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1部 精霊少女と老人 編
16話 エインワース宅の夕食
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さぁ呪われたモノの話をしよう。
その『始まり』にいたのは、信心深く聡明で美しい、十五歳になったばかりの一人の若い娘。
家族に愛され、神に愛され、そして教会の牧師に愛され、町の人々にも愛され……キレイなまま人々に愛されている自分でいたい一心で、娘は何もなかった事にしようとした。そして、――愛や信仰心を忘れて鬼となった。
※※※
田舎町であるルファの夜は早い。町の数少ない住人たちの就寝時間も早く、日が沈むのを合図に夕食が始まる。
順番に風呂で汗を流した後、メイベル達は食卓についていた。風呂上りの肌に、開けられた大窓や子窓から吹き込む風が涼しい。
「…………大鍋が食卓にドカンと置かれている食事風景とか、あるか?」
整髪剤を流した事で、前髪が下りているスティーブンが、タオルを肩からかけたまま呆気に取られたように言う。
四人用のテーブルには、ギッシリと夕食メニューが並んでいた。湯気を立てている鳥のスープ、マヨネーズに絡められててらてらと光り、人参の色合いも鮮やかさを引き立てるエンドウ豆のサラダ……メイベルとエインワースによって用意された種類は十を超える。
メイベルは、空になったスープ皿に、大鍋から再び大きな鳥肉がごろごろと入ったジャガイモのスープを入れていた。その呟きを耳にして、椅子に座り直してから怪訝そうな目を向けやった。
「おい、しっかり乾かせと言っただろう。客人用のベッドは整えたけどな、枕やシーツが濡れたらどうしてくれる」
「テメェも人の事を言えた義理かよ。精霊の癖に、なんで髪を濡らしてそこに座ってんだ」
日中ずっとローブをしていたメイベルは、日が沈んだ今、シャツと半ズボンという楽な格好をしていた。上着が大きすぎてズボンが隠れてしまい、スカートのようにも見える。
「つか、なんだそのデカ過ぎるシャツは?」
「仕方ないだろう。エインワースが長身すぎるんだ」
「おいいいいいッ、爺さんのシャツを我が物顔で着てんじゃねぇよ! 俺のと交換しろ!」
そう言いながら、彼がガタリと椅子を鳴らして半ば腰を上げる。
「お前、そこまでくると『爺さんっ子』を通り越して、気持ち悪いの感想一点だぞ」
メイベルは、心底残念そうな眼差しを向けて、そう言った。
「そもそもヤだよ。お前もエインワースと同じくらい背丈があるんだから、意味ないぞ」
「スティーヴの方が細身だから、サイズは若干小さいとは思うのだけれどねぇ」
その様子を見ていたエインワースが、微笑ましげにそう言った。スティーブンはテーブルに拳をあてて俯いており、「くそっ、俺も借りれば良かった……!」と、意地を張って本音を出せなかったのを悔んでいた。
客人が増えたとはいえ、相手はここで何度も長期宿泊までしていた『孫』である。それもあってエインワースも自然体で、夕食はいつもと変わらず進んでいった。
「メイベル、その卵を取ってくれるかい?」
「いいぞ。なら、ついでにそっちにある料理を回してくれ」
スティーブンは、普段からそうであるらしい夕食の光景を、不思議そうに眺めていた。たびたび手を止めてしまっているのに気付くたび、ゆっくりと動かして食事を再開する。
「なぁ、いつもこんな感じなのか?」
ふと、そう問い掛けられて、メイベルは口をもぎゅもぎゅさせながら彼を見た。エインワースがきょとんとして、愛想良く「そうだよ?」と答える。
「どうしたんだい、スティーヴ?」
「食事の量を除けば、俺が一緒に食べていた時とあんまり変わらないなぁって……?」
「身に染み付いた生活だ。唐突にガラリと変わったりはしないさ」
一人でもずっと健康的な生活だった。お前も知っているだろう、とエインワースは呑気な笑顔で言う。
スティーブンは、持ち前の眉間の皺もなく見つめ返していた。そういう力の抜けた表情をしていると、今の髪型もあってか二十代の前半くらいに見えるな、とメイベルは思っていた。
