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新菜いに/丹㑚仁戻

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最終章 転がり落ちていく先は

【第十二話 期限】12-3 あ、ごめんなさい調子乗りました私まだ怪我人です

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 目が覚めてから数時間。布団に寝転ぶ私の横には壱政様がいた。
 起き上がろうとしたけれど、治りが遅くなるからと横になっていることを強制されたのでいつもと違う角度から壱政様の顔を覗き込む。なんだかこうやって見上げるのは随分と久しぶりだ。それこそ身長の小さかった子供の頃以来かもしれない。
 私の大好きな壱政様の顔立ちは、この角度で見てもやはり素晴らしい。肌なんて「髭ってご存知?」と聞きたくなるくらいすべすべで、確か二十七歳で老化が止まっているらしい彼の顔にはシミひとつ存在しない。というかこの角度凄いな、喉仏から顎下のラインがめちゃくちゃ良い。無駄な皮下脂肪が一切ないその首筋は血管も筋肉も綺麗に浮き出ていて思わず指を伸ばしたくなる。……まあ、そんなことしたらへし折られそうだからやらないけど。

「……小僧は帰ったのか」

 目が合った壱政様は私の考えていることを悟ったのか、嫌そうな顔をしながら問いかけてきた。

「仕事だそうです。なんかハンター側が騒がしいから顔を出さなきゃって。それに昨日銃も使っちゃったから後始末みたいなのもしないと面倒なことになるらしくて」
「この国じゃあな。だから昨夜ずっとどこかに連絡をしていたのか」
「……キョウって夜からいたんですか?」
「ああ。来たのはちょうどお前の手当てが終わった頃だったか」
「そんなすぐ!?」

 血塗れの私はきっと壱政様が担いで帰ってきてくれたのだろう。キョウは何かしらの乗り物を使ってその後を追ってきたということになるけれど、あの吸血鬼の男に会った時間を考えれば彼にはまだ見廻りがあったはずだ。
 壱政様は影にならずとも足がめちゃくちゃ速いから、屋敷に着くまでに大して時間はかかっていないだろう。障害物があっても直線移動上等で人目がなければ塀だの何だのびゅんびゅん飛び越えたに違いない。つまりそれだけ屋敷に着いた時間は早いはずだから、キョウは見廻りを途中で切り上げて来ないと私の手当てが終わる頃に到着することはできない。嘘、そこまでしてくれたの?

「もしかしてずっとここで待っててくれたってこと……?」
「そのはずだ。まあ、実際のところは途中から俺も麗も出かけていたから知らんがな」

 壱政様はそう言うけれど、キョウがこの屋敷の中を好き勝手動き回るというのは考えづらかった。となるとやっぱりこの部屋から動いていないと考えるのが妥当だろう。
 もしかしたら眠って時間を潰していたのかもしれないものの、ここで待っていてくれたのは間違いないはず。起きた後の彼の発言も考えると、私のことを本当に心配してくれているんだと感じて顔が熱くなっていく気がした。

「あ、そうだ。キョウから聞きましたよ、壱政様達が助けに来てくれたって。ありがとうございます」

 顔の熱を誤魔化すように壱政様にお礼を言えば、「いちいち礼なんて言うな」と溜息を返された。

「大体、俺が行かなきゃお前にそれを持たせてる意味がないだろう」

 呆れたように言う壱政様の視線が向けられているのは私の布団の隣。そこには和傘といつもキョウに預けているボディバッグがあった。
 バッグはキョウが持っていると思っていたのに、さっきこの部屋にやってきた壱政様が持ってきたのだから驚きだ。なんでも昨日の男を捕まえる際にキョウに預けていた手枷を使ったらしいのだけど、彼がここに来た時に空のバッグを返してきたので壱政様も使い終わった手枷をその中にしまったのだそう。なんだろう、二人共律儀なのかな。

 ちなみに壱政様の言うというのはバッグのことではなくて、その隣の和傘の方だ。実はこれ、可愛いだけじゃなくてちょっとした仕掛けも施されている。勿論その仕掛けというのは仕込み刀のことではなくて、柄の部分には飾りに紛れ込ませたスイッチがあるのだ。
 これをカチッとやると、柄の中に隠されたものに電源が入る。いわゆる発信機というもので、仕組みはよく知らないけど壱政様の持っている電話に通知されるらしい。そう、壱政様はスマホを所持しているのだ。しかも使いこなせているのだから、年齢を言い訳にして文明の発達から逃げてちゃ駄目だなとよく思わされている。

「でもこれ、助けてもらうためのものじゃないですよ。だからお礼を言うのは当然です」

 二、三十年前から持たされるようになったこの発信機だけど、できるのは私の居場所を通知することだけ。しかも役に立つのは私も壱政様も外界にいる時に限る。
 そして私がこれを使うのは自分より上の序列の相手と敵対した時のみと決まっていた。吸血鬼の習性ゆえに操られてしまうから、その危険があると悟ったら私は壱政様に知らせるように言われているのだ。
 でもこれ、私の命を守るためのものじゃない。〝私が自分より序列が上の相手と遭遇した〟という証拠を残すためのものだ。その場で殺されなくても相手に私の記憶をいじられてしまうかもしれないし、そうなれば執行官として追っていた対象に逃げられてしまうかもしれない。それをなるべく防ぐことを目的として私はこれを持たされている。

 という前提を込めてお礼は当然って言ったのに、壱政様は一層眉間の皺を深くしただけだった。

「……お前はもう少し自立した方がいいかもな。自分を道具として使っていると言われているようなものなんだ、礼なんて言わず怒るくらいでちょうどいい」
「だってそんなこと最初っから承知してますもん。それに麗様から聞きましたからね! 壱政様ってば私のこと可愛くて可愛くて仕方がないんだなって……あ、ごめんなさい調子乗りました私まだ怪我人です」

