2 王への元献上品と、その元調教師

華山富士鷹

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春の日

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俺はセキレイから言われるままに、その日はいつもより断然早くペントハウスへと戻った。
「ただい……ま?」
不思議な事に、玄関のドアを開けると、辺りの照明は落とされ、その代わりにリビングまでの廊下は両脇をキャンドルで縁取られ、まるであの世へといざなう街道のようになっていた。
「怖っ‼」
ここだけ停電でもしたのかと、俺は怖がる翡翠の姿を想像してズンズン先へと進み、リビングのドアを開ける。
「翡翠、大丈夫か?」
「風斗さん、お誕生日おめでとうございます!!」
煌々とした照明の下、エプロン姿の翡翠が両手を広げて俺を出迎え、俺は一瞬何の事だか解らず立ち尽くした。
「これは?」
俺はリビングの陳腐な飾り付けや、まるで小料理屋のようになってしまったダイニングテーブルの小鉢達を指差し、呆気にとられる。
家はいつから地域密着型の小料理屋になったんだ?
「今日は風斗さんの誕生日の春の日じゃないですか、自分なりにお祝いしたくて準備したんです」
「あ、あぁ、そうか」
それでセキレイの奴、俺に気を回していたのか。
「本当はクラッカーを鳴らしたかったんですけど、クラッカーは火器に分類されるって鳥取さんに止められたので出だしはヌルッとしてますが、今夜は2人でお誕生日をお祝いしましょう!!」
ヌルッと……
翡翠は若手政治家の選挙ポスターの如くしっかりとガッツポーズをしてヤル気満々だ。
誕生日だなんて、忙しさにかまけて忘れていた。
思えば生前の紅玉も、これとは違った形でお祝いしてくれてたな。
「さあ、お腹減りましたよね?座って座って」
「あぁ、はいはい」
俺がボンヤリ思い出に浸っていると、翡翠にジャケットやカバンを取り上げられ、後ろから背を押されダイニングテーブルに座らされた。
「こんなに何種類も、忙しい思いをさせてしまったね」
ダイニングテーブルに所狭しと並べられた小鉢の数々は、どれも手が込んでいて美味しそうだ。
やれやれ、何もしなくていいと言っていたのに、この子には敵わないな。全然言う事をきいてくれないんだもんな。
ちょっとだけ呆れてしまったが、疲れた顔をした翡翠の顔を見ると満更でもなくて、嬉しいような、こそばゆいような……そしてそれと相反するように何か古傷に触れるような心の痛みを感じた。
「因みにどうして裸エプロンじゃないの?」
俺は両手を組んで頬杖を着き、そこに顎を乗せて首を傾げる。
「逆にどうして裸エプロンなんですか?」
翡翠はギクッとしてエプロンを脱ぎ、くるくるにして空いている席に置いた。
「誕生日、だからじゃない?」
別に翡翠が今着ているセーターのワンピースでも充分そそるけど。
翡翠、腿丈に素足だけど、下にはちゃんと短パンを履いているんだろうか?
俺は無意識にややローアングルになる。
「誕生日に乗じて無理言わないで下さい。誕生日は優遇しますが、万能ではありません」
名言だな。
「あれ、日本食が主かと思ってたら、アボカドサラダがある」
俺はその場に似つかわしくない物を見つけ、疑問に思う。
それに確か、翡翠はアボカドが嫌いだとセキレイが言っていた筈。俺にアボカドサラダを2人前も食べろと言う訳でもあるまい。
「ちょっとミスマッチでしたか。元々アボカドは嫌いだったんですけど、食べれるようになったし、多分、あれは体にいいですから、お疲れの風斗さんにもいいかなって。アボカドはしもやけにもいいそうですよ。風斗さんはお嫌いでしたか?」
「いや、いいけど」
因みに俺にしもやけはない。
「あ、ガトーショコラも焼いたんですよ。コインが入ってるやつ」
そう言って翡翠は俺の真向かいの席に着き、おひつから茶碗にご飯をよそう。
おひつて……
「コインが入ったケーキなんて、一般家庭みたいだね」
悪くない。
「沢山入れたので、2人で食べてもきっと風斗さんにもコインが当たりますよ」
沢山て、チョコチップじゃあるまいし。
ちょっと引いたが、その思いやりが嬉しい。
「ありがとう」
「じゃあ、いただきましょうか」
いつの間にか互いの目の前に丼飯(大盛り)がセットされていて、程よく湯気が上がっている。
いい匂いだ。
しかし、この、日本の昔話みたいな丼飯を俺は食べ切れるのだろうか?
ちょっとだけ気が遠くなる。
会食ばかりでこういう素朴な料理を目にするのは随分と久し振りだ。
「いただきます」
俺は軽く手を合わせた後、汁物が入った椀の蓋を取り、驚愕した。
「これ──」

