上 下
12 / 30

ユーリ

しおりを挟む
「翡翠、気持ちは解るけど、こういう時にそんな大声を出すものじゃないよ」 
そう言ってユリは苦笑いしたが、私は笑い事ではなかった。
「ユ、ユリ、これは何?」
私が恐る恐る尋ねると、ユリは悪戯っぽく笑って私の手をそこに誘導する。
「触って確かめたら?」
私は寸前でユリの手を振り払い、両手をハンドアップさせた。
「無理無理無理無理無理無理!!だって、それ──」
男のシンボルじゃん。
「何?」
私が恥ずかしがって核心を濁すと、ユリはニヤニヤと意地悪に笑って壁ドンならぬ床ドンして私を見下ろす。そうなるとユリの下半身が私の下半身に圧し当てられ、私はあまりの羞恥心に泣きそうになった。
「なぁ、翡翠、これでも俺らはエッチ出来ないって?」
ユリは声を低くして、更にそこを押し付けてくる。
「ストップ!ストップ!待って!待って!たんまっ!!」
あまりの事象に頭がついていかない。
私が両手でユリの胸板を押し返すと、女性とは明らかに違った硬度な筋肉に触れた。

ユリはやっぱり男なんだ。

そういう目で見てみると、ユリの涼しげで凛とした目元や鼻筋は美少年と言われても不思議はない。セキレイさんに比べて肩幅はないが、多分脱いだら普通に筋肉が付いていて、それなりに力も強いだろう。
そうなると、急に私は自分が貞操の危機にあると自覚する。
「あの、ユリ、とりあえずちょっと落ち着いて話そう」
私の渾身の笑顔は盛大にひきつっていた。
「いいよ、何が知りたい?」
ユリはそのままの体勢で尋ねる。
え、このまま話すの? 
私は極力腰をベッドに沈めたが、あまり状況は変わらない。
「ユリが男なら、なんで女の子の格好をしているの?」
私はユリの熱視線を避けて伏し目がちに尋ねた。
「元々好きで女装してるんじゃなくてね、鷹雄さんに拾われた時に約束したんだよ」
「約束?」
「ああ、1つは、俺を養う代わりに特別枠の献上品として戦場で王の小姓役を果たすという事。もう1つはちょっと話せないけど」
「小姓って?」
聞き慣れない言葉だ。
「この国での隠語みたいなものだけど、戦場に女は連れて行けないから、女の代わりに夜の相手をさせる少年の事を言うんだよ」
そう言ってユリは笑ったけれど、私と同様に上手く笑えていなくて、きっと彼は、男でありながら王や鷹雄さんの相手をする事に嫌悪感を持っていて、自分が小姓役をしている事を私に知られるのも、本当は凄く嫌だったんじゃあないかと思った。それに、やり方は解らないけれど、恐らく男が男に組敷かれるのはとても屈辱的な事だとも思う。しかもいつ死ぬともわからぬ戦場においては、極限状態にも陥るだろう。
私は急に目の前の少年が可哀想に思えた。
「ユリは女の子が好きなのに、辛くないの?」
きっと辛くない訳がない。
それでもユリはあっけらかんと笑ってみせた。
「慣れた。翡翠だって、王の事が好きじゃなくても、将来王に抱かれる為に指南を受けるだろう?それと同じだよ」
「うん……」
そんなの、まだ先の事だと思ってあまり深く考えていなかったけど、セキレイさん以外の人とそういった事をするのは考えられない。
セキレイさん以外の……?
あれ……
言い方を変えたら、セキレイさんとしかやりたくないって事になる。
あれあれ?私、これじゃあ……
「どうしたの?翡翠」
ユリが、ぼーっとしていた私の顔を覗き込んだ。
「え?いや、何でもない」

