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因縁の解放
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「セキレイさん!セキレイさん!」
私は慌ててセキレイさんの衣服を取り去り、上半身裸にした。
そして私は思った。
「セキレイさん……」
意外と大丈夫そうじゃん。
「セキレイさん……」
硫酸はセキレイさんの着込んでいた衣服に吸収され、彼の皮膚までは到達していなかった。
私はこんな時に、男にしてはやけに白いセキレイさんの背中を見てシュールだと思った。
「……セキレイさん、貧血ですか?」
「……うん、急に動いたら目眩がして」
セキレイさんは拳で自身のおでこをグリグリ痛めつけ、踏ん切りをつけるように立ち上がる。
「まったく、あなたって人は……」
私は呆れたというよりも、ホッとして全身の力が抜ける。
本当に、2度とセキレイさんに会えなくなるかと思った。
セキレイさんの無事を噛み締めると、今になって背筋が凍りつく。
「瑪瑙、お前、翡翠を狙ったな?今日という今日は、もう──」
セキレイさんが瑪瑙さんに掴み掛かろうとして、私はそこに割って入る。
「翡翠?」
「何なの?私はセキレイさんと話してるんだから、邪魔しないでよ」
瑪瑙さんは虚勢を張って悪びれたが、私は怯む事なく彼女と向き合い、その美しい顔面に思い切りビンタをかました。
パシンと乾いた音がして、私の手がじんじんと熱くなる。
瑪瑙さんは頬を押さえ、反射的にカウンターパンチを繰り出してきたけれど、その手が私にヒットする前にセキレイさんにその腕を掴み上げられ、彼女は僅かに悲鳴をあげた。
「瑪瑙!!もうみっともない真似はよせ!!翡翠は関係ないだろう!?」
セキレイさんは普段見せない真剣な眼差して激昂する。
「関係あるかないかなんて関係ないよ!こいつ見てるだけでむかつくんだもん!」
瑪瑙さんは感情的にヒートアップし、セキレイさんにグイと腕を強引に引き上げられた。
「瑪瑙!!いい加減に──」
「セキレイさん、いいんです。少し瑪瑙さんとお話させて下さい」
私は今にも殴りかかりそうなセキレイさんを宥め、瑪瑙さんに詰め寄った。
「翡翠……」
セキレイさんは迷いながらも私を信用して一歩引いてくれた。
「瑪瑙さん、あなたが、あなたの愛したセキレイさんを責めるのは止めません。私にそういった義理はないですから。でも、私が愛したセキレイさんを傷付けるのだけは許せません」
私は毅然とした態度で瑪瑙さんと対峙する。
「瑪瑙さん、あなた、本当はセキレイさんを苦しめたい訳じゃないですよね?」
多分この人は、何年も前の成就出来なかった恋を後悔しているんだ。そもそも2人は憎しみ合って離ればなれになったのではなく、ちょっとしたすれ違いで運命に引き裂かれたにすぎないのだ。だから瑪瑙さんはずっとずっとセキレイさんの事が忘れられず、今でもあの時の事が心残りなのだと思う。私もセキレイさんの事が大好きだからよく分かるし、もし私が瑪瑙さんの立場だったら同じ事をしていた。
「何を解ったような……あんたはここまで順風満帆な献上品ライフを送っておいて、何も知らないくせに口を挟まないでよ!」
瑪瑙さんはそう言って私に凄んできたけれど、私には通用しない。
この人は可哀想な人だ。これは決して見下した意味ではなく、彼女の悲運な人生に本当に同情する。
