英雄の可愛い幼馴染は、彼の真っ黒な本性を知らない

百門一新

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四章 英雄となった男(5)下

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 ルチアーノの首に剣先が突き付けられたのを見て、ティーゼの思考は一瞬止まってしまった。

 ……え、何これ?

 暗殺、という二文字が思わず脳裏に浮かんだが、自分の後ろから笑うような声を聞いて、ティーゼは我に返った。


「氷の宰相が、隙を見せるほど警戒を怠るなんて珍しいね」


 聞き慣れた柔かな美声が、涼しげにそう言った。穏やかなその声はクリストファーのものだったが、ティーゼがそう認識して振り返った時には、彼の声は怒気を孕ませた低いものになっていた。


「今すぐその手を離せ」


 普段は優しげな彼の青い瞳が、ルチアーノを鋭く睨み据えて、目で「殺す」と威圧していた。

 ルチアーノは眉一つ動かさず、降伏するように軽く手を上げてティーゼから距離を取った。しかし、クリストファーは剣をしまわなかった。沸々と殺気を漂わせ、射殺すようにルチアーノを睨みつけながら剣の刃の向きを僅かに変えた。

「ちょ、クリス! その物騒なのしまってよ、なんて事してんのさ!?」
「僕の知らない男が、僕の知らないところで勝手に君の傷跡に触れていた。許せない」
「いやいやいや、私は気にしてないってば! お願いだから剣を鞘に収めてよッ、クリス!」

 英雄が国際問題を引き起こしてどうするッ。

 立ち上がって慌てて止めに入ると、クリストファーが、遅れて何かに気付いたように目を見開き、少し思案する顔をして、「……分かった」と小さく答えて剣を鞘に戻した。

 ティーゼは、自分が無意識に彼の愛称を呼んでしまったと気付かなかった。

 危うく魔族の宰相に怪我を負わせてしまう、という事態に嫌な動悸は止まらなかったし、ティーゼとしては、クリストファーのトラウマ的過保護が、彼の冷静さを見失わせる危険性について改めて重々しく受け止めていた。


 次に会う時は、きちんと解放の言葉を告げようと決めていたではないか。今はっきりと伝えておいた方がいい。


 殺気立つクリストファーを前にすると、緊張が込み上げたが、ティーゼは、告白する事で場の緊張状態が解除されるのならと思い直した。そう考えると、勇気も出てくれるような気がする。

 よし、言うぞと意気込み、ティーゼは一呼吸整えてから彼に向き直った。

「心配かけてごめんね。でも、私はもう大丈夫だから、これからは心配なんてしなくてもいいよ」
「…………何が、と訊いてもいいかな?」

 クリストファーの周りの温度が、更に下がった。

 ティーゼは、予想の反応ではなかった事にたじろいだ。疑問を覚えつつも、「だから、傷の事でしょ?」と控えめに言って首を傾げた。


「傷跡も薄くなってるし、もう昔の事だよ。他のメンバーと同じように、私だって全然気にしてないし。だから、クリスが責任を感じて気に掛ける必要はないし、もう、昔の事は忘れてくれていいんだよ」


 もう手を引いてもらう必要がないほど、ティーゼも強くなった。泣き虫で女の子みたいだった彼が、国で三番目となる英雄の称号を得て、人々に称えられる最強の男となったように、ティーゼもまた大人になったのだ。

 ようやく伝えられたと言う安堵もあって、ティーゼは肩の荷が下りて、自然と笑顔になった。

 そんな二人の様子を見守っていたルチアーノが、テラス席に腰かけたまま顔を手で覆い、深々と溜息を吐いて視線をそらした。彼は小さな声で「私の忠告を聞いていなかったようですね」と目頭を揉む。

 しばらく、考えるように沈黙していたクリストファーが、「へぇ」と表情なく呟いた。

「つまり、優しい君は、僕に『責任感を覚えなくてもいい』『距離を置こう』と言いたいわけ?」
「怪我の後遺症はないし、無理して会いにくる必要はないよ。どれだけ離れていたって、友達であることに変わりはないから」

 無理はしたら駄目だよ、とティーゼは堰を切ったように話し出した。

 幼馴染とはいえ異性であるので、クリスは貴族の大人なのだし、単身で訪れるのも止めた方がいいと思う。クリスの外聞も悪くなるし、そういう噂も立っていると聞いた……

 胸の前で腕を組み、クリストファーは黙って聞いてくれていた。


 昔の事件から続く思いについて、ゆっくり話せるチャンスがなかったから、ティーゼは、この機会にと考えて全てを話し聞かせた。こんな風に正直な気持ちを打ち明けるのは、一緒に走り回っていた幼い日以来だった。


