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正反対の二人の刑事~宮橋~(2)
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一瞬、遠く向こうで、誰かが悲しそうな声で、何かを呟いた気がする。
「――真由君、そんなところでほけっとしていないで歩け。置いて行くぞ」
不意に怪訝な声が聞こえて、真由はハッとした。目を開いた瞬間に、くらりと立ち眩みがして、ほんの数秒ほど意識が途切れていたような錯覚を受けた。
変だなと思って視線を上げると、珍しくポケットに両手を突っ込んで、黄色いスポーツカーに向かって歩いている宮橋の後ろ姿があった。慌てて追い駆けた時、スーツのジャケットの襟元が、先程よりきちんと整えられている気もして、またしても首を傾げてしまう。
車に乗り込んで、宮橋から預かっていた彼の携帯電話を手渡した。カヨにろくな挨拶も出来ないまま、出てきてしまったのを思い出して、申し訳なくなる。
「というか、宮橋さんがサクサク話しを進めたせいで、ろくに覚えていない……」
私の頭はどうなってんだ、ポンコツか、と真由は呟いてしまった。
与魄智久という少年の祖母、カヨの義兄が奇妙な自殺を遂げて、彼女の夫も九年前に眠るように亡くなった。それを事実確認のようにあっさりと聞き出して終わったわけだが、結局のところ、その中で彼が何を確認したかったのか分からない。
時刻は、午後の五時十ニ分。陽が傾き始め、外は日差しが少し弱まっている。頭上に広がる空はまだ明るいが、太陽の光はこれから橙色への変色を始めようとしていた。
「で、これからどうするんですか?」
真由は、小楠(おぐし)警部たちの方はどうなっているんだろう、と考えながら尋ねた。自分は彼の発案で、急きょこうして事情聴取に乗り出していたわけだが、助けてくれと連絡のあった少年の保護に、進展はあったのだろうか?
すると、こちらに目も向けないまま、宮橋が車のエンジンをかけて「一番の目的としては、与魄少年と接触したい」と答えた。
「彼に話を聞いてみない事には、起こっている事の現状が正確には把握出来ない。とはいえ、まずは捜査の状況について知るのが先だな――小楠警部辺りにでも、電話を掛けてみてくれ」
「警部なのに『辺りにでも』と言って片手を振るところ、いい加減すぎやしませんか……?」
「ほぉ。君は相変わらず、なかなか正直な口をしているようだな」
「うわあああなんで私うっかり口に!? いやいやいや、私は何も言っていないですよっ、電話ですよね、今すぐ確認します!」
車を走らせ出したにもかかわらず、薄ら笑いの美麗な顔を向けられて、真由は慌てて自分の携帯電話を取り出した。
視線を前に戻しながら、宮橋が自然な様子で「ふはっ」と笑う吐息をこぼしたが、少し前に脅されたガムテープの一件が蘇って、目を向けている暇はなかった。
あの黒い笑顔は、本気でヤる顔だ。何せこれまでの、乙女に対してとは思えないくらいの容赦ない態度と行動を思い返すと、彼ならマジでガムテープで口を縛ってくるのではなかろうか、と思えてならない。
焦りつつ携帯電話を操作して、ようやく発信ボタンを押そうとした時、宮橋の胸元の携帯電話が小さく震えた。彼はブレーキを踏むと、一旦畑道のド真ん中に停車させ、右手をハンドルに置いたままそれを取り出して画面をチェックする。
途端に、彼の端正な顔に、嫌なものを見たような表情が浮かんだ。
何度か見た覚えのある表情である。既視感を覚えて待ち構えていると、案の定、彼が携帯電話をこちらに投げて寄越してきた。ハンドルに額を押し当ててすぐ、溜息と共に「君が取ってくれ。面倒だ」と告げる。
