英雄の可愛い幼馴染は、彼の真っ黒な本性を知らない

百門一新

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終章 予言の精霊の祝福(上)

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 何故、こんな事になっているのだろうか。朝一番、ティーゼは申し訳なさそうな表情をするクラバートを前に、ゆっくりと瞬きした。


 昨夜、ティーゼは居酒屋でたっぷりと飲んで、そこにいた酔っ払いの男女と大いに盛り上がった。国のお祝い騒ぎで料金も安く、もうこれ以上何も入らないというぐらいに食べて飲んだ。悪酔いはした事がなかったので、翌朝も快適な目覚めだったのだが。


 宿を出たところで、クラバートか直立不動で待っていた。そして、手短に舞踏会の話を聞かされたのだ。

 マーガリー嬢がルイの誘いを受けたのは、昨日の事である。とはいえ、その時点の話までは「まぁルイさんにとっては、その方が喜ばしい事なのかもしれないな」と悠長に構えていたのだが、ティーゼ自身も参加する事が決定されていた下りには、心底驚かされた。

 しかも、その決定は覆せないらしい。既に段取りも整えられているのだとか。

 ティーゼは、どうにか話の内容を理解するべく、時間を稼ぐように瞬きをした。断われないとあっては、参加するしかないのだろうと、クラバートを困らせない方向で自分に言い聞かせるものの、戸惑いも疑問も次から次へと湧いて来る。

「……団長さん。あの、今から王都に行ってドレスアップするとか、急すぎないですかね? というか、私はただの庶民なので、ドレスとか持っていないんですけど……」
「ドレスなら前々から作らせていたサイズピッタリの物があ――おっほんッ。ちょうどサイズ的にもぴったりの一式が、偶然にも! あるとの事ですし、任せておけばいいんですッ」

 というか、どうして私がお呼ばれしているのでしょうか……?

 英雄の幼馴染というだけであるのに、何故か名のある貴族から「参加を心よりお待ちしております」と丁寧な手紙付きで、国王陛下の名前で正式な招待状も出ていた。しかも、ドレスが用意されている場所は王宮であるという。

 なぜ平民が、プロが勢揃いしている王宮の一室でドレスアップされる事になっているのか。

 幼馴染だけが理由ではないとすると、ルイがうっかり口を滑らせて、ティーゼが魔王の友人である事が知られでもしたのだろうか。もしくは、家に連絡を取ったマーガリー嬢が、「参加させたい子がいるのだけれど」と意見したのだろうか。

 ハッキリとしないクラバートの説明に、ティーゼは多すぎる可能性に頭を悩ませた。


 飛竜が到着次第に出発する、と続けて説明したクラバートに連れられて、ティーゼは、悶々とした気持ちを抱えたままルイの別荘に向かった。


 途中、空に銀色の輝きが飛び去っていくのが見えて、「ん?」と顔を上げた。それに気付いたクラバートが、ティーゼと同じ方向へ目を向けて「ああ」と笑って肯いた。

「あれが飛竜ですよ。小隊が、我々の飛竜を送り届けたのでしょう」
「遠目からは見た事があるけど、飛竜かぁ」

 まさか、そんなものに乗る日が来ようとは思ってもいなかった。庶民が乗る機会など絶対にないし、イベントの際に飛行風景が公開されるぐらいだ。飛竜は大人しい生き物とは聞くが、あれで高いところを飛ぶのは、怖い気もする。

 複雑な表情をするティーゼに、クラバートも複雑そうな引き攣った笑みで「大丈夫、怖い事は何もありませんから」と、自身に言い聞かせるようにそう呟いた。

              ※※※

「またお会いしましたね」
「思いきり見下さないでくれませんか、ルチアーノさん」

 昨日、少しは良い奴かもしれないと思っていたティーゼは、ルチアーノに再会してすぐ、その感想を撤回した。出迎えたルチアーノは、やはり意地悪そうな冷ややかな表情で、開口一番淡々とそう告げたのだ。