「瑪瑙さん、確かに私には解らない事だらけだけど、でも、私はあなたのしている事を正々堂々とセキレイさんに理解してもらうべきだと思います。ちゃんと、どれ程セキレイさんの事を想っていたか、伝えておくべきですよ」
「うるさい!私はセキレイさんの可愛がってる献上品がめちゃくちゃになればそれでいいの!それで2人が不幸になればいいのよ!」
瑪瑙さんの怒りは最高潮に燃え上がったが、彼女自身、そんな激情に戸惑っているんじゃないかと思う。
「違うでしょう?本当は、何年も前に果たせなかった自分の想いを私達に託したかったんじゃないですか?私から献上品の資格を奪って、脱走しなければならない状況にしたかったんでしょう?」
「あんた、本っ当おめでたいのね、お人好しもここまでくると馬鹿だわ」
「いいや、あなたは過去の自分と私を重ねて見ている。それに本当に私を憎んでいたなら、男に私を殺すように命令していたはず。硫酸だって、これは希釈されたものでしょう?あなたはただ、昔の恋心の決着のつけ方が解らなくて堂々巡りをしていただけです」
瑪瑙さんはただ、みっともなくも真剣にセキレイさんが好きだったんだ。そんな風に感情のままに誰かを愛せるなんて、この人はとってもピュアなんだ。
「それに瑪瑙さん、あなたがこのフロアにいるって事は、王に取り入って私の邪魔をしようとしているからですよね?でもね、瑪瑙さん、私は私で、セキレイさんを幸せにしたいから最後まで諦めないし、逃げません!私はあなたとは違います。私は昔のあなたみたいに後悔したくありません」
ビシッと私が言い切ると、瑪瑙さんは図星をさされて悔しかったのか苦虫を噛み潰していた。
「うるさい!うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!」
瑪瑙さんは分が悪くなり子供みたいに喚き散らし、怒りのままに私へ拳を振り上げた。
「瑪瑙!」
セキレイさんがそれを止めに入ったが気付くのが遅れ、私は両腕で顔をガードし、衝撃に備えた。
──そんな時、
「お母さん」
子供の声がして、通路の角から5、6歳くらいの少年が瑪瑙さん目掛けて駆け寄り、その腰にしがみつく。
「お母さん!?」
「お母さん!?」
驚いた私とセキレイさんの声が見事にハモった。
瑪瑙さんは私を殴る事なく拳を下ろし、しゃがんで少年と向き合う。
「石英(セキエイ)どうしてこんな所に来たの?!お部屋で待っててって言ったじゃない」
そう言いつつも瑪瑙さんは、石英と呼んだ少年を咎めるでもなく、愛しそうに彼の乱れた前髪を優しくすいていた。
石英にはどこか瑪瑙さんの面影があり、2人が本当の親子である事を裏付けているようだった。
セキレイさんには……似てないようだけれど……
私は探偵さながらにまじまじと石英を凝視する。
子供の年齢的に、瑪瑙さんが城を脱走した後の子供で間違いないだろうと、私は幾分ホッとした。
「白鈴、すまない、この子がどうしてもお母さんとここを出たいって部屋を飛び出したものだから……」
後から体格のいい男が和装でやって来て、私とセキレイさんに深く一礼した。
「うちの妻がご迷惑をおかけしてすみません」
「妻っ!?」
「妻っ!?」
当然、今回も私とセキレイさんは寸分の狂いもなくハモる。それほどまでにショッキングだったのだ。
じゃあ、さっきの子供の父親!?
てか瑪瑙さんて、既婚者だったの!?
