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十二月十二日(2)
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何も起こらない、っていうわけにはいかなかったけど、今日は色々とマシな一日だった。
六時間目のチャイムが鳴り終わるのを待って担任が教室に入ってくる。
そして何やら話し始めるが、そわそわしている私の耳には届かない。
担任が教室から去っていくのを見ると、私は目立たないように斜め下を見つめながら教室から家路に就いた。
家のドアを開ける。
最初に耳に入ってきた音は――破砕音。
食器か何かが割れる音だった。
次に――怒声。
どちらの音もリビングの扉越しだったが、はっきりと空気を振るわせ私を震えさせる。
決して恐怖で震えているわけではない。
悔しさと悲しさが入り混じり、震えという形で溢れ出したんだと思う。
あれや、それや、これは勝手な期待だった。
私の誕生日の日ぐらい、喧嘩なんてせずにニコニコして仲良くしてくれる、と。
一緒にケーキを食べて祝ってくれる、と。
もしかしたら頭の一つくらいは撫でてくれるかもしれない、と。
勝手な妄想だった。
だけど、この期待や妄想にここ数週間助けられてきたのも事実だった。
裏切られた……わけではない。そもそも約束なんてしていないのだから。
勝手に期待して勝手に裏切られただけの話だ。
大した問題ではない。
だけど、私は……残り三百六十五日間……八千七百六十時間……五十二万五千六百秒……三千百五十三万六千秒、この気持ちを抱いて歩いていけるのだろうか。
ちゃんと期待出来るだろうか?
ちゃんと妄想出来るだろうか?
ちゃんとすがる事が出来るだろうか?
藁にもすがる思いで、虐げるように階段を踏んで自分の部屋へ向かう。
そして目的のものを手にして落ちるようにして階段を駆け下りると、リビングのドアを開いた。
「お父さん……」
まず私を迎えたのはアルコールと煙草の匂い。
「うるせえ! いつも暗い顔しやがって、てめえの顔を見るとこっちまで暗くなんだよ!」
次に罵声。
煙草を口に咥えたお父さんは、いつもと変わらずパジャマ姿で外出した様子がない。怒鳴るたびにパジャマの左足の部分が所在なさげにひらひらと揺れていた。
事故で左脚がなくなってからはもっぱら家でお酒を呑むことに生き甲斐を見出していた。
「あなた、そんなこと言うのはやめて」
「うるさい、黙ってろ!」
投げつけられたビンが私の足元で割れる。
幸い私に直接当たらなかったものの、ビンが床にぶつかった音と割れた音で身体の芯が震えた。
「おっと、酒が切れたぞ。買って来い。お前の小遣いで」
「お金なんてない」
とっくの昔にほとんどお小遣いなんて貰っていない。
お使いに行かされた時にお釣りの数十円を貰う程度だ。
「だから俺は高校なんか辞めさせて働かせろって言っただろ!」
こんな感じの父も今の姿からは想像もつかないが、昔は家庭を顧みる優しい父だった。
仕事で疲れた身体に鞭打って日曜日には山に登ったり、海や遊園地に連れて行ってくれたこともあった。
私は心のどこかであの頃の家族を取り戻したいと、思っているんだと思う。
それが不可能だとわかっていても。
それが夢物語だとわかっていても。
不可能な夢物語にすがりつきたい!
「お父さん、これ」
おずおずと部屋から持ってきたモノを出す。
「あ?」
「早く脚が治るようにと思って」
治るわけがないことは知っている。
こんなものを貰っても左膝から下が生えてくるわけはない。
でも、私はその言葉が言いたかった。
この千羽鶴と共に。
「ふざけるな! こんなもん作る暇あったら金を稼いで来い!」
私の手からひったくられ床に叩き付けられる鶴。
羽が折れ、首が曲がり、あちこちが破れる。
破れた部分から私が書いた父との思い出がはみ出す。
「あはは、お父さん……ダメだよ……」
無理な笑顔を作り、バラバラになった鶴をかき集めもう一度父の手に乗せる。
「何がおかしいんだ! 俺を馬鹿にしやがって、お前も会社の連中と同じなのか!」
父の手を包み込むようにして渡した千羽の鶴は――数秒の間も父の手の中に収まる事はなかった。
鶴は今度はゴミ箱へ。
「ごめんなさい」
「なんだこりゃ……一緒に行った遊園地楽しかったよ? なんだこりゃもしかして一 枚一枚にわざわざ変な文章書いて折ったのか。そいつはご苦労なことで」
ゴミ箱に捨てた衝撃で鶴がバラバラになったらしい。
「いいから酒を買って来い! ぬうっ!」
脚が片方無いのと酔いも手伝い、ゴミ箱に蓋をしようとしたお父さんはバランスを崩してしまう。
そして大した受身も取れず、派手な音を立てて床に叩きつけられてしまう。
「お父さん!」
咄嗟に腰を落とし、私は手を差し伸ばす。
「触れるな!」
唾を飛ばし拒絶の言葉を吐く。
手をはねのけようとした父の手が私の頬に当たり、その拍子に眼鏡が床に落ちた。
さして強く当たったわけではないが、殴られた頬が熱い。その熱さに耐え切れず、無意識に身をよじってしまう。
「なんだその目は。誰のおかげで暮らしていけてると思ってるんだ! 無駄飯ばかり 食うクズの癖に、目つきだけは一人前だ/な、お前は!」
言葉を最後まで聞かずに、リビングを飛び出した私は階段をゆっくりと定規で引いた線のようにまっすぐと上り始める。
もう、迷いは無かった。
六時間目のチャイムが鳴り終わるのを待って担任が教室に入ってくる。
そして何やら話し始めるが、そわそわしている私の耳には届かない。
担任が教室から去っていくのを見ると、私は目立たないように斜め下を見つめながら教室から家路に就いた。
家のドアを開ける。
最初に耳に入ってきた音は――破砕音。
食器か何かが割れる音だった。
次に――怒声。
どちらの音もリビングの扉越しだったが、はっきりと空気を振るわせ私を震えさせる。
決して恐怖で震えているわけではない。
悔しさと悲しさが入り混じり、震えという形で溢れ出したんだと思う。
あれや、それや、これは勝手な期待だった。
私の誕生日の日ぐらい、喧嘩なんてせずにニコニコして仲良くしてくれる、と。
一緒にケーキを食べて祝ってくれる、と。
もしかしたら頭の一つくらいは撫でてくれるかもしれない、と。
勝手な妄想だった。
だけど、この期待や妄想にここ数週間助けられてきたのも事実だった。
裏切られた……わけではない。そもそも約束なんてしていないのだから。
勝手に期待して勝手に裏切られただけの話だ。
大した問題ではない。
だけど、私は……残り三百六十五日間……八千七百六十時間……五十二万五千六百秒……三千百五十三万六千秒、この気持ちを抱いて歩いていけるのだろうか。
ちゃんと期待出来るだろうか?
