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――だというのに午後、またしても機嫌を損ねてしまったようだ。
昼食を食べてしばらくすると、お昼寝をするのがアリムのいつもの日課だ。
最近は自分のメイドを信頼してくれているから、アイリスの日程によっては、目覚め次第に連れてきてくれる運びになっている。
だが、目覚めたアリムは行くのを拒否したらしい。
『僕だって何か考えるっ。パパだけ、ずるいっ。パパが帰ってくる前までには何か考えておくんだっ』
彼は悔し涙を浮かべていたそうだ。そう力強く宣言されたメイドは、久しぶりに部屋を追い出されたという。
それをアイリスは、書斎で報告を受けた。
「時間がないので集中して考えたいそうです」
「図鑑をいくつか所望され、運びました」
「……読書時間にするつもりかしらね?」
アリムはこの国のことに関する、あゆる図鑑を見るのも好きだった。
子供一人ではとうてい持つことができない分厚いものだ。
書かれている説明文は、彼には難しすぎる。内容も難解だ。きっと目当ては挿絵だろう。上機嫌にどんどんめくって眺めていくのを、アイリスは何度かそばで眺めて過ごしていた。
「あ、思い出したわ。絵本の数が少ないと思う」
なぜか、ブロンズの肩がびくっとはねる。
「確かにそうですね」
「だからアリムの愛読書があの図鑑になっているのではないかしら。ブロンズ、ヴァンレック様は子供相手への苦手意識は薄れてきたみたいだけれど、不足していることはまだまだあるみたいね」
目を向けると、ブロンズが珍しく視線を逃がしながら答えてくる。
「さ、さようですな。旦那様も子育ては初めてですので……」
「よければ今日か明日に、外出予定を組めないかしら?」
「雪が多く降っています。あと数日は風も少し強めの予報です」
窓の外は、珍しく空気まで白く見えた。
連夜、大吹雪に見舞われていた。
朝日が昇る時間になると風が急に変化するのを見ると、アイリスも神獣のいい伝えを感じて『魔法みたい』と思ったものだ。
「だからよ。この中で絵本の業者に来てもらうのも申し訳ないし、自分で選びたいの。町に出てみようと思って」
自分についての噂を聞くことになるかもしれない。
そう思うとこれまで外に行く気はまっくたなかった。でも、アリムが喜んでくれるのではないかと考えたら、必要な場所に訪れて、自分でと選びたいという気持ちが止まらなくなる。
(まだお披露目がされていないからアリムは連れていけないけど、かえっていいのかもしれないわ。私のことを耳にしたら悲しむかもしれないし……)
ブロンズはしばし考え込む。
「あ、もしかして、絵本も選ぶ基準があったりする?」
「いえ、そういうわけでは……ああ、それでしたら旦那様と行かれるのはいかがですか?」
「ヴァンレック様と?」
「旦那様とでしたら小人数で行くことも可能です。行き来も最短で済むかと」
そういえば、ヴァンレック自身が国王の護衛にもなれる実力者だった。
「そうね。好きにしていいとは言われたけど、息子に与える本ですものね。どういったものがいいのか彼に直接確認できるのはいいかも。彼が戻られてから決めましょうか」
ブロンドは満足げだった。その後ろでメイドたちも、なぜか楽しみだという空気を滲ませていた。
◇◇◇
アリムの姿が部屋にない。
そんな知らせを受けたのは、父の帰りを迎えられなかったら悲しむかもしれないと考えて、余裕をもってアイリスが、メイドたちに様子見に行かせた頃だった。
アイリスはすぐ走って彼の部屋へと急いだ。
そこには数名の騎士たちも集まっていて、中にいたシーマスが駆け寄ってくる。
「状況から判断するに、窓からこっそり外に出たようです。何か花か薬草を見に行かれた可能性もあります」
部屋の中央には数冊の図鑑が転がっていた。そのうち開かれていたのは植物に関するもので、窓から吹き込む風が強くて、直前までアリムが見ていたページは不明だという。
「そんな……っ」
ショックのあまり息が続かなかった。
初めての状況に自分でも困惑しながら、よろりとしたアイリスを、メイドたちが支えてくれる。
「奥様、呼吸をなさってください」
「こ、呼吸」
