マリオネットララバイ 〜がらくたの葬送曲〜

新菜いに/丹㑚仁戻

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エピローグ

前編 手汗に価値なんてなくない?

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「ホタル!」
「リリ!」

 ラミア様のお城の廊下をとてとてと走ってきたリリを勢い良く持ち上げて、高い高いと両腕を伸ばす。
 吸血鬼になって一気に強くなった腕力のお陰で、こういうことも安心してできるから結構便利。普段の生活ならともかく、たまに思い切り力を入れるようなことをすると加減を間違えて物を破壊してしまうこともあるものの、もう結構慣れたと思う。
 リリと畑で遊べなくなってしまったのは残念だし、そのことを伝えたリリの反応も予想できるからちょっと胸が痛むけれど。でもその分お城の中で思い切り遊べばいい。

 スヴァインに貫かれた私の脚はすっかり良くなって、特に後遺症も残っていない。聞けばノエが傷口に色々突っ込んでくれたのが大事なことだったらしく、必要な器官を失わずに済んだのだとか。
 一方で手枷の炎輝石から陽の光を取り込んでしまった両腕にはまだ包帯が巻かれている。その下にはやけどを抑える薬が塗ってあって、肌はなかなかに痛そうなビジュアル。でもだいぶ良くなったから、最初は腕の中まで痛かったのに今は表面がちりちりするくらい。最終的には傷跡も残らず治るらしい。吸血鬼って凄い。

 凄いと言えばノエの腕だ。B級スプラッタみたいなことになった右腕は、ノエ曰く本当にぎりぎりまで爆薬を減らしていたらしく、傷自体はすぐに塞がった。
 少々吹き飛ばされてしまって足りなくなった部分は、それでも完全には失っていなかったから徐々に元に戻りつつある。動かすにはまだ痛みが伴うこともあるみたいだけれど、ある程度なら今までと同じように動かせるから我慢して使っているらしい。

 切り落とされてから時間の経ってしまった左腕だって、見た目だけは綺麗に治っていた。実はこちらの方が厄介で、傷口は綺麗でも既に腕はなくなったものとして身体が治してしまっていたせいで未だに感覚が戻らないのだ。
 だから左腕はずっと肩から吊り下げられていて、痛む右腕を我慢して使わなければならないのはこれの影響が大きい。とはいえ最初の二週間は我慢してどうにかなる状態でもなかったから、ほぼ両腕の使えないノエを私も色々と手伝ってあげたのだけれど。

 ちなみにこの左腕は、ずっと動かないままということでもないみたい。失くなった感覚を戻すために何度も切ったりくっつけたりし直していて、少しずつだけど快方に向っている。
 ただこの治療法はかなりしんどいらしく、術後のノエは毎回「なんだこの拷問……」と疲れ切った顔をしていた。麻酔自体は使えるらしいのだけれど、代謝が早いから傷がちゃんと塞がる前に切れちゃって結局物凄く痛いんだって。それでもあと一、二回繰り返せば、普通に使う分にはそこまで困らなくなるのだそうだ。

「――だーかーら! 悪かったって言ってるだろ!」

 ノエの怒鳴り声にリリを抱えたままダイニングを覗くと、ノエがペイズリーさんと睨み合っていた。他にもマヤさんやニックさん、エルシーさんにアレサさんまで勢揃いしている。一応マヤさんのような付き添いの人以外はラミア様の系譜の第一位、つまり彼女の直接の子達が集まっているらしいのだけれど、周りには見たことのない人が何人もいて、本物のラミア様って大所帯だったんだなぁと思った。

「悪かったで済むわけないでしょ! 反省してるならもっと態度で示しなさいよ!」
「示してるだろ、完治してないのにわざわざこんなとこまで来たんだから! 影になるの禁止だって言われてるから馬車で二日もかけてきたんだぞ! 往復で四日!」
「だから何? 大体アンタの腕の一本や二本どうだっていいの! 切腹くらいしろ!」
「もうとっくに腹は切られましたー! スヴァインにバッサリいかれましたー!」
「なら首切り落とせ!」
「死ぬだろうが流石に!」

 まるで子供の言い合いのような喧嘩に、呆れるべきかほっとするべきか分からなくなる。
 だってここにはラミア様のことを話しに来たのだ。彼女の系譜の上位の人ばかり集められているのはそういうこと。アイリスが死んだ時点でペイズリーさん達もラミア様が偽物だったと認識したらしく、アイリスと一緒になって周りを騙していたノエと今後について話し合うために私達はここまで来た。

