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第二章

第7話 誰もそれを変えようと思わないの?

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 食堂を出ると、ノエは私を図書館に案内すると言って歩き出した。
 このノストノクスは千年戦争で進んでしまった吸血鬼の衰退を食い止めるために設立された機関らしい。食糧の安定確保は勿論、争いの調停、知識の保管もその仕事なのだそうだ。

「だからここにはあらゆる知識が集まってる」

 そう言って、ノエは図書館に続く大きな扉を開けた。

「――うわ……すご……」

 視界に飛び込んできたとてつもなく広い円形の部屋。裁判所のように何層にもなっていたけれど、広さのスケールが違う。よく見れば壁は全部本で埋まっていて、ところどころにあるこの空間を仕切る壁のような本棚にも本がいっぱいに詰まっていた。
 たまにこういうのはファンタジー映画で見るけれど、実際に見ると迫力が違う。壁の隙間はその奥があることを示していたものの、その先がどれだけあるのか入り口からは到底知ることはできなかった。

「昨日も言ったけど、吸血鬼ってのは元人間。人種は関係ないから、あらゆる国のあらゆる言語の本が集められてる。勿論、もうとっくになくなった国のだってある」

 ノエに促され、私は図書館の中に足を踏み入れた。

「ここで勉強しろってこと……?」
「まさか。ほたる日本語以外読めないだろ?」
「う……」

 おっしゃるとおりです。一応高校生なので英語も勉強しているけれど、成績はお察し。ちなみにそれが私が部活を辞めた理由です。悲しい。
 微妙な沈黙の中、ノエは図書館をずいずい歩いていく。いちいち説明する気もないらしくて、時々よそ見する私に声をかけてくる時以外は無言。普段だったら別にそれでもいいけれど、直前の会話のせいでなんだか沈黙が気まずかった。
 そんな空気に耐えながら館内を進み、何度か階段も上り、ある一角にさし当たったところでノエが足を止める。

「このへんが日本の本。ま、暇つぶしにはいいんじゃねぇの?」
「確かに……」

 とは答えたものの、見える範囲にある本は明らかに古い。古いというのはばっちぃという意味ではなくて、たまに教科書の参考資料の写真で見るような、達筆すぎる字で書かれた本と同じ雰囲気を放っている。
 え、これ読めないんだけど。って言いたいけれど、日本語しか読めないって言っておいて日本語も読めないんじゃなんか私凄く残念な人みたいな扱いを受ける気がする。正直このあたりは日本語であって日本語じゃないと言いたいけれど、何百年も生きているノエがその感覚を理解してくれるかは多いに不安。

「最近の本はー……あー、このへんとかヴィクトルが東京でせっせと集めてたやつだから新しいんじゃないか?」

 誰だよヴィクトル。なんで日本の本をヴィクトルが集めてるんだ。
 って思いながら指差されたあたりを見ると、少し離れていても背表紙がてかてかしているのが分かった。このてかてかはあれだ、最近の本のカバーだ。
 そう気付いた途端私は一気に距離を詰め、そこに並んだ本をまじまじと見つめていた。待って、背表紙のこのマーク見覚えあるぞ。っていうかタイトル文字が凄いポップ。これは!

「漫画……!」

 しかも往年の名作とされ私でさえも聞いたことのあるタイトル。おお、これなら読める。読めるぞ!
 ありがとう、ヴィクトル。君が誰だか知らないけれど、なんだかとてもいい趣味をしているということは分かったよ。

「まァ、暇つぶしもそうだけど俺らの言葉くらいは勉強しろよ。日本語なんて吸血鬼全員が話せるわけじゃないからな」

 私の気分の高揚を、ノエが勉強という単語で潰しにかかる。

「そういえばなんでノエとか裁判長とか、わりとみんな日本語話せるの?」
「時間が有り余ってるから」
「……おおう」

 なんだろう、身も蓋もない感じ。吸血鬼になったことでできた時間を謳歌するのではなく、有り余らせてしまうとか。有り余らせた結果、言語を勉強するというのが更に物哀しい。もっと別の有効活用方法は思いつかなかったのかな。私だったらいくら暇になったと言っても勉強はしたくない。
 そんなことを思いながらなるべく優しい目で隣を見ると、ノエは何か察したのか「……暇なわけじゃないぞ?」と口を開いた。

「時間があるってのもあるけど、俺達みたいなノストノクスの関係者は仕事柄必要だからだよ。よほどマイナーな言語じゃない限り大体使えるようにしてるし。新しく吸血鬼になった奴の言葉が誰も分からなかったら困るだろ」
「……ふうん? ま、いいや。それってつまり、日本語を話せる人は多いの? 少ないの?」
「少ない方だと思うよ。他の奴らはアジア出身だと割と話せることが多いけど、それ以外の地域だと母語と違うすぎるってんで敬遠されてるし」

 そこは吸血鬼になってもあまり変化はないのか。確かに漢字とかひらがなとか、文字が多い上に文法も違うから日本語は外国人にはとっつきにくいと聞く。
 しかもノエの補足によれば吸血鬼の言葉はヨーロッパ系の言語が入り混じったものらしいから、そっちを覚えた人がわざわざ言語体系的にかけ離れた日本語を学ぶことは少ないのだそうだ。それこそ本当に暇を持て余してるとからしい。

