2 王への元献上品と、その元調教師

華山富士鷹

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思いやる心

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翡翠から、試したい事があると言われて連れて来られたのは、俺達夫婦の寝室だった。
「翡翠は、最後の夜に新しいプレイでも試してみたいの?」
冗談混じりに俺が言うと、翡翠は肩を竦めて困った顔をする。
「最後の夜ですか……そうかもしれません」
そう言われて俺は『やっぱりそうか』と胸が苦しくなった。
これが年貢の納め時だったのかもな。
「何がしてみたいの?出来るだけ善処するよ?」
俺は翡翠の手を取って彼女をベッドの縁に座らせ、自身は片膝を立ててその正面にひざまずいた。
こんな時でも、俺は幼少期から根付いている愛想笑いを浮かべる。
でも上手く笑えているかどうか、自信がない。気持ちに笑顔が追いついていない気がする。
「その前に、私のお話を聞いていただけませんか?」
「話?」
改まって、珍しい。
──というか、俺は翡翠の話をちゃんと聞いた事があっただろうか?
そもそも俺達はすれ違ってばかりだったと思う。
それもこれも、全部俺のせいだ。
「はい。ずっと胸に引っかかっていた事があって、やっぱり、ちゃんと話しておかないといけないと思いまして」
「分かった、聞こう」
今更かもしれないけれど、俺はこれまでの罪滅ぼしの為にもとことん翡翠の話を聞いてやろうと思った。
「はぁ……」
翡翠は緊張の面持ちで一度大きく深呼吸する。
なんかただならぬ雰囲気だな。こっちまで身構えてしまう。
「大丈夫?無理しなくていいよ?」
俺は、汗でひっついた翡翠の前髪を手で優しくすいてやる。
『無理しなくていい』なんて言ったが、凄い気になる、と同時に、聞くのが怖い。
一体、何を話したいというのだろう?
「ベルトを外していいですか?」
「ベルト?」
翡翠は楽な部屋着を着ている。ベルトなんかしていないじゃないか。
困惑していると、俺は翡翠によってカチャカチャとベルトを抜き取られた。
俺のベルトかよ。
翡翠のやつ、行為そのものすら怖がるのに、最後だからか、今日はやけに積極的だな。
「それで?ぶちたいの?ぶたれたいの?言っておくけど俺はぶつ事にしか興味がないよ?」
俺は相手を恐怖で支配するのが好きだから。
「痛いのはお嫌いですか?」
翡翠は俺の手を取り、ベルトを持たせた。
「逆に、好きな奴なんかいるのか?」
──と言うと、翡翠が苦笑して、俺はハッとする。

俺は一度でも、ぶたれる側の気持ちを考えた事があっただろうか?

俺はいつだって自分本意に相手をぶち、自己満足に浸ってきた。一方的に自分の気持ちをぶつけるだけで、相手の気持ちを尊重した事はなかった。
あまつさえ俺は、自らの征服欲を満たす為だけに翡翠を好きな男の前でまざまざと犯した。
それは、翡翠の人格を否定する事に相違ない。
俺はなんて事をしてきたのだろう。
もし自分が手足を縛られ、三角木馬に乗せたれたとしたら……その場で舌を噛んで死にたいくらいだ。
俺はそんな事を翡翠に強いてきた。
翡翠が怯えて嫌がる様が可愛くて仕方がなかったから……
「俺にベルトなんか渡して、どういうつもり?」
サドに凶器なんて渡して、ぶってくれと言っているようなものだけど、翡翠の奴、まさかマゾに目覚めた訳でもあるまい。
「自分は、罰せられるべき人間なんじゃないかと思ったんです」
「つまり?」
罪を犯したと?
そこで翡翠は思い詰めたように言葉を詰まらせた。
「翡翠?」
俺が翡翠の顔を覗き込むと、彼女は泣きそうな顔をしていたが、グッと唇を噛み締め、泣くもんかとそれを我慢していた。
一体、翡翠は何をそんなに思い詰めているのか?
「私は王を……風斗さんを欺きました」
「それはつまり、お前は俺ではなく、セキレイを愛していたという事か?言っておくが、そんな事はもういいんだ。だから俺はお前を──」
「違うんです」
翡翠が苦しそうに言葉を絞り出し、俺は心配になり、彼女の手を握る。
そんなに深刻な話なのか?
一体、何をそんなに苦しんでいる、翡翠?
「どうした、翡翠?何故、そんなに苦しむ?どうせお前は明日ここから出られるんだ、無理して打ち明ける必要はないだろ?」
ぶっちゃけ翡翠の告白は気になるが、彼女に苦しい思いをさせてまで話を聞き出したいとは思わない。
「きっと、風斗さんに不快な思いをさせてしまうかもしれませんが、フェアじゃないので言わせて下さい」
翡翠の手に力が込められたのを感じた。
「分かった。なら聞こう」
俺が心構えをして翡翠の淀んだ瞳を見つめると、彼女は意を決して噛み締めていた唇をゆっくりと開く。

