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右手に残ったもの
しおりを挟む「前から思っていたんだけど、下手くそだよね。」
「…は?」
男の子と出会って数日たったある日のこと。
私は兄の留守を狙い、男の子に会いに行った。
といっても敷地内しか行動出来ないため柵越しの会話である。
「君のピアノのことだよ。」
「あぁ、そうね。才能が無いみたい。」
男の子と話して、彼がピエロの見習いということが分かった。
いつかサーカスの舞台に出るのが夢らしい。
そのため、こんな王都の外れまで足を運び練習を重ねているそうだ。
「そんなことないよ。ねぇ、チェルシー。上手くなる方法教えて上げようか?」
ボールの上に立ちながら、笑顔でそう言ってきた。
男の子は出来なかったボール乗りができたのだ。
どうやら秘訣があるらしい。
私が素直に頷くと、男の子は笑みを深くした。
「誰かのため弾くんだよ。」
私は首を傾げた。
「どういうこと?」
「僕が玉乗り練習している所、見てたでしょ?」
「…はい。」
勝手に覗いていた為、後ろめたさで、返事は歯切れがわるい。
男の子は、そんな私なんて気にしないかのように話を続ける。
「チェルシーが見ているのに失敗ばかり、それが悔しくて…。これ以上君にかっこ悪い所見せたくなかったから、頑張ったんだ。そうしたらね、出来たんだよ。」
ボールから飛び降り、綺麗に着地した男の子は私に向かって一礼をした。
私は思わず拍手する。
「だから、チェルシーも僕のためにピアノを弾いてよ。」
そう言って微笑んだ男の子は、私の心臓を微かに動かした。
***
いつもどおりの寝室が朝日に照らされ、微睡みから醒める。
ぼんやりとした眼《まなこ》を右手で擦れば、濡れた感触がした。
「…涙?」
何が悲しくて泣いているのだろう。
懐かしい夢は私にとって楽しい思い出だ。
なのに、何故涙を流す必要があるのだろうか。
ふと、自身の右手首を見る。
そこには手首を囲った赤い跡がついていた。
それにより、昨日の記憶が現実であったことを生々しく伝えてきた。
私は男の元から去ったあと、何もなかったかのように屋敷に戻り、眠りについたのだ。
(…手錠の跡がなかったら、夢かと思っていたかもしれないわね。)
私はベッドから起き上がり、兄を出迎えるため身支度を整え始めた。
鏡の前に座り、自分の顔と向き会う。
「…酷い顔。」
無表情であるはずの顔は目が赤く腫れ、みっともない顔に変わっていた。
こんな顔では兄を出迎えることは出来ない。
仕方が無く、普段使っていないお化粧道具を引き出しの奥から引っ張り出した。
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