241 / 241
第11章
233話
しおりを挟む
放った炎は瞬く間に医者の身体を包み込んだ。
「ああッッ!!熱いッ!」
断末魔のような悲鳴をあげ、医者はその場に崩れ落ちる。
その光景をベッドの上から眺めながら、僕は冷静に思考を巡らせていた。
ーーーさて、シューンベルグ公爵たちにはどう言い訳をするべきか。
そのとき。
「うぐっ…!?」
唐突に、心臓が激しく脈打ち始めた。
あまりの激しさに息が詰まる。胸を押さえ、身体をくの字に折る。
身体が、目の奥が、焼けるように熱い。
まるで沸騰した血液が、グツグツと音を立てながら身体中を駆け巡っているようだった。
このままではまずい。
弱りきった心臓に、これ以上の負荷は致命的だ。
焦り募るが、今の僕ではどうすることもできない。
「反動か。ふむ。魔力保持者ではなく、ただの人間が一時的に魔力を取り込んだ…ということか?」
すぐそばで、ひどく冷静な声がした。
視線を上げると、そこには、つい先程、炎を放ったはずの医者が、涼しい顔でベッドの傍らに立っていた。
一瞬、僕は苦しさを忘れて、唖然する。
「…ん?」
こちらを観察するような瞳と目があった。
眼鏡越しの瞳がみるみると見開かれる。
「まさか…」
そう呟いた瞬間、医者は崩れ落ちるように膝をついて、勢いよく僕の頬を両手で挟み、鼻先がふれそうな距離まで顔を近づけてきた。
そして、彼は至近距離で叫び始めた。
「あぁッ!その瞳!まるで人間味のない!人を人として見ていない!冷たくて!無機質で!高純度の宝石のような!!あぁ、これはっ!これこそはっ!300年間ずっと恋焦がれていた神の瞳!!」
興奮に打ち震える声。
初老のはずの声音が、若返ったように弾んでいる。いや、ようにではない。実際に声が若返っている。
しわがれた老人の声から一転して、脊髄を震わせるような洗練された深いバリトンの声へ。
医者は苦しむ僕の首筋に顔を埋め、すんすんの匂いを嗅ぐ。
「この匂い!この魔力!間違いない!貴方はアルベルト!!!」
その名が、鈍器のように脳天を打ち据えた。
何故、この男が僕の名前を…しかも生前の名前を知っているのだ。
「…何者だ。」
苦痛に息を乱しながら、ただの医者では無いことを察した僕は医者を睨みつける。
一瞬、ある人物の顔が脳裏を過ったが、すぐにあり得ないと否定した。
「まさか私が分からないなんて…。生まれ変わって記憶を失ってしまったか…?あぁ、いや…この顔では無理もないか。」
ぶつぶつと呟きながら、医者は突然、己の顔を粘土のように捏ね始めた。
皮膚が波打ち、骨格が歪む。
「すみませんね。素性がばれないよう、顔を変えていたことを、すっかり忘れていました。」
現れたのは、獅子のたてがみのような黄金の髪とサファイア瞳を持つ、三十代台半ばの男。
どこからどう見ても知らない顔だが、その色合いからして皇族の出であることだけは分かった。
「おっと。違う違う。今の顔ではなく…」
男は再びぐにゃぐにゃと顔を捏ねる。
老若男女。
次々と別人の顔が現れては消えていく。
「…あぁ、そうそう。こんな顔でした。」
両手を下ろした男は、短い金髪をきっちり七三に分け、再び眼鏡をかける。
そのあまりにも見覚えがありすぎる顔に、僕は息を吞んだ。
「ラルフ…」
ラルフ=ブランシュネージュ=ノルデン。
300年前、不老不死の魔法をかけた僕の叔父。
「どうしてお前がこんなところに…」
僕の呟きに、ラルフは薄く微笑んだ。
「あぁ、良かった。記憶はあるようですね。…おや、瞳の色がサファイアから金色に戻ってしまいましたね。どういうことなんです?」
ラルフの手が僕の頬に伸びる。僕はそれを弾き落とした。
激しく鼓動していた心臓が徐々に落ち着き、息が吸えるようになる。
「僕のことより、まずはお前の話をしろ。」
ラルフはやれやれと言いたげに肩をすくめ、これまでのことを語り始めた。
300年前。
僕が死後、ラルフは僕の後を継いで皇帝となった。
その後も顔と名前を変えながら玉座に居座り続け、現在はレーベ=ブランシュネージュ=ノルデンという名で、帝位にあるという。
そして、僕の魔力の気配を察知し、医者に扮してシューンベルグ邸に忍び込んだらしい。
「…意外だな。」
「何がです?」
「帝位には興味がないと言っていただろう?なのに300年間も居座り続けているなんて。」
ラルフは傍らの椅子に腰かけ、昔と変わらぬ調子で淡々と話す。
「私は貴方の墓を暴き、貴方の死体を食べ尽くしました。」
「……は?」
「貴方を私の中に取り込み、子を産み続ければ、いつか貴方が再びこの世界に生まれ落ちてくるのではないかと思いましてね。8年前、アルベルトそっくりな子が生まれましたが…残念ながら貴方ではなかった。」
そう言って、ラルフは僕を見て薄く笑う。
淡々と語られる、ねっとりとした粘着質な内容に、僕の背筋に悪寒が走った。
「…相変わらず気持ち悪いな。」
「貴方ほどではありません。」
僕がラルフよりも気持ち悪いだと?