まるで私がセキレイさんを好きみたいじゃない。

「じゃあ、翡翠、もういいだろ?これ以上我慢出来ない」
ユリは静まり返る私の胸板にキスして、少しずつ下に進み出す。
「あ!ユリ!待って!駄目駄目!」
私は我に返ってユリの頭を両手で押さえる。
こんないかがわしいユリ、私は知らない。
「俺、ユリじゃないよ。本名は張間ユーリ」
臍の辺りにユリの熱い吐息を感じる。  
「ユーリ?」
ユリの本名?
ユリの別の名前を聞くと、ユリそのものが別人の、知らない少年……いや、男性に思えた。
「そうだよ、ユリは女としての名前で、ユーリは男としての名前。でも俺が戦死しても、どっちも残らない。俺は歴史から抹殺される。だから翡翠だけは、俺の名前、覚えておいてよ」
一瞬、ユリの猛攻の手が止み、彼はやるせない顔をして、私は切なさでいっぱいになる。
ユリが死ぬ時、彼は世間から存在自体を否定され、何も遺せぬままひっそりと消え去るのだろう。
そう考えたら、私はユリを拒絶する事が躊躇われた。
私だけはユリもユーリも受け入れたい。彼の全てを受け入れたい。ユリが私にそうしてくれたみたいに。
この感情は極めて同情に近いものだったけれど、私がユリを好きな気持ちには違いなかった。
「翡翠、俺が君を抱いたら、君は俺の通行証を持って自由を掴むといい。献上の儀式で翡翠が処女じゃないってバレたら2人共処断されるし、何より翡翠を王にとられたくない」
「ぇひっ!?」
私は脱走しようだなんて考えてもみなくて、この場に相応しくない無粋な声を出した。
「私は脱走しないよ。側室になって、セキレイさんに国をプレゼントしてあげたいもの」
「セキレイさんに国をプレゼントしてあげたいのは解るけど、本当は側室にはなりたくないでしょ?」
ユリは私のお腹を裏手でなぜながら尋ねる。
「それはそうだけど……」
私は痛いところをつかれ、弱気になった。

「そんなにセキレイさんを愛してるの?」

ユリに思ってもみない事を聞かれ、私は目を見開く。
「私がセキレイさんを……?」
最初はセキレイさんの事が嫌いだったけど、今は心を揺さぶられるくらい彼が好き。でもその好意が、もしかして愛なのか、思い返してみると、思い当たるところが多々ある。
私がセキレイさんを?
────ないない。
私は心の中で首を振った。
それにセキレイさんは、私が愛してはいけない人だし。
「翡翠は俺の事、嫌い?」
少し元気が無さそうに首を傾いで尋ねるユリは、狡くてあざとい。
ユリの事は好きだけど、そんな風に母性をくすぐられては無下にも出来ない。
「嫌いじゃない」
「じゃあ好き?」
「大好き」
ユリの事が大好き、翠の事も大好き。2人とも大好きだけど、翠とはこんな事をしたいとは思わない。そうなるとユリともそんな気持ちにはなれないと思う。
でもユリは私の気持ちをそんな風に解釈してはいないようだった。
「良かった。じゃあ俺らは両思いで、恋人同士だな」
ユリは心底嬉しそうに笑顔を見せ、私の両手を絡め取ってカップル繋ぎをする。
「恋人同士?」
私は寝耳に水というか、人生で自分にそんなものが出来るなんて、想像もしていなかった。
「そうだよ、俺らは今から恋人同士だよ」
嬉しそうなユリに反して、私はセキレイさんへの罪悪感でいっぱいだった。
「でも私、献上品なのに、恋人なんて……」
これはいけない事だし、私もそれを望んでいないのに、ユリの身の上を思うと、拒絶の言葉は憚られる。
「翡翠は献上品じゃないよ。単なる女の子だよ。そして俺の彼女」
「単なる女の子……?」
もし私が単なる女の子だったら、セキレイさんとも……
「あれ……」

今、私、何を考えた?

