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新菜いに/丹㑚仁戻

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第三章 グッバイ、ハロー

【第九話 距離】9-2 酷い!

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『……分からない』

 私を殺すのかという問いへのキョウの答えに、心臓がどきりと跳ねた。でもそれは一瞬のこと。キョウがまだ話を続ける空気を出したから、私は静かに彼の言葉を待った。

「……でも、できれば狙いたくない」

 静かな声でキョウが言う。私はほっと息を吐く。
 だけどそれを聞いていた壱政様は呆れたように眉を上げて、「ただの職務放棄じゃないか」と嘲笑った。

「そんなことをしたらお前はいよいよハンター側に居場所がなくなるぞ?」
「ッそんなのもうどうでもいい! 吸血鬼だとかハンターだとか、そういう立場だけで考えるのは馬鹿らしいって気付いたんだ。アンタ達が無差別に人を襲うって言うなら、俺は間違いなくアンタ達を止める。でも何か事情があるなら……俺はハンターとしてじゃなくて、アンタ達を知る人間として……どうするか、決めたい」

 一体彼に何があったのだろうか。自分の知るキョウという人物のものとは思えないその発言に、なんだか心がざわざわする。

「問題の先送りだな。個として考えるのも組織に所属する者としては正しくない」

 ぐっとキョウが顔を顰める。それを冷ややかな目で見ながら、壱政様は言葉を続けた。

「第一、いつか殺すかもしれないと考えているなら距離を取っておいた方がいいだろう。今回の協力関係は一時的なものだと割り切るべきだ。こうして手負いで敵の世話になるだなんて愚かでしかない」
「確かにここまで世話になるのは自分でもどうかと思うけど、だけど距離を取っておくっていうのは違う。アンタらを知ったから俺の考えは変わったんだ。それを今更逃げるようなことしたくない」
「賢い選択とは思えないがな」
「アンタの言うとおり馬鹿なことだとは分かってる。でももう、相手がどういう奴かも知らずに決めつけたままでいるのは嫌なんだ」

 その強い声は、これが彼の本心だと物語っているようだった。少し前までは吸血鬼はみんな敵だと断じ、多少不都合な点があってもそこから目を逸らすような行動をしていたのに。私のことも化け物だと決めつけて嫌っていたのに――言っていることは歓迎できる内容のはずなのに、まるで知らない人を見ているような不安がにじり寄る。

「まあ、お前の言い分はそれでいいとしよう。だが忘れてないか? お前は俺と取引がしたくて来たんだろう。それをこんな自分の弱点をぺらぺらと明かすような真似をして……俺がお前の弱味につけ込むことも考えられないのか?」
「ッ……それは……けど! アンタには、ちゃんと話すべきだと……」

 少ししどろもどろになったキョウを見て、急に気持ちが楽になった。いきなり彼らしくないことを言い出したから追いつけていなかったけれど、こういう以前どおりの彼を感じさせるところを見ると、目の前にいるのはちゃんとキョウ本人なんだと思えて不安が消えていくのを感じる。
 と言ってもキョウがしどろもどろになったことなんて全然ないのだけど。子供っぽさというか未熟な感じというか、そういうところを持っているのが私の中でのキョウなのだ。……ちょっと失礼な気もするけれど仕方がない。だってキョウは今まで完全にクソガキだったんだもの。

 と、思ってしまったのが顔に出ていたのだろうか。こちらをちらりと一瞥した壱政様は少し嫌そうな顔をした。だけどすぐにその視線は私から外れてキョウの方へ。相変わらず呆れを隠さない雰囲気のまま、壱政様は「まさかとは思うが……」と話を続けた。

「俺に話さなければならないと思ったのが、〝一葉を信用しているからこいつの信用している相手のことも信じる〟だなんて理由だったら目も当てられないな。たとえ人間だろうが、多少頭の回る奴なら一葉なんて簡単に騙せるぞ」
「え、酷い」