そんなバカな。あり得ない。
僕が睨みつけると、ラルフは懐かしむように眼を眇めた。
「300年間、ずっと皇宮で貴方を待ち焦がれていたんですよ。」
「…僕に燃やされたくてか?」
この男が待ち焦がれているのは僕ではない。
彼が真に求めているものは『人類が還る場所はこの炎の中である』という、独自の思想のもと、炎に包まれて迎える【死】だけだ。
その証拠に、ラルフの瞳は狂気に爛々と輝きだした。
「もちろん!!さきほど受けた炎では生ぬるい!!もっと魂が燃え尽きてししまうほどの激しい火力でなければ!神が存在しない世界ならば、私の神はアルベルト!!やはり貴方なんですよっ!!!」
ヒシッと己を抱きしめる男を、僕はげんなりと眺めている。
かつて、この男を尊敬していたなんて。
いっそ、その事実ごと消してしまいたい。
そんなことを考えていると、感極まっていた彼はふと真顔に戻った。
「それで?貴方はどうしてこんな弱っているのです?」
「…僕は…」
僕はこれまでの経緯をラルフに説明した。
❖❖❖❖❖
「おいたわしや…。私がもっと早く貴方を見つけていれば、6年間もそんな劣悪な環境に身を置かずに済んだでしょうに…」
話を聞き終えたラルフは、懐から取り出したハンカチで止まらぬ涙を拭っていた。
こいつに涙を流す感情があったのか、と僕はまたもや心の底から引いた。
「ただの人間であるうえに、記憶もなかった僕を見つけるなんて不可能だろう。」
「そうかもしれません。ですが、あの花畑の魔力を貴方が使って下さったおかげで、ようやく辿り着きました。」
あのカモミール畑はラルフがよそ者に荒らさぬよう300年のあいだ密かに管理していたらしい。
そして、生前の僕の願い通り、あの花々は一度も枯れたことがないという。
「ただ……今の身体では、昔のように気軽に魔法を使うことは難しいようですね。」
ラルフの言葉に、僕は小さく頷く。
魔法を扱える魔力保持者と、魔力を持たぬ普通の人間とでは、身体のつくりが違うらしい。
体内に取り込めば一時的に魔法は使えるようだが、後者である僕は魔法を使うたびに反動を受けてしまうようだ。
特に心臓と目への負担が大きい。
「厄介だな…」
思わず舌打ちが漏れる。
虚弱な身体に、必ず訪れる魔法の反動。
こんな枷を抱えたまま、世界から聖女を排除しなければならないなんて。
まるで世界から嫌がらせをうけているようだ。
「私も、その役目とやらをお手伝いしましょう。」
「お前が?…信用できないな。」
300年前。
ラルフは従順なフリして、長年僕を欺き続けていた男だ。
怒りや憎しみはないが、不信感だけは消えない。
胡乱な眼差しを向けると、ラルフは肩をすくめた。
「貴方の気持ちは分かります。信じてくださいとは申しません。ですが、私が望む対価を聞けば、多少は信用していただけるかと。」
「…対価?」
「えぇ。貴方を手助けする代わりに、全て終わったその時ーーー私の不老不死の呪いを解き、貴方の炎で私を殺してください。」
「………。」
消毒の香りが満ちる療養部屋に、沈黙が落ちる。
僕は、叔父を誰よりも信頼し、そして誰よりも尊敬をしていた。
だが彼は、そんな僕を裏切った。
だから僕は、死を渇望していた叔父に不老不死の呪いをかけた。
一生苦しみながら生き続けろと。
しばし思考し、目的達成までの最短距離を測る。
「分かった。」
僕はラルフの提案を受け入れた。
「…意外ですね。」
ラルフが目を瞠る。
「自尊心の塊のような貴方なら、迷いなく断ると思っていました。」
「僕だってそこまで愚かじゃない。どちらに勝算があるかなんて明確だろう?」
アルベルトのままであれば、即座にラルフの提案を蹴っていただろう。
だが、今の僕はただの無力な人間だ。
いや、死にかけの身体を虫の血を使って無理やり動かしている僕は、人間にすらなれていない。