「落ち着いてください」
シーマスも肩を掴んで、アイリスに力強く言ってきた。
「アリム様なら、大丈夫ですから」
どうして、そんなことが言えるのだろう。
「あの子はまだ……六歳なのよ……」
自分が六歳だった頃のことと比べて、なんて小さな子だろうと感じたのが第一印象だった。
窓にはシーツがぶらさがっていた。雪の風によってすでに足跡は消えているが、抜け出たのは確実だろう、と。
防寒着が消えていることもすでに確認されていた。
たまに使用人の目を盗んで温室などに行くこともあったと別の騎士も言う。
ひとまず騎士たちと男性たちは先に外を、アイリスは一部の騎士とメイドたちと屋内や温室を大急ぎ確認する。
外から向かう温室に関しては、乱暴にドレス用コートを羽織って走った。
だが、温室にもアリムはいなかった。アイリスが庭園へ出た時には、騒ぎを聞いて庭師たちも庭園を必死に走り回ってくれていた。
騎士たち図鑑から庭よりも向こうだと目星をつけているのか、大部分が建物を離れるようにして捜索を開始している。
「……っ、アリム! どこなの!?」
白く吹く風の中、大勢の者たちが声を張り上げている光景に焦燥感と不安が胸に押し寄せ、思わずアイリスも叫んだ。
遠くに見える騎士に合流すべく、庭を駆け抜ける。
「あっ、奥様いけませんっ」
吹雪きに紛れた声を降り切って足を動かし続けた。
突きさすような冷気ですぐに肺が痛くなる。
体力のない身体が、続く運動に悲鳴を上げるが、脚をもつれさせながらアイリスは必死に前に進む。
(アリム、アリム)
もし、こんな寒い中で遭難していたら?
広大な敷地内だ。距離は短いが、森もある。こけてしまったら、あの小ささでは雪に埋もれてしまうだろう。
雪の中では音が吸収される。
そんな常識を思い出して――アイリスはゾッとした。
もしも、もし……そんな嫌な想像ばかりが一気に膨らんだ。
シーマスが、ハッと気付いて振り返ってきた。
「奥様はあまり建物から離れないでっ、我々で森まで――」
その時だった。
「アイリス!」
力強いその声は、どうしてかアイリスの耳によく聞こえた。
ヴァンレックだ。そう分かった時には、目を向けるよりもはやく、彼女の手袋をする暇も惜しんだ手が掴まれて彼のほうに向き合わされていた。
「まったくっ、君は意外と無茶もするようだっ」
「ヴァンレック様!」
彼がぐっと眉を寄せる。
それを見て、アイリスは間髪を入れず叫んだ。
「嫌ですっ!」
「何がだ?」
「私も探します! あとは騎士たちに任せて、なんて、絶対に嫌!」
声を張り上げた直後、視界が滲む。
「ご、ごめんなさい。わ、私が、ずっとそばにいなかったから」
「アイリス」
不意に引き寄せられ、ぼふっと彼の胸に抱かれた。
外気の寒さが一気に消えたような感覚がした。緊張で強張っていた身体が、湯につかったみたいにほぐれていくのを感じる。
それは、――相手がヴァンレックだからだ。
不意に気付いて、アイリスは言葉を失う。
「俺は君に、建物から離れるなとも、屋内で待っていろとも言わない」
「えっ」
「今の君を見ていれば、そんなことできないとも分かっている。アリムが大事なんだな。ありがとう」
「そ、そうです、大事だから、私も一緒がいいです……」
あっさり分かってくれるとは思っていなかったから、ますます動揺した。
すると彼が、少し身をはなして、見下ろしてくる。
「俺のほうからも君に頼むつもりだ。一緒に捜してくれるというのなら、この手が使えるから」
「この手……?」
ヴァンレックが、駆け寄ってくるシーマスのほうを見た。
「団長なんつう速さで駆けるんですか! 獣化持ちの力、相変わらず半端ないですねっ」
「軍馬より能力を引き出した俺のほうが速い。シーマス、俺の服を頼んだぞ」
「へっ?」
ヴァンレックがアイリスから手を離す。
それはあっという間の光景だった。ヴァンレックが目を閉じたかと思ったら、彼が銀色の光に包まれる。
光りそのものになったみたいに服がすり抜けて、彼の軍服とコートが雪の上に落ちる音がした。
続いて、銀色の光は吹雪く中でまばゆい光を放ちながらみるみるうちに大きくなり、それがバキンッと空気を震わせた時には、あの大きな金色の毛並みをした狼が、雪の上を踏みしめて立っていた。