着信が続く携帯電話の画面には、『三鬼(みき)』という名が表示されていた。真由は「自分で話したほうが早いんじゃ……」と呟いてチラリと見つめ返してしまったが、宮橋の睨みに負けて、続く言葉を飲み込んで電話に出た。
「あの、もしもし、三鬼さんですか? こちら橋端真由です」
『あ? 宮橋はどうしたよ』
「え~っと――…………その、運転中です」
真由は、上手い言い訳を考えるのに時間を要した。
再び車が走り出したタイミングで、電話の向こうから小さく舌打ちが聞こえてきた。
『お前らが、急ぎとかいうその事情聴取を無事に終わらせたのか、まだ他にも何かやってんのかは知らねぇが、あ、いや、別にお前に文句を言っているわけじゃなくて、隣で聞き耳を立てている宮橋の野郎にだな……――くそッ、面倒だな』
すみません、私が間に入ってしまっていて。
真由は、電話の向こうの三鬼の様子を思い浮かべて、心の中で謝った。隣の運転席で、涼しげな表情を浮かべている美貌の先輩刑事が嫌だな、と思った。
『今、捜索が出ている四人のガキどもに、それぞれ五人ずつウチの刑事が付いた。筒地山(つつじやま)亮(りょう)の電車には、十分前に小楠警部たちが乗り込んで合流している。俺たちのところでは、マサルってガキを預かっていて、今、サンサンビル向かいのカフェの表のテラスだ』
つまりは、例の不良少年たち全員の保護が、無事に完了したという事だ。真由はそう知って、ホッと息をついた。
「安心するのはまだ早い。三鬼に、与魄少年はまだか訊け」
宮橋が、車を運転しながらそう言った。真由は座席に押されるような加速を感じつつ、それを三鬼へ伝えるべく口を開いた。
「あの、与魄君は? って宮橋さんが訊いています」
『この辺で目撃情報はあるんだが、全然捕まらねぇんだよ。何人かのメンバーも、実際に目にしたらしい。でも追い駆けて角を曲がったら、誰もいないんだと。一体どうなってんだ?』
黄色いスポーツカーが、砂利の畑道からアスファルトの田舎道に進んだところで、一気に減速して路肩に寄せられた。
真由がびっくりしている間に、宮橋が「面倒だな、ちょっと貸せ」と長い腕を伸ばして、携帯電話を取り上げて自身の耳に押しあてた。
「本人は逃げているつもりはないと思う。まだ何も知らない可能性の方が高い」
『あッ、てめぇ。はじめから出ろよな! 紛らわしいんだよ!』
「それでも急ぎ彼と接触する必要があるから、出来るだけ、そっちにいる人間でもどうにか頑張らせてくれ。へたをすると、こっち側に関与出来る影響力まで与えられて、僕の考えている法則が通用しなくなるかもしれない」
『…………てめぇの言い分は、いつも唐突で謎すぎてよく分からねぇが、特例の緊急事態ってのは分かる。まだ二十四時間経っていない状況で、四人も死ぬなんてのは、尋常じゃねぇスピードだ』
電話の向こうで、三鬼が真剣な様子で声を潜めた。
『こうして四人のガキ共を、それぞれの班が直接保護して見張っている中で、お前が考えている一番近い可能性のある『最悪のパターン』ってのを教えろ』
「無関係な人間を巻き込みながら『不運のように事故』が起こり、残った少年たちは『たまたま偶然にも事故に遭遇』した事で死に、けれど死体だけ上がってこない状況だ」
直後、ピタリと双方の言葉が途切れた。
『――……珍しく回答を渋られなかったのはいいが、一気に言われて、なんだか余計に分からなくなった』
「――……だろうな。だから僕も、本当は言いたくなかった」
二人の男が、それぞれ真面目な声色で言って、再び沈黙した。
その様子を見守っていた真由は、ある意味息がぴったりのような気がして、仕事上の付き合いが長いせいなのだろうかと考えてしまった。というか、三鬼さんって意外と猪突猛進で素直さのある、馬鹿っぽい部分もあるのだろうか?
