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4-5
今日から早速ヴァンレックが参加することになった。
見に来ることを決めた際、そもそもすぐに仕事に戻る予定は立てていなかったという。
レベッカ伯爵夫人は緊張したようだが、それもすぐに和らぐ。
「それが基本姿勢です。リズムよく、いち、に――」
ダンスの練習が始まったが、アイリスは『リズムに乗る』ということにまず苦戦した。何度も彼の足を踏んでしまう。
はじめは肝が冷えていたものの、何度も繰り返すと、失敗しても笑ってくるヴァンレックに、恥ずかしさのあまり言い返すようになっていた。
「だから言ったじゃないですかっ、踏む自信があるって!」
「まぁまぁ。痛くも痒くもないから」
「どうしてそう上機嫌なんです? 旦那様が大きすぎるのもやりづらいですっ」
「男性相手なら、それが当然だよ」
まるで子供に言い聞かせるみたいに、彼の声は優しい。足を踏んでも、うまくできなくて進行がのろのろでも、どんどんヴァンレックの機嫌は良くなっていく。
彼は練習を開始してからずっとにこにこしていた。
(こんなにもダンスができない大人が初めてすぎて、微笑ましい感じなのかしら? ……私としてはにこにこ笑顔が見慣れないのですけれどっ)
アリムじゃないのに、と思って目をそらす。
そうしたら、またこう言われる。
「アイリス、俺を見て」
「っ」
彼の顔を見ていないと、声の優しさがよく分かって頬がぶわりと熱を持つ。
(――こんなの、慣れっこないっ)
ヴァンレックは相手を我が子だと勘違いしているのではないか。そう勘ぐってしまうほど、優しかった。
子供をあやすように練習を進行してくれる。
彼が言っていた通り、教え方はとてもうまかった。現在は国王になっている人が、それだけ目をかけて弟を大切にしていたのだろうな、とアイリスは感じた。
惹かれてはいけないのに、ダンスで近付いた物理的距離感と同じく、彼女は彼との交流の濃度も含め早急に縮まっていくのを感じていた。
◇∞◇∞◇
その夜、アイリスは珍しくアリムの就寝支度に居合わせていた。
湯浴みのあと、ナイトドレスにガウンを羽織り、自分のメイドたちと共に彼の部屋へと向かったのだ。
メイドたちがテーブルのティーセットの片付けに入る。
室内の明かりが一つずつ弱められ、ベッドサイドテーブルのランプが灯された。
「僕もその場にいたかったなぁ」
ベッドの枕を、うつ伏せの姿勢で抱き締めたアリムが今日何度目か分からないことを言った。
(そうとう来たかったみたい……)
アイリスはベッドの端に腰かけて、彼の頭を撫でながら微笑みかける。
「足を踏まないくらいになったら一緒にしましょうね。できるだけ早くコツを掴めるようにがんばるわ」
あのあと、ヴァンレックと二人でアリムの勉強部屋を訪ねてドレスを披露した。ついでに彼の講師にいちおう『母』として挨拶をと考えていたのだが、初めて入った本がたくさんあるその部屋には、出払っていたのかブロンズの姿以外はなかった。
ダンスが始まって姿が見えなくなったと思っていたら、ブロンズはアリムを見ていたようだ。講師が離れた際には自分がつく、という彼の返答にアイリスは安心した。
「僕がもう少し大きかったらなぁ」
大公様もどうして面倒臭いことを、とアイリスは困ってしまう。
夕食の席でダンスの授業が話題になった。
もちろん聞きたがったのはアリムだ。そうしたらヴァンレックは自慢するみたいに彼に話し、気付いた時にはアリムと彼の言い合いが勃発していた。
――なぜ?
