28 / 39
四章 ラビ、相棒の黒大狼と地下空間にて(上)
しおりを挟む
落下は長い間続いた。頭上の穴の光も見えなくなった頃、ノエルの背に乗ったラビは、ふわりと穴の底に着地した。
そこは、岩肌がごつごつとした薄暗い場所だった。少し肌寒さがあって、空気はしっとりと湿っている。掘られただけの地下通路のようで、辺りは岩に囲まれていて狭く、光の差しこむようなところは何処にもないのに、不思議と視界は真っ暗ではなかった。
「ここ、一体どこだろう?」
彼の背から降りたラビは、頭上を見上げてそう呟いた。自分の声が鈍く響き渡って消えていく様子と、落ちてきた穴の入口の光さえ見えない事から、随分深い場所まで来たらしいと察した。
落下している間に足元の小さな振動は止まっていて、耳を澄ましても、一階に残してきたセドリック達の声は聞こえてこなかった。地上の方がどうなっているのか気掛かりだったが、地震のような揺れがやんでくれているのは安心出来た。
するとノエルが、掘られただけのような手狭な地下通路内を見回して、口を開いた。
『ここは聖域だ。ラビの足元に穴が開いたってのも、何か意味があるのかもしれねぇな』
「どうして?」
『ここは妖獣師のための神殿だ。俺らを見る事が出来る人間も、古い時代に失われて、長い時間を経てようやく、一人がこうして辿り着いた――まぁ信仰心のある連中なら、きっとそう言うんだろうな』
まるで誰かの言葉を思い出すかのようだった彼が、ふと気付いて、後半で声の調子を戻してそう締めた。
大昔にはノエルのような妖獣がいて、彼らと共存し生活していた妖獣師がいた。以前の説明で、彼らは『使い手』と呼ばれている不思議な術が使える獣師だった、という話をラビは思い返した。
けれど自分は、ノエルの姿が見えて、動物とお喋りが出来るというだけだ。他にはこれと言って特別な事は出来ないから、不思議になってしまう。
「俺はどこにでもいる、普通の獣師だよ?」
『そうだな。魔力――っじゃなくて、えぇと術が使えるエネルギーを持っていないから、術者にはなれないな』
ラビの問いかけを受けて、ノエルは視線をそらして言葉早くそう答えた。話を切り上げるように『こっちの方から術の気配がする。行ってみようぜ』と言い、優雅なたっぷりの毛並みを持った尻尾を揺らして誘った。
足元は、岩肌がゴツゴツとして歩きづらかった。ラビは転倒してしまわないよう、慎重に歩き進んだ。何度か手をついた壁の岩は、濡れているわけでもないのにしっとりとしていて、まるで磨かれたように滑らかな手触りだった。
「そういえば、光が一切入っていないのに真っ暗じゃないよね。それも不思議な術が働いているからなの?」
『術の中だと、視界を奪う効力をかけられていなければ、こんな感じだな。この場所が崩れてしまわないように守るための結界と、外側から存在を隔離する術が応用されているみてぇだが、場が神聖過ぎて、俺にはちょっと感知しづらい』
「ノエルは凄いね、なんでも知っているんだもの」
ラビは、感じたままそう口にした。ここにいるのは自分と親友の彼だけで、気を張る必要がないから、強い男の子のようにあろうという普段の意識が外れて、自然と本来の柔らかな口調になっていた。
それは嘘偽りのない本心からの褒め言葉だ。それを知っているノエルは、先頭を歩きながら少し照れたように尻尾を数回振って、いつもは凛々しい眼差しを和らげた。
『別に凄くはないさ。それを言うんだったら、ラビもそうなんだぜ? 耐性がないと、普通の人間はここに居続けられない。視界は霞むし、記憶が曖昧になって、最後は意識が飛ぶ』
「酸素が足りなくなるってこと?」
『いや、そういう意味じゃないんだが……まぁ確かに昔、洞窟の話を聞かせた時にそうは教えたけどさ……――まっいいか』
話しながら後ろに顔を向けたノエルは、幼い頃から変わらないラビの大きな金色の瞳に、まるで冒険みたいだね、というキラキラとした輝きを見て説明を諦めた。
しばらくすると、数人の人間が円陣を組めそうな、円形状の行き止まりに到着した。正面にある壁には、落書きのような記号らしき物が彫られていて、ノエルと共にその前に立ったラビは「なんだろう?」と小首を傾げた。
