スキップドロップ

新菜いに

文字の大きさ
上 下
24 / 50
第三章 グッバイ、ハロー

【第八話 決別】8-1 おしゃれバーガーが良かった……

しおりを挟む
 壱政様にお願い事をした翌日、私とキョウはいつもどおりハンターの仕事をしていた。今私達にできることはそれ以外に何もない。壱政様曰くキョウの親のことは整理された記録から調べるだけだから、次にこちらに来れる二日後には結果も持ってこれるだろうとのことだ。
 キョウは大層驚いていたけれど、その程度の手間で済むことには安堵した様子。確かに何年もかけなければならないって言われたら私だって萎縮してしまう。

 というわけで私達はいつもと同じように過ごしていた。でも、それはきっとキョウだけ。私は昨日感じた彼の変化がまだ飲み込みきれていなくて、なんだかうまく調子が出ない。私が気にすることではないと分かっているんだけど、この胸の中のもやもやは消えてくれなかった。
 だから私はそれを隠したかったのだけど、今日は明確な目標があって歩いているわけではないからいまいち話題に困る。一応事前にキョウが拠点に寄って情報収集をしてきたらしいものの、別の地域で目撃情報はあれどこの近くにはなかったそうだ。
 そんな私達にできるのはキョウの担当範囲を歩きながらそれらしき痕跡がないか調べることだけだから、とりとめのない会話とやらで間を繋がなければならない。と言ってもキョウは相変わらず全然喋らないから、私が一方的に冗談を言い続けるだけなんだけど。

「――……悪かったな」

 珍しくキョウが話しかけてきたな、と驚いたのは一瞬だけ。次に感じたのは気まずさ。もしかしたら彼は私のぎこちなさに呆れてそうしたのかもしれないなと、薄暗い気持ちが静かにこちらを見つめる。

「何が?」
「俺のせいでアンタまであの人に怒られただろ。結構食らってそうな顔してたし……」
「ああ……あれは……うん。正直かなり精神的に来た……」

 出された話題に、薄暗かった私の胸の中をどんよりと分厚い雲が覆うのが分かった。
 壱政様は冷たいことをよく言うけれど、あそこまで完全に突き放すようなことを言われたのは初めてだ。私を人里に帰す時だってあんなふうには言わなかった。冗談めかして『すぐに帰りたいなんて言うなよ』とは言われたけれど、それは私の背中を押すものだとその場で分かったし。

「アンタの上司だって聞いてたけど、あの反応じゃそれだけじゃないんだろ?」
「そうだよ、私のこと拾って育ててくれた人。だから結構大目に見られてる自覚はあったんだけど、うぬぼれだったのかなぁ……?」

 あの後忙しい壱政様はすぐに帰ってしまったから何も話せていない。だから彼がどんな意図で私にあんなことを言ってきたのか分からない。分からないから何も解決していなくて、あの時の辛い気持ちばかりが育っていってしまう。
 ああ、だめだ。思い出したら余計に悲しくなってきた。無茶なお願いをした私が悪いのは百も承知だけど、あんなふうに言われるとは思っていなかったから。

「壱政様はッ……私のこと、いらないのかなぁ……? 我儘ばっか言うから見限らッ……ちゃったのかなぁ……?」

 ぐす、と鼻を啜ればキョウはバツが悪そうに顔を顰めた。私だって泣きたいわけじゃないんだ。なのに目からはぽろぽろと涙が出てきてしまって、話しているうちに止まるだろうと思ったのに鼻水まで出てくるのだからどうしようもない。

「反省すれば許してくれるって言ってただろ。だから泣くなよ。ほら、何か美味いもん買ってやるから」
「キョンが私を買収しようとしてるぅ……!」
「しょうがないだろ、それしか思い付かないんだから! 嫌なら別のことでも……」
「ジャンキーな食べ物がいいー……」
「結局食うんじゃねェか……」

 もらえるならもらうのが信条だよと言いたいのに、しゃくりあげてしまうせいで口からはうまく言葉が出てこない。
 だから黙ってキョウに促されるまま歩いていけば、着いたのは二十四時間営業のコンビニだった。「ここで待ってろ」、言われた言葉に私は大人しくお店の前でキョウを待つ。少しして出てきたキョウの手にはホットスナックがあって、それを見た途端微妙な気持ちになった。確かにジャンキーな食べ物だけどさぁ……。

「おしゃれバーガーが良かった……」

 差し出されたそれを受け取って、ぽつりと文句を零しながらカリカリ衣に齧り付いた。同時にチキンの油がじゅわっと溢れて、口の中にしょっぱさが広がる。咀嚼すればぷりぷりのお肉から更に旨味が滲み出る。ごくんの飲み込めば口寂しくて、油が垂れないように気を付けながら二口目を頬張った。

「この時間じゃ店やってないんだよ。明日買ってやるからそれで我慢しとけ」
「ひぐッ……美味しい……ありがとぉ……!」
「泣くのか食うのかどっちかにしてくれねェかな……」