 それに比べて、ルイはとても友好的だった。ティーゼを見るなり、「会えて嬉しいよ」と心愛を込めてにっこりと微笑み、彼を忌々しげに睨みつけていたマーガリー嬢も、こちらに気付くと「待っていたわ」と目を穏やかに細めた。

 この二人最高過ぎる。もう、どこかの冷徹野郎とは大違いだ。

 ティーゼは、うっかり感動した。よくは分からないが、マーガリー嬢に好感を抱かれているらしい事についても嬉しく思う。むしろ、同性の可愛い子と美人は大歓迎だ。

「あなたも参加出来ると聞いて、楽しみにしていたのよ」
「まぁ、よく分からないうちにそうなってしまっている、と言いますか……」

 曖昧に答えるティーゼのそばから、ルイが顔を覗かせて、再びマーガリー嬢に話し掛けた。マーガリー嬢が「邪魔しないで」「ウザったいわ」と言わんばかりに顔を顰めた。


 魔王の別荘敷地内には、四頭の飛竜が待機していた。銀色の鱗を持った小型のドラゴンで、彼らは新たにやって来たティーゼとクラバートを、緑の瞳でじっと見据えた。警戒している様子はなく、彼らはクラバートからすぐに視線を外すと、首を伸ばして興味深そうにティーゼを見た。


「おぉ……。近くで見ると、予想以上に大きいですねッ」
「幼竜程度でしょうに、大袈裟な」

 近づいて早々、飛竜を目の前にしたティーゼが思わず一歩引くと、ルチアーノが冷ややかに言った。彼は、マーガリーに飛竜の話を聞き出しているルイの様子を窺っている。

「幼竜って、んなバカな……」
「怯える必要はありませんよ。彼らは、精霊には友好的な種族ですから」
「そうなんですか?」
「そうですね、馬鹿なあなたでも理解できるよう、『竜種は精霊を決して傷つけない』と言っておきましょう」
「だから、一言多いです」

 思わず睨み上げると、ルチアーノが笑うような吐息をもらした。それは、どことなく親愛的で友好さも窺えたが、彼はすぐに冷静な横顔を見せて歩き出してしまう。一瞬の事だったので、ティーゼは、目の錯覚だろうかと不思議に思った。

 それぞれが単身で飛竜に飛び乗り、ティーゼは、手綱を握ったクラバートに引き上げられて彼の前に座った。飛竜が身を起こした時、その高さにティーゼは「びょッ」と妙な声が出てしまい、ルチアーノから呆れたような視線を寄越された。

 クラバートの号令と共に、飛竜が一斉に空へと飛び立った。
 
 耳許で煩くなる風の向こうから、ルイの楽しそうな笑い声が聞こえた気がしたが、ティーゼは「うぎゃあッ」という自分の色気もない悲鳴の方を強く聞いていた。

 飛竜は、上空高く舞い上がったところで、すぐに安定飛行へと入った。肌を打つ暴風はなく、心地良い風が髪と衣服をはためかせた。

 ティーゼは、恐ろしくて下を見る事が出来なかった。

「こいつらは魔力を持ってますから、風の抵抗もあまりないですし、気持ちが良いでしょう?」
「だ、団長さん、かか身体の震えが止まりませんッ。高いですッ」
「ははは、大丈夫ですよ。こいつらは人間を落としたりしませんから」

 どれぐらい飛んだ頃だろうか。途中で唐突に、ルイとルチアーノを乗せた飛竜が進路を変え、マーガリーの飛竜も、彼らとは逆方向へそれ始めた。

「団長さん、ルイさん達が離れていっちゃいますけど?」
「彼らは、それぞれが屋敷を持っていますからね。そこに飛竜を着陸させるんですよ。俺達は、真っ直ぐ王宮に向かいます」

 ああ、本当にそっちでドレスアップするんだ、とティーゼはげんなりとした。

「……あの、ずっとお祭り騒ぎなのは分かりますけど、朝早くから動かなくてもいいのでは……?」
「いやはや、女性の身支度ほど時間がかかるものはありませんよ。信頼のおけるメンバーが揃えられているとは思いますが、彼女達はプロですからね。それなりに覚悟はしていた方がいいとは思います」
「は。覚悟?」

 待って、なんでドレスを着るだけなのに覚悟が必要なの?

