで、あなた様が望む一品を提供してみせます。それもノーヒントで!」
「それは……サプライズプレゼントみたいでワクワクしますね」
「わからないぞ。トカゲの尻尾とかもしれんぞ」
「もう、ぼっちゃまったら意地悪なんですから」
「ご安心を! 必ず喜んでいただける一品でございます!」
気合いを入れて風呂敷に手を突っ込む。
「ダラララララララ」
ドラムロールを口ずさみながら風呂敷の中をかき混ぜる。
「ダラララララララ」
「時間かけてないではよ出せ。人と会う約束してるんだよ」
「ダダン! ピアニー様! これをお受け取り下さい!」
そして出てきたのが、
「猫耳カチューシャ~」
捻りも何もない、そのままの意味で猫耳カチューシャ。
「……は?」
「はて?」
フォルテとアレグロは首を傾げた。
「祭儀に必要な、猫に扮するための道具でしょうか」
「わからん。出来はいいが、マナが通っている様子はない。なんだ、あのおもちゃは」
二人は淡白な反応を見せる一方で、
「こここっここっここれは!?」
ピアニーは凄まじい反応と動揺を見せる。
「おいくらですか!? 借金を背負う身なのであまりお出しは出来ませんが」
「そちらはお近づきの印。タダでございます」
「いいんですか!? 本当に!? 本当に!?」
「ええ、大事になさってください」
「ありがとうございます! エルメスさん! 何か物入りの時はエルメス商団に頼むようにします!」
「おい、ピアニー……それのどこがいいんだ?」
いたく感動感激する彼女が気になり、なんとなしに尋ねる。
「おぼっちゃま! お願いがあります!」
「お、おう、なんだ。お前のお願いであればなんでも聞くぞ」
「なんでも聞く!? それでしたら! こちらの! 猫耳を! つけてください!!」
「……は?」
ピアニーは馬車を揺らすほどはしゃぎにはしゃぐ。
「ぼっちゃまに絶対に似合うと思うんです! 前々から思っておりました! ツンと澄ました態度、何かに似てると思ったら猫ちゃんなんです!」
「は、はあ……」
「さあさあ! お付けください! 今すぐう! 絶対に可愛いので!」
息を荒くして近寄る従者の鼻を、
「ふんっ」
遠慮なく捻る。
「あいだだだだだ! なんでだめなんですかー!」
「俺には言われて嫌いな言葉が二つある。一つはチビ。もう一つは可愛いだ」
「きゃーギブギブ! これから人と会うのに鼻を曲げるおつもりですか!?」
「まったくこの馬鹿は……」
フォルテは放してやる。
「しかし猫耳か……」
猫耳カチューシャの魅力自体は認める。自分に着けるのは死んでも嫌だが。
「そこまで言うならピアニー、お前が着けてみろ」
「わ、私ですか!? いけません、絶対に似合いません! 恥ずかしいです!」
「お前はそれを自分の主人に着けようとしたんだよな?」
「それは、そうですが……」
「まずは自分が着けてみたらどうだ? 似合うだろうし可愛いと俺は思うぞ」
「可愛いですか……ぼっちゃまがそこまで言うのなら……あ、でも、私が着けたならぼっちゃまも着けてくださいよ?」
「ウン、ヤクソクスルー」
曖昧な返事に、
(あ、嘘だな)
(嘘ですな……)
エルメスとアレグロは約束を反故にすると見抜いたが、しばらく見守ることにする。
「そ、それでは……」
頭の上に猫耳カチューシャを乗っける。
「ど、どうでしょうか」
照れながら反応を伺う。
「おやおや、可愛らしい」
「これはこれは。可憐なケットシーですな」
二人からは概ね高評価。
「ぼ、ぼっちゃま……どうでしょうか?」
「ん゛っ」
あまりの可愛さに心臓が飛び出るかのような痛み。フォルテは呻いて自分の心臓を抑える。
「ど、どうされましたか!? 発作ですか!?」