 キョウは呆れたように言うけれど、その顔は少しほっとしているように見えた。見慣れない表情になんだか心が軽くなる。キョウに感じていたもやもやはいつの間にか消えていて、ゆっくりと涙が落ち着いていくのが分かった。

「ていうかこの味、お酒飲みたくなる……」
「仕事中だろ。……そもそも吸血鬼って酔えるのか?」
「人間だった頃と強さはあんま変わらないよ。ただ分解が早いから、飲み続けないと三十分もしないで酔いは冷めちゃうけど……というわけで仕事中でも問題ないの」

 ちらり、キョウを見る。目が合ったキョウは一瞬で顔を顰め、「買わないからな」と視線を逸らした。

「なんで!」
「なんでも」
「いいじゃん!」
「良くない」
「好きなの買ってくれるって言った!」
「――ッ未成年なんだよ!」
「……おおう、そりゃ駄目だ」

 何故かキョウが顔を真っ赤にしながら未成年の主張をするものだから、私の涙はすうっと完全に引いていった。恥ずかしがってる人を見ると涙って引っ込むんだね、新たな発見だ。
 ちなみに私は吸血鬼になった時に二十一歳だったからお酒を飲んでも問題ない。まあ偽造した戸籍だし、年齢もこんなもんだろって感じで壱政様が適当に決めたやつだけど、事実百年以上生きているからもはや関係ないだろう。

「……いやしかし、よくよく考えたら私これ未成年にたかってる大人じゃん。どうなの?」

 コンビニのゴミ箱にホットスナックの包み紙を捨てた後、見廻りを再開しながら自問自答するように呟いた。どうせキョウに問いかけたところで「知るか」としか返ってこないんだろうなと思いながら隣を見上げれば、案の定彼の口は思った形に変わるところだった。

「知るかよ。そう思うならもう少し大人っぽく振る舞え」

 あ、意外と文章が多い。でも内容が悪い。

「うわ、キョンキョンってば本当失礼! キョンこそ年下らしく私を崇め奉ればいいのに!」
「道のど真ん中でギャン泣きする奴が何言ってるんだよ」
「言うほど泣いてないですう! ていうか今はもう涙の欠片もないんだから過去の話をするんじゃありません!」
「そうだな、そうやって騒いでた方がアンタらしい」
「ッ……おおう」

 ちょっと待ってなんだこれ。なんかいきなり心臓がおかしくなったぞ。今はあのはにかみ顔が繰り出されたわけではないのに、キョウの声が耳ではなく心臓に響いたせいで対応に困る。
 だってなんかいつもと違うんだもん。こんなふうに普通の会話とかそんなにしてくれなかったし、なんだったら声色だってどことなく優しい。さっきまでは泣いていたせいで気を遣ってくれていたのかもしれないけど、もう泣いていない。だからキョウが気を遣う理由はない。……あれ、これキョウだよね? 別人じゃないよね?

「――臭うな」

 私が考えに耽っていると、不意にキョウがぽそりと呟いた。臭うって誰がだよと言おうとしたら、私の鼻にも確かに悪臭が届く。
 こんなにはっきり臭うのに私今まで気付かなかったのか。そりゃキョウも訝しげにこちらを見るはずだよ。

 私はぐす、とわざとらしく鼻を啜って、泣いていたせいで鼻が効きませんという主張を試みた。実際のところは何の影響もなかったのだけれど、キョウはそれで納得してくれたらしい。すぐにいつもの表情になって、「あっちだな」と臭いの元であるビルの間に入っていった。

「鼠か。……少し腐ってるな」

 キョウがスマホのライトを付ける。ちょっと眩しいなと思ったけれど言わないことにした。彼は人間だし、黒いコンタクトのせいでここまで暗いと流石に全然見えないのだろう。

「こんな場所じゃ片付ける人もいないね。うーん、古いから分かりづらいけど……あ、この噛み跡モロイっぽい」
「ならここにいたのかもな」
「こういうのはどうするの?」
「全体に共有する」

 そう言いながら、キョウはその場の写真を何枚か撮っていった。なるほど、これが彼が拠点で確認するような情報になるのだろう。そのままちょっと操作しているから、リアルタイムで共有されるのかもしれない。便利な世の中だ。

「そういえば、モロイを増やすことにはどんな意味があるんだ?」

 共有作業が終わったらしいキョウが通りに出ながら首を傾げた。あ、その角度良い。ちょうど街灯が逆行になって尚の事格好良い。私もスマホ買おうかな。カメラは怒られたけれどスマホで撮るくらいなら資料写真と言い張ってどうにかなりそう。何の資料だと聞かれたら答えに困るのだけど。
 という下心はぐっと飲み込んで、私はキョウの質問に答えるべく口を開いた。