なんてアイリスは不思議に思ったものだ。
アリムは。自分のほうが一緒に過ごしたと主張し、ヴァンレックはアイリスをとても楽しませたし有意義な時間を一緒に過ごしたと言い返す。
(子供相手に何を張り合っているの)
おかげで、アリムを落ち着かせるため、アイリスは就寝まで一緒にいると提案したのだ。
「でも、いいんだ。アイリスのためなら我慢する」
アイリスは、ほっとした。
ヴァンレックの言う通り、アリムは彼女に必要なら受け入れてくれるようだ。それだけ懐いてくれたということだろう。
「ふふ、ありがとう。きっと上達するわね」
「うん! 僕もアイリスと踊れるのを楽しみにしてるね! それにね、アイリスもパパと一緒にできて、とても楽しかったみたいだし。だからしばらく我慢するの」
「えっ」
どきっとして、彼の頭を撫でる手が止まってしまった。
アリムがにっこりと笑う。
「アイリスが楽しいのなら、それでいいんだ」
たまに、彼が大人びたことを言っているように感じるのは、六歳とはいえこの大公家の跡取りとして半年は育てられたからだろうか。
(正直――楽しかったわ)
あれだけ嫌だと思っていたのに、次のダンスの授業が今は楽しみになっている。
アイリスの体力があまりないせいでヴァンレックに支えてもらったし、数十分でレベッカ伯爵夫人が終了を告げた。
授業自体は初日とあって短かったが、そう感じないくらいに『楽しい』の感想で胸は満足感に満たされている。
「ヴァンレック――」
ふっと、そんな声が聞こえた気がして、アイリスは回想から引っ張り上げられた。
「ううんっ、パパも楽しかったと思うよ! 鈍いから、いい変化があったようでよかった」
よくは分からないが、アリムは満足したのかようやく眠ってくれるみたいだ。拒否していた掛け布団の中に潜ろうとする彼を見て、アイリスはそれを手伝ってあげた。
「おやすみ、アリム」
「えへへ、毎日こうされたいなぁ」
「パパとの時間を取ってしまうのは申し訳ないから……」
今夜は特別だ。
発端が自分なだけに、ヴァンレックもアイリスが食卓で就寝のことを提案した時、断れなかったようだった。
彼は『頼む』と、苦渋の選択みたいな声を出していた。
(今夜だけでも申し訳なさがすごかったわ)
ヴァンレックにとっては、息子と過ごせる貴重な時間の一つだったことだろう。
本当にいいパパだ。素敵だと思――。
(――って、違う! 私は別に意識してはないからっ)
アイリスは、アリムの上にかけた掛け布団を意味もなく直しながら、自分の心に慌てて言い聞かせる。
「パパが悩んでいたのはたぶん、アイリスと一緒に行っていいのか、言おうとしたんじゃないかなぁ」
なんてアリムがちらりと言ってきたが、アイリスは気に留めず、寝る子はよく育つのだからと言って寝付かせにかかったのだった。
◇∞◇∞◇
(彼女もそろそろ、アリムのところを出た頃か?)
静まり返った寝所で、ヴァンレックは眠れずベッドを背に机に腰かけていた。
月明かりが彼の濃く艶やかな金髪を照らし出している。
「……はぁ」
何度目か分からない吐息がぼれて、彼は組んだ手に頭を乗せた。
アイリスとのことをずっと思い返していた。
彼は、一緒にいたくてダンスの授業を思い付いた。
アイリスによくしてあげたいと思う気持ちが止まらなくて、それを理由に彼女へドレスを贈ることにも決めたのだ。
子供を相手にしている彼女は健気で、眩しくて、愛らしいと思っていた。
同じお菓子を食べて笑い合っている姿は開放的で、もしかしたら、そちらが彼女の本来の姿なのではないかと薄々感じ始めた。
今日、ダンスの練習相手をして、彼女が男と踊った経験さえないのだと判明した。
相手の手を取るのもぎこちなく、くっつくのも遠慮する彼女は初々しくて愛らしかったが、そうされ続けると、ヴァンレックは物足りなさを覚えた。
つい、やや強引に引き寄せたら、彼女は恥ずかしそうに怒鳴ってきた。
でも、耳に全然きんきんと響きもしない可愛い声だった。
今日あの時間、白いドレスを着たアイリスはとても美しかった。妖艶という言葉が合うドレスを着ると、彼女の本来の美しさが引き出されると思っていたが、それはヴァンレックの勘違いだったみたいだ。