「翡翠?翡翠?」
ユリに目の前で指を鳴らされ、私はまたしても我に返る。
「あ、ごめんユリ」
「駄目だよ。翡翠だけはユーリって呼んで。俺の事を男として見て」
キラキラした瞳でユリに下から見つめられ、私はそれから目を離せなくなった。
もしかしたらユリは、ずっと否定され続けてきた男の自分を誰かに認めてほしいのかもしれない。本当の自分を誰かに受け止めてほしいのだろう。
この人は本当に可哀想な人だ。深く傷付いているのに虚勢を張って、常に明るく、誰にでも親切にして、人から受け入れてもらおうと必死だ。
ユリを受け入れてあげたい。
でもセキレイさんを裏切れない。
私は側室になって、セキレイさんに国をプレゼントしたい。
私が葛藤していると、ユリの手が我が物顔で私の下着に差し込まれ、私は動転して卒倒する。
セキレイさんっ!!

ガチャン

私がセキレイさんの名を叫びかけると、部屋のドアが開かれた。
2人して玄関を見やると、そこにポンカンの入ったネットを持つセキレイさんがいた。
ポンカン……
セキレイさんのベッドで重なり合う私達と、手にしていたポンカンを落とすセキレイさん。
凄くシュールだと思った。
セキレイさんは一呼吸おくと土足のまま部屋に上がり込み、チェストをガサガサ荒らして棒状の鞭を取り出した。
「セキレイさんっ!?」
私は自分の貞操の危機よりもユリの生命に危機を感じ、彼の下から両手を振って目が血走ったセキレイさんを制止する。
てか、何で未だに鞭を持ってるんですかっ!
「おい、ユリ、今すぐそこをどいて尻を出せ」
重く圧し殺したセキレイさんの声が怖い。
「セキレイさんも、ソッチの趣味の人なんだ?」
ユリがセキレイさんを挑発するような発言をするものだから、私はとんでもなくまずい事になると冷や汗を流した。
「翡翠、こっちに来い」
セキレイさんが手に鞭を打ち付けながら命令してきたが、私もこの体勢を打破したいのはやまやまなのに、ユリがのし掛かっているせいで動けない。
「セキレイさん、落ち着いて下さい。ごめんなさい。私が献上品としての資格を奪われるような事は何もなかったんです。ごめんなさい。ちょっとした手違いなんです。ごめんなさい」
私はとにかくペコペコと頭を下げ、何とか大明神の怒りを鎮めようと試みるも、彼は人でも殺さんばかりに殺気だっていた。
「セキレイさん、俺は翡翠を愛していて、この子は俺が自由にしてあげます」
それはまるで『娘さんをください』と恋人が相手の父親に申し立てをしている様な感じだった。
「却下」
勿論、セキレイさんは譲らない。セキレイさんはベッド際に来て、そこからユリの首根っこを掴んで床に引き摺り下ろす。
ユリは上手い事受け身をとって怪我は回避したが、すぐにセキレイさんに馬乗りになられ、掴みかかられた。
「お前が翡翠を幸せに出来るかよ?中途半端な気持ちで偉そうな事を言うな」
セキレイさんがそうして凄んだが、ユリは怯む事なく彼を睨み返した。
「俺はセキレイさんみたいにヘマはしない。翡翠を自由にして、翡翠の望みも叶えてあげるんだ。覚悟だってある!」
ユリが暗に瑪瑙さんの事を示唆していて、見ているこっちが緊迫する。セキレイさんは、結果として瑪瑙さんを死なせてしまった事に大変な責任を感じている。それを引き合いに出されたら彼も黙ってはいられないだろう。
