英雄の可愛い幼馴染は、彼の真っ黒な本性を知らない

百門一新

文字の大きさ
9 / 23

四章 英雄となった男(1)

しおりを挟む
 三人だというのに、夕食には豪勢なディナーがテーブルに並べられた。

 食事を進めながらルイから惚気話を聞かされ後、ティーゼは、ルイとルチアーノに屋敷の中を紹介されながら、泊まる部屋まで案内された。

 
 部屋には備え付けの広い浴室に温泉風呂が付いており、既に良いハーブの香りがする湯気が立ち昇っていた。

 
 バラの花弁を落とすと、ぐっすり眠れるのだとルイに小袋を手渡され、ティーゼは早速使用してみた。温泉水はハーブよりもバラの芳香をまとって肌にしっとりと絡みつき、用意されていたタオルも柔らかかった。

 使用人の姿は一度も見なかったが、目を向けていない間に全てが用意されるという素早い仕事振りは相変わらず続いた。

 風呂から上がると、女性物の夜着が用意されていた。
 成人女性の平均身長に満たないティーゼには、首周りが少し大きい夜着だ。

 白いフリルの装飾も、素肌に触れる質の良い絹の手触りにも慣れなかったが、ティーゼはその日の疲れもあって、ベッドに入ると物の数分で眠りに落ちた。

              ※※※

 翌朝、ティーゼは、現実とは思えない寝心地の良いベッドの上にいる、という違和感と共に目を覚ました。

 ベッドの手触りを確認し、寝呆けた頭で「何の冗談だろう。私のベッドが豪勢になってる……」と思ったが、昨日を思い出して現実である事を遅れて悟った。

 洗面所から戻ってくると、ベッドの脇には冷たい紅茶が用意されており、昨日出した服もきちんと洗濯されて掛けられていた。本当に、この屋敷の使用人はいつ出入りしているのだろうか、と半分寝呆けた頭で考える。

 ティーゼは着替えようとして、ふと、等身大の鏡が用意されている事に気付いた。

 鏡の前に立ち、不似合いな女性物の夜着姿の自分を目に止めた。首の付け根から、乏しい胸の谷間にかけて薄い裂傷痕が白い肌に浮かんでいるのが見えて、化粧で半ば隠れるほどまで薄くなった傷跡を、自身の指先でなぞった。


 あの奇襲は、誰も予測出来なかったものであり、いくら剣を嗜んでいたからといって、小さなティーゼ達には、どうしようもない事だった。


 あの日、後方には戦えない女性や、自分達よりも小さな子どもが多くいた。「ああ、ここで少しでも食い止めなければ」と、ティーゼと友人達は、選択の猶予もなく戦う事を決意して敵に挑んだ。

 剣の腕が弱いクリストファーがついて来て、敵の矛先が彼に向った時には「しまった」と思った。

 もう間に合わないと悟って、動ける全員が、彼を庇うために防御を殴り捨てて飛び出した。大事に育てられているであろう少し世間知らずのクリストファーが、可愛い弟分のように思えて仕方がなく、咄嗟に守らなければと全員が我が身を呈したのだ。

 仲間達の中には、仕事や病気で肉親を失った者もいた。親のいない子供達も多かったから、同じ年頃の子ども達の集まりに、ひょっこりと加わった華奢なクリストファーは、彼女達にとって、初めて出来た弟分のような存在でもあった。

 その結果、ティーゼは胸元を切り裂かれ、仲間達は腕や肩や背中に大きな傷を負った。

 早く親元に戻れと、少年達の中で一番年上だったリーダーが呻くようにクリストファーに告げたが、彼は泣くばかりで、大人達が駆け付けてしばらくしても、頑なに動かなかった。


 大人達に救出されたティーゼ達は、沢山怒られて、そして泣かれた。
 少年グループは説教によって解散の運びとなり、勉強や仕事で毎日は顔を会わせられなくなった。


 ティーゼ達と違い、当時はクリストファーの落ち込みようが酷かった。仲間達は「気にするなよ」と一生懸命に説得したが、彼はティーゼに対して、しばらくは肩を並べるというより、後ろに庇って手を引く姿勢を続けた。

 多分、女の子だと知って距離感が掴みかねたのだろう。

 貴族の男なんてそんなものだと、仲間達は、そう言ってティーゼを励ました。身分の差も性別も超えて、他の男の子達と同じように仲良く出来ると安易に考えていたティーゼには、ショックな出来事でもあった。


 傷跡にコンプレックスを抱いた事はない。仲間達と分かち合った出来事は勲章のように思えたし、クリストファーへの負い目がなければ、日の下に晒せていただろう。


 日焼けによって傷跡が残る事を、クリストファーが痛ましいほど悩んでいたと聞かされたから、ティーゼは、「じゃあ仕方ないから」と傷跡が薄くなるまではと決めて、意識してシャツの襟をしっかり締める服装を意識していた。