筑前煮じゃないか。

「筑前煮です」
「……」
俺が黙って筑前煮を睨んでいると、翡翠が『食べないんですか?』と様子を窺ってくる。
「いや、食べるよ」
食べるけど……
俺は箸を持ったはいいが、そこから筑前煮に手を伸ばせずにいた。
筑前煮なんて、紅玉が作ってくれた物以外は口にした事がなくて、食べてしまったら、紅玉との思い出がリアルに思い出されそうで怖かった。
「書庫にあった手書きのレシピを参考に作ったんです」
書庫の手書きのレシピだって?
それはもう、紅玉のレシピじゃないか。
この、独特な酸味のある香り、確かに紅玉の筑前煮そのものだ。
俺は恐る恐る、椀の中からイチョウ切りの筍を箸でつまみ上げ、それを口に運ぶ。
「……」
香り通りの酸味が舌先に触れ、筍のシャキシャキとした小気味いい歯応えと共に醤油ベースの甘みが口いっぱいにひろがる。
「紅玉の筑前煮だ……」
美味しいとか美味しくないとか思う以前に、俺は懐かしさを感じて目頭が熱くなった。
これは幸せだった頃の結婚生活の味だ。
「紅玉さん、隠し味にすりおろしリンゴから作られた焼き肉のタレを使っているんですよ。そのタレは、紅玉さんの故郷で作られてて、急遽、鳥取さんに取り寄せてもらったんです。私もこの筑前煮を味見しましたが、一般的な筑前煮とは全然味が違っていて、全く別の物に感じました。だから、風斗さんには特別な味だったんじゃあないかなって思ったんです」
「特別だよ。紅玉の作る料理は全部特別だったよ。だけど、中でも筑前煮は一番特別で、一番好きだった。俺はこれを、後に産まれてくる子供と共に老後まで食べられると思い込んでいた。だけど、紅玉は死んだ。あのレシピだけを遺して、子供もろとも連れて逝ってしまった。全部……俺のせいだ。俺が愛し方を間違ったから、紅玉は人門翠を選んだし、紅玉はそのせいで絶望して自害の道を選んだんだ。俺のせいで……」
俺は箸を置き、嗚咽しそうになる口元を右手で押さえる。
「紅玉さんが?でもそれは──」
「──翡翠、明後日の20時、セキレイが城の裏庭で待っているから……行くといい」
俺は俯いたまま、翡翠の顔が見れなかった。
最初は翡翠を試す為にセキレイをその場所に呼んでおいたのだが、途中から、翡翠を紅玉のように死なせるくらなら、いっそ彼女を開放してやろうと思った。
それに、こうして誕生日を祝ってもらったり、幸せを感じれば感じる程、裏切られた時の喪失感が怖かったのだ。
「風斗さん、何を馬鹿な事を言っているんですか?」
翡翠はスクッと立ち上がり、俺の元へ膝まづく。
「戯言じゃないよ。翡翠、お前がセキレイに特別な感情を持っているのも、セキレイがお前に特別な感情を持っているのも、知っているんだ」
単なる当てずっぽうだったが、翡翠が酷く動揺した様を見るに、それらは真実だったのだと確信した。
やっぱり、か……
何度となく似たような光景を見て、何度となく傷付いてきた。
結局、逃げ出さないように鳥取に監視をさせて退路を断っても、何の意味もない。

「翡翠、お前を逃してあげる」
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