「何が望みだよ、翡翠は通行証を手にしても逃げずにここに残ったんだ。ここにいる事を選んだんだ」
「翡翠はあんたの為に自分が不幸になる事を選んだ。それであんたは幸せか?」
「お前に何が解るって言うんだよ?」
セキレイさんは鞭を投げ捨て、代わりに拳を振り上げた。ユリはそれを腕でガードしたが、腕ごと殴りつけられ、口を切って出血する。
「セキレイさん!やめて!」
私はベッドの上からセキレイさんの肩にすがりついたが、暴走した彼を止められない。
私はセキレイさんを自力で止める事を諦め、大人を呼びに部屋を飛び出すと、丁度そこに鷹雄さんがやって来る。私は説明も無しに鷹雄さんの手を引き、部屋へと連れて行く。
「どした?翡翠。そーんなあられもないかっこで人を部屋に連れ込んで。おじさんはそこまでロリコンじゃな──」
『い』と言いかけて、鷹雄さんは室内の惨劇を目の当たりにすると言葉を失う。そしておもむろに白衣のポケットに手を突っ込むとメスを取り出した。
「ちょっ、鷹雄さん!?」
何故、ポケットに裸の刃物が入ってる!?
私は慌てて白衣の裾を引っ張り、今度は鷹雄さんを止める。
この人に頼った私が馬鹿だった。
「やめてーーーー!セキレイさんを殺さないで!」
鷹雄さんは拳を振り上げるセキレイさんの首筋にメスを翳し、今にも頸動脈をかっ切らん勢いだ。
人選ミスったー!!
「セキレイ、うちの大事な献上品に傷を付けるとはいい度胸だ。医療ミスって事でお前を殺す」
いつも飄々としている鷹雄さんが怒るところを見るのは初めてだ。というか、白衣でちょっとニヒルに微笑んでいるところがマッドサイエンティストじみていてある意味ゾッとする。
「ごめんなさい!私が悪いんです!だからもうやめてーーーー!」
私が自棄になって絶叫すると、開け放たれていた玄関から突如銃声が響き、鷹雄さんの白衣に穴が空いて、セキレイさんとユリの中間くらいを銃弾が通り、最後に壁に穴を空けた。
一同、仰天して玄関を返り見ると、拳銃を手にした翠が仁王立ちしていた。
「翠……誰を狙った?」
セキレイさんは拳をしまい、ユリの上から退いて彼の襟首を引き上げて立たせる。
「誰か1人にでも当たれば、皆目が覚めただろ?」
翠は呆れ顔で銃をジャケットのホルスターにしまった。
「お前の腕が三流でほんと良かったよ」
そう言いながらも、鷹雄さんは白衣の穴を気にしている。
私はふと客観的にこの場を見てみると、床の汚れを気にするセキレイさんが土足で立っていて、酸味のある果物をあまり好まない彼が落としたポンカンを見ると、どれだけ自分が罪な事をしたのか、反省する事が出来た。
壁に穴まであけて……
「何があったかだいたい想像はつくけど、皆一度頭を冷やしてよーく考えてみるべきだよ。俺らも献上品も、あまり時間がないんだから、いがみ合いなんかしている場合じゃない。そもそも俺らは……ネチネチクドクド……」
翠のおかげで一触即発の事態は回避したが、逆に今度は彼の説教魂に火が着いた。

翠の説教が始まってからユリは鷹雄さんに連れられて行き、私は翠を宥めて帰ってもらった。
ユリは帰り際、私の方を見て目配せをしたけれど、私はセキレイさんの目が気になって彼から目をそらし、彼が悲しそうな顔をして笑ったのがとても印象的で胸が痛かった。