「いや、なんでもない。それよりもピアニー。猫の鳴きまねしてくれるか?」
「鳴きまねですか!!?」
「ああ、きっと可愛いと思う」
「それでしたら僭越ながら? 鳴きまねさせていただきます」
言われてもいないのに両手を丸めてポーズを取る。
「……にゃん」
「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛っ」
「ぼっちゃま!? やはりどこか病気では!? 屋敷に戻りましょう?」
「いや、ほんと、なんでもない。もう、猫耳、いいぞ」
心臓が乱れを抑えつつ指示を出す。
「は、はい、わかりました……」
ピアニーは猫耳を外した。
だんだんとフォルテの脈が正常に戻っていく。
(これが猫耳の力か、恐ろしい……こんな兵器を取り扱うエルメス商団は本当に侮れない組織だな)
なるべく関係ないことを考えて冷静を取り戻していると、
「ぼっちゃま」
「ん、なんだ?」
「その……似合ってましたか? 可愛かったですか?」
ピアニーは赤面しながらも問い詰める。
「…………………………………………………………まあまあだったかな」
煮え切らない答えに、
(嘘だな。超見惚れてた)
(嘘ですな。すっかり魅了されてましたな)
傍から見守っていた二人は瞬時に見抜いた。
まあまあ、という微妙で曖昧な評価でも、
「まあまあ、ですか。ありがとうございます」
ピアニーは心底喜んだ。
「それでは、ぼっちゃま! 次はぼっちゃまの番です!」
「よし、アレグロ。馬車を進めろ」
「ぼっちゃま!!? 約束と違います!!! まさか嘘をついたのですか!!?」
ものすごい熱量を帯びながら詰め寄る。
あまりの熱気にフォルテは思わず目を背ける。
「怖い怖い怖い。いや、ほら、嘘はついてないだろ。今すぐとは言ってないし」
「では帰ったらすぐですか!? それとも今夜ですか!?」
「ははは、約束するときはちゃんと細部まで確認しないとだめだぞ~?」
「ぼっちゃま、騙しましたね!?」
愉快な会話を繰り広げる二人を見て、エルメスは微笑む。
「いやいやいや実に愉快な時間でした。こんな時間がいつまで続けばいいのにとつくづく思います。ですがこんな私も多忙の身。そろそろ次の仕事に向かわなければなりません」
「そうか。割といい時間を過ごさせてもらったよ」
「喜んでいただけたようで何よりです。あ、そちらのミルク、どうされますか?」
「ああ、これか。そういやまだ飲んでなかったな」
フォルテはエルメスがしたように爪立てて開き、一気に飲む。
「……やっぱり身長小さいの気にされてたんですね」
「さっさと帰りやがれ!!」
空になった小瓶を投げつける。
「おっと。これ、ミルクよりもコストがかかってるんですよ」
エルメスは難なく飛んできた小瓶をキャッチする。
「お気に召しましたら定期契約をお勧めします。毎朝新鮮なミルクをご自宅まで配達しますよ。それと発育は身長だけではありません。ご婦人の胸にも効果が期待できますので」
ピアニーに向かってウィンクする。
「え、え、え?」
戸惑うピアニーに代わって、
「二度と顔見せるな、セクハラ商人!!」
フォルテが激怒する。
「はっはっはー! またお会いしましょう! 以上、エルメスお兄さんでしたー!」
馬車を跳び下りると颯爽と風のように走り去る。
「アレグロ! 塩だ! 塩をまいとけ!」
「あっても撒きませんよ? ここはカンタービレ邸前なのですから」
「ったく……ピアニー、大丈夫か? ずっと緊張してたのにこんなことがあって」
「それがぼっちゃま……不思議とさっきまであった緊張が吹き飛んでいまして」
手をグーパーする。震えはなく、いつも通りに自在に動く。
「ほっほっほ。それは良かったですな。思わぬところでエルメス様に助けられましたな」