「私は平民だし、男の子に間違えられるぐらい強いし、助けてくれる人や仲間もいっぱいいるから大丈夫だって。クリスが忙しいのは皆知ってるし、――まぁ家庭を持ったら疎遠になる事もあるかもしれないけど、ラスだって今でも付き合いがあるぐらいだし、そこで縁が切れるなんてないよ」

 その時、クリストファーが思い出したように腕を解いて、ティーゼの続く台詞を遮るように、にっこりと笑顔を浮かべた。

「――ああ、なるほど。ニコラスの事か。一児のパパになったんだってね?」

 ニコラスとは、ティーゼが「ラス」と呼んでいる、昔の仲間の一人だった。

 昨年十八歳となったニコラスは、初恋であった商人の娘とめでたく結婚した。小さな結婚式だったが、知人や友人らが通りに待ち構えてニコラス達を祝福し、今年に入って、男児が生まれたのも新しい記憶である。

 ティーゼは、彼と共通の思い出を懐かしむつもりでいたのだが、クリストファーの目が一切笑っていない事に遅れて気付き、口をつぐんだ。

 あの、なぜ怒っているのだろうか……?

 彼女の知っているクリストファーは、温厚で棘のない男である。半魔族の王の討伐のせいで、まだ解消されていない疲れやストレスでもあるのだろうか。

「あの、クリス……?」
「ティーゼは、家庭を持つという言い方をしたけど、まるで僕の知らないところで結婚してしまうような台詞だね? それに、僕がどこか余所で結婚してしまうことが決定しているみたいだ」

 いつの間にか歩み寄られており、上から顔を覗きこまれて、ティーゼはたじろいだ。

 姫との結婚についての噂は、全国民が知っているぐらい有名だ。しかし、結婚の話題一つでここまでクリストファーが反応するとなると、もしかしたら、当人達にはまだ知らされていないサプライズなのかも……?

 ティーゼは、この場を穏便にやり過ごす台詞を探した。

「えぇと、その、……姫様、すごく美人なんだって聞いたよ。確か私より早く十六歳になったけどまだ婚約者もいなくて、求婚が絶えない美貌の持ち主、とか?」

 ……そうだったような気がする、よくは知らないけれど。

 それ以上の褒め言葉が見つからず、ティーゼは視線を泳がせた。そういった話題については、あまり興味がなかったので、詩人や酒屋で耳にする程度だ。有名らしい姫の事だけでも、もっと知っていればクリストファーに話しを合わせられたのになぁ、と少し後悔した。


「城に残っている第二王女は、君と同じ十六歳。――まぁ、美人ではあるけど」


 それが? とクリストファーが畳みかけた。

「ティーゼが気になるというのなら、僕が会わせてあげてもいいんだけど、君はそういう事には興味を持っていなかったよね? 姫の名前だって知らないだろう?」
「ぐぅ、確かに知らないけどさ……」

 みんな「美人な姫」って呼んでるんだから、庶民はそれぐらいでいいじゃんか。

 ティーゼは、そう目で訴えた。けれど、クリストファーは追及の手を緩めてくれなかった。彼は、どこか威圧感さえ覚える完璧な笑顔のまま、言葉を続けた。

「君が自主的に手に入れた情報でないとすると、どこかの詩人に、良い話しでも聞かされた口かな。彼らは役得だからね。すぐに優しい眼差しを向けて、それが異性ならば、手を取って甘い言葉を紡いだりする」
「えぇと、詩人はいたけど、別に広場で歌ってるのを聞いただけであって――」
「当たり前だよ。そんな詩人が君の近くにいようものなら、僕がすぐにでも殺してる」

 クリストファーは、爽やかな笑顔で、あっさりと物騒な事を言ってのけた。

 珍しい冗談が出るものだ、とティーゼは思った。クリストファーの顔が近いような気もするが、後退しようにも、テーブルに追いやられてしまっているため、それ以上距離は取れなかった。


「ああ、もしくは僕のいない間に、どこかの男が、君に姫のことを意図的に教えたのかな。中流貴族のレナード・マイルス? それとも、警備隊のボルドー少佐? 最近町に居座ってる冒険者のリンドンかな? ああ、酒屋で仲の良いクーパーとか?」