昼食を食べてしばらくすると、お昼寝をするのがアリムのいつもの日課だ。
最近は自分のメイドを信頼してくれているから、アイリスの日程によっては、目覚め次第に連れてきてくれる運びになっている。
だが、目覚めたアリムは行くのを拒否したらしい。
『僕だって何か考えるっ。パパだけ、ずるいっ。パパが帰ってくる前までには何か考えておくんだっ』
彼は悔し涙を浮かべていたそうだ。そう力強く宣言されたメイドは、久しぶりに部屋を追い出されたという。
それをアイリスは、書斎で報告を受けた。
「時間がないので集中して考えたいそうです」
「図鑑をいくつか所望され、運びました」
「……読書時間にするつもりかしらね?」
アリムはこの国のことに関する、あゆる図鑑を見るのも好きだった。
子供一人ではとうてい持つことができない分厚いものだ。
書かれている説明文は、彼には難しすぎる。内容も難解だ。きっと目当ては挿絵だろう。上機嫌にどんどんめくって眺めていくのを、アイリスは何度かそばで眺めて過ごしていた。
「あ、思い出したわ。絵本の数が少ないと思う」
なぜか、ブロンズの肩がびくっとはねる。
「確かにそうですね」
「だからアリムの愛読書があの図鑑になっているのではないかしら。ブロンズ、ヴァンレック様は子供相手への苦手意識は薄れてきたみたいだけれど、不足していることはまだまだあるみたいね」
目を向けると、ブロンズが珍しく視線を逃がしながら答えてくる。
「さ、さようですな。旦那様も子育ては初めてですので……」
「よければ今日か明日に、外出予定を組めないかしら?」
「雪が多く降っています。あと数日は風も少し強めの予報です」
窓の外は、珍しく空気まで白く見えた。
連夜、大吹雪に見舞われていた。
朝日が昇る時間になると風が急に変化するのを見ると、アイリスも神獣のいい伝えを感じて『魔法みたい』と思ったものだ。
「だからよ。この中で絵本の業者に来てもらうのも申し訳ないし、自分で選びたいの。町に出てみようと思って」
自分についての噂を聞くことになるかもしれない。
そう思うとこれまで外に行く気はまっくたなかった。でも、アリムが喜んでくれるのではないかと考えたら、必要な場所に訪れて、自分でと選びたいという気持ちが止まらなくなる。
(まだお披露目がされていないからアリムは連れていけないけど、かえっていいのかもしれないわ。私のことを耳にしたら悲しむかもしれないし……)
ブロンズはしばし考え込む。
「あ、もしかして、絵本も選ぶ基準があったりする?」
「いえ、そういうわけでは……ああ、それでしたら旦那様と行かれるのはいかがですか?」
「ヴァンレック様と?」
「旦那様とでしたら小人数で行くことも可能です。行き来も最短で済むかと」
そういえば、ヴァンレック自身が国王の護衛にもなれる実力者だった。
「そうね。好きにしていいとは言われたけど、息子に与える本ですものね。どういったものがいいのか彼に直接確認できるのはいいかも。彼が戻られてから決めましょうか」
ブロンドは満足げだった。その後ろでメイドたちも、なぜか楽しみだという空気を滲ませていた。
◇◇◇
アリムの姿が部屋にない。
そんな知らせを受けたのは、父の帰りを迎えられなかったら悲しむかもしれないと考えて、余裕をもってアイリスが、メイドたちに様子見に行かせた頃だった。
アイリスはすぐ走って彼の部屋へと急いだ。
そこには数名の騎士たちも集まっていて、中にいたシーマスが駆け寄ってくる。
「状況から判断するに、窓からこっそり外に出たようです。何か花か薬草を見に行かれた可能性もあります」
部屋の中央には数冊の図鑑が転がっていた。そのうち開かれていたのは植物に関するもので、窓から吹き込む風が強くて、直前までアリムが見ていたページは不明だという。
「そんな……っ」
ショックのあまり息が続かなかった。
初めての状況に自分でも困惑しながら、よろりとしたアイリスを、メイドたちが支えてくれる。
「奥様、呼吸をなさってください」
「こ、呼吸」
「落ち着いてください」
シーマスも肩を掴んで、アイリスに力強く言ってきた。
「アリム様なら、大丈夫ですから」
どうして、そんなことが言えるのだろう。
