上 下
36 / 95

H2.逃げられると追いかけたくなる心理 前

しおりを挟む
 ぼくの留学先となる王国は、千年以上の歴史を持つ古い国だ。伝統的で保守派。それが彼らの誇りでもあり、おごりでもある。

 たかだか百年程度の皇国は、正直古参の国にはなめられていると言っていい。
 恭順の意を示すために伏せられた顔には、「力で従わせた乱暴ものが」という嘲りの表情が隠れている。
 王国人は歴史に、つまりは過去に生きている――それが諸外国から見たかの国のイメージだ。
 実際、実用されている魔法の術式が、他の国に比べるといささか旧式であることは否めなかった。

 そのような国では、百年前に実力でのし上がったぽっと出である皇族は、表向きは敬われるだろうが、内心は見下されている。ちやほやおだてられてもけして油断はしないように、舞い上がりでもすれば裏で笑い話にされるぞ――出発前、そんな注意事項をちょっともらった。

 まあぼくは今まで散々「あいつ一人だけ皇族っぽくないんだよなあ……」と半眼で見られてきた人間なので、それならさほど変わりないのかなと特に気にしていなかった。

 ところが行ってみたら予想外のことが起きた。
 ものすごく歓迎されるのである。どこに行ってもだ。
 最初は「事前注意のあれか、真に受けないようにしよう」と思っていたが、少ししてすぐ「これはひょっとして本心からぼくを褒めているのでは……?」と感じるようになった。

 なんかこう、熱っぽい目がどこかの誰かによく似ているのだ。あれから殺意を消した憧れのまなざしが、王国ではいたる所から向けられる。

 どうも皇室では「軟弱」「皇族の外れ値」「本当に成長期来たの?(来てるよ、喉仏あるでしょ!)」と不評なぼくの線の細さが、この国では理想の貴人らしさと合致するらしい。色白で線が細い薄幸系が、王国におけるスタンダードなモテ美人なのだとか。複雑な気分だ……。

 でも全体的にはものすごく快適だ。視線はちょっと気が遠くなりそうになるけど、少なくともこの国にはぼくを殺しに来る人間はいない。

 弟よ。今頃皇室で「兄上がいない、おれの毎日の目標が!!」とか泣いてるかもしれない弟よ。将来皇帝になるお前の重責を察しつつ保身を優先してしまった、ふがいない兄さんで本当にすまない。

 だけど、もうしばらくきみが曲がり角から飛び出してくることを警戒せずに済むと思うと、空気がこんなにもおいしいんだ。
 ぼくは留学を満喫している。これが自由か……!

 さすがに正式な滞在先にはそれなりの人員が配置されているのだけど、学園内ではぼくはほとんど単独行動ができた。
 元々皇族は万が一の時のためにと、ある程度自分の面倒が見られるよう、躾けられている。不便は感じず、ただただ自由を謳歌していた。

しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!


処理中です...