それ以下の存在だ。
そんな僕が傍観者から課せられた役目を果たすまで、どれほどの時間を有するか。
役目を果たす前に、この虚弱な身体が朽ちる可能性の方が高い。
自分とラルフ。天秤にかけるまでもない。
その決断に反発する自尊心は、もちろんある。
だが、それに、自分は人間以下の存在であることを言い聞かせ、無理やり押さえ込んだ。
「…貴方、本当にアルベルトですか?」
ラルフが奇妙なものをみるかのように、僕を見下ろす。
「なに?」
「話せば話すほど、私が知っているアルベルトとかけ離れていきます。自ら世界の駒に成り果てるなんて、私が知っている貴方はそんな自己犠牲をするような男ではなかった。」
ラルフは眼鏡を押し上げ、静かに問いかける。
「貴方の本当の目的は何なのです?」
「…前にも言っただろう?あの子以外、どうでもいいって。」
ラフルはハッと目を見開き、そしてすぐに忌々しく顔を歪めた。
「僕より先に、エリザが生まれているはずなんだ。この世界の何処かに。」
本来、死者の記憶は黄泉の泉で浄化され、無垢な魂だけが再び世界に還る。
だが、彼女はその浄化が不完全のまま、どこの馬の骨とも知れぬ輩に連れ去られた。
「エリザがエリザらしく、この世界で生きていけるように。彼女の記憶を消さなければならない。」
記憶だけじゃない。
聖女や毒虫。
彼女の人格に悪影響を及ぼす、ありとあらゆる害を摘み取らなければ。
「そして、もう一度あの頃の彼女に会いたい。」
庭で見つけた、無垢な彼女に。
そのためなら、ラルフの提案を吞もうが、世界の奴隷になろうが構わない。
奇妙な沈黙のち、ラルフは深く息を吐いた。
「300年前から、何一つ変わっていなかった……」
呆れたような、落胆したような。
ラルフは小さく呟き、ぐったりと背もたれに身を預けた。
長い指先からも力が抜け、視線は床へと落ちる。
「その執着の矛先が、ほんの僅かでも私に向いていればーーー」
ゆっくりと顔を上げる。
彼のサファイア瞳には、長年の狂気と嫉妬が何層にも積み重なって渦を巻いていた。
「記憶を取り戻した瞬間。この世界に不老不死の私がまだ存在していること、真っ先に思い至ったでしょうに。」
自嘲気味に呟くラルフ。
そんな彼に、僕は冷たく言い放つ。
「一瞬たりとも思い出さなかったよ。」
その一言で、ラルフの表情が静かに凍りつく。 けれどすぐに、張りつめていたものがふっとほどけた。
彼は、力なく笑う。
「えぇ、でしょうね。貴方はそういう子です。」
ラルフは一瞬、何かを考えるように視線を伏せたのち、再び僕を見据えた。
「―――それでも私は、300年、待ったかいがあったと思っていますよ。」
「ああッッ!!熱いッ!」
断末魔のような悲鳴をあげ、医者はその場に崩れ落ちる。
その光景をベッドの上から眺めながら、僕は冷静に思考を巡らせていた。
ーーーさて、シューンベルグ公爵たちにはどう言い訳をするべきか。
そのとき。
「うぐっ…!?」
唐突に、心臓が激しく脈打ち始めた。
あまりの激しさに息が詰まる。胸を押さえ、身体をくの字に折る。
身体が、目の奥が、焼けるように熱い。
まるで沸騰した血液が、グツグツと音を立てながら身体中を駆け巡っているようだった。
このままではまずい。
弱りきった心臓に、これ以上の負荷は致命的だ。
焦り募るが、今の僕ではどうすることもできない。
「反動か。ふむ。魔力保持者ではなく、ただの人間が一時的に魔力を取り込んだ…ということか?」
すぐそばで、ひどく冷静な声がした。
視線を上げると、そこには、つい先程、炎を放ったはずの医者が、涼しい顔でベッドの傍らに立っていた。
一瞬、僕は苦しさを忘れて、唖然する。
「…ん?」
こちらを観察するような瞳と目があった。