「ここで行き止まりみたいだけど、もしかして何か秘密の通路を開くために必要な、暗号だったりするのかな」
『あながち間違いじゃねぇな。これも術の一つだ、言葉で発動する仕組みになってる』
とはいえ、と、ノエルは途端に乗り気でなくなった様子で、どうしたもんかなと首を傾げた。
『これは特定の妖獣を出入りさせるための『扉』だ。宝物庫(ほうもつこ)や書物庫なんかで、それを管理させる程度の小さな妖獣用だから『砂の亡霊が守るほどの宝』の在り処に繋がる可能性については、期待出来ねぇし……このスペースの広さからすると、恐らく一部の金銭的な価値がある物を、保管していた倉庫の一つだったんだろう』
そう推測を口にして、彼が狭いこの場をざっと見やる。
ラビは言われた内容を、頭の中で反芻した。それから、ようやく理解したという顔を彼に向けて確認した。
「つまり、ノエルみたいに他の人には見えない、お喋りが出来る妖獣がこの向こうにいるの?」
『岩の向こうというか、妖獣世界の特定の箇所に繋げられている状態というか――あぁ、うん、分からないって顔だな。簡単に言えば、その妖獣が暮らしている家の玄関を、ノック出来るようになってんだ』
そして、呼び出されたら、人間世界への一時的な出入りを許される。
思い返すように呟いたノエルが、ふっと冷静な表情に感情を戻して『なんだか嫌な予感がするんだよなぁ』と、不安そうに視線を返してきた。ラビは、どうして彼が期待外れだと言い、そのうえ困ったような表情をしているのか分からなかった。
「ずっとここを出入りしていた妖獣なら、少しは何か知っているかもしれないよ?」
『うん、お前ならそう言うと思ったんだよ』
先にも言ったが、情報を持っている事は期待出来なくてだな、とノエルは説いた。相手の妖獣が、どんな種族なのかについても嫌な予感が込み上げるのだが、そちらの直感については気のせいであって欲しい、と、つい本音をこぼしつつ続ける。
『いいか、ラビ、特定の役目を与えられる小物の妖獣ってのは、大抵は人間みたいな好奇心は持ち合わせていない奴が多いんだ。ここがどこで、他にどんな秘密が隠されているか、なんていうのは連中にとって重要じゃなくて、一つの役目だけを当然みたいにこなすパターンがほとんどだから、自分の役目に関係ない事は求めな――』
「お話をしない子が多いってこと?」
昔から動物に好かれる体質だったラビは、自身のこれまでの経験が、一般の獣師にはないものだと疑問に思わないまま、よく分からなくてそう尋ねた。
話しを遮られたノエルが、思わず一瞬沈黙して『『お話し』……』と、彼女の素直で愛らしい口調を口の中で反芻する。そして数秒ほど、場は完全に静まり返っていた。
地面に目を落として、じっと黙り込んでいる彼が不思議になって、ラビは、「どうしたの?」と声をかけた。
伏せていた耳を先に上げて、ノエルがゆっくりとぎこちなく顔を上げた。なんだか引き攣った愛想笑いを浮かべてきたので、よく分からないけれど「ん?」とにっこり笑い返してみたら、何故か途端に、彼が顔を前足で押さえてしまった。
『…………チクショー愛らし過ぎて反対出来ねぇ。なんて十七歳にもなって、チビだった時と何一つ変わらないんだ? ずっと面倒を見ていた『ウチの子』が一番可愛い、って言う親の気持ちが、今ならよく分かる気がする……』
多分これ親心なのか、と震える声で呟きを落とす。
ノエルが『ぐぅ』と呻いて、『わけ分かんねぇくらい俺が弱くなってる』と、口の中でぶつぶつ続けた。ラビは、それくらいしか聞き取れなかったから「前半なんて言ったの、ノエル?」と、きょとんとして小首を傾げていた。
『ラビ。なぁ『小さなラビ』』
しばしの間を置いて、こちらを見たわけでもないのにノエルがそう呼んだ。
「なに? というか、顔を伏せてどうしちゃったの」
『頼むから、セドリック達がいないからって、あんまり緊張感ゆるっゆるで小首傾げるのもやめてくれ……』
「何言ってんの、ノエル。オレ、気を引き締めてここに立ってるよ」