部屋にセキレイさんと2人きりになって、私はさぞや説教されるだろうと覚悟していたが、思いの外彼が優しくて、私は肩透かしをくらった。
あのどサドなセキレイさんが……?
叱られたい訳ではないが、こうなると逆に怖い。
入念に床を磨き上げ、忌々しげに壁の穴を修復するセキレイさんは、確かに機嫌が悪そうだが、私には優しい。夕食時にはポンカンまで剥いてくれるサービスのしようだ。しかも神経質なセキレイさんは、中の白い繊維まで綺麗に取って私の口まで運んでくれている。
こんなに大事にされて、怖いくらいだ。
いや、ほんと、怖いくらいだ。
更に怖いと思ったのが就寝時、私が支度を終えてベッドに入ると、セキレイさんが枕を待って現れ、私がギョッとして『どうしたんですか?』と尋ねると、彼は『当分あのベッドで寝たくない』と言って狭いベッドに上がり込み、私を困惑させた。
私は最近色々あったせいで緊張して眠れなかったが、セキレイさんは私に背を向けて眠り、朝にはベッドから落ちてあちこちに青アザを作っていて、これを数日間繰り返した。
セキレイさんは決して口にしないが、多分、彼は彼なりにユリにヤキモチを妬いて、私の心がユリに行ってしまわないか不安だったのかもしれない。そうでなければ、私は死ぬほど叱られただろう……
日中、生け花等の習いごとでも保護者(セキレイさん)同伴で周りの目を引き、私は顔から火が出る思いだった。セキレイさんはユリから私を守る為に目を光らせていたのだろうが、ユリはあれからまた鷹雄さんと出張に出たらしく、ずっと顔を合わせていない。
正直、私はそれでホッとしている。今はセキレイさんとの関係もうまくいっているし、あまり波風をたてたくない。何より、何だかんだでセキレイさんがぴったりそばにいてくれるのが嬉しい。
だから私は、いけないとは思いつつ、ユリからの『会いたい』というメールもスルーした。

多分、私はセキレイさんの事を……
 
それから何週間か経ち、私の耳に訃報が届いたのはユリが戦死してから3日も過ぎたあたりだった。

ユリは、諜報部員として戦地に同行していたトールと共に地雷を踏み、爆死したとセキレイさんから聞かされた。
2人は、どちらがどちらともつかない程バラバラに飛び散って亡くなったとの事。

ユリは私との約束を守って死んだのだ。

私は、どうしてユリにメールを返してやらなかったのか、どうして会ってやらなかったのか、自分を責めた。
ユリがいつ、なん時命を落とすか解らない状況にいる事を知っていながら、何故、もっと彼を気遣ってやれなかったのか、死ぬほど後悔する。
私はセキレイさんやユリや、他の仲間に恵まれ、トールや王への復讐心などとうに忘れ去っていたのに、彼は私との約束を守り、私の手を汚すまいと自分の手を汚し、命までかけてくれた。そんな彼に、私はこれまで何もしてあげられていないのに、何故、ユリは私なんかの為に……
後悔してもしきれない。
ユリだって、家族を殺された私と同じ境遇で辛いはずなのに、どうして私にここまでしてくれたのか、凄く胸が苦しかった。
セキレイさんは、ユリが諜報部員のトールを巻き込んで死んだ事で全てを把握したようだったが、敢えてそれは口にしなかった。
鷹雄さんも、どこまで知っていたのか解らないけれど『あいつは俺の誇りだ』と声を詰まらせて言っていたのがとても物悲しくて、私はおこがましくも涙が止まらなかった。

ユリは特別枠の献上品という事で葬儀や告別式等は一切行われず、粉々になった遺体もそのまま戦地に置き去りにされた。寧ろ私の家族を殺したトールの遺品だけが本国で丁重に葬られ、私はやるせなさでいっぱいになる。存在すらなかった事にされる小姓(特別枠)のユリは、今までどんな気持ちで教育や指南を受け、戦地に赴いていたのか、考えただけで不憫でならない。私だったら、心がバラバラになっていた。
ユリは強い。ユリは優しい。ユリは明るい。ユリは親切。ユリはポジティブで皆に勇気をくれる。
けれど鷹雄さんの部屋で皆が集まった折、ダリアの話を聞いて、私は何も知らなかった自分の愚かさ呪った。