フォルテは背もたれにどすんと背中をぶつける。
「ったく……今度会ったら顔をぶん殴ってやろうと思ったのに……ぶん殴りづらくなったじゃないか」
一息つく間もなく、大砲宮殿の敷地から黒服の従者が一人出てくる。
「ピアニー・ストーリー様とシュバルツカッツェ家の皆さまですね」
今の一言でフォルテは特殊な状況を把握する。
「……どうやら客としての格はお前のほうが上らしいぞ」
「上……とは?」
「つまり向こうとしては貴族の俺よりもお前をもてなすということだ」
「……よくわかりませんが、なんだかまた緊張してきました」
震え始める身体。
「お前な……」
フォルテはがっくりと肩を落とす。
「ほっほっほ。前途多難ですな」
アレグロは微笑みながら馬車を進めた。
「こんなに離れた場所からも見えるなんて……」
貴族住居区から僅かに離れた活気ある通りの突き当りにそれはあった。
左右に大きく広がる真珠色の屋敷。一人の従者が見えるがスプーン先に乗った米粒のように小さい。左方には広大な四角い溜め池があり、水は冷たく透き通っている。右方には植物園が広がっている。古今東西の名花が凛と咲いている。鋭利に尖った鉄柵に囲まれながらも血生臭い厳めしさを忘れさせるほどの壮麗さがそこに束ねられている。
宮殿とはそもそも王族が住む邸宅をいうが、その壮麗さ、雅趣に庶民だけでなく貴族までもがこの御殿を宮殿と呼ぶようになり、国を治める王族も宮殿の呼称を特別に認めている。
「な、なんだか、すごい、緊張してきました……や、やぱり止めにしませんか? またた今度にできませんんかか?」
「落ち着け。ところどころ言葉がおかしいぞ」
屋敷の前で馬車を止める。すると中から一人の男性が出てきた。
カンタービレ家の従者ではなかった。そして知らない人物ではなかった。
「げっ」
フォルテはその人物を見るとげっそりする。
「ややや! ややや! そこにいらっしゃいますはもしやフォルテッシモ様ではございませんか! お久しぶり元気してた? エルメスお兄さんだよ!」
大きく膨らんだ唐草模様の風呂敷を背負ったエルメスと名乗る商人が景気よく手を振る。物腰柔らかいがいかにも胡散臭い雰囲気を漂わせている。
「こんなところで会ったのも何かの縁。どうです、私の自慢の商品を見ていきませんか?」
「見ない。どうせいらないものを押し付けるだけだろ」
「まっさか~! エルメス商団はそんな溺れる者に藁を売るような真似は決して致しません! 欲しい物を欲しい時に! それがエルメス商団のモットーでございます!」
「ふうん、それじゃあマッチは売ってるか? なんでも爪楊枝みたいに細い木が魔法いらずで火を噴くという最先端の便利アイテム」
「おやおや、フォルテッシモ様は火遊びがご所望でございますか?」
「馬鹿言うな。屋敷には火の魔法が使えるのが俺しかいないんだよ」
「あああ! なんて従者思いなご主人なんでしょう! 泣かせてくれるではありませんか! いいでしょう、サービスさせていただきます! 少々お待ち下さい……」
唐草模様の風呂敷を背負ったまま、手を突っ込む。
「お、あったあった、これだこれだ」
そして出てきたのが、
「じゃーん! これで誰でも簡単発育! ロー村産ミルク~!」
「マッチじゃねーのかよ!」
「あ、こちら、無料試供品ですのでどうぞどうぞ」
エルメスは渡そうとするがフォルテは頑なに受け取らない。
「待て。ロー村といったらここから遠く離れた南の小島だろ。偽物か? たとえ本物だとしても腐ってヨーグルトにでもなってるんじゃないか」
「いえいえ、エルメス商団は胡散臭いと言われても提供する品はどれも本物でございます」
「胡散臭いは公認かよ」