 寝っ転がっていると困るのは土下座ができないことだ。だから私は両手を顔の前に出して鋭利な視線から自分を守ることしかできないのだけど、この手のことは一体誰が守ってくれるの? へし折られる未来が濃厚だぞ。
 順調に治ってきているとはいえこれ以上怪我をするのは嫌なので、「それにしても」と無理矢理話題の転換を試みる。口を動かしながら頭を物凄い勢いで回転させて、沈黙ができないように思いついた言葉を繋ぎ合わせた。

「なんで麗様までいらっしゃったんです? てっきりいつもみたく壱政様だけだと思ってたのに」

 麗様の名前が出たのはさっき口にしたばかりだからだ。だけど意外とそれらしい疑問文ができたので我ながらよくやったと思う。壱政様も視線を緩めてくれたから、これは私が聞いてくるだろうと考えていたのかもしれないな。

「ちょうど手が空いたからだそうだ。と言っても本人の適当な自己申告だったから、今頃まとめて報告するためにノストノクスから外出禁止を食らってるだろうがな」
「……麗様ってしょっちゅう外出禁止されてません?」
「じっとしてるのが苦手なんだよ。後で俺も宥めるために行かなきゃならん」
「それって麗様が軟禁されてる間のストレス発散相手ってことですよね? 壱政様までしばらく出られなくなるんじゃ……」

 壱政様の言うとおり、麗様はじっとしているのが苦手だ。だからしばらくその場に留めたい場合は彼女のストレスが溜まらないよう誰かが相手をしなければならないのだけど、これがなかなか難しい。何せ麗様の相手というのは組み手の相手のことだ。彼女と同等に武術を修めていて、尚且長時間のそれに耐えうる人。
 そんな人、私は壱政様くらいしか知らない。探せば他にもいるのかもしれないけれど、自分の用事を後回しにしてまで付き合ってくれる人なんていないだろう。壱政様は立場上麗様には強く逆らえないし、周りも彼をちっちゃい大怪獣の飼育係だと思っている。だからきっと麗様をノストノクスに留めようとした人は当然のように彼を生贄に差し出したのだろう。壱政様って大変だな。

「多分一度戻れば数日は外界に来られないだろうな。麗の仕事を手伝ったとしても今回は相当溜め込んでいたらしいし、本人でなきゃどうにもならんものも多い。全く、報告を放置したままなのは手が空いたとは言わないと何度も言ってるのに……」
「数日……昨日の奴の仲間っているんでしょうか。相手次第じゃ私が下手に動くとまずそうですよね」

 壱政様と数日会えないくらい普段ならどうってことないのだけど、昨日のことを考えると不安があった。
 昨夜の男が単独ならいい。だけど仲間がいた場合は少し厄介だ。もしかしたら私よりも高い序列を持つ人がまだいるかもしれないから、そんな相手にまた狙われてしまえば私は圧倒的に不利。向こうが敵だと最初から分かっていれば、仕掛けられる前に先手必勝で手足をぶった斬ってどうにかできなくもないのだけど、如何せん斬っていい相手か分からないと後手に回らざるを得ない。

 これはどうしようかなと考えていると、壱政様が思い出したとでも言いたげな表情でこちらを見てきた。

「ああ、お前にはまだ話していなかったか。以前一葉が小僧と捕まえてきた男がいたのは覚えているだろ?」

 私がキョウと捕まえた人というのは何人かいるけれど、壱政様が指しているのはきっと吸血鬼――上位種だ。それなら一人しかいない。

「私が両腕斬っちゃった人ですよね? まだ名前すら教えてもらってないんですけど」
「ウツギというらしい。奴はこの辺で悪さをしている連中の一人でな。本人は否定しているが、持っていた情報や序列から考えても末端だろう」

 やけにすんなり教えてくれるな。と言っても名前以外はなんとなく察していたことだけど。

「へえ……その人がどうかしたんです?」
「お前を昨日殺ろうとした奴もその一味だ。詳しいことはまだ分からんが、あの男が組織を率いていた可能性が高い。あれより序列の高い奴はまず出てこないだろうさ」

 吸血鬼というのは基本的に自分より序列の低い人には従わない。昨日の男がリーダーだったのなら、他の仲間は彼と同じか低い序列の人しかいないだろう。

「いくつだったんですか? あの人」
「まだ確かめられていないが、どうせ俺と同じだろうな。麗より上なら流石に名前が知られているはずだ」

 壱政様は断定しないけれど、きっと彼の考えているとおりで間違いない。
 序列が上であればあるほど人数は少なくなってくるし、一部の例外を除いて物凄く長く生きている人達ばかりだ。だから麗様よりも上の人であれば、執行官なら全員の名前と顔を把握している。つまり壱政様や麗様があの男を知らないということは、彼の序列はそれ以下だということ。

 できれば確証が欲しいところだけど、危険だから簡単に確かめられない。これでもし麗様よりも相手の方が上なら、確かめようとして逆に彼女が操られてしまうことだってあるかもしれないのだ。
 男の頭に布でも被せておけばいいのだけど、そうすると聞く方法は人間と同じ。つまるところ体に聞くしかなくなる。そんな物騒なことをしても痛みに慣れている人は答えてくれないので、確実に誰にも操られない人――序列最上位の人が聞くのが一番安心なのだ。

「何にせよ詳しいことはこれからだ。だがもし予想どおりあの男が主犯なら、もうすぐ一葉の今の仕事も終わる」

 壱政様は何の気なしに言ったのだろうけれど、その言葉に一瞬だけ自分の思考が停止するのが分かった。
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