美麗な御曹司刑事はかく語らない~怪異刑事 宮橋雅兎の事件簿~

百門一新

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正反対の二人の刑事~三鬼~(3)下

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 藤堂に邪魔された三鬼は、このテラスで二本目となる煙草に火を付けた。吸う気はないと言ったのに、二年目となるこの素直な後輩に「まぁまぁ、一本どうぞ」と人のいい苦笑を浮かべられて火の用意までされたら、断れなくなったのだ。

 一口、二口と舌の上で煙を転がしていたら、なんとなく気分も落ち着いてきた。説教だなんてやっている時分でもなかったな、と早々に短くなってしまった煙草を、灰皿へと押し潰しながら思う。

 すると、付き合うように隣にいて、ずっと柵に寄りかかって待機していた藤堂が「ねぇ、三鬼先輩」と呼んできた。

「これまでの被害者は、四人とも死んでいるわけですけども、……大丈夫ですかね?」
「そろそろ午後の六時だろ。どれも短時間ごとに殺されているのに、今はまだ誰も死んでねぇ。こんなに人の目もあって、俺らも見張ってんだ。やすやすと犯行は出来ねぇだろ」

 宮橋との電話のやりとりを思い返した三鬼は、下手な言い訳をするかのようなぎこちない口調で言って、通りを流れる大勢の人間と車に視線を逃がした。

 不安そうな表情を浮かべた藤堂が、「でも」と追って言いかけた時、ワイシャツの胸ポケットに入れていた携帯電話から着信音が鳴った。流れ出したトルコ行進曲が、人々の喧騒の間から薄く存在を主張する。

 三鬼は携帯電話を取り出すと、そこに同僚の名を確認して、通話ボタンを押して耳にあてた。

「こちらは三鬼だ。田中(たなか)か、どうした?」

 彼は賑わう大通りからの喧騒に負けない声量で、一年下の後輩に問い掛けた。田中は質素な顔をした気の優しそうな男で、捕まえた犯人の話も一生懸命に聞いて涙したり、少し間の抜けたところもあるが、柔軟に仕事に対応出来る刑事である。

『三鬼さん、ケンという少年を保護している田中です。今のところ何も問題はなさそうですし、互いの状況確認のためにも、一旦合流した方がいいかなと思ったんですけど、宮橋さんからは、そのへんについて何か聞いてます?』
「署から出る前の話だと、しばらくはバラけた方がいいとしか言ってなかったな」
『かなり人通りも多くなっていますし、一時だけ合流しても大丈夫なのであれば、そうしたいんですけど。どこにいます? 僕はサンサンビル西の交差点辺りです』

 それを聞いた三鬼は、柵から身を乗り出して、大通りの西側にある巨大な高層ビルの方を確認した。交差点は、ここから百メートルと少ししか離れていない。

「すぐ近くだな。俺たちは今、いつも竹内(たけうち)が入ってるカフェにいる」
『えっ本当ですか? こっちからカフェが確認できますよ! 今、手を振ります。見えますか?』

 うまく音声を拾えないながらも、耳を傾けていた藤堂が「田中さん、なんて言ってるんですか?」と尋ねてきたので、三鬼は「すぐそこにいるんだと」と顎で示して人混みの中に目を凝らした。

 すると、交差点の向こうの広い歩道帯に、スーツの男三人と一緒にいる田中が手を振っている姿が確認出来て、手を上げて合図を送り返した。彼のすぐ傍には、赤い髪をした少年の頭があって、人の群れの間から見え隠れしている。

 田中の後ろから、こちらに気付いた一人の大柄な捜査員が嬉しそうに手を振ってきた。このカフェのケーキと珈琲のセットがお気に入りで、裁縫と料理が得意の竹内(たけうち)である。田中と竹内はパートナーなので、よほどの事情がない限りは、一緒に行動している事が多かった。

「わぁ、田中さんと竹内さんがいるッ」

 藤堂は田中たちの姿を見つけると、大きく手を振り返した。後ろの捜査員たちが「おや?」という顔をして、同じ方向へと目を向けて、藤堂の甘党食べ歩き仲間の存在に気付いて納得する。