「それよりも見てください、この小瓶。よく見るとガラスではなく魔法の氷なんですよ」
「うん? 言われてみるとその通りだな。マナが通っている」
「でしょう? つまり冷え冷え。だから品質になんら問題はありません。なんなら今ここで飲んでみせましょう」
エルメスは風呂敷の中からもう一本牛乳瓶を取り出した。
「この一見普通の紙の蓋ですが、これにも空気を操る魔法が与えられているんです」
蓋の淵に爪を立てて開ける。そして腰に手を当ててぐいっと一気に飲む。
「ぷはーっ! うまい! どうです? これで嘘ではないとわかったでしょう?」
「高度な氷と空気の魔法を同時に……生産者はどんな魔術師なんだ? 宮廷で働けてもおかしくないのに牧場で働いているのか……?」
「おや、牛乳そのものよりも生産者に興味がおありですか? 面白い視点ですね。あ、まだまだ試供品はございます。お二人もいかがですか?」
エルメスは馬車に上がりこんでセールスを始める。
「老体にその量の牛乳はしばし身体に負担ですな……骨が丈夫になるのは大変魅力的でございますが」
アレグロは丁重に断る。
「お身体をお気になされているのですか? それでしたら良いものがあります。働き者のアレグロ様にはこちら。湿布でございます。少量ですがどうぞどうぞ」
「頂いてよろしいのですか? 払いますよ?」
「今は構いません。ですがきっと明日からはこれなしでは生きていられないでしょう」
「よほど自信のある一品のようですな。これは楽しみだ」
エルメスの次の相手は、
「あなたがピアニー嬢でございますね」
「……私のこと、ご存知で?」
エルメスは胸の前で手のひらをこすり合わせる。
「当然でございます。あなたは大事なお客様ですので」
「でも私、まだ何も買っていませんよね? これが初対面では?」
「今は未来のお客様でございます。それに演奏会には居合わせておりませんでしたが噂はかねがね。ぜひともあのへそ曲がりのフォルテッシモ様を落とした演奏をお聞きしたいものですね」
「おい、エルメス」
「はい、なんでしょう」
エルメスがフォルテの方向を向くと、
「ふんっ」
「あいだっ!」
脛を蹴られる。
「あいたたた……これは手痛い、いや足痛い」
「口を滑らす前にさっさと帰れ」
「え~? 今でもちゃんと秘密は守っていますでしょう? 頼まれた仕事はちゃんとこなしてますよ?」
「ほら言ってるそばから! チキンレースを始めやがって信用ならん! 帰れったら帰れ」
「あともうちょっとだけ! ピアニー様にお渡ししたいものがありますので」
「私にですか?」
「ええ、あなたにです。初対面ですのでね、しっかりと仕事ができる姿を見せておかないと」
「今更だな、おい」
「エルメス商団の名に賭け、今ここで、あなた様が望む一品を提供してみせます。それもノーヒントで!」
「それは……サプライズプレゼントみたいでワクワクしますね」
「わからないぞ。トカゲの尻尾とかもしれんぞ」
「もう、ぼっちゃまったら意地悪なんですから」
「ご安心を! 必ず喜んでいただける一品でございます!」
気合いを入れて風呂敷に手を突っ込む。
「ダラララララララ」
ドラムロールを口ずさみながら風呂敷の中をかき混ぜる。
「ダラララララララ」
「時間かけてないではよ出せ。人と会う約束してるんだよ」
「ダダン! ピアニー様! これをお受け取り下さい!」
そして出てきたのが、
「猫耳カチューシャ~」
捻りも何もない、そのままの意味で猫耳カチューシャ。
「……は?」
「はて?」
フォルテとアレグロは首を傾げた。
「祭儀に必要な、猫に扮するための道具でしょうか」
「わからん。出来はいいが、マナが通っている様子はない。なんだ、あのおもちゃは」