 
 不意にクリストファーが言い、ティーゼは思わず首を捻った。

「……あれ? クリス、私の新しい友達と面識あったったけ?」

 ティーゼの記憶が正しければ、彼らとクリストファーに接点はなかったはずだ。ティーゼも、交友関係についてまでは彼に教えた事はなかった。

 悩んでいると、唐突に腕を掴まれてびっくりした。

 反射的に顔を上げると、こちらを覗きこむ青い瞳と至近距離で目が合った。彼の眼差しは、何かを確認するかのように真剣で力強かった。

「ティーゼが、誰かを選んでいない事は一目瞭然だけど」
「一目……? え、何が…………?」
「僕にだって、どうしても譲れない事ぐらいある」

 そう言って溜息をもらしたクリストファーの眼差しから、ふっと威圧感が消えた。続いて困ったように笑った顔は、ティーゼがよく知っている幼馴染のものだったから、ティーゼは知らず警戒を解いていた。

「――ねぇ、ティーゼ」

 クリストファーが、宥めるような穏やかな声でそう告げて、ティーゼの腕から手へと滑らせて優しく握った。彼は彼女の顔を覗きこみ、ふんわりと微笑む。

「仕事の依頼は終わっているようだけど、ティーゼは、ここで何をしているのか訊いてもいい?」
「えぇと、ルイさんの恋のお手伝い、かな。騎士団にマーガリーさんっていうキレイな人がいるんだけど、ルイさんの想いが一方通行というか」

 緊張感から解放されたティーゼは、素直にそう答えた。

 すると、クリストファーが曖昧に微笑んだ。

「ベンガル伯爵のところの『獅子令嬢』か、なるほどね。二人の恋がうまくいきそうだと分かれば、素直に納得して手を引いてくれる?」
「え。あの、私は応援というか、ちょっと協力しているだけであって……」

 ティーゼは、彼の認識にズレがあると思ってそう声を掛けたのだが、クリストファーが「分かってるよ」と優しく目を細め、両手でティーゼの手を包みながら慰めるように撫でてくれたので、伝わっていると理解して胸を撫で下ろした。

 クリストファーは、名残惜しむようにティーゼの手を離すと、視線をそらしながら考えるように顎に手をやり「なるほどね」と小さな声で呟いた。


「――僕も、少し浮かれていたからね。まさかとは思っていたけど、そんなつもりがあって姫との時間を多く作らせていたのか……約束をうやむやにされるのは、我慢ならないな」


 そう独り言を呟いたかと思うと、彼は一つ肯き、微笑を戻してティーゼに向き直った。

「もう少しティーゼと話していたいけれど、少し急ぎの用を思い出したから、先に戻るね」
「列車は一日に一本だけど、大丈夫なの……?」
「心配してくれて、ありがとう。列車なんて必要ないよ。僕は聖剣の力で、ここまで飛んで来たからね」

 そういえば、伝説の剣とかなんとか以前聞いた事はあったけれど……でもそれ、魔法の剣じゃなかったはずでは?

 ティーゼが悩ましげに小首を傾げると、クリストファーが目元を和らげて、彼女の頬にかかった髪をそっと後ろへ撫で梳いた。普段から親身に接されているティーゼは、こういう女性扱いを自然とやってのける幼馴染だもんなぁ、と場違いにも改めて感心してしまった。

「それに、そのへんのドラゴンでも掴まえれば、王城までそんなにかからずに戻れるから」

 時間稼ぎのように、クリストファーが静かな声色でそう言った。ゆっくりと髪から離されていった彼の手の指先が、するり、と頬を撫でていった。

 また、うっかりあたってしまったのだろう。

 これまでの彼とのやりとりを思い出して、ティーゼは、くすぐったく感じた頬に手を当てて揉み解した。すると、クリストファーがにっこりと笑って「ごめんね」と言い、「じゃあ、またね」と踵を返した。

 歩き出しながら、クリストファーが、ティーゼには聞こえない低い囁き声をこぼした。


「宰相であろうが、ティーゼに手を出したら殺すよ。――ひとまずは、姫との噂の出所を潰す」


 そんな物騒な声を耳にしたルチアーノは、「人間族の魔王ですか」と口の中で呟いた。思わず、英雄を取り囲んでいるであろう人間側の事情を想像し、らしくなく同情してしまった。
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