 その時、騒がしい喧騒を切り裂くような着信音が鳴り響いた。

 聞き慣れた着信音とは違い、選挙カーがめいいっぱいボリュームを上げた時のような耳障りな爆音に近かった。通りの人々が顔を顰めて、音の発生源を探すように辺りに目をやり始める。

 音は何重にも連なるように轟いており、位置は特定出来そうにもなかった。マサルが自分の身体を抱きしめて震えるそばで、他の捜査員たちも「なんだ?」と音に耳を傾けていた。

『三鬼さん、なんですかこの音? 電話の着信音にしては大きいような……』

 田中が辺りを見回して言う、三鬼は「分からねえ」と警戒心を露わに通り全体を睨みつけた。またしてもマサルが怯えている様子に目を留めた藤堂も、すぐに大通りへと視線を戻して周囲を見渡した。

 続く着信音は、なかなか鳴り止まなかった。建物に反響して窓ガラスを震わせるほどの爆音の嵐に、何人かの短気な連中が「煩ぇぞッ」と怒鳴り散らす声が上がり、小さなざわめきが不安を伴って、大通りに広がっていく。

 カフェから少し手前の横断歩道を渡るため、田中たちの足が一度交差点で止まった。赤信号になって車の流れが途切れると、三鬼と藤堂の位置からも、はっきりとケンという少年の姿をとらえる事が出来た。

 事前に顔写真を確認していたケン少年は、赤い短髪にドクロの絵柄がついたプリントTシャツの上から、ジャケットのように学生シャツを着込んでいた。彼は顔を蒼白させて、がたがたと震えている。

 その時、不意にテラスのテーブル席から椅子を蹴り倒す音が上がり、三鬼は藤堂と共に振り返った。そこには、立ち上がったマサルがいた。

「し、――死にたくないッ。俺は、死にたくない!」
「落ちつきなさい!」

 捜査員の一人が、今にも飛び出して行きそうなマサルを押さえ込んだ。三鬼は耳に当てていた携帯電話を少し離すと、察した様子で「お前ら、この音を知っているんだな?」と騒音に負けない声で言った。

「一体何に怯えている? 分かるようにハッキリ答えやがれ!」

 続けて怒鳴りつけられたマサルは、捜査員の一人に抱えられた状態で、まるでこの世の終わりだと言わんばかりの顔を上げた。どうにか三鬼を見つめ返して、乾燥した唇をわなわなと動かせる。

「…………俺たち、この音のあと、松宜(まつぎ)が公園に引きずられたのを見たんだ。西盛に電話してた時も、電話の向こうでこの音が聞こえていて――」

 その時、藤堂が何かの異変を察知したように、素早く三鬼の袖を掴んで注意を引いた。繋がったままの携帯電話からは『この着信音、いったい何なんでしょうね?』と田中の呟きが上がっている。

「なんだ藤堂、どうした」
「先輩、この音なんですか……?」

 藤堂が、嫌な予感が拭えない表情で尋ねる。三鬼は「電話の着信音だろ」と言って、何回も言わせんなと怒鳴り掛けたところで、低い音を耳にして口をつぐんだ。

 通りの人々も、響くコール音の後ろから聞こえる別の音に気づき始めて、誰もが足を止めて耳を済ますような仕草をした。

 鼓膜が低く叩かれるような振動は、どこからか微かなブレーキ音と共にこだましてくる。それは何かが割れ、くぐもり押し倒されて潰されるような音で――


『何かが近づいてくるような音が』


 電話の向こうで、言い掛けた田中の言葉が途切れた時、三鬼と藤堂は彼らの後ろにある大型衣服店に奇妙な影を見た。大通りの沢山の目撃者たちも、一瞬呼吸を止めてそこを凝視し、動く事を忘れていた。

 次の瞬間、三鬼は藤堂とほぼ同時に叫んでいた。

「田中逃げろ!」
「田中さんッ、危ない!」

 その腹から発せられた大声に金縛りが解けたかのように、通りにいた人々が異常事態を察したかのようにして俊敏に反応した。ビルの一階部分にあるその全面ガラス張りが盛り上がる直前、ワッと円を描くような空間を空けて身を翻す中、田中たちがハッと後ろを振り返る。
 