 思い返すと、白いシャツから透けて見えるぐらいだった傷跡が、今は透けないぐらい薄くなっている事を、ティーゼは感慨深く思った。

「ここまで薄くなるのも、あっという間だった気がするなぁ」

 常に肌を隠すような服を着ていたので、今更見せるのは恥ずかしい気持ちもある。窮屈に感じていた男性用のシャツの襟も、今ではすっかり慣れたものであるし、しばらくは傷跡を日差しに晒す予定もなかった。

 ティーゼは、きれいになった自分の服に袖を通した。

 思えば、こんなに遠い町で一泊を過ごすのは、初めての事で新鮮でもあった。「外泊なんて初めてかもしれない」と気付いて、昨日から続く面倒な現実を忘れていたティーゼは、気分が上がった。

 ギルドの仕事は、距離があれば報酬も上がるのだが、幼馴染の彼は、ティーゼがどんなに安全性を説いても理解を示してくれなかった。

 女性に対して、どこか過保護になる貴族の姿勢には、少しの妥協があってもいいのではないかと、ティーゼは常々思っていたほどだ。そもそも、ティーゼは貴族ではないので誘拐される事はないし、剣の腕も、取っ組み合いの喧嘩も得意である。

「そうか、初外泊か。うん、素晴らしいと思う!」

 経験が積めるのは新鮮で素晴らしい事だ。

 部屋の扉を出るまで、ティーゼは現在置かれている状況と、面倒な人物についてうっかり忘れていた。

              ※※※

 扉を開けた瞬間、ティーゼは、目の前に立つ男を見て、部屋に戻って扉を締めてやりたくなった。

 とりあえず数秒は考えたが、あらゆるパターンと嫌がらせの理由が浮かんで絞り込めず、とりあえず警戒しつつも、本人に訊いてみる事にした。

「……ルチアーノさん。あの、何をしてるんですか?」
「惰眠を貪っているのなら叩き起こして差し上げようと、氷水を持ってきた次第です」

 扉の前には、完璧に身だしなみを整えたルチアーノがいて、氷水がたっぷりと入った桶を手に佇んでいた。

「あの、仮にも乙女が使ってる寝室に突入は穏やかでないですし、尚且つ朝一番の氷水とか、ショック死レベルの可愛くない嫌がらせじゃないですかッ」
「あなたに乙女の自覚があったとは驚きです。氷水で頭が冷えれば少しは利口になるかもしれないと、わざわざ配慮したうえでの選択だったのですが」

 生粋の魔族特有の、宝石のように美しい赤い瞳がティーゼを見降ろした。その美貌は、性別を問わず魅了するぐらい整っているが、彼女は、うんざりしたように見つめ返して「そんな配慮はいらない」と口の中で愚痴った。

 真面目に相手をするだけ損だ。ティーゼは諦めたように「おはようございます、ルチアーノさん」と仕切り直した。

「もう起きているので氷水は勘弁して下さい。で、今日は手紙を渡したら任務完了ですよね?」
「任務とは何ですか、協力と言いなさい。既に陛下は朝食をとり、空の上で心の準備を整えているところです」
「は? 空中散歩で精神統一ってこと?」
「地上で悶々とされても気分は晴れないでしょう? 予定としては、陛下が戻り次第場所を移して事前練習。その後、鍛練の一つとして走り込みをしているマーガリー嬢を、待ち伏せして手紙を渡します」
「待ち伏せ……」

 ティーゼは、優しい笑顔の似合う魔王について思い返し、「やっぱり夢じゃなかったんだなぁ」と残念そうにルチアーノを見やった。
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

【完結】さようなら、婚約者様。私を騙していたあなたの顔など二度と見たくありません

ゆうき
恋愛
婚約者とその家族に虐げられる日々を送っていたアイリーンは、赤ん坊の頃に森に捨てられていたところを、貧乏なのに拾って育ててくれた家族のために、つらい毎日を耐える日々を送っていた。 そんなアイリーンには、密かな夢があった。それは、世界的に有名な魔法学園に入学して勉強をし、宮廷魔術師になり、両親を楽させてあげたいというものだった。 婚約を結ぶ際に、両親を支援する約束をしていたアイリーンだったが、夢自体は諦めきれずに過ごしていたある日、別の女性と恋に落ちていた婚約者は、アイリーンなど体のいい使用人程度にしか思っておらず、支援も行っていないことを知る。 どういうことか問い詰めると、お前とは婚約破棄をすると言われてしまったアイリーンは、ついに我慢の限界に達し、婚約者に別れを告げてから婚約者の家を飛び出した。 実家に帰ってきたアイリーンは、唯一の知人で特別な男性であるエルヴィンから、とあることを提案される。 それは、特待生として魔法学園の編入試験を受けてみないかというものだった。 これは一人の少女が、夢を掴むために奮闘し、時には婚約者達の妨害に立ち向かいながら、幸せを手に入れる物語。 ☆すでに最終話まで執筆、予約投稿済みの作品となっております☆