「私は処女ではなかったんです」

最初、俺は何を言われているのか全く理解が追いつかなかった。
処女じゃなかったって言ったか?
でも儀式のあの夜、確かに翡翠は血を流した、筈。いや、待て、俺ははなから献上品は穢れなきものと決めてかかっていたから見落としていた可能性もある。というか、処女が献上品の絶対条件だったから、全然意識した事がなかった。
「──は、えぇと、それは、献上の儀式の時には既に、そうじゃなかったって事、だよね?」
それならば献上品として重大な規約違反を犯していた事になる。いや、保護者であるセキレイもしかりだ。身分の差で処罰の重さは異なるが、何かしらの罪には問われる。
それに──

翡翠の処女を奪ったのはセキレイなんじゃないのか?

2人は相思相愛なんだ、セキレイ以外考えられない。
いつから?
花梨や紅玉みたいに2人で俺を騙していたのか?
セキレイは俺が知る前から翡翠の全てを見ていたのか?
翡翠は、ここへもらわれて来た時からずっと俺の物だったのに!
俺は嫉妬で全身の血が沸き立つのを感じた。
確かに、俺がド変態のドS野郎だという事を差し引いても、理屈抜きにベルトを使いたくなる話だった。
だってそうじゃないか、セキレイは翡翠の処女を奪っておきながら彼女を俺に差出しまんまと国を手に入れ、翡翠は翡翠で俺を騙してのうのうと王妃の座についている、そう思ったら馬鹿馬鹿しくもなるだろう。
「翡翠……君は調教がなっていなかったようだ。やっぱり、あの時俺が君を調教していたら、君はとてもいい娘になっていたのに」
俺の、ベルトを握る手に力が入り、翡翠の手が緊張で硬直する。
「ベルトはいい。拘束する事も、ぶつ事も、猿轡をかます事も出来るからね。ただ、1本じゃあ、残念ながらぶつ事しか出来ないよね」
俺は自暴自棄もあり、喉でクックックッとニヒルに笑った。
「風斗さん、風斗さんは、私の処女を奪ったのがセキレイさんだとお思いじゃないですか?」
「思ってる」
俺はおもむろに翡翠の首に手をかける。
明日逃してやるつもりだったが、怒りに任せて翡翠を動けなくなるまで罰してしまいそうだ。
言わば今の俺は、さながら水を得た魚。翡翠をどう料理してやろうかと、そんな事ばかりが頭を巡った。
「セキレイさんはそんな人じゃありません。少なくとも、私が嫌がる事はしません」
翡翠は俺に手をかけられながらも毅然とした態度でこう続ける。