そうなるとセキレイさん、知らず知らずゲス不倫していた事になる。
知らなかったとは言え、ちょっと引くわ……
私がセキレイさんを睥睨すると、彼は不自然に視線を斜め下に落とした。
後ろめたいらしい。
「はい、私と石英は旅一座の一員で、私は石英の父親であり、白鈴……瑪瑙の夫です」
「父親だなんて、やめてよ」
瑪瑙さんが忌々しそうに下唇を噛んだところを見ると、何か訳有りなのだろう。ただ子供の手前、先刻のように強くは出られないのだと思う。
「白鈴、君は昔の瑪瑙じゃない。立派な母親だ。そして僕の最愛の妻だ。もう、過去の収拾はついたろ?また一座の皆と楽しく暮らそう」
男の口調から仕草から視線に至るまで、彼の、瑪瑙さんに対する愛情がこちらまで伝わってきた。
「でも、私は──」
「お母さん、もう帰ろう?どうしてずっとここにいるの?また皆で世界を旅しよう?僕、お母さんがどっか遠くに行っちゃいそうで怖いよ」
瑪瑙さんは最初こそ納得がいっていなかったが、石英に涙声で説得され、その場で泣き崩れる。
「ごめんね、お母さんは何処にも行かない。もう何処にも行かない」
そう言って固く石英を抱く瑪瑙は、立派な母親の顔をしていた。
私はふとセキレイさんの反応が気になったが、知るのが怖くて床の大理石を見ていた。
「瑪瑙……今まで本当にすまなかった。お前がこれまでどんな思いで生きてきたかなんて、その片鱗すらうかがい知れないけど、俺は心からお前に幸せになってほしいと思っている」
セキレイさんの声は、いつか私に愛を囁いたように穏やかで、優しくて、とても愛情がこもっていて、セキレイさんがどれだけ瑪瑙さんを愛していたのかよく解った。
自分の知らないセキレイさんの愛情、それは2人にしか解らない。
瑪瑙さんがセキレイさんを見上げ、多分、今2人は熱い視線で見つめ合っていて、この世界に2人だけみたいな空気を漂わせているのだと思う。セキレイさんも瑪瑙さんも、互いに言葉なんか交わさなくても心で繋がっている。
そう思うとやっぱり私は心穏やかじゃなくて、疎外感を感じてしまう。
駄目だな、自分。
「セキレイさん、ごめんなさい。やっと……やっと心の整理がつきました。これからは、私は自分の為じゃなくて、この子の為に生きます」
『ごめんね』と瑪瑙さんは石英にさめざめと何度も謝った。
「石英、お母さんを部屋に連れて行ってくれる?」
男がそう言うと、石英は瑪瑙さんの手を取り、先に立って彼女を引っ張って行った。その間瑪瑙さんは一度としてこちらを振り返らなかった。
瑪瑙さんとは色々あったけれど、これまで辛い人生を歩んで来た分、それ以上に幸せになってほしい。
私は心からそう思った。
「お2人共、うちの妻が本当にすみませんでした」
男は私達の方に向き直り、すまなそうに頭を下げた。
「いや、俺が言うのもあれだけど、瑪瑙の事、よろしく頼みます」
セキレイさんは男以上に深く頭を下げ、彼を恐縮させる。
「そんな、頭を上げて下さい。妻は、本当は今でもセキレイさんの事を愛しているのだと思いますが、私はそれでも、妻の心の傷を癒せるよう、ずっとずっと寄り添って行こうと思います」
「瑪瑙がしてきた事は全部把握しているんですか?」
「はい、私は過去にこの城で警備兵をしていまして、当時の妻が脱走したところを見逃したのが、その、自分でして」
男は恥ずかしいやらばつが悪いやらで耳まで赤くした。
「じゃあ、お前が……」
セキレイさんは目をひんむいて仰天し、男は小さくなってこめかみを掻く。
「ええ、妻の色仕掛けに負けて、見逃したのが私です」
瑪瑙さんが生きてここから脱走出来た背景に、こういった事は切っても切れない事とは思っていたけれど、実際に当事者から話を聞くのはショックなんじゃあないだろうか、セキレイさん。
私がセキレイさんの方を振り返ると、彼は分かりやすいくらいショックを受けていた。