 ティーゼは思わず、肩越しにクラバートを振り返ったが、彼は意味深に乾いた笑みを浮かべたかと思うと、明確な言葉もないまま、ぎこちなく視線をそらされてしまった。

 しかし、王宮でティーゼは、それを身をもって知る事となった。

              ※※※

 飛竜が降り立ったのは、静けさが漂う王宮のど真ん中だった。

 見事な城の造りにティーゼが呆気にとられている暇もなく、回廊から数人のメイドが足早にやって来て、ティーゼはクラバートから引き離された。

 まずティーゼが連れられて来たのは、恐ろしいぐらいに広い風呂場だった。

 メイド達は、ティーゼの胸にある大きな傷跡に驚く様子も見せず、同性だろうと他人に裸を見られる事を拒否したティーゼの意見を無視し、手早く服を剥ぎ取り、磨きに磨いた。メイド達の行動は有無を言わせず強行的で、ティーゼの予想に反して腕力も強かった。

 その時点で、ティーゼの体力と精神力は底を尽いた。

 しかし、浴室から担ぎ出されて、ぐったりとしている間にももみくちゃにされた。何をされているのか把握出来ないぐらいに作業は進行してしまい、ティーゼは何度か意識が飛んだ。

 時間経過がよく分からない。「起きて下さいまし」と何度か声を掛けられたが、ティーゼは記憶が曖昧だった。コルセットを閉められた際には「うぎゃっ」と慣れない締め付け感に飛び起きたが、抵抗は無駄だと知って、ティーゼはまた意識を飛ばした。

「とてもお綺麗ですわ」
「でも、髪はそのままで良かったのかしら。上げた方が女性らしく――」
「わたくしたちは、あの方のご要望に従うだけですわ」
「お人形さんみたいねぇ。もっと飾ってはダメかしら?」
「駄目よ、コレット。装飾品は勝手に贈らないよう、言い付けられておりますもの」

 囁かれる声に、もみくちゃにされていた手が止まっている事に気付いて、ティーゼは、ハッと意識を取り戻した。


 目の前の大きな鏡には、長椅子にちょこんと腰かける短髪の令嬢の姿があった。くすんだ栗色の髪は、女性らしいウェーブを描いて青い花飾りがとめられており、濁りの混じった深緑の大きな瞳が、びっくりしたようにこちらを向いている。


 ティーゼは、しばし呆然と鏡の中の彼女を眺め、彼女の胸元に薄らと浮かぶ見慣れた傷跡を見て、ようやくそれが自分である事に気付いた。

「え。これ、私……?」

 思わず呟けば、ようやく鏡の中の少女に自分らしさが見えて、ティーゼは「なんだ、いつもの私じゃないか」と少し安心した。顔に薄く化粧がされているから、変な感じに見えるのだろう。

 腰から下にかけてふわふわと広がるのは、深い青のドレスだった。その上から、明るい青の薄いヴェールの生地が、たっぷりとあしらわれて可愛らしい。繊細な金の刺繍まで施されたドレスは、よく見慣れた幼馴染の金の髪と、美しい瞳の色をティーゼに思い起こさせた。

 ティーゼが、慣れないスカートに足を上下に揺らすと、ドレスの裾がふわふわと舞った。

「うふふ、落ち着きがないところも、実に可愛らしい方ですわねぇ」

 後ろに控えていた若いメイドの一人が、鏡の中から、ティーゼに困ったような笑顔を向けて来た。

「ほんと、可愛らしい精霊さんみたいにキレイですわよ」
「はあ。あの、ありがとうございます……?」
「傷跡が目立たないように化粧を施してありますから、あまり強く擦らないようお願い致しますわ」