眼鏡越しの瞳がみるみると見開かれる。
「まさか…」
そう呟いた瞬間、医者は崩れ落ちるように膝をついて、勢いよく僕の頬を両手で挟み、鼻先がふれそうな距離まで顔を近づけてきた。
そして、彼は至近距離で叫び始めた。
「あぁッ!その瞳!まるで人間味のない!人を人として見ていない!冷たくて!無機質で!高純度の宝石のような!!あぁ、これはっ!これこそはっ!300年間ずっと恋焦がれていた神の瞳!!」
興奮に打ち震える声。
初老のはずの声音が、若返ったように弾んでいる。いや、ようにではない。実際に声が若返っている。
しわがれた老人の声から一転して、脊髄を震わせるような洗練された深いバリトンの声へ。
医者は苦しむ僕の首筋に顔を埋め、すんすんの匂いを嗅ぐ。
「この匂い!この魔力!間違いない!貴方はアルベルト!!!」
その名が、鈍器のように脳天を打ち据えた。
何故、この男が僕の名前を…しかも生前の名前を知っているのだ。
「…何者だ。」
苦痛に息を乱しながら、ただの医者では無いことを察した僕は医者を睨みつける。
一瞬、ある人物の顔が脳裏を過ったが、すぐにあり得ないと否定した。
「まさか私が分からないなんて…。生まれ変わって記憶を失ってしまったか…?あぁ、いや…この顔では無理もないか。」
ぶつぶつと呟きながら、医者は突然、己の顔を粘土のように捏ね始めた。
皮膚が波打ち、骨格が歪む。
「すみませんね。素性がばれないよう、顔を変えていたことを、すっかり忘れていました。」
現れたのは、獅子のたてがみのような黄金の髪とサファイア瞳を持つ、三十代台半ばの男。
どこからどう見ても知らない顔だが、その色合いからして皇族の出であることだけは分かった。
「おっと。違う違う。今の顔ではなく…」
男は再びぐにゃぐにゃと顔を捏ねる。
老若男女。
次々と別人の顔が現れては消えていく。
「…あぁ、そうそう。こんな顔でした。」
両手を下ろした男は、短い金髪をきっちり七三に分け、再び眼鏡をかける。
そのあまりにも見覚えがありすぎる顔に、僕は息を吞んだ。
「ラルフ…」
ラルフ=ブランシュネージュ=ノルデン。
300年前、不老不死の魔法をかけた僕の叔父。
「どうしてお前がこんなところに…」
僕の呟きに、ラルフは薄く微笑んだ。
「あぁ、良かった。記憶はあるようですね。…おや、瞳の色がサファイアから金色に戻ってしまいましたね。どういうことなんです?」
ラルフの手が僕の頬に伸びる。僕はそれを弾き落とした。
激しく鼓動していた心臓が徐々に落ち着き、息が吸えるようになる。
「僕のことより、まずはお前の話をしろ。」
ラルフはやれやれと言いたげに肩をすくめ、これまでのことを語り始めた。
300年前。
僕が死後、ラルフは僕の後を継いで皇帝となった。
その後も顔と名前を変えながら玉座に居座り続け、現在はレーベ=ブランシュネージュ=ノルデンという名で、帝位にあるという。
そして、僕の魔力の気配を察知し、医者に扮してシューンベルグ邸に忍び込んだらしい。
「…意外だな。」
「何がです?」
「帝位には興味がないと言っていただろう?なのに300年間も居座り続けているなんて。」
ラルフは傍らの椅子に腰かけ、昔と変わらぬ調子で淡々と話す。
「私は貴方の墓を暴き、貴方の死体を食べ尽くしました。」
「……は?」
「貴方を私の中に取り込み、子を産み続ければ、いつか貴方が再びこの世界に生まれ落ちてくるのではないかと思いましてね。8年前、アルベルトそっくりな子が生まれましたが…残念ながら貴方ではなかった。」
そう言って、ラルフは僕を見て薄く笑う。
淡々と語られる、ねっとりとした粘着質な内容に、僕の背筋に悪寒が走った。
「…相変わらず気持ち悪いな。」
「貴方ほどではありません。」
僕がラルフよりも気持ち悪いだと?