よく怒っているけれど、気遣いは出来るし、なんだかんだと言って宮橋を一番邪魔せず、スムーズにやりとりが出来ているのが、三鬼のような気もする。
「ひとまず与魄智久を見つけたら、話したい人がいると伝えて僕に電話させろ。彼の状態を僕が確認していな状況で、刺激するような言葉は絶対にするなよ」
宮橋は疲れたように一方的に言うと、電話を切った。携帯電話を胸ポケットにしまい、再び車を走らせる。
しばらく、車内には沈黙が続いていた。カーナビに電源が入っていないせいで、こんなにも静かなのだと、真由は遅れて気付いた。
田園風景が少なくなるにつれて、与魄智久の祖母の家が遠くなっていくのを考えた時、ふと、あそこで色々と沢山の疑問を覚えた気がして首を捻った。彼はほとんど聞き手として座っていただけのはずなのに、どうして『彼が沢山お話したのに』と感じてしまうのだろう?
「ねぇ、宮橋さん。そういえば物語がどうとかって、こっちに来る前から言っていましたけど、その件も無事に確認出来たんですか?」
運転する横顔に尋ねてみたら、彼が「まぁね」と素っ気なく言った。ハンドルを握ったまま、チラリとこちらに横目を向けてくる。
「そもそも、君は覚えているのか?」
「覚えているも何も、全然話も説明もしていないじゃないですか。だから、私はよく分からないですし、この事件とも関係はないと思いますけど、ただ、うーん、なんというか、宮橋さんの中では、大事なキーワードなのかなぁと思って?」
自分で言っておいて、なんだか分からなくなってきて、真由は彼を真っ直ぐ見つめ返したまま小首を傾げてしまっていた。
今回の事件に、それほど重要だとは思えないけれど、既に忘れかけているらしい先程の出来事を思い返そうとした。しかし、どういう話かすっかり忘れてしまっている。まるで、難しくてよく分からない場所だけが、空白を作っているみたいだった。
そうしたら、宮橋が形のいい瞳を弱った風に細めて、小さな苦笑を浮かべた。
「君は、それだけで『僕を信じる』のか。まるで大人じゃないみたいに素直で、困ったな。うーん、どうしようか」
「それ、どういう意味ですか。身長と骨格についておっしゃっているのなら、引き下がらず反論させて頂きたいと思います!」
「そういう事じゃないんだが。なんだ、コンプレックスなのか?」
妙なところに意外な地雷があったもんだなぁ、馬鹿三鬼にちょっと近いんじゃないのか君、と彼が呟いて視線を正面に戻す。
「そうだな。その『物語』は、――まぁ人に言わせればただの童話だ。けれど、否応なしに関わらざるを得ない者にとっては、起こり得るかもしれない運命で、定められた者にとっては変えようがない宿命で、形がないモノにとっては存在証明そのものだ」
たとえば、そうだな、と彼はギアを変えて車をまた一つ加速させ、言葉を続ける。
「西洋でいうところの『妖精の取り替え子』であるのなら、妖精世界に連れて行かれた本当の子供が戻って来ると、彼らは在るべき場所に帰らなければならない。もしくは、取り替えられたまま『その子供』だと偽って、一生を過ごすかの二択だ」
「児童文学や小説だと、そういう流れのお話がほとんどですよね」
「まぁ、実際のところは、妖精以外にも色々とあるけれど」
宮橋は、前方を見つめたまま「そう、ただの童話さ。僕が知っている中で、魔術師が出てくる滑稽な一つの『話』をしてやろう」と前置きして言う。
「とある大富豪一族があって、そこには狸野郎の伯父がいて、彼は目と感覚が良い魔術師みたいな詐欺師だった。彼は二つの世界を騙して『物語』を捻じ曲げ、『取り替え子』を帰さずに、攫われた子供を母親の腹の中に戻した」