セドリック達とは離れてしまったけれど、心強くて大好きな親友と一緒なので強い緊張や不安はない。知らない土地で初めての遺跡だ、ノエルとこうして歩いている事にわくわくしている気持ちもある。
しかし、こうして歩いている地下の探索も、第三騎士団の専属獣師として調査に来ている、という意識は、常に持って行動しているつもりだった。
『仕方ねぇ。分かったよ、その妖獣にまずは話を聞いてみよう』
顔を押さえていたノエルが、深い溜息を吐いて、ようやく前足を下ろして顔を上げた。壁に向き直ると、そこに刻まれた記号を目で辿り、こちらを振り返った。
『これは、人間だったら誰でも反応するタイプのものだ。ノックを五回して、ここに書かれている名前を復唱すれば、発動する術になっている』
「これって文字なんだね。なんて書かれているの?」
『トーニャリンドン・タイガベルツリー』
間髪入れず、ノエルが真面目な顔でキッパリそう言ってきた。
ラビは、教えられたその言葉を聞いて、数秒ほど固まってしまっていた。どうにか頭の中で、その名前を繰り返して記憶に叩きこむ。
「……あのさ、ノエル? なんか聞き慣れない名前というか、発音の組み合わせが変というか、どっちも長いような気がするんだけど」
『そうか? 正式名の一部分だから、短い方だが。まぁこっちで付けられる名前とは、少々事情が違って、そのまま呼ぶ事もないからな。呼び名として使うなら『トーリ』になる』
どこでどうやったら、トーリ、というあっさりとした名前に短縮されるのだろうか。
ラビは、法則性がちょっと分からないな、とは思った。けれど頭に入れた呪文みたいな名前が消えてしまわないうちに、暗号のような記号が刻まれた壁へと向き直って、そこを五回ノックして口を開いた。
「トーニャリンドン・タイガベルツリー」
初めて声に出してみたその奇妙な名前は、不思議と馴染むようにして、すらすらと口から出てくれた。
すると、記号のようなものが彫られた壁が、まるで鼓動するように強弱を付けて青白く光り始めた。びっくりして手を離したら、ノエルが隣から『心配すんな』と吐息混じりに言った。
『向こうから、反応が返ってきているだけだ。人間でいうところの、玄関をノックしたら鍵が外れて、その後に扉を開けて当人が出てくる、ってやつだな』
「そうなんだ……、なら『出てくるから待ってて』みたいな解釈でいいのかな?」
実際に扉が目の前にあるわけではないから、ラビはどうにか考えてそう想像し、そこから小さな動物らしき何者かが現われるのを待った。
そこは、岩肌がごつごつとした薄暗い場所だった。少し肌寒さがあって、空気はしっとりと湿っている。掘られただけの地下通路のようで、辺りは岩に囲まれていて狭く、光の差しこむようなところは何処にもないのに、不思議と視界は真っ暗ではなかった。
「ここ、一体どこだろう?」
彼の背から降りたラビは、頭上を見上げてそう呟いた。自分の声が鈍く響き渡って消えていく様子と、落ちてきた穴の入口の光さえ見えない事から、随分深い場所まで来たらしいと察した。
落下している間に足元の小さな振動は止まっていて、耳を澄ましても、一階に残してきたセドリック達の声は聞こえてこなかった。地上の方がどうなっているのか気掛かりだったが、地震のような揺れがやんでくれているのは安心出来た。
するとノエルが、掘られただけのような手狭な地下通路内を見回して、口を開いた。
『ここは聖域だ。ラビの足元に穴が開いたってのも、何か意味があるのかもしれねぇな』
「どうして?」
『ここは妖獣師のための神殿だ。俺らを見る事が出来る人間も、古い時代に失われて、長い時間を経てようやく、一人がこうして辿り着いた――まぁ信仰心のある連中なら、きっとそう言うんだろうな』
まるで誰かの言葉を思い出すかのようだった彼が、ふと気付いて、後半で声の調子を戻してそう締めた。
大昔にはノエルのような妖獣がいて、彼らと共存し生活していた妖獣師がいた。以前の説明で、彼らは『使い手』と呼ばれている不思議な術が使える獣師だった、という話をラビは思い返した。