「爺さんは、何も変わらないんだな」
「ははは、そうだよ。何年過ぎようと、どのくらい長生きしようと、お前が昔から知っている私のままだよ。だから、ゆっくり休みたくなったら、あの頃と同じように『ココ』へ帰ってこればいい。私はいつだって歓迎するよ」
そう言われて、少しだけ恥ずかしさが込み上げたらしい。スティーブンが顔を伏せ、「うん」とだけ答えていた。
メイベルは以前、子供は子供。孫は孫。年齢を重ねても自分にとってはそのままなのだ、とエインワースが口にしていた事を思い出した。ぷりっとした肉包み料理を口に運びながら、「なるほどなぁ」と呟いた。
「――……なぁ、爺さん。なんで【精霊に呪われしモノ】を嫁に迎え入れたんだ」
食事を終えて、片付けられた食卓の上に珈琲が出て少し経った頃、スティーブンが唐突にそう切り出した。食後の休憩時間が始まっても、彼は珈琲カップにも手を付けないまま、ずっと祖父の方を見ていた。
恐らくは、尋ねるタイミングを窺っていたのだろう。メイベルはそう推測しながら、今夜はエインワースが淹れてくれた食後の珈琲を口にする。
「俺が見た感じだと、なんだか夫婦というのも違和感があるというか……本当に結婚したのか?」
「結婚したよ。役所から正式に『知らせ』が届いていただろう? 戸籍一覧に、彼女の名前が載っていたはずだよ」
エインワースが、穏やかな微笑みを浮かべたまま答えた。
夜風が吹き込んでいるせいで、髪はほとんど乾いてしまっていた。目も向けず淡々と珈琲を飲んでいるメイベルを確認して、スティーブンが怒りを煽られたかのように表情から躊躇いを薄れさせ、テーブルを叩いて立ち上がった。
「爺さんも聞いた事があるだろう。【精霊に呪われしモノ】は、――こいつらは生きているモノを食うんだぞッ」
それを聞いている当のメイベルは、反論をしなかった。これといって興味もなさそうに珈琲カップを静かに置くと、珈琲のつまみにと出した菓子を口にする。
エインワースは、ただひたすら慈愛の眼差しで孫を見つめていた。反応がないと見て取ったスティーブンが、「精霊の魔法でどうにかされちまったのかよッ」と顔を赤らめる。
「あんただって、こいつに毎日少しずつ寿命を食われて――」
「スティーヴ」
荒々しい怒声を、エインワースの穏やかな深い声色が遮った。
それは日中に『手伝ってくれるかい?』と言って愛称を呼んだ時と同じで、スティーブンがぐっと言葉を詰まらせる。
「彼女は私の妻で、家族だ。それ以外の何者でもないのだよ」
優しく諭すような声だった。だから信じて、とも、何もされていないという回答もしないまま、ただエインワースは「彼女は、私の家族なんだよ」と心を込めて言う。
意味が分からない。スティーブンが、ギリっと奥歯を噛み締めた隙間から、そんな低い声をこぼして拳を作った。
「あんたは……、あんたは何も分かってない。こいつらは危険なんだ、見えない部分の命を削り取るから本人だって気付かない。それを、されていないと言えるのか……?」
そう言ったかと思うと、スティーブンが外に飛び出していった。肩に掛けていたタオルが外れて、玄関先にふわりと落ちる。
エインワースが、少しだけ困ったような微笑を浮かべた。
「随分な嫌われようだねぇ。『何もされていないよ』と言えば良かったのかな」
「言ったところで信用されない。私を嫌わない人間はいないからな、それくらい慣れてる」
メイベルはそう言うと、仕方ないと立ち上がった。開かれた玄関から夜の光景を目に留めていたエインワースが、「おや」と目を向ける。
「どこへ行くんだい?」
「決まってる、あの馬鹿孫を迎えに行ってくる。エインワースに『任された』からな、しっかり頼まれた事はこなしてやる。だから、お前はそこで安心して待ってろ」
何せお前よりは長く生きてるからな、と呟いて、メイベルは片手を振って玄関に向かう。
「それは頼もしいね。どうか、お願いするよ」
エインワースは、膝の上に置いていた手の強張りを解くと、急には動かせない足を申し訳なさそうに撫で擦りながら「すまないねぇ、ありがとう」と口にした。
