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第三章
第一話
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二人とも、授業が終わって、俺はいつもとは違う路線の電車に乗っていた。
帰宅ラッシュと重なって、俺たちは窓際に追い詰められている。でも紫ノくんは僕の壁になるように立ってくれていた。
「紫ノくん、ごめんね」
イヤホンの片耳を貸してくれて、一緒に音楽を聴きながら、俺は人に揉まれている紫ノくんに小声で謝った。紫ノくん、きっといつもなら端によって、自分の方に人が寄って来ないような位置に立っているのだろうな。でも俺がいるから、少しでも乗り心地がいいようにとスペースをくれているのだ。
俺の右肩の上くらいの壁に手をついて、紫ノくんは意外にもきっちりと筋肉のついた腕で、自重を支えていた。
「別に、平気だよ」
「でも、人混み嫌いでしょ?」
「うん」
「だよね。降りたらスーパーでも寄って帰ろう。俺奢るよ。夕飯作るから」
「費用折半ならいいよ」
紫ノくんの提案に、俺は頷いた。こうやって俺を守ろうとしてくれる紫ノくんに俺ができることがあるなら、してあげたかったのだ。
そしてなんとか俺たちは電車を降りると、紫ノくんに案内してもらいながら、俺は知らない街を歩く。
「図書館、家から十分のところにあるんだ」
「ええ、紫ノくんめちゃくちゃ嬉しいんじゃない?」
「うん、嬉しい」
それから紫ノくんは、裏路地を歩く猫に名前が七つあることなどを教えてくれた。ぶち、と紫ノくんは呼んでいるらしい。黒縁メガネをしているような模様があるから、というのが理由だそうだ。
「紫ノくんの実家からここまでどれくらいあるんだっけ」
「一時間くらい」
「遠くもなく、でも近いとも言えないね」
「電車で来れる距離だし、車で行けば、もうちょっと早いよ」
そんなことを話しながら、俺たちはスーパーに辿り着いた。
「ここ、形が崩れてたり、賞味期限が近い商品を売ってる店なんだ。でも別に形が崩れてても味は一緒だし、消費期限を過ぎてるわけじゃないから、僕はここ、使ってる」
「へ~、こんなとこあるんだ」
店の外に並べられた野菜や果物は、よくみて見れば確かに形が崩れていたり、奇妙な育ち方をしているものもある。でも値札を見れば、俺は目を見開いた。
「五十円!?」
「ね、安いでしょ」
「うん、すごい安い。マジかあ、俺、ここに通おうかな……」
「僕と一緒に暮らす?」
「うん。……うん?」
俺は紫ノくんを見た。紫ノくんはどこ吹く風でカゴを持って、中に入っていく。もしかして俺は、外堀から埋められようとしているのだろうか。
(いや、気持ちを強く持て、田手日生! お前は一人の男だ。染崎紫ノに人生を左右されるなんて、そんなこと、あってはならない!)
俺は呼吸を整えると、さっさと中に入っている紫ノくんの背を追った。
店の中、並ぶ商品は確かに一見不良品に見えるけど、紫ノくんはいつもここで買い物していると言う。他の買い物客もみんな当たり前の顔で規格外の玉ねぎを取っていたり、伸び過ぎた大根を手にしている。
俺は途中から、商品の形なんて気にしないで、必要な材料を買った。豚バラ炒めのもとも安かったから買った。今日は豚バラ大根だ。今日使うんだから、別に賞味期限が近ろうが困らない。
「良いとこだね、ここ。本当に家の近くに欲しい」
「じゃあ、俺と夕飯、時々食べてよ。材料費出すからさ、その代わり、作って」
「マジ? 良いよ。今日の俺の料理の腕前見て言って」
「わかった」
そして俺たちは会計を終えると、二人で帰路に着く。
階段を登って、坂道をのぼって。
荷物はいつの間にか、紫ノくんが持っていた。俺は最初、手を伸ばしたけど、ひらりとかわされてしまう。
「紫ノくん、今度は俺に持たせてね」
「今度があるの?」
「え、あ」
俺は肯定したら良いのか否定したら良いのかわからなくて、黙った。
でも紫ノくんはそんな、曖昧模糊な俺を追い詰める。
「自分を好きだって言ってる男の家に簡単に来るなんて、日生くんってたまに考えてない時あるよね」
「いやだって、それは紫ノくんの家だから……!」
「わかってるよ。でもそれって俺のこと、意識してないってことだよ」
俺は黙った。意識していないわけじゃない。でも、やっぱり安心感がある、というところはあって。今のこの瞬間指摘されるまで、俺は紫ノくんに襲われるなんて考えたこともなかったし、紫ノくんが男であることも、忘れていた。自分に性欲を抱く存在であることを。
……いや、抱いているのか? 俺とキスしたいとか思うのかな。
「紫ノくんはさ」
「うん」
全然スマートに聞けない。紫ノくんは冷静に見えるのに。
「あー、えっと、あのー、キスしたいとか、思うの? 俺と」
「そうだね」
「そ、そっかぁ」
なんでもないように頷かれて俺は坂道を登りながら、別の意味で顔を赤くしていた。
どうして紫ノくんはこんなにも冷静に、自分の心のうちを明かせるのだろう。俺なんか、こんな質問されたらてんぱって誤魔化そうとするか、もじもじするか。どちらにせよ、ちゃんと答えられる自信はない。
俺はどうにか紫ノくんの余裕を崩したくて、空いている手に手を伸ばしてみる。