「前に言ったとおりだよ。愉快犯か、混乱狙いか」
「それはここにいる奴らの狙いだろ。吸血鬼としてはって話だ」
「ああ、そっち」

 それは今回の仕事とは直接関係ないはずだけどな。とはいえ隠しているわけではないので、キョウにも伝わりやすい言葉を選んで頭の中に思い浮かべる。

「人間を吸血鬼にしようとして、うまくいかなかったらモロイになっちゃうの。だからモロイを……従属種を増やすことは本当は意図していないはずなんだ。って言ってもそれは割と最近の考え方で、わざと失敗して従属種にして、奴隷みたいに扱うっていう方がまだ一般的。まあ禁止されてるんだけどさ」
「アンタは?」
「私は吸血鬼の中ではかなり若いからね。最近の考え方で教えられてるから従属種も仲間だと思ってるよ」
「……なら俺はアンタにとって仲間殺しと同じだろうな」
「それを言ったら、仕事とはいえ仲間を殺したことのある私はなんなの」

 もしかしてキョウはこれを確認したくて聞いてきたのだろうか。自分が今まで殺めてきた存在が、私達吸血鬼にとってはどんな位置付けなのか。
 もしそうならやっぱりキョウはまだ気にしているんだろう。自分はただの人殺しだったのかもしれないと思って、どうしたらいいか分からなくなっているのかもしれない。

「誰かの命を奪うって、結局は立場と理由の問題だよ。それでもキョウが今後悔しているのなら、これからは後悔しないようにして欲しい。後悔するようならそれはキョウにとって続けちゃ駄目なことだから」
「アンタは後悔してないのか?」
「してたらとっくに執行官なんて辞めてるよ。時々思い出すことはあるけどね」

 私は壱政様の影響で執行官になったけれど、別に強制されたわけじゃない。今キョウに言ったことだって本当は壱政様の受け売りだ。私が仕事で初めて同胞を殺めた時に、無理にこの仕事を続ける必要はないと言われたのだ。

「さて、話を戻そうか! ……なんの話だっけ?」
「……モロイを増やす上位種の目的だよ」

 しんみりした空気を変えたくて明るい声で言えば、キョウに呆れたような目を向けられた。仕方ないじゃん、本気でど忘れしてたんだから。
 でもその顔はいつもどおりなものだから、私は安心してニッと口角を上げた。

「ああ、それそれ! ……でもそれなら話終わったね?」
「吸血鬼としては、って方はな。ここからは仕事の話だ。愉快犯は理屈が分からないから一旦置いといて、混乱を狙うならその目的があるはずだろ? 上位種が複数いるなら組織立ってる可能性もある」
「うん、そうだね」
「上位種が人間社会に混乱を引き起こしてどんな得があるんだ? 人間を支配したいにしてはやることが小さすぎるだろ」
「確かにこのままじゃ良くても都市レベルの混乱だしねぇ。その範囲だと……血液の供給網の獲得くらいかな。こないだの奴もそんな雰囲気出してたし」

 私の言葉にキョウは聞いてないぞと言わんばかりに顔を顰めた。あれ、言わなかったっけ? 

「えっとね、私達の食糧はこっちで廃棄されるはずの家畜の血液とかもらって賄ってるの。だからそういう部分に手を出せば、人間の世界はともかく吸血鬼の世界には影響が出る」
「……すんなり言うってことは、言うの忘れてただけだろ」
「うっかりうっかり!」

 てへ、と舌を出してみたら物凄くイラッとした顔をされた。なんだかその顔久しぶりだな。たまに見る分にはこのお顔もなかなか格好良いぞ!
 と思っていたら、キョウは大きな溜息を吐いた。なんとなく壱政様とリアクションが似ている気がするな。壱政様の場合だとこういう時の感情は諦めと呆れだ。

「吸血鬼同士で何かするためにこっちで準備してるってことか?」
「有り得なくもないかな。向こうだけで何かしようとしても現実的に無理だし」

 気を取り直したように話しだしたキョウは、私の答えを聞いてまた顔を顰めた。だけど今度は呆れた感じじゃなくて、どことなく心配そうな雰囲気。吸血鬼同士の争いが目的だとしても、その準備を人間の世界でされたら確かに不安だろう。

「そんな悠長に構えてていいのか? 流石に吸血鬼同士だったらアンタでも分が悪くなることだってあるんじゃ……」
「全然有ると思うよ。でもまあ、その時はその時ってことで!」

 安心させるように笑顔で言ってみたのに、あまり意味がなかったのか、キョウは更に眉間の皺を深めた。
 うーん、でも他に今言えることってそんなにないんだよな。嘘を吐いたところでバレるだろうし、バレたらバレたでキレるだろうし――と考えていたら、キョウが「もっと真剣に考えろ」と強い声を出した。

「アンタ自身も操られる可能性があるんだろ? だったらそうならないように対策を……!」
「やだキョンキョン、私のこと心配してくれてるの?」

 安心させるようなことを言っても効果がなさそうだったので、ここは趣向を変えてふざけてみる。これできっとキョウは呆れて「そんなわけあるか」って否定して元通りになるかと思ったのに、それを期待して見上げた顔はとても真剣な表情で。

「当たり前だろ」

 予想していなかった言葉に、また心臓がおかしくなった気がした。
しおりを挟む

処理中です...