「あの子はまだ……六歳なのよ……」
自分が六歳だった頃のことと比べて、なんて小さな子だろうと感じたのが第一印象だった。
窓にはシーツがぶらさがっていた。雪の風によってすでに足跡は消えているが、抜け出たのは確実だろう、と。
防寒着が消えていることもすでに確認されていた。
たまに使用人の目を盗んで温室などに行くこともあったと別の騎士も言う。
ひとまず騎士たちと男性たちは先に外を、アイリスは一部の騎士とメイドたちと屋内や温室を大急ぎ確認する。
外から向かう温室に関しては、乱暴にドレス用コートを羽織って走った。
だが、温室にもアリムはいなかった。アイリスが庭園へ出た時には、騒ぎを聞いて庭師たちも庭園を必死に走り回ってくれていた。
騎士たち図鑑から庭よりも向こうだと目星をつけているのか、大部分が建物を離れるようにして捜索を開始している。
「……っ、アリム! どこなの!?」
白く吹く風の中、大勢の者たちが声を張り上げている光景に焦燥感と不安が胸に押し寄せ、思わずアイリスも叫んだ。
遠くに見える騎士に合流すべく、庭を駆け抜ける。
「あっ、奥様いけませんっ」
吹雪きに紛れた声を降り切って足を動かし続けた。
突きさすような冷気ですぐに肺が痛くなる。
体力のない身体が、続く運動に悲鳴を上げるが、脚をもつれさせながらアイリスは必死に前に進む。
(アリム、アリム)
もし、こんな寒い中で遭難していたら?
広大な敷地内だ。距離は短いが、森もある。こけてしまったら、あの小ささでは雪に埋もれてしまうだろう。
雪の中では音が吸収される。
そんな常識を思い出して――アイリスはゾッとした。
もしも、もし……そんな嫌な想像ばかりが一気に膨らんだ。
シーマスが、ハッと気付いて振り返ってきた。
「奥様はあまり建物から離れないでっ、我々で森まで――」
その時だった。
「アイリス!」
力強いその声は、どうしてかアイリスの耳によく聞こえた。
ヴァンレックだ。そう分かった時には、目を向けるよりもはやく、彼女の手袋をする暇も惜しんだ手が掴まれて彼のほうに向き合わされていた。
「まったくっ、君は意外と無茶もするようだっ」
「ヴァンレック様!」
彼がぐっと眉を寄せる。
それを見て、アイリスは間髪を入れず叫んだ。
「嫌ですっ!」
「何がだ?」
「私も探します! あとは騎士たちに任せて、なんて、絶対に嫌!」
声を張り上げた直後、視界が滲む。
「ご、ごめんなさい。わ、私が、ずっとそばにいなかったから」
「アイリス」
不意に引き寄せられ、ぼふっと彼の胸に抱かれた。
外気の寒さが一気に消えたような感覚がした。緊張で強張っていた身体が、湯につかったみたいにほぐれていくのを感じる。
それは、――相手がヴァンレックだからだ。
不意に気付いて、アイリスは言葉を失う。
「俺は君に、建物から離れるなとも、屋内で待っていろとも言わない」
「えっ」
「今の君を見ていれば、そんなことできないとも分かっている。アリムが大事なんだな。ありがとう」
「そ、そうです、大事だから、私も一緒がいいです……」
あっさり分かってくれるとは思っていなかったから、ますます動揺した。
すると彼が、少し身をはなして、見下ろしてくる。
「俺のほうからも君に頼むつもりだ。一緒に捜してくれるというのなら、この手が使えるから」
「この手……?」
ヴァンレックが、駆け寄ってくるシーマスのほうを見た。
「団長なんつう速さで駆けるんですか! 獣化持ちの力、相変わらず半端ないですねっ」
「軍馬より能力を引き出した俺のほうが速い。シーマス、俺の服を頼んだぞ」
「へっ?」
ヴァンレックがアイリスから手を離す。
それはあっという間の光景だった。ヴァンレックが目を閉じたかと思ったら、彼が銀色の光に包まれる。
光りそのものになったみたいに服がすり抜けて、彼の軍服とコートが雪の上に落ちる音がした。
続いて、銀色の光は吹雪く中でまばゆい光を放ちながらみるみるうちに大きくなり、それがバキンッと空気を震わせた時には、あの大きな金色の毛並みをした狼が、雪の上を踏みしめて立っていた。
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