幼き改革者、皇孫降臨 〜三歳にして朝廷を震わせる〜

由香

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後日談番外編|問いの先にあるもの

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 瑞栄王朝に、春が来ていた。

 御苑の木々は芽吹き、
 かつて血の匂いを含んでいた風は、
 今では土と花の香を運んでいる。

 皇孫・凌曜は、五歳になっていた。

 背は伸び、歩幅も大きくなったが、
 相変わらず、表情は穏やかで、声は静かだった。

「監国殿下、本日はここまでで」

 若い官吏が、深く頭を下げる。

 地方学舎の報告。
 新制度による登用者の一覧。
 不正の兆しについての、初期調査。

 凌曜は、低い机の前に座り、
 それらをすべて聞き終えると、首を傾げた。

「……このひと」

 小さな指が、名簿の一人を指す。

「はい」

「……いそがしすぎ」

 官吏は、一瞬言葉に詰まった。

「それは……優秀ゆえに、仕事が集中しておりまして」

 凌曜は、少し考える。

「……つかれる」

「……はい」

「……まちがえる?」

 官吏は、息を呑んだ。

「……可能性は、あります」

 凌曜は、紙に小さな丸を描く。

「……ふやす」

「え?」

「……ひと」

 その場にいた者たちは、誰もが理解した。

 個人の能力ではなく、構造の問題だと。

「分かりました。配置を見直します」

 凌曜は、うなずいた。

 それで終わりだった。

 命令ではない。
 だが、誰も逆らわない。

 なぜなら彼は、責任を押しつけないからだ。

 昼下がり。

 凌曜は、景帝のもとを訪れていた。

 かつてよりも老いは進んだが、
 その眼光は、なお鋭い。

「最近は、どうだ」

「……いそがしい」

 景帝は、苦笑する。

「それは、余のせいだな」

 凌曜は、首を振った。

「……ひとが、ふえた」

「ほう」

「……こえも」

 景帝は、黙って聞く。

「……こわい?」

 ふいに、凌曜が問う。

 かつて、自分がしたのと同じ質問。

 景帝は、少し考え、答えた。

「昔よりは、怖くない」

「……どうして」

「皆が、問うようになったからだ」

 凌曜は、目を伏せる。

「……よかった」

 その言葉は、誰に向けたものでもなく、
 ただ、胸の内から落ちた音だった。

 夕方。

 凌曜は、学舎の一つを訪れていた。

 身分も年齢も違う子どもたちが、
 同じ机で、同じ字を学んでいる。

 かつてなら、あり得なかった光景。

 教師が、凌曜に気づき、慌てて礼を取ろうとするが、彼は小さく手を振った。

「……つづけて」

 子どもたちは、最初は緊張したが、
 すぐに筆を動かし始めた。

 一人の少年が、ちらりと凌曜を見る。

「……あのさ」

 小さな声。

「なに?」

「ほんとに、こわくないの?」

 凌曜は、首を傾げる。

「……なにが?」

「えらいひと」

 凌曜は、少し考えた。

「……えらい、って」

 言葉を探す。

「……きめる、じゃない」

 少年は、目を瞬かせる。

「……きく」

「きく?」

「……きいて、かんがえる」

 それだけ言って、凌曜は窓の外を見た。

 風に揺れる木々。
 遠くの城壁。

 少年は、しばらく黙ってから、笑った。

「じゃあさ、ぼくもきいていい?」

 凌曜は、うなずいた。

 その様子を、教師は静かに見守っていた。

 ――この国は、もう戻らない。

 夜。

 凌曜は、自室で絵を描いていた。

 以前描いた、丸が並ぶ絵。

 そこに、新しく線を足す。

 丸と丸を、ゆるやかにつなぐ道。

 景帝が、そっと覗き込む。

「また、道か」

 凌曜は、うなずく。

「……ひと、つながる」

「どこへ行く?」

 凌曜は、しばらく考え、答えた。

「……わからない」

 景帝は、笑った。

「それでいい」

 わからないから、問う。
 問うから、進む。

 凌曜は、筆を置き、景帝を見上げる。

「……ねぇ」

「どうした」

「……ぼく」

 言葉を選ぶ。

「……ちゃんと、できてる?」

 景帝は、即座に答えなかった。

 ただ、凌曜を抱き上げる。

「できているかどうかは、いつか国が決める」

「……そっか」

「だがな」

 景帝は、静かに続ける。

「少なくとも、余は誇りに思っている」

 凌曜は、何も言わなかった。

 ただ、少しだけ、
 本当に少しだけ、口元が緩んだ。

 その夜、記録官はこう書き残す。

 ――瑞栄王朝が安定を取り戻した理由は、
 優れた皇帝がいたからでも、
 賢い官僚が揃ったからでもない。

 ――問いを恐れぬ子が、
 問いを許す国を作ったからだ。

 幼き改革者は、
 今もなお、問い続けている。

 それが、この国の最も強い礎であることを、
 人々は、もう知っている。




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