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はじめての作曲依頼

ストリンジェンド

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 時が経ち、演劇初お披露目会当日の朝。
 キッチンにいつも通りの三人。フォルテ、ピアニー、アレグロが揃っていた。
 話題は勿論演劇について。
 フォルテはさくらんぼのジャムをパンに塗りながら話す。

「ついにこの日が来たか……色ボケじじいが恥をさらす日が」
「ぼっちゃま、違います。マシュー様の自作演劇のお披露目会でございます」
「同じことだ。せっかくチケットを融通してもらったのだし、一番後ろの席から観客のしらけた反応を窺うとしよう」
「悪趣味ですよ、ぼっちゃま。それよりも私が作った曲を聞いてください」
「あー、ピアニーの作った曲な……」

 ジャムを塗っていた手がぴたりと止まる。

「……いい曲だ。素晴らしい曲だ。主人として誇らしい、どこに出しても恥ずかしくない出来だ」
「そんな……あまり褒めないでください……まだまだ駆け出しの、少しばかし音楽を齧ったような者を調子に乗らせないでください」
「よしじゃあ、上げた後は落とすとしよう。ただし、感動したのも最初の十回までだ」

 ジャムを縫っていたスプーンでテーブルを叩く。テーブル上に乗っていた全ての皿が動く。

「いいか、ピアニー。曲の完成度を客観的に確かめるために他人に聞かせるのは大事だし必要なことだ。しかし限度というものがあるよな!? 毎日朝昼晩深夜何回も何回も同じ曲を聞かせやがって! そのたびに今のどうですか? どこがアレンジしたかわかりますか? と聞かれてもわからないのだ!」
「初めての依頼でしたので……少しでも質の良い音楽を提供しようと思いまして……張り切っちゃいました、てへ」

 ピアニーは照れくさそうに窯でトーストした食パンを齧る。

「可愛く照れても許さんぞ。朝起きるときも夜寝るときも同じメロディーが脳内で流れている恐怖、お前にはわかるまいな」

 フォルテは充血した目をしながらピアニーにフォークを向ける。彼の眼下には褐色肌でわかりづらいがクマができあがっていた。

「まあ、フォークを向けるなんて大げさな。アレグロ様からも何か言ってください」
「……」

 アレグロは呼びかけられても無反応。

「アレグロ様?」
「あ、今、呼ばれましたかな?」
「どうかされましたか? 少しやつれているようにお見受けしますが?」
「ええ、少々……耳の奥でピアニー様の作られた曲が延々と響き続けておりまして……こたえております」
「ほら見たことか! アレグロですらダメージ負っている! 今後聞き役はミサにやってもらえ!」
「もうやってもらってます! でも彼女、どう演奏しても『素晴らしい演奏でした』としか返してくれないんです!」
「そりゃそうだよな、ゴーレムなんだから!」

 朝から元気に、空気を噴射した竈のようにヒートアップする会話。
 それを遮るように、カランカランと鐘が鳴る。

「この鐘の音は……屋外からでしょうか」
「ピアニーは初めてだったか。この音、覚えておけよ。魔女便だ」

 魔女便。いわゆる空を飛ぶメッセンジャー。空を飛ぶだけあり、馬車よりも早く、値段も高い。追加料金を支払えば文書だけでなく、軽い荷物も運ぶ、なくてはならない運搬インフラだ。
 アレグロが窓から外の様子を見る。

「屋敷の外で飛び回っておりますな。どうも急ぎの用事かと」
「では私が行きましょうか」
「いえ、このアレグロが行きましょう。お二人はこのまま食事を楽しんでください」

 そう言ってアレグロはささっとキッチンを出ていった。

「……というわけだ。今後は節度のある作曲を心掛けるように」
「そんな! それは音楽家として死活問題です! 断固抗議いたします!」
「まじか、こいつ……」

 フォルテは頭痛に悩まされる。

「正気か? いや病気か、お前は」
「ええ、病気です。呪いにかかっていると思われても仕方がないことかと。でも私にとってはそれが音楽なのです。りんごがなぜ木から落ちるのか。それを突き詰めるような熱に、私は囚われているんです」
「……なるほど。道理であの曲あの演奏が生まれるわけだ」

 ジャムを塗っていたスプーンを放り投げる。

「どうやら俺はロバはロバでもじゃじゃ馬を引いてしまったようだな」

 口元を気にせずにジャムをたっぷり塗ったパンを食す。

「……ご迷惑でしょうか」

 熱があると自覚している。しかしそれで誰かが傷ついたり、病に伏せたりするのであれば話は別だ。

「当たり前だ。迷惑に決まってるだろう」

 噓偽りなく、ばっさりと切る。

「う、うう……」

 泣きそうになるじゃじゃ馬。

「……しかし、それを受け止めるのも主人の役目だ。いい曲、いい演奏が生まれるなら存分に迷惑をかけろ」

 フォルテも分からず屋ではない。デメリットがあるから即座に止めるような短絡的な思考はしない。必ずメリット、デメリットを比較する。
 ピアニーの才能は本物。デメリットは確かに存在するし、決して小さくはないがメリット、またはリターンはそれを遥かに上回っている。
 それに加え、