けれど自分は、ノエルの姿が見えて、動物とお喋りが出来るというだけだ。他にはこれと言って特別な事は出来ないから、不思議になってしまう。
「俺はどこにでもいる、普通の獣師だよ?」
『そうだな。魔力――っじゃなくて、えぇと術が使えるエネルギーを持っていないから、術者にはなれないな』
ラビの問いかけを受けて、ノエルは視線をそらして言葉早くそう答えた。話を切り上げるように『こっちの方から術の気配がする。行ってみようぜ』と言い、優雅なたっぷりの毛並みを持った尻尾を揺らして誘った。
足元は、岩肌がゴツゴツとして歩きづらかった。ラビは転倒してしまわないよう、慎重に歩き進んだ。何度か手をついた壁の岩は、濡れているわけでもないのにしっとりとしていて、まるで磨かれたように滑らかな手触りだった。
「そういえば、光が一切入っていないのに真っ暗じゃないよね。それも不思議な術が働いているからなの?」
『術の中だと、視界を奪う効力をかけられていなければ、こんな感じだな。この場所が崩れてしまわないように守るための結界と、外側から存在を隔離する術が応用されているみてぇだが、場が神聖過ぎて、俺にはちょっと感知しづらい』
「ノエルは凄いね、なんでも知っているんだもの」
ラビは、感じたままそう口にした。ここにいるのは自分と親友の彼だけで、気を張る必要がないから、強い男の子のようにあろうという普段の意識が外れて、自然と本来の柔らかな口調になっていた。
それは嘘偽りのない本心からの褒め言葉だ。それを知っているノエルは、先頭を歩きながら少し照れたように尻尾を数回振って、いつもは凛々しい眼差しを和らげた。
『別に凄くはないさ。それを言うんだったら、ラビもそうなんだぜ? 耐性がないと、普通の人間はここに居続けられない。視界は霞むし、記憶が曖昧になって、最後は意識が飛ぶ』
「酸素が足りなくなるってこと?」
『いや、そういう意味じゃないんだが……まぁ確かに昔、洞窟の話を聞かせた時にそうは教えたけどさ……――まっいいか』
話しながら後ろに顔を向けたノエルは、幼い頃から変わらないラビの大きな金色の瞳に、まるで冒険みたいだね、というキラキラとした輝きを見て説明を諦めた。
しばらくすると、数人の人間が円陣を組めそうな、円形状の行き止まりに到着した。正面にある壁には、落書きのような記号らしき物が彫られていて、ノエルと共にその前に立ったラビは「なんだろう?」と小首を傾げた。
「ここで行き止まりみたいだけど、もしかして何か秘密の通路を開くために必要な、暗号だったりするのかな」
『あながち間違いじゃねぇな。これも術の一つだ、言葉で発動する仕組みになってる』
とはいえ、と、ノエルは途端に乗り気でなくなった様子で、どうしたもんかなと首を傾げた。
『これは特定の妖獣を出入りさせるための『扉』だ。宝物庫(ほうもつこ)や書物庫なんかで、それを管理させる程度の小さな妖獣用だから『砂の亡霊が守るほどの宝』の在り処に繋がる可能性については、期待出来ねぇし……このスペースの広さからすると、恐らく一部の金銭的な価値がある物を、保管していた倉庫の一つだったんだろう』
そう推測を口にして、彼が狭いこの場をざっと見やる。
ラビは言われた内容を、頭の中で反芻した。それから、ようやく理解したという顔を彼に向けて確認した。
「つまり、ノエルみたいに他の人には見えない、お喋りが出来る妖獣がこの向こうにいるの?」
『岩の向こうというか、妖獣世界の特定の箇所に繋げられている状態というか――あぁ、うん、分からないって顔だな。簡単に言えば、その妖獣が暮らしている家の玄関を、ノック出来るようになってんだ』
そして、呼び出されたら、人間世界への一時的な出入りを許される。
思い返すように呟いたノエルが、ふっと冷静な表情に感情を戻して『なんだか嫌な予感がするんだよなぁ』と、不安そうに視線を返してきた。ラビは、どうして彼が期待外れだと言い、そのうえ困ったような表情をしているのか分からなかった。
「ずっとここを出入りしていた妖獣なら、少しは何か知っているかもしれないよ?」
『うん、お前ならそう言うと思ったんだよ』