二人は淡白な反応を見せる一方で、
「こここっここっここれは!?」
ピアニーは凄まじい反応と動揺を見せる。
「おいくらですか!? 借金を背負う身なのであまりお出しは出来ませんが」
「そちらはお近づきの印。タダでございます」
「いいんですか!? 本当に!? 本当に!?」
「ええ、大事になさってください」
「ありがとうございます! エルメスさん! 何か物入りの時はエルメス商団に頼むようにします!」
「おい、ピアニー……それのどこがいいんだ?」
いたく感動感激する彼女が気になり、なんとなしに尋ねる。
「おぼっちゃま! お願いがあります!」
「お、おう、なんだ。お前のお願いであればなんでも聞くぞ」
「なんでも聞く!? それでしたら! こちらの! 猫耳を! つけてください!!」
「……は?」
ピアニーは馬車を揺らすほどはしゃぎにはしゃぐ。
「ぼっちゃまに絶対に似合うと思うんです! 前々から思っておりました! ツンと澄ました態度、何かに似てると思ったら猫ちゃんなんです!」
「は、はあ……」
「さあさあ! お付けください! 今すぐう! 絶対に可愛いので!」
息を荒くして近寄る従者の鼻を、
「ふんっ」
遠慮なく捻る。
「あいだだだだだ! なんでだめなんですかー!」
「俺には言われて嫌いな言葉が二つある。一つはチビ。もう一つは可愛いだ」
「きゃーギブギブ! これから人と会うのに鼻を曲げるおつもりですか!?」
「まったくこの馬鹿は……」
フォルテは放してやる。
「しかし猫耳か……」
猫耳カチューシャの魅力自体は認める。自分に着けるのは死んでも嫌だが。
「そこまで言うならピアニー、お前が着けてみろ」
「わ、私ですか!? いけません、絶対に似合いません! 恥ずかしいです!」
「お前はそれを自分の主人に着けようとしたんだよな?」
「それは、そうですが……」
「まずは自分が着けてみたらどうだ? 似合うだろうし可愛いと俺は思うぞ」
「可愛いですか……ぼっちゃまがそこまで言うのなら……あ、でも、私が着けたならぼっちゃまも着けてくださいよ?」
「ウン、ヤクソクスルー」
曖昧な返事に、
(あ、嘘だな)
(嘘ですな……)
エルメスとアレグロは約束を反故にすると見抜いたが、しばらく見守ることにする。
「そ、それでは……」
頭の上に猫耳カチューシャを乗っける。
「ど、どうでしょうか」
照れながら反応を伺う。
「おやおや、可愛らしい」
「これはこれは。可憐なケットシーですな」
二人からは概ね高評価。
「ぼ、ぼっちゃま……どうでしょうか?」
「ん゛っ」
あまりの可愛さに心臓が飛び出るかのような痛み。フォルテは呻いて自分の心臓を抑える。
「ど、どうされましたか!? 発作ですか!?」
「いや、なんでもない。それよりもピアニー。猫の鳴きまねしてくれるか?」
「鳴きまねですか!!?」
「ああ、きっと可愛いと思う」
「それでしたら僭越ながら? 鳴きまねさせていただきます」
言われてもいないのに両手を丸めてポーズを取る。
「……にゃん」
「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛っ」
「ぼっちゃま!? やはりどこか病気では!? 屋敷に戻りましょう?」
「いや、ほんと、なんでもない。もう、猫耳、いいぞ」
心臓が乱れを抑えつつ指示を出す。
「は、はい、わかりました……」
ピアニーは猫耳を外した。
だんだんとフォルテの脈が正常に戻っていく。
(これが猫耳の力か、恐ろしい……こんな兵器を取り扱うエルメス商団は本当に侮れない組織だな)
なるべく関係ないことを考えて冷静を取り戻していると、
「ぼっちゃま」
「ん、なんだ?」
