可愛いあの子の継母になるなら、獣人大公の嫌われ妻でも構いませんわ!〜どうやら私は侯爵家の悪女のようです〜

百門一新

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 眩しすぎると感じていたのは、ほんの数秒だった。

 自分を包み込んだ風が弱まっていくのを感じて、目をそろりと開ける。

 すると、見慣れた金色の、けれど巨大な狼の目が背の高い鉄格子の向こうから自分を見上げている光景があった。

「アイリス……?」

 巨大な狼、というより、アイリスはその声掛けに固まってしまった。

(――狼が、喋った!)

 次の瞬間、がくんっと重力が戻る。

「ひぇ」

 落下するのを感じた。

 何が起こったのか分からないが、アリムが出した金色の光でここまで移動したのは理解していた。

 でもこれ、受け身が間に合わない。

(うん、これは潔く諦めましょう)

 筋肉もあまりない身体で受ける衝撃とは、と震えながら、アイリスは諦めてそのまま落下する。

「アイリス!」

 どさっと衝撃が襲ってきた。

 だが、同時に、もふっと柔らかなものを下から感じる。

 ハタとして見てみると、金色の毛並みをした大きな狼の両前脚が折鉄格子から伸びて、アイリスを受け止めていた。

「あ、ありが――」
「あそこで諦めるやつがあるか! なんて危ない人なんだっ」

 急に説教されて、耳がきーんっとした。

 でも、その声はものすごく聞き覚えがある。体積が増えた分声が大きく聞こえるが、間違いない。

「……旦那様?」

 呼びかけると、鉄格子の向こうにいる狼が、ぎこちなく顔を背ける。その仕草はどこか人間じみていた。

 狼はアイリスを優しく床に降ろすと、両前脚を鉄格子の中へと引き戻した。

 改めて見てみると、その〝牢〟はかなり大きい。

 鉄格子も、アイリスが握りきれるか分からない太さがある。

 そして、その内側にいる大きな狼は、上部に設置された小さな窓枠から注ぐ夕焼け色に、淡い黄金色を濃く浮かべた艶やかな毛並みを揺らしていた。

(すごく、大きいわ)

 狼だと聞いていたから、どんなものだろうと想像していたが、確かに姿は狼であると言える。しかし、馬車よりも圧倒的に大きい。こんなものが敵軍から突っ込んできたら、確かに恐ろしいだろう。

 狼は所在なさげに視線を泳がせる。一度立ち上がり、アイリスの視線から逃げるようにぐるりと回って、どこにも行けない牢であると確認して諦めがついたみたいに、すとんと腰を降ろした。

「――……ああ、俺だ。ヴァンレックだ」

 長い逡巡の間を置き、狼が答えてきた。

「窓が開いているようですけど、寒くないですか? 大丈夫ですか?」
「まずそれを質問するか? この身になると、寒さはそう感じない。君のほうこそ大丈夫か?」
「え? 私は別に、はっくしょんっ」

 不意に寒さを覚えて、アイリスは自分の身を抱いてぶるっとする。

「まったく。アリムが送り届けたんだな、無茶なことを」

 ヴァンレックのそんな声が聞こえたかと思うと、大きなもふもふとしたものが鉄格子から伸びて、アイリスの背をすっぽりと覆う。

 狼が横になり、尻尾で包んでくれたのだ。

「あ、温かいです」
「それはよかった。送るならそれなりに用意してからすればいいのに……いや、そもそも送るだなんて、いったい何を考えているんだか……」

 右前足で鼻の上を押さえ、彼が何やら独り言をごちる。

「やっぱりこれ、アリムがやったんですね」
「あっ、いや、その――」
「獣化を持った獣人族って、こんな不思議な能力まで持っているんですね! すごいです!」

 顔を向けて慌てた狼が、一瞬で静かになる。

「……君は……いや、まぁいい」
「王家の秘密は守ります!」

 彼の尻尾は魔法みたいに温かい。きっと、それも特殊な力の一つなのかもしれないとアイリスは自信を持った。

(父親と子供の間に不思議なつながりがある仕組みなのかしら? 詳しく聞きたいけど、私はただのお飾りの妻だし、聞いてはだめよね)