先にも言ったが、情報を持っている事は期待出来なくてだな、とノエルは説いた。相手の妖獣が、どんな種族なのかについても嫌な予感が込み上げるのだが、そちらの直感については気のせいであって欲しい、と、つい本音をこぼしつつ続ける。
『いいか、ラビ、特定の役目を与えられる小物の妖獣ってのは、大抵は人間みたいな好奇心は持ち合わせていない奴が多いんだ。ここがどこで、他にどんな秘密が隠されているか、なんていうのは連中にとって重要じゃなくて、一つの役目だけを当然みたいにこなすパターンがほとんどだから、自分の役目に関係ない事は求めな――』
「お話をしない子が多いってこと?」
昔から動物に好かれる体質だったラビは、自身のこれまでの経験が、一般の獣師にはないものだと疑問に思わないまま、よく分からなくてそう尋ねた。
話しを遮られたノエルが、思わず一瞬沈黙して『『お話し』……』と、彼女の素直で愛らしい口調を口の中で反芻する。そして数秒ほど、場は完全に静まり返っていた。
地面に目を落として、じっと黙り込んでいる彼が不思議になって、ラビは、「どうしたの?」と声をかけた。
伏せていた耳を先に上げて、ノエルがゆっくりとぎこちなく顔を上げた。なんだか引き攣った愛想笑いを浮かべてきたので、よく分からないけれど「ん?」とにっこり笑い返してみたら、何故か途端に、彼が顔を前足で押さえてしまった。
『…………チクショー愛らし過ぎて反対出来ねぇ。なんて十七歳にもなって、チビだった時と何一つ変わらないんだ? ずっと面倒を見ていた『ウチの子』が一番可愛い、って言う親の気持ちが、今ならよく分かる気がする……』
多分これ親心なのか、と震える声で呟きを落とす。
ノエルが『ぐぅ』と呻いて、『わけ分かんねぇくらい俺が弱くなってる』と、口の中でぶつぶつ続けた。ラビは、それくらいしか聞き取れなかったから「前半なんて言ったの、ノエル?」と、きょとんとして小首を傾げていた。
『ラビ。なぁ『小さなラビ』』
しばしの間を置いて、こちらを見たわけでもないのにノエルがそう呼んだ。
「なに? というか、顔を伏せてどうしちゃったの」
『頼むから、セドリック達がいないからって、あんまり緊張感ゆるっゆるで小首傾げるのもやめてくれ……』
「何言ってんの、ノエル。オレ、気を引き締めてここに立ってるよ」
セドリック達とは離れてしまったけれど、心強くて大好きな親友と一緒なので強い緊張や不安はない。知らない土地で初めての遺跡だ、ノエルとこうして歩いている事にわくわくしている気持ちもある。
しかし、こうして歩いている地下の探索も、第三騎士団の専属獣師として調査に来ている、という意識は、常に持って行動しているつもりだった。
『仕方ねぇ。分かったよ、その妖獣にまずは話を聞いてみよう』
顔を押さえていたノエルが、深い溜息を吐いて、ようやく前足を下ろして顔を上げた。壁に向き直ると、そこに刻まれた記号を目で辿り、こちらを振り返った。
『これは、人間だったら誰でも反応するタイプのものだ。ノックを五回して、ここに書かれている名前を復唱すれば、発動する術になっている』
「これって文字なんだね。なんて書かれているの?」
『トーニャリンドン・タイガベルツリー』
間髪入れず、ノエルが真面目な顔でキッパリそう言ってきた。
ラビは、教えられたその言葉を聞いて、数秒ほど固まってしまっていた。どうにか頭の中で、その名前を繰り返して記憶に叩きこむ。
「……あのさ、ノエル? なんか聞き慣れない名前というか、発音の組み合わせが変というか、どっちも長いような気がするんだけど」
『そうか? 正式名の一部分だから、短い方だが。まぁこっちで付けられる名前とは、少々事情が違って、そのまま呼ぶ事もないからな。呼び名として使うなら『トーリ』になる』
どこでどうやったら、トーリ、というあっさりとした名前に短縮されるのだろうか。
ラビは、法則性がちょっと分からないな、とは思った。けれど頭に入れた呪文みたいな名前が消えてしまわないうちに、暗号のような記号が刻まれた壁へと向き直って、そこを五回ノックして口を開いた。