「もう『狸野郎』の説明の時点で、色々とすごく雑ですね……。そもそも生まれていた子の方も無事で、攫われていた子も帰ってきて皆一緒って事は、滑稽でもなんでもなくて、大団円のハッピーエンドじゃないですか」
「そうだな、これで童話はハッピーエンド。その魔術師みたいな男は勝手に満足して死んで、本来は二人兄弟であるべきなのに、彼の思惑通りそこには『三人の兄弟』が残された」
一瞬、語る宮橋の声色が、自身を嘲笑うみたいに投げやりになって、その横顔が悲しみと苛立ち混じり小さく歪んだ気がした。
その時、人の気配が戻った国道に入っていた彼が、不意にギアを切り替えるのが見えた。その瞬間、真由は身に染みついた条件反射のように「え」と乙女あるまじき声を上げて、思考ごと硬直していた。
つい少し前に感じた、後ろに引っ張られるような急発進の加速を覚えて、まさかと思って「みみみみみ宮橋さん?」と、つい上ずり引き攣った声で尋ねてしまう。
「あの、まさかとは思いますが、これって……?」
「ははははは、君はいちいち反応が面白くて愉快だな。僕の名前に『み』は一つしか付かないぞ」
「そういう問題じゃないし、なんでそんないきなり楽しそうにしてるの――ってひぃぇええええええ! 一気に二十キロも加速したんですけど!?」
真由の返答も待たずに、車は更に加速した。宮橋の運転する黄色いスポーツカーは、気付いて驚いたように道を開ける車を追い越しながら、猛スピードで進む。
「そうやってシートベルトを掴んでいると、どこかの小動物みたいだなぁ。おい、足を上げるな。余計に危ないし、太腿が見えるぞ」
「いやああああああああ! 宮橋さんお願いですからッ前見て前!」
「ふむ、なんだろうな――泣かしたくなってくるんだが」
「ちょ、真面目な横顔でさらりと何言ってんですかッ。あんたはドSなんですか!? チクショーこの状況でよくもまあそんな事が言えますね、美形だからってなんでも許されると思うなよ一発ぶん殴らせてくださ――って、ふっぎゃあああああああ!」
「ははははは、まるで拾いたての猫みたいだな。君の口の悪さも、まぁまぁ嫌いじゃない」
宮橋の愉快そうな笑い声が響く中、接触すれすれに車が追い越されて、真由の口から半泣きの本気の悲鳴が上がった。
「――真由君、そんなところでほけっとしていないで歩け。置いて行くぞ」
不意に怪訝な声が聞こえて、真由はハッとした。目を開いた瞬間に、くらりと立ち眩みがして、ほんの数秒ほど意識が途切れていたような錯覚を受けた。
変だなと思って視線を上げると、珍しくポケットに両手を突っ込んで、黄色いスポーツカーに向かって歩いている宮橋の後ろ姿があった。慌てて追い駆けた時、スーツのジャケットの襟元が、先程よりきちんと整えられている気もして、またしても首を傾げてしまう。
車に乗り込んで、宮橋から預かっていた彼の携帯電話を手渡した。カヨにろくな挨拶も出来ないまま、出てきてしまったのを思い出して、申し訳なくなる。
「というか、宮橋さんがサクサク話しを進めたせいで、ろくに覚えていない……」
私の頭はどうなってんだ、ポンコツか、と真由は呟いてしまった。
与魄智久という少年の祖母、カヨの義兄が奇妙な自殺を遂げて、彼女の夫も九年前に眠るように亡くなった。それを事実確認のようにあっさりと聞き出して終わったわけだが、結局のところ、その中で彼が何を確認したかったのか分からない。
時刻は、午後の五時十ニ分。陽が傾き始め、外は日差しが少し弱まっている。頭上に広がる空はまだ明るいが、太陽の光はこれから橙色への変色を始めようとしていた。
「で、これからどうするんですか?」
真由は、小楠(おぐし)警部たちの方はどうなっているんだろう、と考えながら尋ねた。自分は彼の発案で、急きょこうして事情聴取に乗り出していたわけだが、助けてくれと連絡のあった少年の保護に、進展はあったのだろうか?