 一秒一瞬が、やけに長く感じられた。

 彼らの髪とスーツが揺らいで、滑らかに膨れていく一面ガラスの前で、ゆっくりと翻っていくのを、三鬼たちは見た。
 

 次の瞬間、大通りには、ガラスが破れるけたたましい音が響き渡っていた。先程まで少年と大人四人が立っていた場所に、店を突き破ってきた巨大な鉄の塊が乗り上げる。
 それは、大型トラックだった。道路に縦列していた車に突っ込み、衝突した衝撃でガコンと車を揺らせて、店内にタイヤの後輪をひっかけるようにして止まる。

 そのたった数秒で、帰宅ラッシュが続いていた現場は、まさにパニック状態と化してしまっていた。いつの間にか、あの異様な着信音だけが消えていた。

 事故に気づいた捜査員たちの顔に緊張が走る中、三鬼は「くそッ、なんでこんなタイミングで事故が起こるんだ!」と呻り、動きかけた捜査員に、マサルから離れないように指示して柵を飛び越えた。通りへ降りる彼の後を、藤堂が追う。

 三鬼は、逃げ惑い流れてくる人波を押し分けるようにして駆けた。邪魔だ、と怒鳴り散らし、乱暴に前へと進む。クラクションがあちらこちらから鳴り響き、事故現場辺りは更に混乱の泥沼と化していた。

「田中! 田中! 無事か!?」

 人混みにもみくちゃにされながらも、三鬼は携帯電話を耳に当てて叫びながら現場へと向かった。通話回線がいまだ途切れていないと思っていたのに、とうに通話が切れている事に遅れて気づき、舌打ちしてシャツの胸ポケットへねじ込む。

 店内を横断するように突きぬけてきた大型トラックは、運が良かったのか悪かったのか、赤信号の前に連なっていた車に衝突しており、後輪を店内に残した状態で沈黙していた。

 吹き飛ばされかけた車から、運転手が無傷で降りたのを見て、三鬼は思わずホッと胸を撫で下ろす。しかし、トラックに近寄ったところで顔を強張らせた。

 車体の下から、大量の血が溢れ出して伸びていたのだ。続いて駆け付けた藤堂も、それを見て青い顔をした。

「嘘だろッ」
「皆さん無事ですか!?」

 最悪の事態を想像した三鬼は、藤堂と素早くトラックの下を覗きこんだ。薄暗さを覚える隙間に動く気配を感じて、そこを凝視する。

 トラックの下には衣料品や棚、看板が押し潰されたらしい残骸が引っ掛かっており、一人分の小さな赤い頭だけが覗いていた。ざっと見たところ、偶然にも事故によって下敷きになってしまったのは、どうやらケン少年一人だけのようだ。

 苦しげな呼吸音と、小さな呻き声が聞こえてくる。頭部と傷だらけの腕が、痛みと格闘しながら必死に助けを求めるの見て、三鬼と藤堂は弾き飛ばされたかもしれない同僚たちを確認するよりも先に、ケンに向って手を伸ばしていた。

 幸いにも、大人の手の長さであれば、十分に届く距離のはずだった。しかし、次の瞬間、二人の手は宙を掴んで空振りしていた。

 助けを求めて小さく動いていた彼の手が、ズルリ、と一段下へずれたのだ。

 二人が目を見張ったコンマ二秒半後、唐突に吸い込まれるようにして、ケンの身体は血の上を滑っていた。物凄いスピードで店内に埋まったままトラックの後ろへと引きずりこまれ、肉体の一部が潰れ裂けるような生々しい鈍い音を上げて、破れたガラスの向こう見えなくなった。

 その一瞬後には、トラックの下には嫌な静寂が広がり、ぽっかりとあいた空間だけが残されていた。

 一体何が起こったのか状況が飲みこめないまま、三鬼と藤堂は、茫然とトラックの向こう側を見やったところで、車体の下に空いた空間越しに田中と目が合った。

 田中は、頭に軽い傷を負っていて、うつぶせに倒れた状態で顔だけをこちらに向けていた。頭部から流れた血で片目を瞑っていたが、見開いた右目が「今のはなんだ?」「お前たちも見たか?」と、信じられない様子で尋ねてくる。

 背筋に遅れて走った悪寒で、知らず身体がぶるりと震えた。数秒ほど頭の中は真っ白で、しばし三人は硬直しているしかなかった。
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