「トーニャリンドン・タイガベルツリー」
初めて声に出してみたその奇妙な名前は、不思議と馴染むようにして、すらすらと口から出てくれた。
すると、記号のようなものが彫られた壁が、まるで鼓動するように強弱を付けて青白く光り始めた。びっくりして手を離したら、ノエルが隣から『心配すんな』と吐息混じりに言った。
『向こうから、反応が返ってきているだけだ。人間でいうところの、玄関をノックしたら鍵が外れて、その後に扉を開けて当人が出てくる、ってやつだな』
「そうなんだ……、なら『出てくるから待ってて』みたいな解釈でいいのかな?」
実際に扉が目の前にあるわけではないから、ラビはどうにか考えてそう想像し、そこから小さな動物らしき何者かが現われるのを待った。
43
あなたにおすすめの小説
冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎
王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。
……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。
追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。
無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」
騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
身代わり令嬢、恋した公爵に真実を伝えて去ろうとしたら、絡めとられる(ごめんなさぁぁぁぁい!あなたの本当の婚約者は、私の姉です)
柳葉うら
恋愛
(ごめんなさぁぁぁぁい!)
辺境伯令嬢のウィルマは心の中で土下座した。
結婚が嫌で家出した姉の身代わりをして、誰もが羨むような素敵な公爵様の婚約者として会ったのだが、公爵あまりにも良い人すぎて、申し訳なくて仕方がないのだ。
正直者で面食いな身代わり令嬢と、そんな令嬢のことが実は昔から好きだった策士なヒーローがドタバタとするお話です。
さくっと読んでいただけるかと思います。
【完結】死の4番隊隊長の花嫁候補に選ばれました~鈍感女は溺愛になかなか気付かない~
白井ライス
恋愛
時は血で血を洗う戦乱の世の中。
国の戦闘部隊“黒炎の龍”に入隊が叶わなかった主人公アイリーン・シュバイツァー。
幼馴染みで喧嘩仲間でもあったショーン・マクレイリーがかの有名な特効部隊でもある4番隊隊長に就任したことを知る。
いよいよ、隣国との戦争が間近に迫ったある日、アイリーンはショーンから決闘を申し込まれる。
これは脳筋女と恋に不器用な魔術師が結ばれるお話。
「偽聖女」と追放された令嬢は、冷酷な獣人王に溺愛されました~私を捨てた祖国が魔物で滅亡寸前?今更言われても、もう遅い
腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢フィーア・エメラインは、地味で効果が現れるのに時間がかかる「大地の浄化」の力を持っていたため、派手な治癒魔法を使う異母妹リシアンの嫉妬により、「偽聖女」として断罪され、魔物汚染が深刻な獣人族の国へ追放される。
絶望的な状況の中、フィーアは「冷酷な牙」と恐れられる最強の獣人王ガゼルと出会い、「国の安寧のために力を提供する」という愛のない契約結婚を結ぶ。
ただの新米騎士なのに、竜王陛下から妃として所望されています
柳葉うら
恋愛
北の砦で新米騎士をしているウェンディの相棒は美しい雄の黒竜のオブシディアン。
領主のアデルバートから譲り受けたその竜はウェンディを主人として認めておらず、背中に乗せてくれない。
しかしある日、砦に現れた刺客からオブシディアンを守ったウェンディは、武器に使われていた毒で生死を彷徨う。
幸にも目覚めたウェンディの前に現れたのは――竜王を名乗る美丈夫だった。
「命をかけ、勇気を振り絞って助けてくれたあなたを妃として迎える」