この村の悪霊を封印してたのは、実は私でした。その私がいけにえに選ばれたので、村はもうおしまいです【完結】

小平ニコ
恋愛
主人公カレンは、村の風習でいけにえとして死ぬことを命令される。最低の家族たちに異常な育て方をされたカレンは、抵抗する気力もなく運命を受け入れた。村人たちは、自分がいけにえに選ばれなくて良かったと喜び、カレンの身を案じる者は一人もいない。 そして、とうとう山の神に『いけにえ』として捧げられるカレン。だが、いけにえの儀式で衰弱し、瀕死のカレンの元に現れた山の神は、穏やかで優しく、そして人間離れした美しさの青年だった。 彼との共同生活で、ずっと昔に忘れていた人の優しさや思いやりを感じ、人間らしさを取り戻していくカレン。一方、カレンがいなくなったことで、村ではとんでもない災いが起ころうとしていた……

【完結】公爵子息は私のことをずっと好いていたようです

果実果音
恋愛
私はしがない伯爵令嬢だけれど、両親同士が仲が良いということもあって、公爵子息であるラディネリアン・コールズ様と婚約関係にある。 幸い、小さい頃から話があったので、意地悪な元婚約者がいるわけでもなく、普通に婚約関係を続けている。それに、ラディネリアン様の両親はどちらも私を可愛がってくださっているし、幸せな方であると思う。 ただ、どうも好かれているということは無さそうだ。 月に数回ある顔合わせの時でさえ、仏頂面だ。 パーティではなんの関係もない令嬢にだって笑顔を作るのに.....。 これでは、結婚した後は別居かしら。 お父様とお母様はとても仲が良くて、憧れていた。もちろん、ラディネリアン様の両親も。 だから、ちょっと、別居になるのは悲しいかな。なんて、私のわがままかしらね。

私、今から婚約破棄されるらしいですよ!卒業式で噂の的です

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
私、アンジュ・シャーロック伯爵令嬢には婚約者がいます。女好きでだらしがない男です。婚約破棄したいと父に言っても許してもらえません。そんなある日の卒業式、学園に向かうとヒソヒソと人の顔を見て笑う人が大勢います。えっ、私婚約破棄されるのっ!?やったぁ!!待ってました!! 婚約破棄から幸せになる物語です。

地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

五人姉妹の上から四番目でいつも空気だった私は少々出遅れていましたが……? ~ハッピーエンドへ走りたい~

四季
恋愛
五人姉妹の上から四番目でいつも空気だった私は少々出遅れていましたが……?

【長編版】この戦いが終わったら一緒になろうと約束していた勇者は、私の目の前で皇女様との結婚を選んだ

・めぐめぐ・
恋愛
神官アウラは、勇者で幼馴染であるダグと将来を誓い合った仲だったが、彼は魔王討伐の褒美としてイリス皇女との結婚を打診され、それをアウラの目の前で快諾する。 アウラと交わした結婚の約束は、神聖魔法の使い手である彼女を魔王討伐パーティーに引き入れるためにダグがついた嘘だったのだ。 『お前みたいな、ヤれば魔法を使えなくなる女となんて、誰が結婚するんだよ。神聖魔法を使うことしか取り柄のない役立たずのくせに』 そう書かれた手紙によって捨てらたアウラ。 傷心する彼女に、同じパーティー仲間の盾役マーヴィが、自分の故郷にやってこないかと声をかける。 アウラは心の傷を癒すため、マーヴィとともに彼の故郷へと向かうのだった。 捨てられた主人公がパーティー仲間の盾役と幸せになる、ちょいざまぁありの恋愛ファンタジー長編版。 --注意-- こちらは、以前アップした同タイトル短編作品の長編版です。 一部設定が変更になっていますが、短編版の文章を流用してる部分が多分にあります。 二人の関わりを短編版よりも増しましたので(当社比)、ご興味あれば是非♪ ※色々とガバガバです。頭空っぽにしてお読みください。 ※力があれば平民が皇帝になれるような世界観です。

【完結】私を虐げる姉が今の婚約者はいらないと押し付けてきましたが、とても優しい殿方で幸せです 〜それはそれとして、家族に復讐はします〜

ゆうき
恋愛
侯爵家の令嬢であるシエルは、愛人との間に生まれたせいで、父や義母、異母姉妹から酷い仕打ちをされる生活を送っていた。 そんなシエルには婚約者がいた。まるで本物の兄のように仲良くしていたが、ある日突然彼は亡くなってしまった。 悲しみに暮れるシエル。そこに姉のアイシャがやってきて、とんでもない発言をした。 「ワタクシ、とある殿方と真実の愛に目覚めましたの。だから、今ワタクシが婚約している殿方との結婚を、あなたに代わりに受けさせてあげますわ」 こうしてシエルは、必死の抗議も虚しく、身勝手な理由で、新しい婚約者の元に向かうこととなった……横暴で散々虐げてきた家族に、復讐を誓いながら。 新しい婚約者は、社交界でとても恐れられている相手。うまくやっていけるのかと不安に思っていたが、なぜかとても溺愛されはじめて……!? ⭐︎全三十九話、すでに完結まで予約投稿済みです。11/12 HOTランキング一位ありがとうございます!⭐︎

処理中です...