「私はとても臆病な人間だからね。君がいなかったのなら、動けなかったと思うんだ」
「エインワース。あんたは私がいなくとも、きっと方法を考えて動いただろうさ」
玄関先で一度立ち止まり、メイベルは「じゃあな」と言って外に出た。
「孫をよろしく頼むよ――いってらっしゃい、メイベル」
そう言って、エインワースは笑顔で彼女を見送った。
その『始まり』にいたのは、信心深く聡明で美しい、十五歳になったばかりの一人の若い娘。
家族に愛され、神に愛され、そして教会の牧師に愛され、町の人々にも愛され……キレイなまま人々に愛されている自分でいたい一心で、娘は何もなかった事にしようとした。そして、――愛や信仰心を忘れて鬼となった。
※※※
田舎町であるルファの夜は早い。町の数少ない住人たちの就寝時間も早く、日が沈むのを合図に夕食が始まる。
順番に風呂で汗を流した後、メイベル達は食卓についていた。風呂上りの肌に、開けられた大窓や子窓から吹き込む風が涼しい。
「…………大鍋が食卓にドカンと置かれている食事風景とか、あるか?」
整髪剤を流した事で、前髪が下りているスティーブンが、タオルを肩からかけたまま呆気に取られたように言う。
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メイベルは、空になったスープ皿に、大鍋から再び大きな鳥肉がごろごろと入ったジャガイモのスープを入れていた。その呟きを耳にして、椅子に座り直してから怪訝そうな目を向けやった。
「おい、しっかり乾かせと言っただろう。客人用のベッドは整えたけどな、枕やシーツが濡れたらどうしてくれる」
「テメェも人の事を言えた義理かよ。精霊の癖に、なんで髪を濡らしてそこに座ってんだ」
日中ずっとローブをしていたメイベルは、日が沈んだ今、シャツと半ズボンという楽な格好をしていた。上着が大きすぎてズボンが隠れてしまい、スカートのようにも見える。
「つか、なんだそのデカ過ぎるシャツは?」
「仕方ないだろう。エインワースが長身すぎるんだ」
「おいいいいいッ、爺さんのシャツを我が物顔で着てんじゃねぇよ! 俺のと交換しろ!」
そう言いながら、彼がガタリと椅子を鳴らして半ば腰を上げる。
「お前、そこまでくると『爺さんっ子』を通り越して、気持ち悪いの感想一点だぞ」
メイベルは、心底残念そうな眼差しを向けて、そう言った。
「そもそもヤだよ。お前もエインワースと同じくらい背丈があるんだから、意味ないぞ」
「スティーヴの方が細身だから、サイズは若干小さいとは思うのだけれどねぇ」
その様子を見ていたエインワースが、微笑ましげにそう言った。スティーブンはテーブルに拳をあてて俯いており、「くそっ、俺も借りれば良かった……!」と、意地を張って本音を出せなかったのを悔んでいた。
客人が増えたとはいえ、相手はここで何度も長期宿泊までしていた『孫』である。それもあってエインワースも自然体で、夕食はいつもと変わらず進んでいった。
「メイベル、その卵を取ってくれるかい?」
「いいぞ。なら、ついでにそっちにある料理を回してくれ」
スティーブンは、普段からそうであるらしい夕食の光景を、不思議そうに眺めていた。たびたび手を止めてしまっているのに気付くたび、ゆっくりと動かして食事を再開する。
「なぁ、いつもこんな感じなのか?」
ふと、そう問い掛けられて、メイベルは口をもぎゅもぎゅさせながら彼を見た。エインワースがきょとんとして、愛想良く「そうだよ?」と答える。
「どうしたんだい、スティーヴ?」
「食事の量を除けば、俺が一緒に食べていた時とあんまり変わらないなぁって……?」
「身に染み付いた生活だ。唐突にガラリと変わったりはしないさ」
一人でもずっと健康的な生活だった。お前も知っているだろう、とエインワースは呑気な笑顔で言う。
スティーブンは、持ち前の眉間の皺もなく見つめ返していた。そういう力の抜けた表情をしていると、今の髪型もあってか二十代の前半くらいに見えるな、とメイベルは思っていた。
「爺さんは、何も変わらないんだな」