小指を握った。すると、俺が見上げていた背が振り返った。
夕焼けに照らされて、その顔色はわからなかったけど、でも、多分。
帰宅ラッシュと重なって、俺たちは窓際に追い詰められている。でも紫ノくんは僕の壁になるように立ってくれていた。
「紫ノくん、ごめんね」
イヤホンの片耳を貸してくれて、一緒に音楽を聴きながら、俺は人に揉まれている紫ノくんに小声で謝った。紫ノくん、きっといつもなら端によって、自分の方に人が寄って来ないような位置に立っているのだろうな。でも俺がいるから、少しでも乗り心地がいいようにとスペースをくれているのだ。
俺の右肩の上くらいの壁に手をついて、紫ノくんは意外にもきっちりと筋肉のついた腕で、自重を支えていた。
「別に、平気だよ」
「でも、人混み嫌いでしょ?」
「うん」
「だよね。降りたらスーパーでも寄って帰ろう。俺奢るよ。夕飯作るから」
「費用折半ならいいよ」
紫ノくんの提案に、俺は頷いた。こうやって俺を守ろうとしてくれる紫ノくんに俺ができることがあるなら、してあげたかったのだ。
そしてなんとか俺たちは電車を降りると、紫ノくんに案内してもらいながら、俺は知らない街を歩く。
「図書館、家から十分のところにあるんだ」
「ええ、紫ノくんめちゃくちゃ嬉しいんじゃない?」
「うん、嬉しい」
それから紫ノくんは、裏路地を歩く猫に名前が七つあることなどを教えてくれた。ぶち、と紫ノくんは呼んでいるらしい。黒縁メガネをしているような模様があるから、というのが理由だそうだ。
「紫ノくんの実家からここまでどれくらいあるんだっけ」
「一時間くらい」
「遠くもなく、でも近いとも言えないね」
「電車で来れる距離だし、車で行けば、もうちょっと早いよ」
そんなことを話しながら、俺たちはスーパーに辿り着いた。
「ここ、形が崩れてたり、賞味期限が近い商品を売ってる店なんだ。でも別に形が崩れてても味は一緒だし、消費期限を過ぎてるわけじゃないから、僕はここ、使ってる」
「へ~、こんなとこあるんだ」
店の外に並べられた野菜や果物は、よくみて見れば確かに形が崩れていたり、奇妙な育ち方をしているものもある。でも値札を見れば、俺は目を見開いた。
「五十円!?」
「ね、安いでしょ」
「うん、すごい安い。マジかあ、俺、ここに通おうかな……」
「僕と一緒に暮らす?」
「うん。……うん?」
俺は紫ノくんを見た。紫ノくんはどこ吹く風でカゴを持って、中に入っていく。もしかして俺は、外堀から埋められようとしているのだろうか。
(いや、気持ちを強く持て、田手日生! お前は一人の男だ。染崎紫ノに人生を左右されるなんて、そんなこと、あってはならない!)
俺は呼吸を整えると、さっさと中に入っている紫ノくんの背を追った。
店の中、並ぶ商品は確かに一見不良品に見えるけど、紫ノくんはいつもここで買い物していると言う。他の買い物客もみんな当たり前の顔で規格外の玉ねぎを取っていたり、伸び過ぎた大根を手にしている。
俺は途中から、商品の形なんて気にしないで、必要な材料を買った。豚バラ炒めのもとも安かったから買った。今日は豚バラ大根だ。今日使うんだから、別に賞味期限が近ろうが困らない。
「良いとこだね、ここ。本当に家の近くに欲しい」
「じゃあ、俺と夕飯、時々食べてよ。材料費出すからさ、その代わり、作って」
「マジ? 良いよ。今日の俺の料理の腕前見て言って」
「わかった」
そして俺たちは会計を終えると、二人で帰路に着く。
階段を登って、坂道をのぼって。
荷物はいつの間にか、紫ノくんが持っていた。俺は最初、手を伸ばしたけど、ひらりとかわされてしまう。
「紫ノくん、今度は俺に持たせてね」
「今度があるの?」
「え、あ」
俺は肯定したら良いのか否定したら良いのかわからなくて、黙った。
でも紫ノくんはそんな、曖昧模糊な俺を追い詰める。
「自分を好きだって言ってる男の家に簡単に来るなんて、日生くんってたまに考えてない時あるよね」
「いやだって、それは紫ノくんの家だから……!」
「わかってるよ。でもそれって俺のこと、意識してないってことだよ」
俺は黙った。意識していないわけじゃない。でも、やっぱり安心感がある、というところはあって。今のこの瞬間指摘されるまで、俺は紫ノくんに襲われるなんて考えたこともなかったし、紫ノくんが男であることも、忘れていた。自分に性欲を抱く存在であることを。
……いや、抱いているのか? 俺とキスしたいとか思うのかな。
「紫ノくんはさ」
「うん」
全然スマートに聞けない。紫ノくんは冷静に見えるのに。
「あー、えっと、あのー、キスしたいとか、思うの? 俺と」
「そうだね」
「そ、そっかぁ」
なんでもないように頷かれて俺は坂道を登りながら、別の意味で顔を赤くしていた。
どうして紫ノくんはこんなにも冷静に、自分の心のうちを明かせるのだろう。俺なんか、こんな質問されたらてんぱって誤魔化そうとするか、もじもじするか。どちらにせよ、ちゃんと答えられる自信はない。
俺はどうにか紫ノくんの余裕を崩したくて、空いている手に手を伸ばしてみる。
小指を握った。すると、俺が見上げていた背が振り返った。
夕焼けに照らされて、その顔色はわからなかったけど、でも、多分。
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