「はぁ……それで、どうしてここに来りしたんだ。アリムは君が望んだから送り届けたんだろう?」
「そうです。行きたいのなら、行くといいと言われました」
「なんて危ないことを願ったんだ。俺は今夜の零時まで、人間の姿には戻れない」
「はい。満月の日のことは、ブロンズからも聞いています」
「この姿だと獣の本能が強いから、暴走しやすいとも聞いたはずだな?」
「あぅ、それは……はい……」

 狼が顔を近付けてきた。座り込んでいる自分よりも大きいのではないかと感じながら、アイリスは彼の眼圧に負けて、うなずく。

「それなのにどうして」

 ヴァンレックのそんな声のあと、ため息が続く。

(近くても、怖くなかったわ)

 離れていく狼の大きな顔の動きを眺めながら、姿は変わっても、ヴァンレックのままなのだとアイリスは実感した。不思議と表情も分かる気がする。

「旦那様は今、困っているみたいですね?」
「当然だろう。君が現れた瞬間、心底驚いた。その反動で理性が飛んでいたら――」
「私は危険に感じていませんけれど」
「なんだって?」

 人間臭く顔に前脚をあてていた狼が、頭をもたげて見つめ返してくる。

「君は警戒心がなさすぎるぞ。共に鍛錬した部下も、満月の時には危険だと感じ取れるのに君ときたら」
「今はそうなる感じはあるんですか? とても落ち着かれているように見えますよ。私のことを受け止めてくれましたし、尻尾を暖炉代わりに貸す余裕もあります」

 アイリスは、でっかい最高級品の毛皮カーペットに見える尻尾を、ふわふわと触って見せる。

 狼が、少し考える仕草をした。

「今は……確かに心の乱れは感じていないな」
「では、大丈夫では?」
「いや普通だと大丈夫では……いや、そもそも、もしかして……」

 何やらそうつぶやいた狼が、唐突にじわじわと照れるような様子に変わっていく――気がする。

「旦那公様?」
「君は、楽観的過ぎる」

 声をかけたら、はぐらかすようにそんな即答が返ってきた。

「感情を荒立てなければ平気なんじゃないですかね? 入っちゃった以上、私も出られませんし。零時までこうしていましょうよ」

 狼がぴたりと大人しくなった。しばし関゛得る魔を置いたのち、彼は応じるように、両前脚を交差させて伏せのくつろぐ姿勢になる。

 鉄格子だけではなく、この階の出入り口にも鍵がかけられているのだろう。

 塔の最上階には、古びた扉が一つ見えた。ほんのりと灯された松明の光りで確認してみるが、こちらから鍵穴は見えない。

「一人に、したくなかったんです」

 アイリスは暖を取るように膝を引き寄せた拍子に、そう告げていた。

 狼の金色の目が見開かれ、じっと見てくる。

「先程の答えです。旦那様が……寂しい思いをして一人過ごすのは嫌だな、て……」

 すると狼が鼻を鳴らし、前脚に顎を乗せた。

「君はやっぱり、素直な人だ」

 困っているのか、それとも呆れているのか今の彼からは分からない。ただ、近くから見ることになった狼の大きな金色の瞳に、アイリスはやはり怖さは感じなかった。

「先程は大丈夫ではないとおっしゃっていましたけど、これだけ近くてもいいんですか?」
「いい。いや、問題ないと言うべきか……恐らく、大丈夫なんだろうな」

 うーんと狼が宙を見やる。

「アリムは……もしや俺が不甲斐ないから君をここへ……?」
「何を言っているんですか。アリムは、パパが心配しすぎて、こうして獣人族の秘密の力を見せてまで私を送り届けてくれたんですよ!」

 途端、狼が苦笑いをこぼした。

「なるほど、君はそう考えるわけか……はは、は……」
「わぁ、狼も苦笑いがこぼれるものなんですね」
「普通の狼はそもそも喋らない。獣化を持っている獣人族は、祖先だといわれている神獣の影響を受けて『人語を話す』という力が働いているとか……はぁ」
「なんですか、そのため息は?」
「君は、俺が怖くないのか?」

 もしこの狼が急に人の思考を失ったら、と想像すると、確かに怖い。

 だから考えないことにしていた。

 アイリスは、零時までここにいると決めたのだから。

「旦那様を心配して過ごすより、旦那様も一人で時間が来るのを待つより、誰かと話していたいほうがきっといいでしょう?」

 不思議と先程までの苦しい感じは胸から消えている。

 たぶん、いくら危険があると言われてもアイリスは、ここを動かないだろう。

 こうして彼と話していると、自分の選択は正しいと感じる。
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