「ははは、そうだよ。何年過ぎようと、どのくらい長生きしようと、お前が昔から知っている私のままだよ。だから、ゆっくり休みたくなったら、あの頃と同じように『ココ』へ帰ってこればいい。私はいつだって歓迎するよ」
そう言われて、少しだけ恥ずかしさが込み上げたらしい。スティーブンが顔を伏せ、「うん」とだけ答えていた。
メイベルは以前、子供は子供。孫は孫。年齢を重ねても自分にとってはそのままなのだ、とエインワースが口にしていた事を思い出した。ぷりっとした肉包み料理を口に運びながら、「なるほどなぁ」と呟いた。
「――……なぁ、爺さん。なんで【精霊に呪われしモノ】を嫁に迎え入れたんだ」
食事を終えて、片付けられた食卓の上に珈琲が出て少し経った頃、スティーブンが唐突にそう切り出した。食後の休憩時間が始まっても、彼は珈琲カップにも手を付けないまま、ずっと祖父の方を見ていた。
恐らくは、尋ねるタイミングを窺っていたのだろう。メイベルはそう推測しながら、今夜はエインワースが淹れてくれた食後の珈琲を口にする。
「俺が見た感じだと、なんだか夫婦というのも違和感があるというか……本当に結婚したのか?」
「結婚したよ。役所から正式に『知らせ』が届いていただろう? 戸籍一覧に、彼女の名前が載っていたはずだよ」
エインワースが、穏やかな微笑みを浮かべたまま答えた。
夜風が吹き込んでいるせいで、髪はほとんど乾いてしまっていた。目も向けず淡々と珈琲を飲んでいるメイベルを確認して、スティーブンが怒りを煽られたかのように表情から躊躇いを薄れさせ、テーブルを叩いて立ち上がった。
「爺さんも聞いた事があるだろう。【精霊に呪われしモノ】は、――こいつらは生きているモノを食うんだぞッ」
それを聞いている当のメイベルは、反論をしなかった。これといって興味もなさそうに珈琲カップを静かに置くと、珈琲のつまみにと出した菓子を口にする。
エインワースは、ただひたすら慈愛の眼差しで孫を見つめていた。反応がないと見て取ったスティーブンが、「精霊の魔法でどうにかされちまったのかよッ」と顔を赤らめる。
「あんただって、こいつに毎日少しずつ寿命を食われて――」
「スティーヴ」
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優しく諭すような声だった。だから信じて、とも、何もされていないという回答もしないまま、ただエインワースは「彼女は、私の家族なんだよ」と心を込めて言う。
意味が分からない。スティーブンが、ギリっと奥歯を噛み締めた隙間から、そんな低い声をこぼして拳を作った。
「あんたは……、あんたは何も分かってない。こいつらは危険なんだ、見えない部分の命を削り取るから本人だって気付かない。それを、されていないと言えるのか……?」
そう言ったかと思うと、スティーブンが外に飛び出していった。肩に掛けていたタオルが外れて、玄関先にふわりと落ちる。
エインワースが、少しだけ困ったような微笑を浮かべた。
「随分な嫌われようだねぇ。『何もされていないよ』と言えば良かったのかな」
「言ったところで信用されない。私を嫌わない人間はいないからな、それくらい慣れてる」
メイベルはそう言うと、仕方ないと立ち上がった。開かれた玄関から夜の光景を目に留めていたエインワースが、「おや」と目を向ける。
「どこへ行くんだい?」
「決まってる、あの馬鹿孫を迎えに行ってくる。エインワースに『任された』からな、しっかり頼まれた事はこなしてやる。だから、お前はそこで安心して待ってろ」
何せお前よりは長く生きてるからな、と呟いて、メイベルは片手を振って玄関に向かう。
「それは頼もしいね。どうか、お願いするよ」
エインワースは、膝の上に置いていた手の強張りを解くと、急には動かせない足を申し訳なさそうに撫で擦りながら「すまないねぇ、ありがとう」と口にした。
「私はとても臆病な人間だからね。君がいなかったのなら、動けなかったと思うんだ」
「エインワース。あんたは私がいなくとも、きっと方法を考えて動いただろうさ」
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