悪女と呼ばれた令嬢は、親友の幸せのために婚約者を捨てた

由香

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第4話 真実の代償

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 最初に異変に気づいたのは、侍女長のエレノアだった。

 長年、公爵家に仕えてきた彼女は、リュシエンヌ・アルヴェールの変化を見逃さない。
 姿勢、歩幅、視線の落とし方。
 どれも以前と変わらぬようでいて、確実に違っていた。

(……限界が近い)

 夜更け。
 侍女として部屋を訪れたエレノアは、机に向かう主の背に、かすかな揺れを見た。

「お嬢様」

 声をかけると、リュシエンヌはゆっくりと振り向く。

「何かしら」

 微笑は、完璧だった。
 だからこそ、痛々しい。

「本日は、もうお休みを」

「ええ。そのつもりよ」

 立ち上がろうとした瞬間、足元がふらつく。
 エレノアは即座に駆け寄った。

「無理をなさらないでください」

「……平気」

 だが、その声には力がなかった。

 ベッドに腰を下ろしたリュシエンヌは、しばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。

「ねえ、エレノア」

「はい」

「私は、間違っていないわよね」

 問いというより、確認だった。

 エレノアは、一瞬だけ目を閉じた。

「お嬢様は、誰かを守るために、ご自分を犠牲にされました」

 それは、事実だった。

 王太子が、ある伯爵令嬢に目をつけたこと。
 その令嬢が、カイルの想い人であること。
 拒めば家が潰されると、脅しに近い形で迫られていたこと。

 すべてを知ったリュシエンヌは、即座に理解した。

 このままでは、彼女も、カイルも、破滅する。

 だから彼女は、王太子の関心を完全に断ち切る方法を選んだ。
 自らの価値を地に落とすという、最も確実なやり方を。

「……あの方は、強いお方です」

 エレノアは静かに続ける。

「ですが、優しすぎる」

 リュシエンヌは、何も言わなかった。
 ただ、目を伏せた。

 翌日。
 騎士団の詰所で、カイルは思いがけない人物に呼び止められた。

「カイル・レイフォード」

 公爵家付きの老騎士、グラント卿だった。

「少し、話がある」

 応接室に通され、扉が閉まる。

「……お前は、何も知らないままなのだな」

 前置きもなく、そう切り出された。

「何の話ですか」

「公爵令嬢のことだ」

 心臓が、嫌な音を立てる。

「彼女が、なぜ婚約を捨てたのか」

 カイルは、息を詰めた。

「……理由は、本人が言わない」

「言えなかったのだ」

 老騎士の声は、重い。

「言えば、お前が巻き込まれる」

 その一言で、全身の血が引いた。

「どういう……」

「王太子は、権力を振りかざすお方だ。そして、お前の存在は――弱点になり得た」

 言葉の意味が、ゆっくりと染み込んでくる。

「まさか……」

「そうだ」

 グラント卿は、視線を逸らした。

「公爵令嬢は、お前を守るために、あえて“捨てられる女”になった」

 沈黙。

 耳鳴りがする。

「……そんな」

 否定したかった。
 だが、思い返せば、すべて辻褄が合う。

 彼女の即答。
 冷たい態度。
 理由を語らなかった沈黙。

「では、俺は……」

 声が震える。

「俺は、何も知らずに、彼女を……」

「拒んだな」

 グラント卿は、はっきりと言った。

「親友という言葉で、距離を保ち、彼女の覚悟を踏みにじった」

 胸が、締めつけられる。

 思い出すのは、あの回廊での会話。

 ――親友よ。それ以上でも、それ以下でもない。

 あれは、彼女が自分を守るための、最後の壁だったのだ。

「……俺は」

 言葉にならない。

「気づいたなら、どうする」

 問われて、カイルは拳を握りしめた。

「行きます」

 即答だった。

「今すぐ」

 夜。
 リュシエンヌは、一人で窓辺に立っていた。

 月明かりが、銀色の髪を照らす。

(もう少し)

 あと少し耐えれば、すべてが終わる。
 そう思っていた。

 その時、扉が強く叩かれた。

「リュシエンヌ!」

 聞き慣れた声。

 胸が、大きく跳ねる。

「……どうして」

 扉の向こうで、カイルが息を切らしている。

「話がある」

 それは、今までとは違う声だった。

 逃げ場のない、真剣な響き。

 リュシエンヌは、目を閉じ、静かに扉へ向かった。

 ――真実が、今、代償を伴って明かされようとしていた。




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