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新菜いに/丹㑚仁戻

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第三章 グッバイ、ハロー

【第八話 決別】8-3 ……そこまで嫌われてんのかよ

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 後ろから右肩を殴られたのかと思った。だが直後に脳を貫いた激痛が、これは殴打によるものではないと俺に罵声を浴びせる。
 皮膚を突き刺し肉を抉るその痛みは、こんな仕事をしているのに初めて経験したもの。

 打ち付けたのではない。モロイの爪に切り裂かれたわけでもない。これは――刺されたのだ。

「ッ誰だ!?」

 振り返りながら肩に手をやれば、痛みをもたらしていたものの柄に触れた。迷わず握れば知った感触に頭が冷える。それでも否定したくて思い切り抜き取れば、顕になったそれに思わず笑いが零れた。

「ハッ……そこまで嫌われてんのかよ」

 これは人を刺すためのものじゃない。この特徴的な形と溝は毒を仕込むためのもの――モロイを殺すために支給されている、ハンターの武器。

 なんでこんなものがハンターである俺に向けられたのかだなんて考えるまでもなかった。
 見たところ毒は入っていない。構造上、毒を仕込むのは使う直前だ。その事実に安堵した反面、嫌な予感が背筋を撫でる。
 仕込み忘れということはないだろう。なら有り得るのは、その暇がなかったか。それとも――

「意外と落ち着いているんだな。予想はしてたのか? いつかこうなるかもしれないと」

 闇から現れた相手の下卑た笑いを見て、毒を入れなかったのかと答えが浮かんだ。そこにいる二人の男達には見覚えがある。いつも俺を見下していたハンターだ。
 俺の親と関わりがあったとかなんとかで、他の奴よりもずっと俺に対して敵意を抱いていた奴ら。そんな奴らがこんな人気のない場所で俺を攻撃してくる理由なんてそう多くはない。

「頭が足りない奴は歯止めも馬鹿なんだな。俺はモロイじゃねェぞ? 人間殺しはただの犯罪だ、本部も庇わない」
「お前は、誰も疑問に思わない」

 男達がナイフを掲げる。今回も毒が入っているようには見えない。上位種の仕業に見せかけるのだとしても多少の神経毒くらいは使ってもいいはずだ。それなのにそうしないのは自分達が優位だと確信しているからだろうか。

「協定を結んだとはいえよく化け物と仲良くできるな。お前もどうせ両親と同じように俺達を裏切るんだろう!」

 男達が一気に向かってくる。俺は応戦しようと反射的に肩から抜いたナイフを構えようとしたが、何故か直前で身体がうまく動かなくなった。

「ックソ!」

 無意識の行動の理由に気付いて、俺は男達に背を向けて走り出した。

 今の俺に、誰かと戦う勇気はない。
 モロイを殺すことさえ正しいのか分からなくなっているのに、人間相手にその技を振るえるわけがない。

 人通りの多い道を目指して路地裏を走る。流石にあいつらも人目があったら何もできないだろう。吸血鬼の仕業に見せかけたいのなら尚更だ、自分達の姿を見られるわけにはいかない。
 頭の中の地図を頼りに誰もいない坂道を駆け上がる。片腕がうまく触れないせいでうまく速度が出ないが、それでも脚を止めることはできない。

 だが次の瞬間――

「ぐッ……!?」

 左脚に痛みが走る。思わず力を抜けば、身体が前に崩れ落ちた。

「逃げるなんてじゃないか」

 後ろから聞こえてきた愉悦を含んだ声に、とことんいたぶるつもりかと顔が歪んだ。左脚に刺さったナイフは狙ったものだ。じゃなければあんな台詞出てこない。
 この分では最初に毒を使わなかったのも、その必要がなかったからだけではないだろう。わざと逃げさせて、痛めつけて、少しずつ俺の神経をすり減らすつもりだ。

「そんなん狩りじゃねェだろ……!」

 脚からナイフを引き抜けば、肩の傷よりも深かったのか、勢い良く血が流れ出した。だが止血している時間はない。この脚じゃこのまま坂道を上って逃げることもままならない。

 無事な左腕と右脚の力で坂道沿いのフェンスを飛び越えて、雑草の生い茂る方へと入った。ここは確か公園だ。小さいがこの先に行けば身を隠せる林がある。

「あの上位種の女を呼んだらどうだ? 仲良くしているなら助けてくれるかもな」
「化け物なのに? あんなに血を流してたら餌になって終わるだろ」
「そういえばそうか」

 男達の愉しげな笑い声が耳に障る。それは動きの制限された俺から付かず離れずの距離を保って遊んでいるのだと宣言されているようで不快なのに、今の俺では奴らの思う通りにしか動けない。

「ッどっちが化け物だよ……!」

 吸血鬼であるあの女がこんなことをする姿なんて想像できない。以前上位種相手にその腕を切り刻んでいたが、あれは俺が手錠を運んでくるための時間稼ぎだ。
 一方で、あの男達がこんな行動に至ったことにそこまで意外性は感じていなかった。確かに突然のことで驚きはしたが、妙に納得してしまったのも事実。

「なんで……」

 俺はやっぱり間違っていたんじゃないか。あの時一緒に行こうと伸ばしてくれた両親の手を、拒むべきじゃなかったんじゃないか。
 押し寄せる後悔が、ただでさえ重い足取りを更に重くする。どうにか木陰に身を隠したものの、これじゃあ大して時間も稼げないだろう。