まあ、自分が手塩にかけて育てた愛娘が他の馬の骨に食われたんだ、それはやはり衝撃的だろう。
「あの子はやっぱり、あなたと瑪瑙の子供なのか?」
「あの、それが、解らないんです。私が彼女を見逃してから、彼女は自分の体を売って生計をたてていたものですから。それでも、私はあの子を自分の本当の子供だと思って育てています。血が繋がっていないとか、私には関係ありませんから。妻の事も、出会いは誉められたものではないかもしれませんが、私は彼女が骨になるまで、いや、骨になっても、愛し続けていこうと思います。まあ、妻は未だにあの子の血筋の事を気にしていますが、それでもあの子を大切に想っています。いずれ血の事なんてちっぽけな話だと気が付くと思います」
そう真摯に語る男の眼差しを見ていると、瑪瑙さんは彼と一緒にいたら平穏な生活を送れるだろうと思った。セキレイさんも、愛娘を任せるには申し分のない男だと判断したのか、安心しきった顔をしている。
瑪瑙さんも、やっと長年の呪縛から解き放たれ、セキレイさんの元を卒業出来たのだと思う。
セキレイさんは少し寂しそうだったけれど、これで良かったんだ。
次は私の番だ。
私は慌ててセキレイさんの衣服を取り去り、上半身裸にした。
そして私は思った。
「セキレイさん……」
意外と大丈夫そうじゃん。
「セキレイさん……」
硫酸はセキレイさんの着込んでいた衣服に吸収され、彼の皮膚までは到達していなかった。
私はこんな時に、男にしてはやけに白いセキレイさんの背中を見てシュールだと思った。
「……セキレイさん、貧血ですか?」
「……うん、急に動いたら目眩がして」
セキレイさんは拳で自身のおでこをグリグリ痛めつけ、踏ん切りをつけるように立ち上がる。
「まったく、あなたって人は……」
私は呆れたというよりも、ホッとして全身の力が抜ける。
本当に、2度とセキレイさんに会えなくなるかと思った。
セキレイさんの無事を噛み締めると、今になって背筋が凍りつく。
「瑪瑙、お前、翡翠を狙ったな?今日という今日は、もう──」
セキレイさんが瑪瑙さんに掴み掛かろうとして、私はそこに割って入る。
「翡翠?」
「何なの?私はセキレイさんと話してるんだから、邪魔しないでよ」
瑪瑙さんは虚勢を張って悪びれたが、私は怯む事なく彼女と向き合い、その美しい顔面に思い切りビンタをかました。
パシンと乾いた音がして、私の手がじんじんと熱くなる。
瑪瑙さんは頬を押さえ、反射的にカウンターパンチを繰り出してきたけれど、その手が私にヒットする前にセキレイさんにその腕を掴み上げられ、彼女は僅かに悲鳴をあげた。
「瑪瑙!!もうみっともない真似はよせ!!翡翠は関係ないだろう!?」
セキレイさんは普段見せない真剣な眼差して激昂する。
「関係あるかないかなんて関係ないよ!こいつ見てるだけでむかつくんだもん!」
瑪瑙さんは感情的にヒートアップし、セキレイさんにグイと腕を強引に引き上げられた。
「瑪瑙!!いい加減に──」
「セキレイさん、いいんです。少し瑪瑙さんとお話させて下さい」
私は今にも殴りかかりそうなセキレイさんを宥め、瑪瑙さんに詰め寄った。
「翡翠……」
セキレイさんは迷いながらも私を信用して一歩引いてくれた。
「瑪瑙さん、あなたが、あなたの愛したセキレイさんを責めるのは止めません。私にそういった義理はないですから。でも、私が愛したセキレイさんを傷付けるのだけは許せません」
私は毅然とした態度で瑪瑙さんと対峙する。
「瑪瑙さん、あなた、本当はセキレイさんを苦しめたい訳じゃないですよね?」
多分この人は、何年も前の成就出来なかった恋を後悔しているんだ。そもそも2人は憎しみ合って離ればなれになったのではなく、ちょっとしたすれ違いで運命に引き裂かれたにすぎないのだ。だから瑪瑙さんはずっとずっとセキレイさんの事が忘れられず、今でもあの時の事が心残りなのだと思う。私もセキレイさんの事が大好きだからよく分かるし、もし私が瑪瑙さんの立場だったら同じ事をしていた。