ちゃんと妄想出来るだろうか?
ちゃんとすがる事が出来るだろうか?
藁にもすがる思いで、虐げるように階段を踏んで自分の部屋へ向かう。
そして目的のものを手にして落ちるようにして階段を駆け下りると、リビングのドアを開いた。
「お父さん……」
まず私を迎えたのはアルコールと煙草の匂い。
「うるせえ! いつも暗い顔しやがって、てめえの顔を見るとこっちまで暗くなんだよ!」
次に罵声。
煙草を口に咥えたお父さんは、いつもと変わらずパジャマ姿で外出した様子がない。怒鳴るたびにパジャマの左足の部分が所在なさげにひらひらと揺れていた。
事故で左脚がなくなってからはもっぱら家でお酒を呑むことに生き甲斐を見出していた。
「あなた、そんなこと言うのはやめて」
「うるさい、黙ってろ!」
投げつけられたビンが私の足元で割れる。
幸い私に直接当たらなかったものの、ビンが床にぶつかった音と割れた音で身体の芯が震えた。
「おっと、酒が切れたぞ。買って来い。お前の小遣いで」
「お金なんてない」
とっくの昔にほとんどお小遣いなんて貰っていない。
お使いに行かされた時にお釣りの数十円を貰う程度だ。
「だから俺は高校なんか辞めさせて働かせろって言っただろ!」
こんな感じの父も今の姿からは想像もつかないが、昔は家庭を顧みる優しい父だった。
仕事で疲れた身体に鞭打って日曜日には山に登ったり、海や遊園地に連れて行ってくれたこともあった。
私は心のどこかであの頃の家族を取り戻したいと、思っているんだと思う。
それが不可能だとわかっていても。
それが夢物語だとわかっていても。
不可能な夢物語にすがりつきたい!
「お父さん、これ」
おずおずと部屋から持ってきたモノを出す。
「あ?」
「早く脚が治るようにと思って」
治るわけがないことは知っている。
こんなものを貰っても左膝から下が生えてくるわけはない。
でも、私はその言葉が言いたかった。
この千羽鶴と共に。
「ふざけるな! こんなもん作る暇あったら金を稼いで来い!」
私の手からひったくられ床に叩き付けられる鶴。
羽が折れ、首が曲がり、あちこちが破れる。
破れた部分から私が書いた父との思い出がはみ出す。
「あはは、お父さん……ダメだよ……」
無理な笑顔を作り、バラバラになった鶴をかき集めもう一度父の手に乗せる。
「何がおかしいんだ! 俺を馬鹿にしやがって、お前も会社の連中と同じなのか!」
父の手を包み込むようにして渡した千羽の鶴は――数秒の間も父の手の中に収まる事はなかった。
鶴は今度はゴミ箱へ。
「ごめんなさい」
「なんだこりゃ……一緒に行った遊園地楽しかったよ? なんだこりゃもしかして一 枚一枚にわざわざ変な文章書いて折ったのか。そいつはご苦労なことで」
ゴミ箱に捨てた衝撃で鶴がバラバラになったらしい。
「いいから酒を買って来い! ぬうっ!」
脚が片方無いのと酔いも手伝い、ゴミ箱に蓋をしようとしたお父さんはバランスを崩してしまう。
そして大した受身も取れず、派手な音を立てて床に叩きつけられてしまう。
「お父さん!」
咄嗟に腰を落とし、私は手を差し伸ばす。
「触れるな!」
唾を飛ばし拒絶の言葉を吐く。
手をはねのけようとした父の手が私の頬に当たり、その拍子に眼鏡が床に落ちた。
さして強く当たったわけではないが、殴られた頬が熱い。その熱さに耐え切れず、無意識に身をよじってしまう。
「なんだその目は。誰のおかげで暮らしていけてると思ってるんだ! 無駄飯ばかり 食うクズの癖に、目つきだけは一人前だ/な、お前は!」
言葉を最後まで聞かずに、リビングを飛び出した私は階段をゆっくりと定規で引いた線のようにまっすぐと上り始める。
もう、迷いは無かった。
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