そんなバカな。あり得ない。
僕が睨みつけると、ラルフは懐かしむように眼を眇めた。
「300年間、ずっと皇宮で貴方を待ち焦がれていたんですよ。」
「…僕に燃やされたくてか?」
この男が待ち焦がれているのは僕ではない。
彼が真に求めているものは『人類が還る場所はこの炎の中である』という、独自の思想のもと、炎に包まれて迎える【死】だけだ。
その証拠に、ラルフの瞳は狂気に爛々と輝きだした。
「もちろん!!さきほど受けた炎では生ぬるい!!もっと魂が燃え尽きてししまうほどの激しい火力でなければ!神が存在しない世界ならば、私の神はアルベルト!!やはり貴方なんですよっ!!!」
ヒシッと己を抱きしめる男を、僕はげんなりと眺めている。
かつて、この男を尊敬していたなんて。
いっそ、その事実ごと消してしまいたい。
そんなことを考えていると、感極まっていた彼はふと真顔に戻った。
「それで?貴方はどうしてこんな弱っているのです?」
「…僕は…」
僕はこれまでの経緯をラルフに説明した。
❖❖❖❖❖
「おいたわしや…。私がもっと早く貴方を見つけていれば、6年間もそんな劣悪な環境に身を置かずに済んだでしょうに…」
話を聞き終えたラルフは、懐から取り出したハンカチで止まらぬ涙を拭っていた。
こいつに涙を流す感情があったのか、と僕はまたもや心の底から引いた。
「ただの人間であるうえに、記憶もなかった僕を見つけるなんて不可能だろう。」
「そうかもしれません。ですが、あの花畑の魔力を貴方が使って下さったおかげで、ようやく辿り着きました。」
あのカモミール畑はラルフがよそ者に荒らさぬよう300年のあいだ密かに管理していたらしい。
そして、生前の僕の願い通り、あの花々は一度も枯れたことがないという。
「ただ……今の身体では、昔のように気軽に魔法を使うことは難しいようですね。」
ラルフの言葉に、僕は小さく頷く。
魔法を扱える魔力保持者と、魔力を持たぬ普通の人間とでは、身体のつくりが違うらしい。
体内に取り込めば一時的に魔法は使えるようだが、後者である僕は魔法を使うたびに反動を受けてしまうようだ。
特に心臓と目への負担が大きい。
「厄介だな…」
思わず舌打ちが漏れる。
虚弱な身体に、必ず訪れる魔法の反動。
こんな枷を抱えたまま、世界から聖女を排除しなければならないなんて。
まるで世界から嫌がらせをうけているようだ。
「私も、その役目とやらをお手伝いしましょう。」
「お前が?…信用できないな。」
300年前。
ラルフは従順なフリして、長年僕を欺き続けていた男だ。
怒りや憎しみはないが、不信感だけは消えない。
胡乱な眼差しを向けると、ラルフは肩をすくめた。
「貴方の気持ちは分かります。信じてくださいとは申しません。ですが、私が望む対価を聞けば、多少は信用していただけるかと。」
「…対価?」
「えぇ。貴方を手助けする代わりに、全て終わったその時ーーー私の不老不死の呪いを解き、貴方の炎で私を殺してください。」
「………。」
消毒の香りが満ちる療養部屋に、沈黙が落ちる。
僕は、叔父を誰よりも信頼し、そして誰よりも尊敬をしていた。
だが彼は、そんな僕を裏切った。
だから僕は、死を渇望していた叔父に不老不死の呪いをかけた。
一生苦しみながら生き続けろと。
しばし思考し、目的達成までの最短距離を測る。
「分かった。」
僕はラルフの提案を受け入れた。
「…意外ですね。」
ラルフが目を瞠る。
「自尊心の塊のような貴方なら、迷いなく断ると思っていました。」
「僕だってそこまで愚かじゃない。どちらに勝算があるかなんて明確だろう?」
アルベルトのままであれば、即座にラルフの提案を蹴っていただろう。
だが、今の僕はただの無力な人間だ。
いや、死にかけの身体を虫の血を使って無理やり動かしている僕は、人間にすらなれていない。
それ以下の存在だ。
そんな僕が傍観者から課せられた役目を果たすまで、どれほどの時間を有するか。
役目を果たす前に、この虚弱な身体が朽ちる可能性の方が高い。
自分とラルフ。天秤にかけるまでもない。
その決断に反発する自尊心は、もちろんある。
だが、それに、自分は人間以下の存在であることを言い聞かせ、無理やり押さえ込んだ。
「…貴方、本当にアルベルトですか?」