「何を解ったような……あんたはここまで順風満帆な献上品ライフを送っておいて、何も知らないくせに口を挟まないでよ!」
瑪瑙さんはそう言って私に凄んできたけれど、私には通用しない。
この人は可哀想な人だ。これは決して見下した意味ではなく、彼女の悲運な人生に本当に同情する。
「瑪瑙さん、確かに私には解らない事だらけだけど、でも、私はあなたのしている事を正々堂々とセキレイさんに理解してもらうべきだと思います。ちゃんと、どれ程セキレイさんの事を想っていたか、伝えておくべきですよ」
「うるさい!私はセキレイさんの可愛がってる献上品がめちゃくちゃになればそれでいいの!それで2人が不幸になればいいのよ!」
瑪瑙さんの怒りは最高潮に燃え上がったが、彼女自身、そんな激情に戸惑っているんじゃないかと思う。
「違うでしょう?本当は、何年も前に果たせなかった自分の想いを私達に託したかったんじゃないですか?私から献上品の資格を奪って、脱走しなければならない状況にしたかったんでしょう?」
「あんた、本っ当おめでたいのね、お人好しもここまでくると馬鹿だわ」
「いいや、あなたは過去の自分と私を重ねて見ている。それに本当に私を憎んでいたなら、男に私を殺すように命令していたはず。硫酸だって、これは希釈されたものでしょう?あなたはただ、昔の恋心の決着のつけ方が解らなくて堂々巡りをしていただけです」
瑪瑙さんはただ、みっともなくも真剣にセキレイさんが好きだったんだ。そんな風に感情のままに誰かを愛せるなんて、この人はとってもピュアなんだ。
「それに瑪瑙さん、あなたがこのフロアにいるって事は、王に取り入って私の邪魔をしようとしているからですよね?でもね、瑪瑙さん、私は私で、セキレイさんを幸せにしたいから最後まで諦めないし、逃げません!私はあなたとは違います。私は昔のあなたみたいに後悔したくありません」
ビシッと私が言い切ると、瑪瑙さんは図星をさされて悔しかったのか苦虫を噛み潰していた。
「うるさい!うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!」
瑪瑙さんは分が悪くなり子供みたいに喚き散らし、怒りのままに私へ拳を振り上げた。
「瑪瑙!」
セキレイさんがそれを止めに入ったが気付くのが遅れ、私は両腕で顔をガードし、衝撃に備えた。
──そんな時、
「お母さん」
子供の声がして、通路の角から5、6歳くらいの少年が瑪瑙さん目掛けて駆け寄り、その腰にしがみつく。
「お母さん!?」
「お母さん!?」
驚いた私とセキレイさんの声が見事にハモった。
瑪瑙さんは私を殴る事なく拳を下ろし、しゃがんで少年と向き合う。
「石英(セキエイ)どうしてこんな所に来たの?!お部屋で待っててって言ったじゃない」
そう言いつつも瑪瑙さんは、石英と呼んだ少年を咎めるでもなく、愛しそうに彼の乱れた前髪を優しくすいていた。
石英にはどこか瑪瑙さんの面影があり、2人が本当の親子である事を裏付けているようだった。
セキレイさんには……似てないようだけれど……
私は探偵さながらにまじまじと石英を凝視する。
子供の年齢的に、瑪瑙さんが城を脱走した後の子供で間違いないだろうと、私は幾分ホッとした。
「白鈴、すまない、この子がどうしてもお母さんとここを出たいって部屋を飛び出したものだから……」
後から体格のいい男が和装でやって来て、私とセキレイさんに深く一礼した。
「うちの妻がご迷惑をおかけしてすみません」
「妻っ!?」
「妻っ!?」
当然、今回も私とセキレイさんは寸分の狂いもなくハモる。それほどまでにショッキングだったのだ。
じゃあ、さっきの子供の父親!?
てか瑪瑙さんて、既婚者だったの!?
