浄罪師 ーpresent generationー

弓月下弦

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【伍章】光に向かう蛾と闇に向かう真実

決戦

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灯蛾の赤い眼から一筋の涙が流れ落ちた。

「泣いているのか?灯蛾」

蒼は恐る恐る、灯蛾に近づいて行く。灯蛾の眼はさらに赤くなっている。

「鞍月蒼…俺を殺してくれ…もう、終わりにしたいんだ」

人間である灯蛾の声で彼はそう言った。

「灯蛾…お前」

「謝って許されることじゃない…でも、せめて死をもって償いたいんだ」

「灯蛾…」

灯蛾は眼を見開いて蒼の前に差し出す。その赤く輝く眼は、何処か懐かしい灯蛾の瞳だった。

蒼は小さく頷くと、背中から刀を抜き取ると、力強く握り締めた。

「あの頃はありがとう。灯蛾…忘れないよ」

「ああ、俺も忘れないさ…決して」

蒼は深呼吸をすると、持っていた刀を灯蛾の左眼に突き刺した。

その途端、灯蛾は大声で叫び始めた。獣のような声で鳴いた灯蛾は、大きく痙攣し始めた。

赤い眼からはドクドクと赤い液体が流れ出している。

「蒼…アオイ…アオイ…ヨクモオレノ眼を…オレノ眼ヲ…」

灯蛾の異変に気がついた蒼は、慌てて遠ざかる。

「まだ生きている?」

眼に突き刺した刀は、確かに灯蛾の脳天にも届いていたはずだ。それなのに灯蛾はまだ生きている。それ
は常識では考えられないことだった…

すると、真雛が蒼の横に現れた。

「蒼、お前の持っている刀では灯蛾を殺せません」

「どうして…」

「どうやら灯蛾は、完全に悪魔化した訳では無いようです。彼は昔の記憶をまだ持っています。人間だっ
た頃の記憶を持っている限り、彼の中に人間的要素は残っているのです」

それを聞いた蒼は、地面に崩れ落ちた。

「おいおい…それじゃあどうすれば良いんだよ」

「我が灯蛾の命を奪います」

「真雛様が?」

「もしかしたら、我が原因なのかもしれないのです。それに、灯蛾が弱っている今なら出来るかもしれま
せん」

そう言って、真雛は灯蛾の前に立ちはだかった。

「灯蛾…我が憎いのですね。月影の魂を捨魂した我が」

「月影」と聞いた瞬間、灯蛾の右眼は大きく見開いた。

「ツキカゲハ…オマエノセイデ…死ンダ…カエセ…カノジョノ魂ヲカエセ…」

「でも、今の灯蛾を見たら月影は何と思うのでしょうか」

すると、灯蛾の体の動きがピクリと止まった。

「イマノ…俺…」

「もう、いい加減にしなさい」

「イイカゲン二…スル?」

真雛は、両手を天に向けて掲げると、

「綺麗に消してあげます、あなたの魂を」

「ナニヲスルキダ…マヒナ」

「捨魂開始」

真雛の一声で、たちまち周囲に光が差込み、灯蛾の体全体を包み込んだ。

「ヤメロ…ヤメロ…オレのタマシイヲシャコンスルキカ」

「灯蛾に永遠の眠りを…」

すると、灯蛾の体を覆う甲羅が溶け始め、肉片の塊だった皮膚もドロドロに溶けていき、

灯蛾はみるみる内に元の大きさにまで縮小していった。

 一瞬ではあるが、人間だった頃の灯蛾の顔が見え、蒼ははっと息を飲んだ。ただ一つ救いだったこと
は、灯蛾の最後の表情が安らかであったことである。憎しみや怒り、不安一つ無いような表情で、灯蛾は
微笑んでいた。

やがて全て溶け、真雛の合図により、灯蛾の体は光の一部となって、夜空に飛び散っていった。月の無い
夜空に舞った灯蛾の光は一瞬、月光のように周囲を照らした。

「灯蛾…安らかに眠りなさい」

真雛はそっと小さな声で呟くと、蒼たちのもとへ戻った。

「真雛様…もう終わったのですね」

蒼がそう言うと、彼女は頷いた。

「とうとう終わったのね…」

柏木も安堵の息を漏らす。

「灯蛾は昔、優秀な使徒だったのに、いつからか別人のようになってしまったよな」

拝島は不思議そうにそう言った。すると、真雛が口を開いた。

「灯蛾には長年一緒にいた月影という女性がいたのです」

「月影…?」

「そうです。しかし、彼女は人間を殺してしまいました。そこで、灯蛾は我に彼女の捨魂をしないように
と頼んできたのです」

「あの灯蛾が…」

「我は彼の頼みごとを断りました。それから灯蛾は我のもとから姿を消したのです」

「そうだったのですか…」

拝島は下を向いて、悲しそうにそう言った。

「月影は、灯蛾にとって、特別な存在だったはずです。夜空に浮かぶ月のような存在だったのでしょう」

「月…?」

伊吹は首を傾げて真雛に問いかける。

「月が無いと何も見えない…彼女がいない世界では灯蛾は自分さえ見失ってしまったのでしょう」

「灯蛾…俺たちには一言も言ってくれなかったな」

拝島が言うように、灯蛾は仲間である蒼たちには一言もそのことを話していなかった。それは、蒼たちを
仲間だと思っていなかったからなのだろうか…

「灯蛾は、一人で抱え込む性格ですからね」

真雛はそう言うと、月の姿が見えない夜空を見上げた。

「仲間なら…相談くらいして欲しかったな…」

蒼は自分たちが灯蛾にとって、単なる他人でしかなかったのかと感じ、虚しくなった。

「いいえ、灯蛾はあなたたちのことを仲間だと思っていましたよ」

「…本当ですか?」

「はい、灯蛾は仲間であるあなたたちに心配を掛けたくなかっただけです」

「……灯蛾」

確かに灯蛾は何でもかんでも一人で抱え込む癖があった。自分がした失敗は最後まで自分一人で処理して…
誰かに手伝いを求めることは無かった。

それでも、蒼たちが任務でミスをすると助けてくれた。

灯蛾は自分より人の心配をしていた。

今更、それに気がついた。

蒼は胸が痛くなり、瞳から一筋の涙が流れた…

「灯蛾はわざと、新月の日を選んだのでしょう」

「わざと?」

「悪魔化してしまう自分を知っていたのでしょう。だから月影を思い出させる月の下に醜い自分をさらけ
出したくなかったのでしょう」

「なんだか、灯蛾が可哀相になってきたなぁ…」

涙を浮かべ、鼻を啜りながら伊吹はそう言った。

「そうですね…」

「灯蛾との思い出が思い出せないのは俺だけか…」

伊吹は悲しそうに呟く。彼はまだ全ての記憶を取り戻していなかったのだ。

「伊吹も直に思い出すでしょう…」

真雛は微笑んで、夜空を仰ぎ見た。つられて四人も夜空を眺める。

夜空に浮かぶ星たちは月が無い分、より一層光り輝いて見えた。

けれども、月が浮かばない夜は何処か、周囲が見えづらかった。
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