ラルフが奇妙なものをみるかのように、僕を見下ろす。
「なに?」
「話せば話すほど、私が知っているアルベルトとかけ離れていきます。自ら世界の駒に成り果てるなんて、私が知っている貴方はそんな自己犠牲をするような男ではなかった。」
ラルフは眼鏡を押し上げ、静かに問いかける。
「貴方の本当の目的は何なのです?」
「…前にも言っただろう?あの子以外、どうでもいいって。」
ラフルはハッと目を見開き、そしてすぐに忌々しく顔を歪めた。
「僕より先に、エリザが生まれているはずなんだ。この世界の何処かに。」
本来、死者の記憶は黄泉の泉で浄化され、無垢な魂だけが再び世界に還る。
だが、彼女はその浄化が不完全のまま、どこの馬の骨とも知れぬ輩に連れ去られた。
「エリザがエリザらしく、この世界で生きていけるように。彼女の記憶を消さなければならない。」
記憶だけじゃない。
聖女や毒虫。
彼女の人格に悪影響を及ぼす、ありとあらゆる害を摘み取らなければ。
「そして、もう一度あの頃の彼女に会いたい。」
庭で見つけた、無垢な彼女に。
そのためなら、ラルフの提案を吞もうが、世界の奴隷になろうが構わない。
奇妙な沈黙のち、ラルフは深く息を吐いた。
「300年前から、何一つ変わっていなかった……」
呆れたような、落胆したような。
ラルフは小さく呟き、ぐったりと背もたれに身を預けた。
長い指先からも力が抜け、視線は床へと落ちる。
「その執着の矛先が、ほんの僅かでも私に向いていればーーー」
ゆっくりと顔を上げる。
彼のサファイア瞳には、長年の狂気と嫉妬が何層にも積み重なって渦を巻いていた。
「記憶を取り戻した瞬間。この世界に不老不死の私がまだ存在していること、真っ先に思い至ったでしょうに。」
自嘲気味に呟くラルフ。
そんな彼に、僕は冷たく言い放つ。
「一瞬たりとも思い出さなかったよ。」
その一言で、ラルフの表情が静かに凍りつく。 けれどすぐに、張りつめていたものがふっとほどけた。
彼は、力なく笑う。
「えぇ、でしょうね。貴方はそういう子です。」
ラルフは一瞬、何かを考えるように視線を伏せたのち、再び僕を見据えた。
「―――それでも私は、300年、待ったかいがあったと思っていますよ。」
74
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(479件)
あなたにおすすめの小説
もう我慢したくないので自由に生きます~一夫多妻の救済策~
岡暁舟
恋愛
第一王子ヘンデルの妻の一人である、かつての侯爵令嬢マリアは、自分がもはや好かれていないことを悟った。
「これからは自由に生きます」
そう言い張るマリアに対して、ヘンデルは、
「勝手にしろ」
と突き放した。
心が折れた日に神の声を聞く
木嶋うめ香
ファンタジー
ある日目を覚ましたアンカーは、自分が何度も何度も自分に生まれ変わり、父と義母と義妹に虐げられ冤罪で処刑された人生を送っていたと気が付く。
どうして何度も生まれ変わっているの、もう繰り返したくない、生まれ変わりたくなんてない。
何度生まれ変わりを繰り返しても、苦しい人生を送った末に処刑される。
絶望のあまり、アンカーは自ら命を断とうとした瞬間、神の声を聞く。
没ネタ供養、第二弾の短編です。
病弱な幼馴染と婚約者の目の前で私は攫われました。
鍋
恋愛
フィオナ・ローレラは、ローレラ伯爵家の長女。
キリアン・ライアット侯爵令息と婚約中。
けれど、夜会ではいつもキリアンは美しく儚げな女性をエスコートし、仲睦まじくダンスを踊っている。キリアンがエスコートしている女性の名はセレニティー・トマンティノ伯爵令嬢。
セレニティーとキリアンとフィオナは幼馴染。
キリアンはセレニティーが好きだったが、セレニティーは病弱で婚約出来ず、キリアンの両親は健康なフィオナを婚約者に選んだ。
『ごめん。セレニティーの身体が心配だから……。』
キリアンはそう言って、夜会ではいつもセレニティーをエスコートしていた。
そんなある日、フィオナはキリアンとセレニティーが濃厚な口づけを交わしているのを目撃してしまう。
※ゆるふわ設定
※ご都合主義
※一話の長さがバラバラになりがち。
※お人好しヒロインと俺様ヒーローです。