 突然の流れ弾に思わず声が零れる。これまでの雰囲気をぶち壊してしまうけれど仕方がない、だってびっくりしたんだもん。
 これキョウに向かって話してるんだよね? 私じゃないよね? と思いながら壱政様を見たら、再びさっきの嫌そうな表情をしながら溜息混じりに「事実だろ」とこちらに顔を向けてきた。

「それで死にかけたことがあるって忘れたのか?」
「あの時のこと言ってます? あれは私が騙されたというかただ事実を隠されただけというか!」
「人を見る目がないってことは間違いないだろ」
「酷い!」
「アンタ何やったんだよ……」

 キョウが物凄い目で私を見てくる。恐らく壱政様が言うくらいだから私がとんでもないことをしでかしたと思っているのだろう。
 でもそんなことはない。あれは私は悪くない。確かに壱政様の言うとおり私に人を見る目がなかったという話なのだけど、じゃあもっと相手を疑ってかかっていれば気付けたかと問われるとそういうものでもなかったと思う。

 ということで心境的にはそのあたりをキョウに訴えかけてもいいのだけれども、如何せん内容が内容なだけに言いづらい。だって〝良い人だと思っていた婚約者が実は裏で悪いことをしていて、そのせいで巻き込まれて死にかけました〟だなんて言えなくない?
 キョウはまだ未成年なのに、そんなドロドロの修羅場みたいな話ができるわけないじゃないか。

 なんて黙って考えていたら、私を攻撃してきた張本人である壱政様はもう興味を失ったらしい。こちらに向けていた顔をキョウの方へと戻しているし、キョウはキョウで私のことよりも壱政様とのやり取りの方が大切なようで真面目な表情に戻っていた。……この男共めが!

「で? 一応聞いてやろうか。お前は俺に何をして欲しい?」
「……俺の親が、どうして吸血鬼側に寝返ったか」

 真剣な、けれど少し不安そうなキョウの目。彼のその眼差しはそれを言うまでに彼の中で葛藤があったと示すものだったのに、その言葉を聞いた途端、壱政様は大きな溜息を吐いて「そんなことだろうと思ったよ」と吐き捨てた。

「全く、そんな小さな問題でいちいち取引なんて考えるな。自分で聞け」
「それが無理だからアンタに……!」
「無理じゃないから言っているんだ」
「……は?」

 キョウがお口をあんぐりと開けてしまう気持ちはよく分かる。私だってそんなすんなり無理じゃないと言われて驚いた。
 そして同時に察した――壱政様、今までキョウをからかって遊んでいたんだなって。

「許可が下りればお前がノクステルナに行くことも、お前の親が外界に来ることもできる。だから直接聞け」
「ちょっ……待ってくれ……そんな簡単な話なのか……?」
「ただの移住だと言っただろう。だからいつでもお前が会おうと思えば会える」
「……は?」

 心底驚くキョウを見て、壱政様は片側の口角をにんまり上げた。


 § § §


「壱政の機嫌が良さそうだったけど、どうしたの?」

 キョウと壱政様の話がまとまった後。台所に鍋焼きうどんの器を片付けに行くとレイフが不思議そうな顔で尋ねてきた。お茶はいるか聞きに行こうとしたら、ちょうど帰ろうとしていた壱政様と鉢合わせていたらしい。「楽しいならもう少しゆっくりしていけばいいのにね」、食器棚から出しているところだった湯呑を掲げ、レイフが困ったような笑みを浮かべる。常時不機嫌顔の二人を見た後だから、彼の笑みは一層私の心を和ませてくれた。

「ちょっとした嫌がらせを成功させたんです。だから楽しいって言ってもなんかこう、邪悪な方で……」
「ああ……被害者は人間の彼?」
「そうです。結構大事なことを後出ししてきて」