「その……似合ってましたか? 可愛かったですか?」
ピアニーは赤面しながらも問い詰める。
「…………………………………………………………まあまあだったかな」
煮え切らない答えに、
(嘘だな。超見惚れてた)
(嘘ですな。すっかり魅了されてましたな)
傍から見守っていた二人は瞬時に見抜いた。
まあまあ、という微妙で曖昧な評価でも、
「まあまあ、ですか。ありがとうございます」
ピアニーは心底喜んだ。
「それでは、ぼっちゃま! 次はぼっちゃまの番です!」
「よし、アレグロ。馬車を進めろ」
「ぼっちゃま!!? 約束と違います!!! まさか嘘をついたのですか!!?」
ものすごい熱量を帯びながら詰め寄る。
あまりの熱気にフォルテは思わず目を背ける。
「怖い怖い怖い。いや、ほら、嘘はついてないだろ。今すぐとは言ってないし」
「では帰ったらすぐですか!? それとも今夜ですか!?」
「ははは、約束するときはちゃんと細部まで確認しないとだめだぞ~?」
「ぼっちゃま、騙しましたね!?」
愉快な会話を繰り広げる二人を見て、エルメスは微笑む。
「いやいやいや実に愉快な時間でした。こんな時間がいつまで続けばいいのにとつくづく思います。ですがこんな私も多忙の身。そろそろ次の仕事に向かわなければなりません」
「そうか。割といい時間を過ごさせてもらったよ」
「喜んでいただけたようで何よりです。あ、そちらのミルク、どうされますか?」
「ああ、これか。そういやまだ飲んでなかったな」
フォルテはエルメスがしたように爪立てて開き、一気に飲む。
「……やっぱり身長小さいの気にされてたんですね」
「さっさと帰りやがれ!!」
空になった小瓶を投げつける。
「おっと。これ、ミルクよりもコストがかかってるんですよ」
エルメスは難なく飛んできた小瓶をキャッチする。
「お気に召しましたら定期契約をお勧めします。毎朝新鮮なミルクをご自宅まで配達しますよ。それと発育は身長だけではありません。ご婦人の胸にも効果が期待できますので」
ピアニーに向かってウィンクする。
「え、え、え?」
戸惑うピアニーに代わって、
「二度と顔見せるな、セクハラ商人!!」
フォルテが激怒する。
「はっはっはー! またお会いしましょう! 以上、エルメスお兄さんでしたー!」
馬車を跳び下りると颯爽と風のように走り去る。
「アレグロ! 塩だ! 塩をまいとけ!」
「あっても撒きませんよ? ここはカンタービレ邸前なのですから」
「ったく……ピアニー、大丈夫か? ずっと緊張してたのにこんなことがあって」
「それがぼっちゃま……不思議とさっきまであった緊張が吹き飛んでいまして」
手をグーパーする。震えはなく、いつも通りに自在に動く。
「ほっほっほ。それは良かったですな。思わぬところでエルメス様に助けられましたな」
フォルテは背もたれにどすんと背中をぶつける。
「ったく……今度会ったら顔をぶん殴ってやろうと思ったのに……ぶん殴りづらくなったじゃないか」
一息つく間もなく、大砲宮殿の敷地から黒服の従者が一人出てくる。
「ピアニー・ストーリー様とシュバルツカッツェ家の皆さまですね」
今の一言でフォルテは特殊な状況を把握する。
「……どうやら客としての格はお前のほうが上らしいぞ」
「上……とは?」
「つまり向こうとしては貴族の俺よりもお前をもてなすということだ」
「……よくわかりませんが、なんだかまた緊張してきました」
震え始める身体。
「お前な……」
フォルテはがっくりと肩を落とす。
「ほっほっほ。前途多難ですな」
アレグロは微笑みながら馬車を進めた。
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