※感想欄ネタバレ配慮ないのでお気をつけくださいませ。
蔑ろにされた王妃と見限られた国王
奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています
国王陛下には愛する女性がいた。
彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。
私は、そんな陛下と結婚した。
国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。
でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。
そしてもう一つ。
私も陛下も知らないことがあった。
彼女のことを。彼女の正体を。
初恋が綺麗に終わらない
わらびもち
恋愛
婚約者のエーミールにいつも放置され、蔑ろにされるベロニカ。
そんな彼の態度にウンザリし、婚約を破棄しようと行動をおこす。
今後、一度でもエーミールがベロニカ以外の女を優先することがあれば即座に婚約は破棄。
そういった契約を両家で交わすも、馬鹿なエーミールはよりにもよって夜会でやらかす。
もう呆れるしかないベロニカ。そしてそんな彼女に手を差し伸べた意外な人物。
ベロニカはこの人物に、人生で初の恋に落ちる…………。
番(つがい)はいりません
にいるず
恋愛
私の世界には、番(つがい)という厄介なものがあります。私は番というものが大嫌いです。なぜなら私フェロメナ・パーソンズは、番が理由で婚約解消されたからです。私の母も私が幼い頃、番に父をとられ私たちは捨てられました。でもものすごく番を嫌っている私には、特殊な番の体質があったようです。もうかんべんしてください。静かに生きていきたいのですから。そう思っていたのに外見はキラキラの王子様、でも中身は口を開けば毒舌を吐くどうしようもない正真正銘の王太子様が私の周りをうろつき始めました。
本編、王太子視点、元婚約者視点と続きます。約3万字程度です。よろしくお願いします。
英雄の番が名乗るまで
長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。
大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。
※小説家になろうにも投稿
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】
星森 永羽
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
いつも感想ありがとうございます!
バグが治って良かったです😭
運営様から削除されてなくて安心しました🥹
ようやくラルフ叔父さんが出てきました!
叔父さんもモグモグしてます…
ヤンベルトくんとやっていることは同じですね笑
ラルフ叔父さんは上手い具合に、隠居したり、子供たちの死後に成り代わったり頑張っていたのかもしれません……😇
ロリエリザの距離は壁1枚の距離のはず!笑
いつも感想ありがとうございます!
完結しなさすぎて、マイペースのリストから消失したのかもしれませんね……😭
2話分読んでくださって嬉しいです…!
エリザさん視点ではあまり話せなかった部分を、ユーリくん編でテンポよく出していきたいなと思っております😊
ロリエリザはもうすぐです!
ようやく同じ屋根の下まできました笑
お気遣いありがとうございます!
お互い風邪をひかないよう元気に過ごしましょう😊✨
お久しぶりです!
いつも感想ありがとうございます!
世界から見た聖女は「作った覚えがないのに、いつの間にか自分の中に居る。なぜだ??」って感じです…!(説明が下手ですみません…!)
おっしゃる通り、世界にとって聖女はバグみたいな存在です!
再びアルベルト(Newユリウスくん)視点で、種明かし編を頑張っていきたいとおもいます!
亀更新なのにも関わらず、投票して下さってありがとうございます!!本当に励みになります…!!
6年……😱
なかなか完結しない上に更新もしない物語に付き合って下さってありがとうございます!!
これからも完結を目指して細々頑張ります!