彼女は、清楚で上品なドレスも大変よく似合った。
真っ赤な髪は彼女の美貌を引き立てて人々の注意を引き付け、下ろされた長い髪は着るドレスさえも誇張する。
目を引き寄せられ、彼女の姿を目に収めた瞬間。そして柔らかく微笑みかけてきた彼女の表情にも、ヴァンレックは心臓が止まりそうになった。
胸を貫かれるような、あんな感覚を受けたのも初めてだった。
あの時ヴァンレックは、彼女があまりにも美しくて、苛烈で強烈な華というよりは天から舞い降りた女神か森の精霊女王のようで、ただただ言葉が出なかったのだ。
見に来ることを決めた際、そもそもすぐに仕事に戻る予定は立てていなかったという。
レベッカ伯爵夫人は緊張したようだが、それもすぐに和らぐ。
「それが基本姿勢です。リズムよく、いち、に――」
ダンスの練習が始まったが、アイリスは『リズムに乗る』ということにまず苦戦した。何度も彼の足を踏んでしまう。
はじめは肝が冷えていたものの、何度も繰り返すと、失敗しても笑ってくるヴァンレックに、恥ずかしさのあまり言い返すようになっていた。
「だから言ったじゃないですかっ、踏む自信があるって!」
「まぁまぁ。痛くも痒くもないから」
「どうしてそう上機嫌なんです? 旦那様が大きすぎるのもやりづらいですっ」
「男性相手なら、それが当然だよ」
まるで子供に言い聞かせるみたいに、彼の声は優しい。足を踏んでも、うまくできなくて進行がのろのろでも、どんどんヴァンレックの機嫌は良くなっていく。
彼は練習を開始してからずっとにこにこしていた。
(こんなにもダンスができない大人が初めてすぎて、微笑ましい感じなのかしら? ……私としてはにこにこ笑顔が見慣れないのですけれどっ)
アリムじゃないのに、と思って目をそらす。
そうしたら、またこう言われる。
「アイリス、俺を見て」
「っ」
彼の顔を見ていないと、声の優しさがよく分かって頬がぶわりと熱を持つ。
(――こんなの、慣れっこないっ)
ヴァンレックは相手を我が子だと勘違いしているのではないか。そう勘ぐってしまうほど、優しかった。
子供をあやすように練習を進行してくれる。
彼が言っていた通り、教え方はとてもうまかった。現在は国王になっている人が、それだけ目をかけて弟を大切にしていたのだろうな、とアイリスは感じた。
惹かれてはいけないのに、ダンスで近付いた物理的距離感と同じく、彼女は彼との交流の濃度も含め早急に縮まっていくのを感じていた。
◇∞◇∞◇
その夜、アイリスは珍しくアリムの就寝支度に居合わせていた。
湯浴みのあと、ナイトドレスにガウンを羽織り、自分のメイドたちと共に彼の部屋へと向かったのだ。
メイドたちがテーブルのティーセットの片付けに入る。
室内の明かりが一つずつ弱められ、ベッドサイドテーブルのランプが灯された。
「僕もその場にいたかったなぁ」
ベッドの枕を、うつ伏せの姿勢で抱き締めたアリムが今日何度目か分からないことを言った。
(そうとう来たかったみたい……)
アイリスはベッドの端に腰かけて、彼の頭を撫でながら微笑みかける。
「足を踏まないくらいになったら一緒にしましょうね。できるだけ早くコツを掴めるようにがんばるわ」
あのあと、ヴァンレックと二人でアリムの勉強部屋を訪ねてドレスを披露した。ついでに彼の講師にいちおう『母』として挨拶をと考えていたのだが、初めて入った本がたくさんあるその部屋には、出払っていたのかブロンズの姿以外はなかった。
ダンスが始まって姿が見えなくなったと思っていたら、ブロンズはアリムを見ていたようだ。講師が離れた際には自分がつく、という彼の返答にアイリスは安心した。
「僕がもう少し大きかったらなぁ」
大公様もどうして面倒臭いことを、とアイリスは困ってしまう。
夕食の席でダンスの授業が話題になった。
もちろん聞きたがったのはアリムだ。そうしたらヴァンレックは自慢するみたいに彼に話し、気付いた時にはアリムと彼の言い合いが勃発していた。
――なぜ?