 あれから一ヶ月経った今も、実はノエはノストノクスに拘束されている身なのだ。ノエのやったことはアイリスの命令ではあるけれど、周りを騙し同胞を数多く殺めたというのは簡単に許されるはずもない。とはいえアイリスには誰も逆らえないことは皆分かっているので、いくつか条件を飲めば罪が免除されるようエルシーさんが調整してくれてはいるのだけれど、デリケートな問題なだけにまだまだ結構時間がかかるらしい。
 だから今のノエは一応罪人。影になるのが禁止されているのは逃亡防止のためだ。左腕には手枷とは違うけれど、同じ材質の輪っかが付けられているからそもそも影になれない。
 罪人であるノエは本来ノストノクスから出てはいけないのだけれど、ラミア様の系譜の吸血鬼達の心情も慮ってこの機会が設けられた。ちなみにエルシーさんはラミア様の関係者として参加しているのではなく、ノエの監視係としてここに来ている。

 エルシーさんの話では、アイリスの洗脳が解けた時点でラミア様に近かった人達はその死も思い出したらしい。アレサさんなんかは目の前で母親を失っていたらしく、事前にそれを聞いていた私はてっきりもっと重苦しい空気になるかと思っていたのに、彼らにはそれが全くなかった。

「首が無理なら、間を取って髪の毛を全部毟ったらどうだろう」
「あらいいじゃない、アレサ。そうしましょ」
「だからお前は俺の頭にどんだけ恨みがあるんだよ!」

 ノエとペイズリーさんの言い合いにアレサさんまで混ざって、なんだかどんどん場がおかしくなっていく。そのすぐ近くにいたエルシーさんと目が合えば、彼女は呆れたような表情を浮かべながら私の方へと歩いてきた。

「いつものことなんだ。アレサ様まで入ってしまったから、まだしばらく続くと思う」
「……話し合いはそっちのけでいいんですか?」
「それは問題ない。元々今後はアレサ様がこの城ごと取り仕切るということで決まっていたから、特にノエと話し合う必要もないしな」
「え……じゃあなんでノエここに来たんですか? アレサさんにも謝らないと……」

 正直、ノエは結構アレサさんには恨まれていると思っていたのだ。だって彼女は数百年間ずっとラミア様の様子がおかしいと思っていて、特にこの百年はノストノクスも変になってしまったと一人で調べていた。
 それをノストノクスの隠し部屋でアレサさんが話してくれた時にノエは何も言わなかったけれど、彼は全て知っていたのだ。ラミア様がおかしくなったのは、アイリスと入れ替わったからだって。それからノストノクスがおかしくなったのも、後からノエが教えてくれたことによれば、ラミア様のふりをしていたアイリスの意向が少なからず影響していたのだそう。
 それなのに何も言わなかったことについて、アレサさんは相当ノエに怒っていると思っていたのに――そう思ってエルシーさんの答えを待てば、彼女はなんでもないように肩を竦めた。

「ノエの一存では言えなかったとアレサ様も理解しているからな、わざわざ謝られても困るというのが正直なところだろう。それにあれでもラミア様の子であるアレサ様達にとっては可愛い末っ子なんだ。自分達を騙していたと言っても事情が事情だし、今まで可愛がっていたのを急に嫌いになんてなれるような者達じゃない。ああやって憂さを晴らしながら心配してるんだよ」
「……へえ」

 ノエが末っ子ってなんだか変な感じだ。けれど彼らがそんな人達で良かったと思う。ノエは周りの吸血鬼は全員騙す対象で、時には殺すことになるかもしれないと思って接してきていた。だから彼なりに線引きはしていたはずなのに、それでもああやって想ってくれる人達がいるのは純粋に凄いことだと感じる。
 ノエの顔がいつもより幼く見えるのも、彼が周りに作っていた壁を取り払い始めたからだろう。そう考えるとなんだか嬉しくなって、ここに来てよかったなと笑みが零れた。

「ニック、カミソリ持ってるでしょ? ちょっと貸してよ」
「おい待てそれで何する気だ」
「皆でアンタのそのふざけた頭刈るの」
「は!?」

 とりあえず私はリリと遊びながら、ノエの頭が無事に済むことを祈っていようと思う。


 § § §


「――なんで俺がこんなこと……」

 ソファの上で、手に持った紙を睨みながらノエが思い切り顔を顰める。彼の前にあるローテーブルにも書類の山があり、それが全て重要な物だということはこれを持ってきたエルシーさんから聞いていた私も知っていた。

「こんな昔のこと覚えてないっつーの……」
「そこをどうにか捻り出せって言われてるんでしょ?」
「乾いた雑巾絞って水が出るか? 出ないだろ。出たとしたら手汗に決まってんだろ。手汗に価値なんてなくない?」
「なんでそんな汚い喩えをするの」