「お、畏れ多いので結構です!」
「それではあなたの忠実なしもべとして仕えよう」
「もっと重い提案がきた?!」
果たしてウェンディは竜王の求婚を断れるだろうか(※断れません。溺愛されて押されます)。
さくっとお読みいただけますと嬉しいです。
【完結】家族に愛されなかった辺境伯の娘は、敵国の堅物公爵閣下に攫われ真実の愛を知る
水月音子
恋愛
辺境を守るティフマ城の城主の娘であるマリアーナは、戦の代償として隣国の敵将アルベルトにその身を差し出した。
婚約者である第四王子と、父親である城主が犯した国境侵犯という罪を、自分の命でもって償うためだ。
だが――
「マリアーナ嬢を我が国に迎え入れ、現国王の甥である私、アルベルト・ルーベンソンの妻とする」
そう宣言されてマリアーナは隣国へと攫われる。
しかし、ルーベンソン公爵邸にて差し出された婚約契約書にある一文に疑念を覚える。
『婚約期間中あるいは婚姻後、子をもうけた場合、性別を問わず健康な子であれば、婚約もしくは結婚の継続の自由を委ねる』
さらには家庭教師から“精霊姫”の話を聞き、アルベルトの側近であるフランからも詳細を聞き出すと、自分の置かれた状況を理解する。
かつて自国が攫った“精霊姫”の血を継ぐマリアーナ。
そのマリアーナが子供を産めば、自分はもうこの国にとって必要ない存在のだ、と。
そうであれば、早く子を産んで身を引こう――。
そんなマリアーナの思いに気づかないアルベルトは、「婚約中に子を産み、自国へ戻りたい。結婚して公爵様の経歴に傷をつける必要はない」との彼女の言葉に激昂する。
アルベルトはアルベルトで、マリアーナの知らないところで実はずっと昔から、彼女を妻にすると決めていた。
ふたりは互いの立場からすれ違いつつも、少しずつ心を通わせていく。
【完】麗しの桃は攫われる〜狼獣人の番は甘い溺愛に翻弄される〜
こころ ゆい
恋愛
※完結しました!皆様のおかげです!ありがとうございました!
※既に完結しておりますが、番外編②加筆しました!(2025/10/17)
狼獣人、リードネストの番(つがい)として隣国から攫われてきたモモネリア。
突然知らない場所に連れてこられた彼女は、ある事情で生きる気力も失っていた。
だが、リードネストの献身的な愛が、傷付いたモモネリアを包み込み、徐々に二人は心を通わせていく。
そんなとき、二人で訪れた旅先で小さなドワーフ、ローネルに出会う。
共に行くことになったローネルだが、何か秘密があるようで?
自分に向けられる、獣人の深い愛情に翻弄される番を描いた、とろ甘溺愛ラブストーリー。
【完結】たれ耳うさぎの伯爵令嬢は、王宮魔術師様のお気に入り
楠結衣
恋愛
華やかな卒業パーティーのホール、一人ため息を飲み込むソフィア。
たれ耳うさぎ獣人であり、伯爵家令嬢のソフィアは、学園の噂に悩まされていた。
婚約者のアレックスは、聖女と呼ばれる美少女と婚約をするという。そんな中、見せつけるように、揃いの色のドレスを身につけた聖女がアレックスにエスコートされてやってくる。
しかし、ソフィアがアレックスに対して不満を言うことはなかった。
なぜなら、アレックスが聖女と結婚を誓う魔術を使っているのを偶然見てしまったから。
せめて、婚約破棄される瞬間は、アレックスのお気に入りだったたれ耳が、可愛く見えるように願うソフィア。
「ソフィーの耳は、ふわふわで気持ちいいね」
「ソフィーはどれだけ僕を夢中にさせたいのかな……」
かつて掛けられた甘い言葉の数々が、ソフィアの胸を締め付ける。
執着していたアレックスの真意とは?ソフィアの初恋の行方は?!
見た目に自信のない伯爵令嬢と、伯爵令嬢のたれ耳をこよなく愛する見た目は余裕のある大人、中身はちょっぴり変態な先生兼、王宮魔術師の溺愛ハッピーエンドストーリーです。
*全16話+番外編の予定です
*あまあです(ざまあはありません)
*2023.2.9ホットランキング4位 ありがとうございます♪
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる