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最終話 悪女と呼ばれなくなった日
しおりを挟む春の訪れは、いつも噂とともにやってくる。
王城の庭園に咲き始めた白い花を眺めながら、
リュシエンヌは、そんなことを考えていた。
「……静かね」
隣に立つカイルが、空を仰ぐ。
「嵐の後だからな」
その言葉通り、社交界は今、奇妙なほど落ち着いていた。
かつて彼女を刺すように向けられていた視線は、
今では遠慮がちに逸らされるか、
あるいは、慎重な敬意を帯びて向けられる。
悪女。
その呼び名は、いつの間にか口にされなくなっていた。
理由は、単純だ。
王太子が失脚した。
正確には、権力の乱用が明るみに出ただけだが、
貴族社会においては、それで十分だった。
「……不思議ね」
リュシエンヌは、小さく呟く。
「私、何も説明していないのに」
「真実は、勝手に歩くものだ」
カイルは、そう言って微笑んだ。
伯爵令嬢を守ろうとした件も、王太子の圧力も、
そして、彼女が一人で責任を引き受けた事実も。
誰かが声高に叫んだわけではない。
それでも、点と点が繋がり、
社交界は、正しい結論に辿り着いた。
――悪女ではなかった。
――むしろ、誇り高い令嬢だった。
「名誉が戻ったわね」
「欲しかったか?」
少し意地の悪い問い。
リュシエンヌは、少し考えてから首を横に振った。
「いいえ」
そして、隣を見る。
「あなたが信じてくれれば、それで十分」
カイルは、照れたように咳払いをした。
「……それを最初に言われていたら、もっと早く気づけたかもしれないな」
「それは、あなたの責任よ」
「否定しない」
二人は、同時に笑った。
かつて、彼女はこの庭園で、
孤立する未来を想像していた。
誰にも近づかれず、
誰にも理解されず。
だが今、隣には彼がいる。
守るためではなく、
並ぶために。
「ねえ、カイル」
「何だ」
「私、もう“悪女”じゃないのよね」
彼は、少し考える素振りを見せてから答えた。
「いや」
意外な返事に、彼女は眉を上げる。
「違うの?」
「悪女だ」
「……どういう意味かしら」
カイルは、真面目な顔で言った。
「必要な時に、世界を敵に回せる女だ」
一瞬、きょとんとした後、
リュシエンヌは吹き出した。
「それ、褒めているの?」
「最高の賛辞だ」
そう言って、彼は彼女の手を取る。
公の場で、隠す必要はもうなかった。
指と指が絡み、
その温もりが、確かな現実として伝わる。
「……あなたが恋人でよかった」
ぽつりと零れた言葉。
カイルは、少し驚いたように目を瞬かせ、
それから、柔らかく微笑んだ。
「俺もだ」
夕暮れの庭園を、風が抜けていく。
花びらが舞い、
遠くで鐘の音が響いた。
悪女と呼ばれた日々は、彼女の過去になった。
だが、その選択があったからこそ、
今の未来がある。
リュシエンヌは、空を見上げる。
(間違っていなかった)
そう、胸の奥で静かに確信した。
愛する人を守るために、
すべてを引き受けたあの日も。
そして今、
その人と共に歩くこの日も。
悪女と呼ばれた令嬢は、
もう誰かの噂の中にはいない。
彼女はただ、
一人の女性として、
選んだ幸せの中に立っていた。
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