すると、こちらに目も向けないまま、宮橋が車のエンジンをかけて「一番の目的としては、与魄少年と接触したい」と答えた。
「彼に話を聞いてみない事には、起こっている事の現状が正確には把握出来ない。とはいえ、まずは捜査の状況について知るのが先だな――小楠警部辺りにでも、電話を掛けてみてくれ」
「警部なのに『辺りにでも』と言って片手を振るところ、いい加減すぎやしませんか……?」
「ほぉ。君は相変わらず、なかなか正直な口をしているようだな」
「うわあああなんで私うっかり口に!? いやいやいや、私は何も言っていないですよっ、電話ですよね、今すぐ確認します!」
車を走らせ出したにもかかわらず、薄ら笑いの美麗な顔を向けられて、真由は慌てて自分の携帯電話を取り出した。
視線を前に戻しながら、宮橋が自然な様子で「ふはっ」と笑う吐息をこぼしたが、少し前に脅されたガムテープの一件が蘇って、目を向けている暇はなかった。
あの黒い笑顔は、本気でヤる顔だ。何せこれまでの、乙女に対してとは思えないくらいの容赦ない態度と行動を思い返すと、彼ならマジでガムテープで口を縛ってくるのではなかろうか、と思えてならない。
焦りつつ携帯電話を操作して、ようやく発信ボタンを押そうとした時、宮橋の胸元の携帯電話が小さく震えた。彼はブレーキを踏むと、一旦畑道のド真ん中に停車させ、右手をハンドルに置いたままそれを取り出して画面をチェックする。
途端に、彼の端正な顔に、嫌なものを見たような表情が浮かんだ。
何度か見た覚えのある表情である。既視感を覚えて待ち構えていると、案の定、彼が携帯電話をこちらに投げて寄越してきた。ハンドルに額を押し当ててすぐ、溜息と共に「君が取ってくれ。面倒だ」と告げる。
着信が続く携帯電話の画面には、『三鬼(みき)』という名が表示されていた。真由は「自分で話したほうが早いんじゃ……」と呟いてチラリと見つめ返してしまったが、宮橋の睨みに負けて、続く言葉を飲み込んで電話に出た。
「あの、もしもし、三鬼さんですか? こちら橋端真由です」
『あ? 宮橋はどうしたよ』
「え~っと――…………その、運転中です」
真由は、上手い言い訳を考えるのに時間を要した。
再び車が走り出したタイミングで、電話の向こうから小さく舌打ちが聞こえてきた。
『お前らが、急ぎとかいうその事情聴取を無事に終わらせたのか、まだ他にも何かやってんのかは知らねぇが、あ、いや、別にお前に文句を言っているわけじゃなくて、隣で聞き耳を立てている宮橋の野郎にだな……――くそッ、面倒だな』
すみません、私が間に入ってしまっていて。
真由は、電話の向こうの三鬼の様子を思い浮かべて、心の中で謝った。隣の運転席で、涼しげな表情を浮かべている美貌の先輩刑事が嫌だな、と思った。
『今、捜索が出ている四人のガキどもに、それぞれ五人ずつウチの刑事が付いた。筒地山(つつじやま)亮(りょう)の電車には、十分前に小楠警部たちが乗り込んで合流している。俺たちのところでは、マサルってガキを預かっていて、今、サンサンビル向かいのカフェの表のテラスだ』
つまりは、例の不良少年たち全員の保護が、無事に完了したという事だ。真由はそう知って、ホッと息をついた。
「安心するのはまだ早い。三鬼に、与魄少年はまだか訊け」
宮橋が、車を運転しながらそう言った。真由は座席に押されるような加速を感じつつ、それを三鬼へ伝えるべく口を開いた。
「あの、与魄君は? って宮橋さんが訊いています」
『この辺で目撃情報はあるんだが、全然捕まらねぇんだよ。何人かのメンバーも、実際に目にしたらしい。でも追い駆けて角を曲がったら、誰もいないんだと。一体どうなってんだ?』
黄色いスポーツカーが、砂利の畑道からアスファルトの田舎道に進んだところで、一気に減速して路肩に寄せられた。
真由がびっくりしている間に、宮橋が「面倒だな、ちょっと貸せ」と長い腕を伸ばして、携帯電話を取り上げて自身の耳に押しあてた。
「本人は逃げているつもりはないと思う。まだ何も知らない可能性の方が高い」
