1 王への献上品と、その調教師(ブリーダー)αp版

華山富士鷹

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さよなら

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翡翠の婚約が決まった夜、俺は自室で独り今朝のアボカドサラダとアルファベットのフライドポテトを食べた。アボカドはだいぶ色味が悪くなり、味も落ちたけれど、途中から、独りで食べるからあまり美味しくないのだと気がつく。そしてふとアルファベットのフライドポテトでセキレイの名を作れると思ったら、ちょっと可笑しくもなった。
外では雷鳴が鳴り響き、特に苦手でもなかったのにカーテンを閉めてそれを見ないようにする。雷を見ていると嫌でも翡翠を思い出して寂しくなってしまうからだ。
寝床に入り、瞼を閉じても、雷の轟音が耳につき、独り寝の寂しさを増長させ、俺は翡翠のおかげであれ程好きになった雷の夜が嫌いになる。
今頃翡翠は風斗とベッドを共にしているだろう。
翡翠が嬉しい時、楽しい時、寂しい時、悲しい時、怖い時、隣にいてやれるのはもう俺じゃない。風斗だ。そう思うと胸が抉られそうに苦しかったけれど、翡翠の幸せを思ったら、少しは報われた。
俺はベッドのサイドテーブルの引き出しから翡翠が作ってくれたドリームキャッチャーと手紙を取り出し、しばしそれらを眺める。
へったくそだな、でも、一生懸命だ。
自然と笑みが溢れた。
翡翠はこれを俺の願いが叶うようにと作ってくれたけれど、俺の本当の願いは、お前とずっと一緒にいる事だったのに……俺の本当の願いは永遠に叶わなくなったな。

だから俺はこのドリームキャッチャーを飾らなかったのだ。

俺はあの頃から、翡翠をこんなにまで愛してしまう事を無意識に予兆していたのかもしれない。

朝になって、朝食も食べずにゴロゴロとベッドで時を過ごしていると、いきなりチャイムが鳴らされ、俺は怠くてそれを無視していたが、あまりにしつこく鳴らしてくるものだから、仕方なく玄関のドアを開けてやると、そこに翡翠が立っていて、俺は度肝を抜かれる。
「翡翠!?」
王との婚約が決まり、翡翠はもう2度とここへは来ないと思っていた。
たった1日会えなかっただけなのに、何十年か振りに会ったような、そんな気持ちになる。
「セキレイさん、おはようございます」
翡翠は照れくさそうに後ろ手で体を左右に揺らした。
「どうした?お供も付けずに、もう里帰りか?」
俺は恋い焦がれた翡翠を抱き締めたくて仕方がなかったが、冗談を言って嘯く。
「色々と突然過ぎたから、ちゃんとこの部屋とセキレイさんにお礼を言いたくて、1人で来ちゃいました」
翡翠は笑顔ではいたが、ちょっと寂しそうな空気を纏っていた。
本当は、翡翠はお礼を言いに来たのではなく『さよなら』を言いに来ただろう事はすぐに解った。
「中に入ってもいいですか?」
翡翠にそう言われ、王の婚約者である彼女を男の部屋にあげていいものかと一瞬悩んだが、彼女がドアを大きく開け放して中に上がり込み、俺は無用な心配だったなと首の後ろを掻いた。
「うわあ、全然変わってないなぁ~」
「いや、ちょっと前まで一緒に住んでたろ」
「そうでしたね。ここで、何年もずっと一緒に暮らしてましたね。でも懐かしいなぁ、誕生日もクリスマスもバレンタインデーもホワイトデーもみどりの日もどっかの国の旧正月も、全部全部一緒にお祝いしましたね」
「そう、だな。楽しかった」
どれも楽しかった思い出ばかりなのに、俺は胸がいっぱいで目頭が熱くなるのを感じた。
「泣いたり笑ったり怒られたり、よく喧嘩をして部屋を飛び出したり、時にはエッチな事をしてドキドキしたり、アルファベットのポテトでセキレイさんの名前を作った事もありましたね。懐かしいなぁ、最初はセキレイさんの事が大嫌いだったのに……こんなにあなたを……楽し……かったです、セキレイさん」
翡翠も想いが溢れたのか途中から声が震え出し、言い切る前に大粒の涙を溢す。
「泣くな、翡翠」
そう言って翡翠を慰めようと手を伸ばしたが、俺はそれを寸前で引っ込めた。
涙を拭う翡翠の左手薬指には、代々妃が装着する金の指輪が嵌められている。

翡翠はもう、俺の物じゃない。

もう、俺の元を離れて、嫁に行くのだ。

「セキレイさん、今まで本当にお世話になりました。ありがとうございました」
翡翠は床に膝を着き、三つ指を着いて頭を下げた。その反動で彼女の瞳から涙が滴り、かつて彼女が入れられていたゲージでついた床の傷に染み込む。
俺は、翡翠が初めてこの部屋に来た日の事が遠い過去に思え、その時の記憶が走馬灯のようによみがえってくる。臆病で、思いの外馬鹿力で、手がつけられない程獰猛で、よく手を噛まれた。なのに寝顔は天使みたいで、頑固で強情なくせに、ふとした時に俺を頼ってくれるところがどうにも可愛かった。
それがどうだろう、今の翡翠はあの頃の痩せ細った奴隷なんかじゃない。立派な、王の妃だ。芯のしっかりした、一人前の素敵な女性になった。
本当に、寂しいくらい見違えたな。
「翡翠、お前はもう献上品じゃないんだ、頭を上げて」
俺は片膝を着き、翡翠の手を取って彼女を立たせると、その左手の薬指にある指輪にそっと口付ける。
それは忠誠を誓う儀式のようなものだった。

「翡翠様、ご婚約、誠におめでとうございます。心よりあなた様のお幸せを願っております」

「セキレイさん、本当にありがとうございました。それから……さようなら」

頭の上から沢山の雨が降らされたが、俺達の別れはこれで良かったのだと思う。

さようなら翡翠、それから、幸せにな。
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