「ユリは外に出るようになってから、鷹雄さんの鞄や薬局から薬をくすねては大量に飲んでた。戦地から帰って来た時は、表向きは食事を摂っても、後から人知れず嘔吐していて、夜だってまともに眠ってなかった。一時眠れたとしても夜中にうなされ、悲鳴をあげて目を覚まし、私が心配すると、何でもない事のようにいつも通り笑ってた」
ダリアが目を赤くして憔悴しきった顔でそう話し、木葉がその背中をさすっていて、私だけがこの場に相応しくない害虫の様に思えた。

私のせいでユリは死んだ。

ユリは4年前のトール暗殺未遂事件の時からこうなる事を決めていて、その上で私を自由にしてくれようとしていた。ユリは自分を犠牲にしても私を愛してくれていたのに、私はセキレイさんとの関係を崩したくなくて、それを見てみぬふりをした。

最低だ。

こんな事なら、ユリを受け入れていれば……
ユリの事は大好きだった。でもそれは、ユリが必死で取り繕ってきた表面的で綺麗なユリで、恐怖や嫌悪、葛藤と戦っていたユーリの事は何も知らなかった。私だけが何も知らなかった。ユーリの想像を絶する苦しみをせめて受け入れてあげれば良かった。ユーリはきっと、男である本当の自分や、弱さを私に受け入れてほしかったに違いない。
「ユリは何で死ななきゃいけなかったの!」
ダリアはその憤りをテーブルにぶつける。
私は耳が痛くて居たたまれなかった。
「ユリは自分がいつか戦場で死ぬ事を解ってた。戦場に連れて行かれる小姓ってのは、王が殺られれば共に死を迎えなければならないし、たとえ生きて小姓を卒業出来たとしても、戦術の漏洩を防ぐ為に消されるんだ。ユリはそんな事になる前に、意味のある立派な死を遂げたんだ。本当に、凄い子だよ」
鷹雄さんはそう話して、テーブルに着いていた私の肩をさりげなく触る。
鷹雄さんは全て知っているんだ。知ったうえで私を励ましてくれたんだ。
でも今の私は、優しい言葉がチクチクと胸に刺さって痛かった。いっそ叱りつけてくれれば気も晴れた。
けれどそんな風に考える自分もいぎたなくて、自分で自分が嫌になる。
「ユリから手紙を預かってたんだ」
鷹雄さんから手紙を差し出され、私は受け取るのを躊躇った。
正直、それがユリの遺書のようで見るのが怖かった。
「何であんたなんかに手紙が届くのよ!ユリがいなきゃ何も出来ないのろまのくせに、何でユリは……」
ダリアは泣きじゃくって最後まで言葉を繕えなかったけれど、彼女はきっとユリの事が大好きで、その分、私の事が許せなかったのだと思う。
ほら、私にこの手紙を読む資格なんかない。
「翡翠、ユリはこれを翡翠の為に書いた。だから、翡翠はどんなに苦しくてもユリの為にこれを読まなければならない」
セキレイさんは鷹雄さんから手紙をもらい、それを私に持たせた。
「解った……」
見るのは辛かったが、ユリの為と言うなら私は何が書いていようと受け止めようと思い、それを開く。
するとそこには思わぬ事が書かれていて、私は目を見張る。
手紙というか、封筒に入っていたその紙はおっぱいプリンのレシピで、その端には『この味を絶やさないで☆』というメモ書きが書かれていた。
この文章には、生きて幸せになって、自分の子供や孫にこのレシピを受け継いでというユリの思いが込められている様に思えた。
多分、ユリは自爆前、私に会って直接その思いを伝えようとしていたのに、私は……