「……ピアニーは絶対に俺から離れないと言ったのだ。俺も、それに応えるべきだろうな」
「ぼっちゃま、今、何か仰いましたか?」
「何でもない。聞き間違いだろう」
「え? でも、『ピアニーは絶対に俺から離れないと言ったのだ。俺も、それに応えるべきだろうな』と言ったような気がしたのですが」
「ロバのように愚鈍なくせに耳はいいんだな、ちくしょうが! ああ言ったとも! 一字一句ちゃんと聞き取りやがって!」

 やけくそ気味にパンを噛まずに丸呑みする。当然のどに詰まり、ピアニーに渡された水を一気飲みして事なきを得る。

「あ、あの、ぼっちゃま、突然ですが聞いてほしい言葉があります」
「ん、なんだ、改まって」
「ありがとうございます」

 えくぼをつくっての朗らかな笑顔。眩しいと同時に刹那的な何かを感じ取らせ、

「……まさか、移籍を決心したとかそういうんじゃないよな?」

 常に心にある不安が表に出てしまう。

「あ、それについては何度も申し上げておりますが絶対にありえませんので」
「……そうか、すまん。早とちりした。でもそうか、絶対にありえないか……ふふ」

 ご機嫌にやや冷めた紅茶を飲む。ピアニーが淹れたお茶だ。

「私が感謝を伝えたのは作曲を手伝っていただいたからです」
「作曲? 何度も聞いたことか?」
「あ、そちらも勿論感謝しております。それとはまた別件で……その今でも思い出すと顔から火が出るようにお恥ずかしいのですが……地下室の……あれで」
「あれか……あれについては全面的に俺が悪かった。本当に悪かった。人を疑う前に自分を疑うようにします。本当にすみませんでした」
「高慢なぼっちゃまが平謝り!? まあ、あの一件の後も、その、私も調子に乗りすぎまして……」
「地下室の後に何もナカッタ。ソウダロ?」
「あ、はい、そうですね……そういうことになってるんでした」

 猫耳騒動はフォルテにとってトラウマとなる出来事だった。彼は尊厳を守るために記憶に厳重な鍵をかけた。

「とにかくですね、何がどうであれ、地下室での出来事が私にヒントを与えてくださったのです。台本を何度も読んでも、どうしても登場人物の心理が理解できなくて……どうしてメイド長は主人の暴虐を受け入れたのか引っ掛かっていたのです。許されぬ愛ゆえなのか、絶望の末の自棄ゆえなのか。でも偶然にも地下室の出来事のおかげで自分と重なったのです。ああ、あれは信愛なんだって。あ、これは私独自の解釈であって、答えではありません。押し付けはよくありませんね。でもでも、作曲するにあたってはある程度方向性を決めなくてですね」
「……よくまあ、好色家の与太話にそこまで本気になれるな。皮肉抜きで尊敬する」
「与太話なんてとんでもない。あれはマシュー様が本気で書かれた物語です。でも、ちょっと、本業の方と比べれば劣るというか雑に感じる点も多少ありますが」
「直接本人に伝えてやれ。ダメージを受けるかもしれんが奴にとっていい勉強になるだろう」
「ぼっちゃま。利益よりも損害を願っておられですね?」
「はは、バレたか」

 フォルテは紅茶をもう一口飲もうとしたがカップは空になっていた。

「ピアニー。おかわりをもらえるか」
「はい、喜んで」

 フォルテからカップを受け取ろうとした時、

「フォルテ様。ピアニー様。大変でございます」

 大変という割に焦りを見せないアレグロが戻ってくる。

「どうした、アレグロ。魔女便は誰からだ」
「マシュー・カンタービレ様からです。問題発生のようです」
「問題発生……よし当ててやろう。思いの外、チケットは売れなかったから恥ずかしくなって中止にしたんだな、そうだろう」
「まさか。違いますよね」
「ええ、全然違います。掠りもしておりません。チケットの売り上げは好調で問題はないとのことです」
「ぼっちゃま?」
「冗談はさておき。うちに魔女便が来るということはもうあれしかないだろう」
「そうです、あれでございます

 通じ合う二人。
 ピアニーだけは置いてけぼり。

「もう、お二人とも。何があったのか私にも教えてください」
「当の本人なんだから、少しは当事者意識を持てよ……どう考えたって音楽関係でトラブルがあったに決まってるだろう」
「ぼっちゃまの言う通りでございます。どうも演奏する予定だったピアニストがリハーサル最中に指をつってしまったらしく」

 演奏は作曲のピアニーとは別のピアニストが担当する。演劇に合わせてのピアノ演奏の経験がない彼女は今回は観客席に座ることを楽しみにしていた。

「ええ!? どうするんですか!?」

 慌てふためくピアニーにあきれ果てるフォルテ。

「そんなの決まってるだろう」

 無自覚の彼女を目覚めさせるべく、びしっと指をさす。

「お前が弾くんだよ」
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