『あッ、てめぇ。はじめから出ろよな! 紛らわしいんだよ!』
「それでも急ぎ彼と接触する必要があるから、出来るだけ、そっちにいる人間でもどうにか頑張らせてくれ。へたをすると、こっち側に関与出来る影響力まで与えられて、僕の考えている法則が通用しなくなるかもしれない」
『…………てめぇの言い分は、いつも唐突で謎すぎてよく分からねぇが、特例の緊急事態ってのは分かる。まだ二十四時間経っていない状況で、四人も死ぬなんてのは、尋常じゃねぇスピードだ』
電話の向こうで、三鬼が真剣な様子で声を潜めた。
『こうして四人のガキ共を、それぞれの班が直接保護して見張っている中で、お前が考えている一番近い可能性のある『最悪のパターン』ってのを教えろ』
「無関係な人間を巻き込みながら『不運のように事故』が起こり、残った少年たちは『たまたま偶然にも事故に遭遇』した事で死に、けれど死体だけ上がってこない状況だ」
直後、ピタリと双方の言葉が途切れた。
『――……珍しく回答を渋られなかったのはいいが、一気に言われて、なんだか余計に分からなくなった』
「――……だろうな。だから僕も、本当は言いたくなかった」
二人の男が、それぞれ真面目な声色で言って、再び沈黙した。
その様子を見守っていた真由は、ある意味息がぴったりのような気がして、仕事上の付き合いが長いせいなのだろうかと考えてしまった。というか、三鬼さんって意外と猪突猛進で素直さのある、馬鹿っぽい部分もあるのだろうか?
よく怒っているけれど、気遣いは出来るし、なんだかんだと言って宮橋を一番邪魔せず、スムーズにやりとりが出来ているのが、三鬼のような気もする。
「ひとまず与魄智久を見つけたら、話したい人がいると伝えて僕に電話させろ。彼の状態を僕が確認していな状況で、刺激するような言葉は絶対にするなよ」
宮橋は疲れたように一方的に言うと、電話を切った。携帯電話を胸ポケットにしまい、再び車を走らせる。
しばらく、車内には沈黙が続いていた。カーナビに電源が入っていないせいで、こんなにも静かなのだと、真由は遅れて気付いた。
田園風景が少なくなるにつれて、与魄智久の祖母の家が遠くなっていくのを考えた時、ふと、あそこで色々と沢山の疑問を覚えた気がして首を捻った。彼はほとんど聞き手として座っていただけのはずなのに、どうして『彼が沢山お話したのに』と感じてしまうのだろう?
「ねぇ、宮橋さん。そういえば物語がどうとかって、こっちに来る前から言っていましたけど、その件も無事に確認出来たんですか?」
運転する横顔に尋ねてみたら、彼が「まぁね」と素っ気なく言った。ハンドルを握ったまま、チラリとこちらに横目を向けてくる。
「そもそも、君は覚えているのか?」
「覚えているも何も、全然話も説明もしていないじゃないですか。だから、私はよく分からないですし、この事件とも関係はないと思いますけど、ただ、うーん、なんというか、宮橋さんの中では、大事なキーワードなのかなぁと思って?」
自分で言っておいて、なんだか分からなくなってきて、真由は彼を真っ直ぐ見つめ返したまま小首を傾げてしまっていた。
今回の事件に、それほど重要だとは思えないけれど、既に忘れかけているらしい先程の出来事を思い返そうとした。しかし、どういう話かすっかり忘れてしまっている。まるで、難しくてよく分からない場所だけが、空白を作っているみたいだった。
そうしたら、宮橋が形のいい瞳を弱った風に細めて、小さな苦笑を浮かべた。
「君は、それだけで『僕を信じる』のか。まるで大人じゃないみたいに素直で、困ったな。うーん、どうしようか」
「それ、どういう意味ですか。身長と骨格についておっしゃっているのなら、引き下がらず反論させて頂きたいと思います!」
「そういう事じゃないんだが。なんだ、コンプレックスなのか?」
妙なところに意外な地雷があったもんだなぁ、馬鹿三鬼にちょっと近いんじゃないのか君、と彼が呟いて視線を正面に戻す。