 メイドの中で、年長者らしい落ち着いた女性がそう指摘した。

 ティーゼは、自分の姿を今一度見降ろした。スカートなんて恥ずかしいと常々思っていたが、まるで少年には見えない今の自分を見ていると、人生で一度は着てみたいと思っていた可愛いドレスは嬉しくもある。

 しかし、想像以上にドレスというのは窮屈に作られているらしい。ティーゼは、締めつけられた腹部を見つめ、悩ましげに首を捻った。

「……あの、これだけ締め付けられていると、ご飯が大量に入らないと思うんですけど」
「舞踏会なのにご飯ですってッ?」
「噂通りの子ねぇ。大量にではなく、適度に頂きなさいな」
「ケーキもあるから、きっと気に入ると思います」

 時刻は既に、正午を回っていた。会場に案内するからと年長のメイドが告げたので、ティーゼは「やっぱり参加しなくちゃいけないのか」と思いつつも立ち上がった。

              ※※※

 ティーゼは、少し踵のある靴が慣れなくて、ゆっくりとしか歩けない事にもどかしさを覚えた。

「立っていたら足元も見えないし、これ、普通の靴に変えちゃダメですか?」
「駄目です」
「それと、ドレスがすごく重――」
「駄目です」
「まだ何も言ってないのに!?」

 ティーゼとメイドの二人が歩く長い廊下には、不思議と他に人の気配がなかった。王宮とは、こんなにも静かな場所なのだろうかと、ティーゼは首を捻った。

「あの、すごく静かですね。本当にパーティーとかやってるんですか?」
「入場までのルート上から、退避命令が出されておりますから」
「は?」

 ティーゼの視線を横顔で受け止めたメイドは、済ました顔で「何でもございませんわ」としれっと口にした。護衛や見張りの衛兵も、彼女達から見えない位置に隠されているのだという事を知らないのは、ティーゼだけだ。

 精霊族の血を引く人間は、心を落ち着かせてくれる不思議な空気をまとった者が多い。

 メイドは、この数時間ですっかりティーゼが好きになっていたし、彼女の同僚達も、ティーゼの素直で裏表のない様子も気に入っていた。クリストファーがわざわざ人払いをしてあるのだと教えて、怖がらせたくもないと思い、知らないままにさせておこうと考えていた。

 ロマンチックな『予言の精霊』の、その瞬間をお目にかかれるかもしれないと、先日に予告された多くの貴族達が、今や会場には詰め掛けて集まっているのだ。使用人達もその現場に立ち会いたいと殺到し、普段以上に仕事に精を出して、フロアをキビキビと動いている状況である。

 出来るだけ緊張させない事。そして、クリストファーの企みを知られない事が、メイド達の仕事だった。

 その思案を冷静な表情の下に隠して、メイドは思わず、可愛らしい精霊族の血を引いた少女を見つめた。自分は侯爵家のメイドであるので、ゆくゆくは彼女の世話も任せてもらえるのであれば、喜ばしいとは思う。

 とはいえ、クリストファーは独占欲も強いので、婚姻後、屋敷に専属の使用人を置いてくれるよう説得しなければならないだろうが。

「えぇと、なんでしょう……?」

 メイドに横目でじっと見降ろされ、ティーゼは、慣れない恰好を見られているのだろうか、と思ってそう尋ねた。

「――いいえ、なんでもございませんわ」

 メイドがにっこりとしたので、ティーゼもつられて、ぎこちなく笑った。


「さて、予定通りの時間ですわね」


 メイドは背筋を伸ばし、一つの大きな扉の前で歩みを止めた。普段は衛兵か、男性の使用人がやるところなのだが、彼女は仕方ないと内心諦めて扉を押し開けた。
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