「ま、一人でどっか行くなら食堂とここだけにしとけ。基本ノストノクスの敷地内で暴力沙汰はご法度だけど、図書館は特にそのへんが厳しいから」
「……他だと襲われるってこと?」
「可能性は低いけどな。でも従属種の中にはなりふり構ってられない奴もいるかもしれないから気を付けな」

 そう言われて、あの日の夜のことを思い出して気持ちが暗くなった。
 裁判で私のせいではないってことになったけれど、あの人は私の血を飲んだから死んでしまったのだ。そりゃ襲われて怖かったし、知らない人に噛まれて気持ち悪いという感覚もあるけれど、罪悪感が全くないと言えば嘘になる。
 それに結局分からないままなのだ。あの人はなんで私を襲って、なんで今後私を襲うかもしれない人の例として、あの人と同じ従属種が挙げられるのか。

「前から聞きたかったんだけど、その従属種って一体何なの? なりふり構ってられないってどういうこと? 裁判の時だって従属種って言われるだけで名前も呼ばれない、吸血鬼のこと教えてくれるっていうわりには教えてくれない――私に分かりやすいよう順番に教えてくれてるのかもしれないけど、ここに連れてこられるきっかけになったことなのになんで後回しにするの?」

 ああ、駄目だ。ノエは悪くないのに、口から出てくる言葉はどんどんノエを責めるような響きになっていく。
 多分これは私の中の不満だ。急に知らない場所に連れてこられて、しばらく家にも帰れなくなって。そんな理不尽としか思えない状況に対する不満が、疑問という形で溢れ出している。
 それなのにノエは私を怒らないで、「ごめんな」と小さく謝った。

「なんで謝るの」
「いや、気を付けろって言うわりに説明してなかったなと思ってさ。正直俺も従属種の話は避けてたところがある。ほたるが気にしないなら、詳しいことは言わなくていいかって」
「……どうして?」
「あんま良いもんじゃないんだよ、従属種って。今でこそ従属種って呼び方が決まってるけど、ついこの間まではそんなのないから皆『なり損ない』とか『出来損ない』とか、場合によってはこれよりももっと酷い言い方をしてたんだよ」

 そこまで言うと、ノエは困ったように頭を掻きながら天井を見上げた。でもその先には何もなくて、口からは「あー」みたいな声が漏れているから、きっとどう言えばいいのか考えているのだろう。

「なんつうかな……うまく吸血鬼になれないと従属種になる。あ、ほたるはその心配ないから安心しな。――で、だ。従属種ってほぼ人間なんだよ。ちょっと力が強くて血も飲むけど、催眠とかそういう吸血鬼の特別な力っていうのもほとんど使えないし、年も取る。しかも種子持ちの血を飲めば絶対に死ぬっていうのも、人間よりも弱く見えるっていうかさ。だからなんつうか、昔から吸血鬼は従属種のことを生き物として考えてないっていうか」
「……ゾンビみたいな?」
「そうじゃない、ちゃんと生きてる。まあ、考え方の問題だな。生き物ではなく物なんだよ。裁判で『他者の従属種を許可なく殺すことは極刑』って言ってたろ? あれは吸血鬼同士のいざこざを防ぐために重い罪に設定されてるんだけど、言い換えれば『親の吸血鬼の合意さえ取れていれば好きに殺していいよ』って話なんだよ。――ここまで分かる? つーか気分悪くなってない?」
「……大丈夫」

 本当はちょっと嫌な気持ちになっていたけれど、まだ聞ける。それは多分ノエの口ぶりを聞く限り、彼もまた従属種に関するそういった考えをよく思っていないと分かるからだ。
 それなのにわざわざ説明してくれようとしているのだから、言い出した私が簡単にやめるわけにはいかない。なんだかそれはノエに対して不誠実だ。

「まあその、物って区別だから結構扱いも酷くてさ。名前を呼ばれないのもそうだけど、虐げられてぎりぎりまで追い込まれてる奴も多いんだよな。ノストノクスには普通従属種は出入りしないけど、食糧を制限されて飢えてる奴が、近くに人間がいるって知ったら……な?」

 だから「なりふり構ってられない奴もいるかもしれないから気を付けろ」という話になるのだろう。ノエはだいぶぼかして言っているように感じられるから、実際はもっと酷いのかもしれない。
 でもなんとなく事情は分かった。ノエが言い渋る理由も、私が気を付けなきゃいけない理由も。だけど。

「誰もそれを変えようと思わないの?」

 私が問えば、ノエは困ったように笑う。

「これでもだいぶ変わった方。さっき言ったルールもできたし、意図的に従属種を増やすことも禁止されてる。長生きする奴が多いとね、何か一つ変えるのも凄く時間がかかるんだよ」

 そう言って、ノエは私の頭をわしゃわしゃとかき回した。流石にこれは嫌だけど今回は許す。多分ノエも気まずいんだって分かるから。

「…………」
「…………」
「いやいつまで頭触ってんの!?」

 思わず声を上げると、ノエは私の頭を撫でていた手を離して、口の前で人差し指を立てた。

「ここ図書館。静かにしなさいよ」
「ッノエが悪いんじゃん……!」

 ねえ、なんで? なんで私が困った奴だなぁみたいな顔されなきゃならないの?
 気を遣っていた私が馬鹿みたいじゃないか。それなのに――。

「とりあえずさっさと本選びな。俺この後ちょっと出かけるからさ、適当に本見繕ったら部屋まで送るよ」

 そう言いながら笑ったノエの顔がびっくりするくらい優しかったものだから、私は不満を引っ込めるしかなかった。
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