なんてアイリスは不思議に思ったものだ。
アリムは。自分のほうが一緒に過ごしたと主張し、ヴァンレックはアイリスをとても楽しませたし有意義な時間を一緒に過ごしたと言い返す。
(子供相手に何を張り合っているの)
おかげで、アリムを落ち着かせるため、アイリスは就寝まで一緒にいると提案したのだ。
「でも、いいんだ。アイリスのためなら我慢する」
アイリスは、ほっとした。
ヴァンレックの言う通り、アリムは彼女に必要なら受け入れてくれるようだ。それだけ懐いてくれたということだろう。
「ふふ、ありがとう。きっと上達するわね」
「うん! 僕もアイリスと踊れるのを楽しみにしてるね! それにね、アイリスもパパと一緒にできて、とても楽しかったみたいだし。だからしばらく我慢するの」
「えっ」
どきっとして、彼の頭を撫でる手が止まってしまった。
アリムがにっこりと笑う。
「アイリスが楽しいのなら、それでいいんだ」
たまに、彼が大人びたことを言っているように感じるのは、六歳とはいえこの大公家の跡取りとして半年は育てられたからだろうか。
(正直――楽しかったわ)
あれだけ嫌だと思っていたのに、次のダンスの授業が今は楽しみになっている。
アイリスの体力があまりないせいでヴァンレックに支えてもらったし、数十分でレベッカ伯爵夫人が終了を告げた。
授業自体は初日とあって短かったが、そう感じないくらいに『楽しい』の感想で胸は満足感に満たされている。
「ヴァンレック――」
ふっと、そんな声が聞こえた気がして、アイリスは回想から引っ張り上げられた。
「ううんっ、パパも楽しかったと思うよ! 鈍いから、いい変化があったようでよかった」
よくは分からないが、アリムは満足したのかようやく眠ってくれるみたいだ。拒否していた掛け布団の中に潜ろうとする彼を見て、アイリスはそれを手伝ってあげた。
「おやすみ、アリム」
「えへへ、毎日こうされたいなぁ」
「パパとの時間を取ってしまうのは申し訳ないから……」
今夜は特別だ。
発端が自分なだけに、ヴァンレックもアイリスが食卓で就寝のことを提案した時、断れなかったようだった。
彼は『頼む』と、苦渋の選択みたいな声を出していた。
(今夜だけでも申し訳なさがすごかったわ)
ヴァンレックにとっては、息子と過ごせる貴重な時間の一つだったことだろう。
本当にいいパパだ。素敵だと思――。
(――って、違う! 私は別に意識してはないからっ)
アイリスは、アリムの上にかけた掛け布団を意味もなく直しながら、自分の心に慌てて言い聞かせる。
「パパが悩んでいたのはたぶん、アイリスと一緒に行っていいのか、言おうとしたんじゃないかなぁ」
なんてアリムがちらりと言ってきたが、アイリスは気に留めず、寝る子はよく育つのだからと言って寝付かせにかかったのだった。
◇∞◇∞◇
(彼女もそろそろ、アリムのところを出た頃か?)
静まり返った寝所で、ヴァンレックは眠れずベッドを背に机に腰かけていた。
月明かりが彼の濃く艶やかな金髪を照らし出している。
「……はぁ」
何度目か分からない吐息がぼれて、彼は組んだ手に頭を乗せた。
アイリスとのことをずっと思い返していた。
彼は、一緒にいたくてダンスの授業を思い付いた。
アイリスによくしてあげたいと思う気持ちが止まらなくて、それを理由に彼女へドレスを贈ることにも決めたのだ。
子供を相手にしている彼女は健気で、眩しくて、愛らしいと思っていた。
同じお菓子を食べて笑い合っている姿は開放的で、もしかしたら、そちらが彼女の本来の姿なのではないかと薄々感じ始めた。
今日、ダンスの練習相手をして、彼女が男と踊った経験さえないのだと判明した。
相手の手を取るのもぎこちなく、くっつくのも遠慮する彼女は初々しくて愛らしかったが、そうされ続けると、ヴァンレックは物足りなさを覚えた。
つい、やや強引に引き寄せたら、彼女は恥ずかしそうに怒鳴ってきた。
でも、耳に全然きんきんと響きもしない可愛い声だった。
今日あの時間、白いドレスを着たアイリスはとても美しかった。妖艶という言葉が合うドレスを着ると、彼女の本来の美しさが引き出されると思っていたが、それはヴァンレックの勘違いだったみたいだ。
彼女は、清楚で上品なドレスも大変よく似合った。
真っ赤な髪は彼女の美貌を引き立てて人々の注意を引き付け、下ろされた長い髪は着るドレスさえも誇張する。
目を引き寄せられ、彼女の姿を目に収めた瞬間。そして柔らかく微笑みかけてきた彼女の表情にも、ヴァンレックは心臓が止まりそうになった。
胸を貫かれるような、あんな感覚を受けたのも初めてだった。
あの時ヴァンレックは、彼女があまりにも美しくて、苛烈で強烈な華というよりは天から舞い降りた女神か森の精霊女王のようで、ただただ言葉が出なかったのだ。
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