自分が死ねば良かったのに。

私がこう思うのは筋違いかもしれないけれど、ダリアだってそう思っている。ユリのような人格者が死んで、私みたいな駄目な人間がのうのうと献上品という立場に甘えている。何も知らず平和ボケしていた自分が恥ずかしい。消えてしまいたい。ユリの元に行きたい。そしてユリに謝りたい。ユーリを受け入れたい。ユーリを安らかに眠らせてあげたい。
私はダリアの前で歯をくいしばって涙を堪えた。
私に、真剣にユリだけを愛してきたダリアの前で涙を流す資格はない。 
「出張前、ユリから、皆にガトーショコラを出すように言われてたんだ。遺体も無いし、葬儀もあげてやれないから、それを食べてユリを偲んでやってほしい。ユリは美味しいものを作って皆に食べてもらうのが好きだったからね」
そう言って鷹雄さんは冷凍庫からガトーショコラを取り出し、私達が座るテーブルの中央に置いた。
「まだカチカチだから、少し待ってから食べよう。いつもフライングして、ユリに怒られてたからね」
そんな鷹雄さんのウィンクに、何の覇気も無い。
脱け殻みたいだ。
鷹雄さんはいつも掴み所が無くてヘラヘラしていて不真面目だけど、今の彼は、心を失くしたみたいにフワフワしていて、吹けば飛んでいきそうな程弱々しく見える。

「……」

暫く無言が続いた後、鷹雄さんは腕時計を見てキッチンからパン切りナイフと小皿を持って来た。
「6等分だから切り易いね。ユリはいつもガトーショコラにコインを入れてたから、それが当たった人は幸運だよ」
などと言いながら、鷹雄さんは大きなドーナツ型をしたガトーショコラを切り分け、小皿に乗せて各自に配布する。
「あ、お茶を忘れてた」
鷹雄さんはガトーショコラを配布し終わり、席に着きかけた時、お茶を用意していない事に気付き、腰を浮かせた。
「いいよ、無理しなくて。食べよう」
翠が鷹雄さんの手を引き、席に戻す。
「ああ、悪い。こういうのは全部ユリがやってくれていたから、気が回らなくて」
「今は仕方ないよ。さあ、皆、ユリに感謝して、いただこう」
翠に促され、その場にいた全員が両手を組んで目を閉じ、暫くユリに祈りを捧げた。

そして誰からともなく目の前のガトーショコラにフォークを突き刺すと、カチンという金属音がして、全員のガトーショコラからコインが出てきた。

『皆に幸運が訪れますように』

そんな風にユリから言われているような気がした。
ユリは本当に偉大で、凄い人だ。

部屋に戻り、私が今日は1人で寝たいとセキレイさんに言うと、彼は黙って頷き、私を子供部屋に1人にしてくれた。
私はその夜、人知れず思い切り泣いて、ユリから貰った髪留めとコインを握り締めて眠った。
ユリは私の幸せを願って死んでいった。
自由になる術は絶たれたけれど、そんなものははなから望んでいない。私はユリの為にも、子供を産んで、孫にまであのレシピを伝え、幸せの中で死んでいかなければならない。
だから、絶対に側室にならなければ。

例え私が、セキレイさんの事を愛していても。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

王女への献上品と、その調教師

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:85pt お気に入り:9

交差点の裸女

大衆娯楽 / 連載中 24h.ポイント:113pt お気に入り:1

少年治療~研修~

BL / 連載中 24h.ポイント:63pt お気に入り:551

異世界に再び来たら、ヒロイン…かもしれない?

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:12,667pt お気に入り:8,520

殿下、俺でいいんですか!?

BL / 完結 24h.ポイント:2,046pt お気に入り:3,904

少年治療

BL / 連載中 24h.ポイント:589pt お気に入り:2,709

【完結】BL声優の実技演習

BL / 完結 24h.ポイント:610pt お気に入り:35

【完結】R-15 私はお兄様を愛している

恋愛 / 完結 24h.ポイント:291pt お気に入り:715

異世界転生した俺ですが、なんだか周りの奴らがおかしい気がする

OZ
BL / 連載中 24h.ポイント:28pt お気に入り:1,214

処理中です...