「相手は見ず知らずの男です。雷の夜に襲われたんです」

「え……?」
それは──
「襲われたんです……」
翡翠の目はみるみる赤く充血したが、涙こそ流さなかった。彼女は涙を落とすまいとカッと目を見開いている。そんな、意地を張る翡翠の姿が、俺の目には逆に痛ましく見えた。
「騙してすいませんでした」
翡翠は涙を落とさぬよう一瞬だけ頭を下げる
「そういう問題じゃない。体は大丈夫なのか?怖い夢でうなされる事もあるだろう。カウンセリングとかは受けたのか?」
何故、こんな健気で良い娘がそんな残酷な目にあわなければならなかったのか、俺は翡翠を憂いると同時に相手の男に怒りがこみ上げてきた。
そんな奴こそ、鞭でぶってやるべきなんじゃないか?
何も知らなかったとは言え、俺は心に傷を負った翡翠をいたぶって悦んでいたなんて……
俺は己を恥じ、強烈な後悔の念に襲われた。
これまで、翡翠が可哀想なのが可愛くて虐めてしまっていたが、今はただ、ただただ彼女が可哀想過ぎて辛い。
ただでさえ最初は怖いだろうに、知らない男に無理矢理だなんて、普通は心を壊してしまうだろうに。それでも翡翠は震えながらも俺を受け入れてくれた。そんな翡翠に、俺は何て酷い事をしてきたのだろう。怖かっただろうに、辛かっただろうに。
胸が痛い。
守ってあげるべき人間に、俺は……
くそっ……
「カウンセリングとかは特に……でも、周りの近しい人達が支えてくれて、今は克服出来たと思います」
そんな訳ないだろう、お前は夜の俺を怖がってたじゃないか。
きっと、憎むべき犯人の男と俺を重ねては何度も舌を噛み切りたくなった事だろう。
そうして考えると、俺は翡翠にとって犯人と同じような存在だったに違いない。俺は怯えて嫌がる翡翠をいたぶり、辱めてめちゃくちゃに体を弄んでいたんだ、当然と言えば当然だ。
肩を落として笑う翡翠を見ていて、俺は庇護欲にかられ、自然と彼女をその胸に抱いていた。
「あ、あの……」
翡翠が震えた。
「あっ、悪い」
俺は慌てて翡翠から離れる。
まずった、怖がらせた。
守ってやりたいと思ったのに、俺自身、翡翠にとっては害悪なのだ。
かなり凹む。
どうしたらいいんだろう、翡翠は壊れ物だ。自分の思いだけで翡翠に接していては、逆に彼女を傷付けてしまう。以前まではこうした翡翠の反応が可愛くて仕方がなかったのに、今は彼女の些細な仕草に心を揺さぶられる。
なんだこのジレンマ、歯痒くて堪らない。
どうしたら翡翠を癒やしてあげられるんだろう?

それこそ、翡翠が心を許しているセキレイじゃないと──

俺じゃ駄目だ。逆に翡翠を怖がらせてしまう。
何もしてあげられない自分が悔しくて堪らなかった。
「やっぱり、翡翠はセキレイと一緒にいるべきだと思う」
最初は単なる嫉妬心から2人を罠に嵌めてやろうと思いついた悪巧みだったけれど、俺に翡翠を癒やしてやれないのなら、心からそうするべきだと思った。
「俺は翡翠を傷付けるばかりだから」
手にしていたベルトを見ると、なんだかいたたまれない気持ちになり、俺はそれを片隅に放る。
「今まで本当にごめん。沢山傷付けたね」
口をついて出たのは、心よりの謝罪だった。
横暴の限りを尽くしていた過去の自分を殴ってやりたい。
「……風斗さん、貴方は優しい方です。愛し方を知らなかっただけで、本当は優しい人なんです。貴方はただ、愛する人から愛されたかっただけですよね?」
翡翠に両手で頬を包まれ、俺は情けなくもスルリと涙をこぼした。
いつ、何時でも己を取り繕って生きてきた俺が、理性の及ばぬところで感情をあらわにするなんて、俺はどうしてしまったんだろう。
それに、なんで俺の方が癒やされてるんだよ。
でも、翡翠だけが俺の本心を理解してくれている事が嬉しかった。救われたような気がしていた。
だからこそ、愛する人にも救われてほしいと思う。
「翡翠、俺はもう、絶対に、お前に酷い事はしない。誓うよ。お前を救ってやりたいんだ。だから、お前はセキレイとここを出ていけ」
それがお前の為だ。
例え自分がフラれようと、好きな相手が他の誰かと幸せになるのを心から願うなんて、どSの俺らしくないけど。

これが、人を心から愛するという事なのか。

愛故に傷付けてしまうだなんて、鳥取が言う通り、そんなのは単なる言い訳だったんだ。尊い人を尊ぶのは当たり前の事なのに、どうして今まで気がつかなかったんだろう。

俺はその夜、翡翠を守るように抱きしめながら眠った。
愛する人を前に、こんなに穏やかな気持ちで夜を迎えられるなんて初めての事だった。
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