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第9章「愚者の記憶」
167話
しおりを挟むアルベルトside
ふらつく身体に鞭を打ち、僕は帝国全体に魔法をかけた。
人々の記憶に根づいた、忌々しい女どもの存在を消し去る〝忘却魔法〟を。
規模が規模なだけに時間はかかるが、明日の明け方頃には塵ひとつ残らず抹消出来ているだろう。
記憶の次は痕跡だ。
僕はマリーが買い漁った宝石をはじめとした高価なドレスや調度品など、国外に売り払った。
本当はマリーの手垢がついたモノなど燃やして世界から消してしまいたかったのだが、今のノルデンでは硬貨1枚すら惜しい。その代わりに金にならないモノは全て燃やした。
突然現れたマリーの痕跡は思っていたよりも少ない。
マリーという紛い物の存在は、呆気なくこの世界から消え去った。
あとは、アイツだけだ。
アイツの痕跡さえ消し去れば、この胸に根付いている忌々しい呪いが解ける。
慢性的な寝不足と魔力の枯渇で身体が悲鳴を上げていたが、今の僕はそんなものに構ってなどいられなかった。
◈◈◈◈◈
僕の眼前には廃墟と化した屋敷───コーエン侯爵邸が頼りなさげに建っていた。
かつては領主の館として手入れが行き届いていたであろうが、今は何処もかしこも荒らされており、見る影もない。
僕は地面に散らばる窓ガラスの破片を踏みながら、屋敷の中に足を踏み入れた。
「……。」
中は外観以上にひどい有様だった。
割れた窓ガラスに、壁紙とカーペットを剥がされ剥き出しになった木板。
飾っていたのであろう調度品は全て持ち去られ、床には壊された家具や何かしらの残骸などがあちらこちらに散らばっていた。すでにゴロツキ共が盗みを働いた後なのだろう。きっと今頃は、国外にでも売り飛ばしているはずだ。
汚らしい溝鼠め。
そう思いながら荒れ果てた屋敷の更に奥へ足を進めようとする僕を、勝手に後をついてきた叔父が「陛下。」と呼び止めた。
「先に進むのは危険です。まだゴロツキが潜んでいるかもしれません。」
僕は後ろを振り返らず、苛立たしく息を吐く。
「問題ない。」
「ですが…」
「お前は入り口を見張っていろ。鼠一匹侵入を許すな。」
「…。」
「ラルフ。」
「……御意のままに。」
叔父の聞き飽きた決まり文句を背中で聞きつつ、僕は屋敷の奥へと足を踏み入れた。
◈◈◈◈
奥に進めば進むほどに、不快な香りが強くなる。
悪夢で何度も何度も嗅いだアイツの匂い。
顔を顰め、鼻先をつまみながら歩いていた僕の足は、ある扉の前で止まった。
あぁ、ここだ。
2階の一番端にある扉。
この扉の隙間から、不快な匂いが漏れ出ている。
きっとこの先に呪いの元凶があるのだと、僕は確信した。
一刻も早く元凶を世界から取り除かなくては。そんな焦燥感にも似た何かに掻き立てられるかのように僕は勢いよく扉を開けた。
「ーっ、」
長らく換気をしていないムッと篭った空気が顔面を舐め上げ、僕は思わず顔を歪める。
扉の向こうには、あの不快な匂いが噎せ返るほど充満した小さな部屋があった。
すぐに僕はこの部屋の主がアイツだと気付く。
だが同時に違和感も感じた。
この部屋はあまりにも小さい。
窓は申し訳ない程度の小窓一つのみで、最低限置かれている家具は一目で安物だとわかるものばかり。まるで使用人部屋のような。おそらく盗みに入った溝鼠共も同じようなことを考えたのであろう。その証拠に他の部屋と違って、この部屋だけは荒らされた形跡が一切なかった。
この小さく質素な部屋が、あの侯爵家の高飛車令嬢の部屋だとは誰も思うまい。だが部屋に染み付く匂いが、アイツの部屋だということを雄弁に物語っている。
これは一体どういうことなのだろうか。
「ーーうぐっ、」
突然、ズキンと頭に痛みが突き上げ、ついでに吐き気も込み上げてきた。
縋り付くように扉に片手をついた僕は、もう片手で頭を抱えて苦痛に堪える。
まるで部屋に充満している匂いが、僕の細胞を喰らっているみたいだ。いや、〝みたい〟じゃない。きっとそうなのだ。この匂いは僕を喰らおうとする毒。直ちに摘まなければ。
奥歯を噛み締め、ふらつく足取りで部屋の中に足を踏み入れる。
早く早くと自分を急かし、匂いが漏れ出ている場所ーーー部屋の一番奥に鎮座する机へと向かうのだが、歩くたびに粘着性を持った匂いが蜘蛛の巣のように身体に絡みつき気が遠くなる。
たった数歩程度の距離。それなのに今の僕には古びた机が、遥か遠くに見えた。
やっとの思いで机まで辿り着いた僕は、ダラダラと匂いが漏れ出ている机の引き出しに手をかける。
ーーーだがしかし。
「ーッ、クソッ!」
ガタガタと引き出しを乱暴に鳴らす。
引き出しには律儀に鍵が掛かっていた。
死んでもなお、僕をコケにするアイツが憎らしくて憎らしくて……机を睨みつけた僕はギリッと奥歯を噛み締める。
だが魔力のない食虫植物であるアイツができる抵抗はここまでだ。
僕は自身の親指を噛みちぎった。
傷口からつぅーと滴る黒い血液。その血液は僕の意志に従い、まるで自我を持った生き物のように蠢きながら鍵穴に入り込み、そして安っぽい解除音を部屋に響かせた。
役目を終えた血液はボタボタと床に垂れる。
なんて呆気ない。僕の前に鍵などの存在は無意味なのだ。
少しだけ口角を上げた僕は、鍵が解除された引き出しをあける。
すると、引き出しの奥には一冊の本が入っていた。
ぶわりと匂いが強く濃密なものになる。間違いない。呪いの元凶はこの本だ。
魔力のない雑草風情が、呪いの道具に頼るだなんて、身の程知らずも甚だしい。
僕はすぐに燃やしてしまいたい衝動を抑える。呪いの解き方を間違えれば、死ぬまで一生付き纏う呪いに変わってしまう恐れがあるからだ。
壊れ物を扱うように引き出しから本を取り上げた僕は、少々古びた表紙をそっと開いた。
『○月×日
ノートをもらった。
今日から書いていこう。』
一瞬、解読不可能な古代文字かと思ったそれは
まるで、ミミズが蛇行に蛇行を繰り返して這い回り迷子になったかのような
拙い子供の字であった。
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