 私が答えれば、レイフは合点がいったというような表情を浮かべた。そして憐れむように眉根を寄せ、「あの子も災難だね」と小さく息を吐く。この反応を見る限り、レイフは壱政様のああいうところを知っているのだろう。

「レイフも被害に遭ったことあるんです?」
「僕はないよ。壱政はああいうこと、目をかけてる相手にしかやらないし」
「目をかけてる……?」

 思いがけない言葉に、これまでの壱政様のキョウへの態度を思い返した。けれど頭に浮かぶのは完全に馬鹿にしながら口撃している姿だけで、私の中の優しい壱政様像とは結びつかない。まあ優しい壱政様なんて数十年に一回くらいしかお目にかかれないんだけど。
 レイフはそんな私の気持ちを察したのか、お茶の準備をしながら「一葉は特別だからね」と微笑んだ。

「子供の頃から育てられたんだろう? 僕の知る限りそんな子は他にいないよ。それに壱政は一葉を最後に自分の子を増やしてないと思うから、尚更君が彼のそういう姿を見る機会はなかったと思うよ」
「それはそうですけど……」

 壱政様が子供を育てたのは、人間時代の実の子を除けば私だけというのは聞いたことがある。それに吸血鬼としての子を増やしていないというのもレイフの言うとおり。
 だから私の周りは私にとっては先輩だらけで、壱政様が誰かに教育的なものを施す場面というのは見たことがない。だからレイフの言っていることは正しいような気もするけれど、キョウへのあの態度がそうかと言われると非常に疑問が残る。

 と、私が頭を悩ませていると、レイフが「ふふ」と笑みを零した。

「じゃなきゃあの子をここで治療すること自体嫌な顔をしたと思うよ。さっき会った時、僕の紹介した医者は腕は確かなのかって聞いてきたし」
「え……!」

 何それツンデレ? キョウにはあんなに当たりが強いくせに、壱政様ってばレイフにそんなこと聞いてたの?

「――ていうかそうだ、すっかり忘れてた! レイフには今回凄いお世話になっちゃって……! 治療の実費はキョウが払うって聞かないんですけど、それ以外の気持ち部分は今度必ずお返しするので!!」

 壱政様の意外な一面にもっと浸っていたかったけれど、レイフの発言で大事なことを思い出した私は一旦邪念を頭の隅へと追いやった。
 何せレイフには今回思い切り迷惑をかけている。私はあまり深く考えずに傷だらけのキョウを背負って帰ってきてしまったけれど、レイフからすれば突然自分の管理している場所にハンターを連れ込まれた状態。
 それなのに彼はキョウの傷を見るなり医者を手配してくれた。私は自分で手当てする気満々だったけれど、やはり人間の怪我は人間に診てもらった方がいい。その上キョウが目覚めた時に食べる物も用意しようとしてくれていた。それはレイフが出かける直前で私が代わったのだけれども、とにかく彼はキョウを助けることに全面的に協力してくれたのだ。

 という大事なことを思い出した私は、これは何をおいてもお礼しなければと身を乗り出した。でも当のレイフ本人は相変わらずのほほんとした様子で、「いいよいいよ」と急須に沸かしたばかりのお湯を入れている。

「一葉がいると賑やかで楽しいから、その御礼ってことで」
「でも……!」
「どうしてもって言うなら、ここにいる間は楽しく過ごして欲しいな。この間壱政と喧嘩した時は屋敷中が暗かったしね」
「あ……それはごめ――」
「謝るのはナシ。ついでにこれも人間の子のところに運んでくれる?」

 そう言ってレイフに渡されたのは急須と湯呑の載ったおぼんで、それを受け取りながら、謝る以外ならどんな言葉を使えば感謝を伝えられるだろうと考える。でもそんないい言葉はすぐには浮かばなくて、私は代わりにと言わんばかりに顔に笑顔を浮かべてレイフの顔を見上げた。

「はい!」

 私がとびきり良い子な返事をすれば、レイフはにっこりと微笑み返してくれた。
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