そうなるとセキレイさん、知らず知らずゲス不倫していた事になる。
知らなかったとは言え、ちょっと引くわ……
私がセキレイさんを睥睨すると、彼は不自然に視線を斜め下に落とした。
後ろめたいらしい。
「はい、私と石英は旅一座の一員で、私は石英の父親であり、白鈴……瑪瑙の夫です」
「父親だなんて、やめてよ」
瑪瑙さんが忌々しそうに下唇を噛んだところを見ると、何か訳有りなのだろう。ただ子供の手前、先刻のように強くは出られないのだと思う。
「白鈴、君は昔の瑪瑙じゃない。立派な母親だ。そして僕の最愛の妻だ。もう、過去の収拾はついたろ?また一座の皆と楽しく暮らそう」
男の口調から仕草から視線に至るまで、彼の、瑪瑙さんに対する愛情がこちらまで伝わってきた。
「でも、私は──」
「お母さん、もう帰ろう?どうしてずっとここにいるの?また皆で世界を旅しよう?僕、お母さんがどっか遠くに行っちゃいそうで怖いよ」
瑪瑙さんは最初こそ納得がいっていなかったが、石英に涙声で説得され、その場で泣き崩れる。
「ごめんね、お母さんは何処にも行かない。もう何処にも行かない」
そう言って固く石英を抱く瑪瑙は、立派な母親の顔をしていた。
私はふとセキレイさんの反応が気になったが、知るのが怖くて床の大理石を見ていた。
「瑪瑙……今まで本当にすまなかった。お前がこれまでどんな思いで生きてきたかなんて、その片鱗すらうかがい知れないけど、俺は心からお前に幸せになってほしいと思っている」
セキレイさんの声は、いつか私に愛を囁いたように穏やかで、優しくて、とても愛情がこもっていて、セキレイさんがどれだけ瑪瑙さんを愛していたのかよく解った。
自分の知らないセキレイさんの愛情、それは2人にしか解らない。
瑪瑙さんがセキレイさんを見上げ、多分、今2人は熱い視線で見つめ合っていて、この世界に2人だけみたいな空気を漂わせているのだと思う。セキレイさんも瑪瑙さんも、互いに言葉なんか交わさなくても心で繋がっている。
そう思うとやっぱり私は心穏やかじゃなくて、疎外感を感じてしまう。
駄目だな、自分。
「セキレイさん、ごめんなさい。やっと……やっと心の整理がつきました。これからは、私は自分の為じゃなくて、この子の為に生きます」
『ごめんね』と瑪瑙さんは石英にさめざめと何度も謝った。
「石英、お母さんを部屋に連れて行ってくれる?」
男がそう言うと、石英は瑪瑙さんの手を取り、先に立って彼女を引っ張って行った。その間瑪瑙さんは一度としてこちらを振り返らなかった。
瑪瑙さんとは色々あったけれど、これまで辛い人生を歩んで来た分、それ以上に幸せになってほしい。
私は心からそう思った。
「お2人共、うちの妻が本当にすみませんでした」
男は私達の方に向き直り、すまなそうに頭を下げた。
「いや、俺が言うのもあれだけど、瑪瑙の事、よろしく頼みます」
セキレイさんは男以上に深く頭を下げ、彼を恐縮させる。
「そんな、頭を上げて下さい。妻は、本当は今でもセキレイさんの事を愛しているのだと思いますが、私はそれでも、妻の心の傷を癒せるよう、ずっとずっと寄り添って行こうと思います」
「瑪瑙がしてきた事は全部把握しているんですか?」
「はい、私は過去にこの城で警備兵をしていまして、当時の妻が脱走したところを見逃したのが、その、自分でして」
男は恥ずかしいやらばつが悪いやらで耳まで赤くした。
「じゃあ、お前が……」
セキレイさんは目をひんむいて仰天し、男は小さくなってこめかみを掻く。
「ええ、妻の色仕掛けに負けて、見逃したのが私です」
瑪瑙さんが生きてここから脱走出来た背景に、こういった事は切っても切れない事とは思っていたけれど、実際に当事者から話を聞くのはショックなんじゃあないだろうか、セキレイさん。
私がセキレイさんの方を振り返ると、彼は分かりやすいくらいショックを受けていた。
まあ、自分が手塩にかけて育てた愛娘が他の馬の骨に食われたんだ、それはやはり衝撃的だろう。
「あの子はやっぱり、あなたと瑪瑙の子供なのか?」
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そう真摯に語る男の眼差しを見ていると、瑪瑙さんは彼と一緒にいたら平穏な生活を送れるだろうと思った。セキレイさんも、愛娘を任せるには申し分のない男だと判断したのか、安心しきった顔をしている。
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