 私が言うと、ノエは「心が荒んでるんだよ」と紙に視線を戻した。ラミア様のお城で死守した髪の毛は少し伸びて、時折鬱陶しそうに首を振って目にかかる前髪を払っている。
 ノエが今やっているのは、彼がこれまでアイリスの命令で処分した人々の記録の整理だ。どういう経緯で処分という判断が下されたかも含め、ノエの記憶の限り書き出せとエルシーさんには言われている。
 ノエは誰をどんな事情で殺めたかというのはある程度は覚えているらしいのだけれど、何せ証拠を残せないから記録なんてどこにもない。時に背景となった事情を示す物まで全て処分していたらしく、いくら覚えていると言っても四百年分ともなるとどうしても記憶に自信を持てないところも出ているのだとか。
 そういう場合は一旦メモして、後で同時期の正式な記録と見比べて答え合わせをする。それもそれでなかなか大変な作業で、そういう調査も含めるとエルシーさんの見込みでは全部終えるのに数ヶ月かかるのではないかとのこと。まあ整合性の確認もあるから仕方がないのだろうけれど、終わりの見えない作業に元々書類仕事が苦手らしいノエはどんどんやさぐれていった。

「もう口で喋るからいつもみたいに他の奴がまとめてくれよ……」
「『お前が派手に色々やったせいでそんな人員は割けない』だそうです」
「なら止めろよ破壊をさあ! 俺だって自分の腕吹っ飛ばすって決めてたから、自棄になって無駄に爆破しまくった自覚はあるんだよ!」
「……無駄に爆破したの?」
「……エルシーには黙っといて」

 口が滑った、とノエは苦笑いで顔を背ける。こうして無駄口は叩いても、今やっている作業をやめようとしないのはノエなりの誠意だろう。アイリスの命令とはいえ自分が命を奪ってしまったから、せめてその理由はしっかりと残したいようだ。
 それに今は処分保留でノストノクスに身柄を拘束されている状態。他に治療以外やることがないというのもある。

「ほたるちょっと押さえてて」
「はーい」

 私がノエと一緒にいるのは、私もまた身柄拘束中だから。これはノエもそうなのだけれど、ノストノクスから原則出てはいけないというのは一応私達の身の安全を守るためでもあるらしい。
 あの時私やエルシーさんの話を聞いてくれたのは全体のごく一部でしかなくて、大部分の人達は私やノエに敵意を抱いたままだった。なんとか話がまとまったのもあそこにいた人数が少なかったからだそうだ。だから私とノエは一歩外に出れば何が起こるか分からない。そのため身柄を拘束するという形で私達を守れるようにエルシーさんが調整してくれたのだ。

 と言っても、私の身柄を拘束しておきたい理由は他にもちゃんとある。それは勿論、私がスヴァインの子だから。
 スヴァインは間違いなく罪人だったから、ノストノクスとしてはやはり正式に手順を踏んだ上で今後のことを決めたいらしい。ただ、今は混乱を鎮めるのに精一杯で手が回らないようだから、こうしてノエの左手の代わりを務めている。
 私も文字の読み書きができればいいのだけれど、まだ勉強中の身。だから左手がうまく動かせないノエに代わって、彼が文字を書く時に紙を押さえる係しかできなかった。

「……そこ綴り間違ってない?」
「げ」

 勉強中の私にそう指摘されたノエは、やはり学業が苦手だったらしい。「色んな言語と混ざるんだよ」と言うけれど、ノエが読み書きもできる言語はそんなに多くないとエルシーさんが教えてくれた。実は日本語もほとんど読めないんだって。
 そんなことを考えていると、ノエは間違えた文字をぐちゃぐちゃと塗り潰して、平然とその隣に続きを書き始めた。

「直し方それでいいの?」
「どうせ別の奴が清書するからいいの。俺の字汚いからってエルシーがキレるから」
「……ああ」
「何その目」

 達筆な文字は常人には読めないあれかと思っていたけれど、ノエの字はただ汚いだけらしい。痛む右腕を無理矢理使っているからかもしれないと自分を納得させようとしていたものの、多分これはそういうわけでもない。そういえばさっき『いつもみたいに他の奴がまとめてくれ』って言ってたな。つまりそれほどノエの字は汚いということだろう。
 見ていると何故か胸の奥がひぃと不安になってくる文字だったからあまり真似しないようにしていたけれど、本当にお手本にしなくてよかった。一歩間違えば私まで字が汚い奴認定されるところだったのか。

 その後も定期的に集中力の切れるノエの相手をしながら、記入済みの書類の山を作っていった。
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