 腰のベルトを抜いて左の脹脛に括り付ける。止まった出血を見て小さく息を吐く。今はまだ貧血を感じていないが、恐らくここまで必死だったからだ。次に立ち上がった時はどうなるかは分からない。
 せめて逃げやすくなるようにと、視界を暗くするコンタクトを外した。もうこれに意味がないことは分かっていたが、それでも仕事の時はいつも迷いながら付けていた。だが、今これは必要ない。人間相手にこんなもの付けていたって意味がない。
 一気に周囲の明るさが増す。しかしよく見えるようになった夜の公園は思っていた以上に廃れていて、これじゃあ人が通りかかることを期待することもできないと気が付いた。もしかしたら奴らはそうと分かった上で俺をここに追い込んだのかもしれないと、嫌な考えが頭を過ぎる。

「もう逃げなくていいのか?」

 笑い声が背中から聞こえる。ざくざくと落ち葉を踏み締める音が響く。

「それとも時間稼ぎか? いつの間に助けを呼んだんだか」
「それだけ仲が良いってことだろ? あの化け物、見た目は普通の女だったからな。こいつの年頃ならもう手を出しててもおかしくない」
「化け物とヤったって? よくできるな! 興奮したらあの女も化け物らしくなったりするんじゃないか?」

 まるで若者の悪ノリのような、嘲るような笑い声が俺の感情を逆撫でる。奴らがいたぶりたいのは俺のはずなのに、このまま言わせておけばその軽口の対象がどんどんあの女に移っていくのかもしれないと思うと吐き気がした。

「化け物との具合はどうだったんだ? やっぱヤりながら血を飲まれるのか?」
「どういう感覚だよ、それ。もしかして気持ち良いのか?」
「――ッいい加減にしろ!」

 気付けば木陰から飛び出していた。肩も脚も痛むし、やはり血を流したせいで気分も悪い。しかも戦う勇気もない。
 こんなんじゃもう殺してくれと言っているようなものなのに、俺はそのまま隠れ続けることができなかった。

 何も知らないくせに――頭の中が怒りで熱くなる。
 あいつらは何も知らない。あの女が俺の前で一度も血を飲んだことがないことも。ジャンクフードだのホットチョコレートだの普通の人間の女と同じようなものばっかり好むことも。育ての親に叱られて子供みたいに泣くことも。
 いくら吸血鬼を嫌っているからって、そんな彼女を下劣な物言いで貶める男達に腹が立って仕方ない。

「何も知らないくせに決めつけてんなよ!? あの女はお前らよりよっぽどマトモだよ! 人間を助けるし他人の心配だってする! あいつの方がよっぽど人間らしいんだよ……!!」

 怒りのまま怒鳴った俺を見て、男達は不快そうに顔を歪めた。

「そんな必死になるほど絆されてるのか! ならここで殺しておいて正解だな」

 一人の男が言えば、それを聞いていたもう一人の男が「騙されやすいのは親子か……!」と声を荒らげた。

「奴らが何を企んでいるかなんて分かったものじゃないだろ!? それを『人間らしい』? 笑わせるな! そんなの俺達に取り入る演技に決まってるだろうが! 吸血鬼なんて化け物はこの世に存在すべきじゃないんだ! 第一奴らの手を借りなくたって俺達人間で対処できる。モロイも上位種も、人間の生活を脅かす化け物は一匹残らず狩り尽くしてやる!!」

 その言葉に、頭に上っていた血がすっと下りていく感覚がした。それは別にこいつらの話に納得したからじゃない。こいつらをただの馬鹿だと見限ったわけでもない。

 こいつらが以前の俺だと、気付いてしまったからだ。

 この二人はハンターだからその常識で物を考えている。そういう意味では敵である吸血鬼を庇う俺を始末することは間違ってはいない。だけど、何故だろう。

 都合の良い考え方に縋っているように思えて、酷く滑稽に見えた。

「お前らの言い分は分かったよ。……お陰で吹っ切れたわ」

 俺も少し前までこうだったのだろう。吸血鬼は化け物だと決めつけて、彼らに生きる価値はないと自分に言い聞かせて。彼らの派閥なんて関係なく、全ての吸血鬼は自分達で殺せると思っていた。

 だが、無理だ。モロイはともかく、上位種は人間の力だけじゃ殺せない。
 それに知ってしまった。吸血鬼達も人間とそれほど変わらないと。
 だからそんな相手を吸血鬼だからという理由だけで殺すのは、今の俺にはもうできない。

 人間を傷つけないように苦しんでいる奴もいる。自分の得にならないのに人間を助ける奴もいる。そんな相手をただの化け物だと決めつけ命を奪うのは、罪のない人間を殺すのと同じこと。

 今なら、仲間を裏切る気持ちが分かる気がする。

 俺の両親がなんで吸血鬼側についたのかは見当もつかない。だけどこのままじゃ駄目だという気持ちを持ったのなら。そこに何か納得できる理由があったのなら――

「――それが分かるまで殺されるわけにはいかねェだろ……!」

 ナイフを握ったままだった手に力を込める。人間相手に戦うのなんて訓練以外じゃ初めてだ。
 それでも、もう迷いはなかった。

「殺しはしねェよ。俺はお前らとは違うんでな」

 怒りに歪む男達の顔を見ながら、自分の口角が上がるのを感じた。
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