「そうだな。その『物語』は、――まぁ人に言わせればただの童話だ。けれど、否応なしに関わらざるを得ない者にとっては、起こり得るかもしれない運命で、定められた者にとっては変えようがない宿命で、形がないモノにとっては存在証明そのものだ」
たとえば、そうだな、と彼はギアを変えて車をまた一つ加速させ、言葉を続ける。
「西洋でいうところの『妖精の取り替え子』であるのなら、妖精世界に連れて行かれた本当の子供が戻って来ると、彼らは在るべき場所に帰らなければならない。もしくは、取り替えられたまま『その子供』だと偽って、一生を過ごすかの二択だ」
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「まぁ、実際のところは、妖精以外にも色々とあるけれど」
宮橋は、前方を見つめたまま「そう、ただの童話さ。僕が知っている中で、魔術師が出てくる滑稽な一つの『話』をしてやろう」と前置きして言う。
「とある大富豪一族があって、そこには狸野郎の伯父がいて、彼は目と感覚が良い魔術師みたいな詐欺師だった。彼は二つの世界を騙して『物語』を捻じ曲げ、『取り替え子』を帰さずに、攫われた子供を母親の腹の中に戻した」
「もう『狸野郎』の説明の時点で、色々とすごく雑ですね……。そもそも生まれていた子の方も無事で、攫われていた子も帰ってきて皆一緒って事は、滑稽でもなんでもなくて、大団円のハッピーエンドじゃないですか」
「そうだな、これで童話はハッピーエンド。その魔術師みたいな男は勝手に満足して死んで、本来は二人兄弟であるべきなのに、彼の思惑通りそこには『三人の兄弟』が残された」
一瞬、語る宮橋の声色が、自身を嘲笑うみたいに投げやりになって、その横顔が悲しみと苛立ち混じり小さく歪んだ気がした。
その時、人の気配が戻った国道に入っていた彼が、不意にギアを切り替えるのが見えた。その瞬間、真由は身に染みついた条件反射のように「え」と乙女あるまじき声を上げて、思考ごと硬直していた。
つい少し前に感じた、後ろに引っ張られるような急発進の加速を覚えて、まさかと思って「みみみみみ宮橋さん?」と、つい上ずり引き攣った声で尋ねてしまう。
「あの、まさかとは思いますが、これって……?」
「ははははは、君はいちいち反応が面白くて愉快だな。僕の名前に『み』は一つしか付かないぞ」
「そういう問題じゃないし、なんでそんないきなり楽しそうにしてるの――ってひぃぇええええええ! 一気に二十キロも加速したんですけど!?」
真由の返答も待たずに、車は更に加速した。宮橋の運転する黄色いスポーツカーは、気付いて驚いたように道を開ける車を追い越しながら、猛スピードで進む。
「そうやってシートベルトを掴んでいると、どこかの小動物みたいだなぁ。おい、足を上げるな。余計に危ないし、太腿が見えるぞ」
「いやああああああああ! 宮橋さんお願いですからッ前見て前!」
「ふむ、なんだろうな――泣かしたくなってくるんだが」
「ちょ、真面目な横顔でさらりと何言ってんですかッ。あんたはドSなんですか!? チクショーこの状況でよくもまあそんな事が言えますね、美形だからってなんでも許されると思うなよ一発ぶん殴らせてくださ――って、ふっぎゃあああああああ!」
「ははははは、まるで拾いたての猫みたいだな。君の口の悪さも、まぁまぁ嫌いじゃない」
宮橋の愉快そうな笑い声が響く中、接触すれすれに車が追い越されて、真由の口から半泣きの本気の悲鳴が上がった。
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そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
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さようなら、お別れしましょう
椿蛍
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