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北の大陸蹂躙

もういないはずの魔王の呪縛

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 ライトの影移動は転移とほぼ変わることはないが、言ってみれば転移の下位互換であり、一瞬でたどり着くようなものではない。
 影の世界に入り、転移先へと移動するという単純な出入りのタイムラグが発生してしまう。
 さらに言えば、出口には必ず影がないと這い出ることはできない制限まである。
 ただ、影の世界に留まることもできるので、そこは転移にはないメリットだ。

「よし、ここだな……」

 出口を見定めてライトが影から出れば、そこは坑道の途中だった。

「え? 確かに神樹の下へ出たつもりだったんだが……いや、今は考える時間なんてない。もう一度だ!」

 再び影の世界へと入り、神樹の下へと続く出口から這い出る。
 しかし、そこはまた神樹の下ではなかった。
 またしても坑道の途中へと出口は繋がっていた。

「おかしい……二度もこんなことが起きたのなら、三度目もあるだろう……仕方ない」

 闇雲に影移動をしても、また同じ結果となる可能性はとても大きかった。
 しかし、都合のいいことに、ここは神樹の部屋からそう遠くはない場所に出たようだったので、ライトはこのまま坑道を駆け抜けることにしたようだ。

「待ってろ……絶対に死なせはしない!」

 黄金の果実を食べたライトにとって、坑道にある罠なんてものはあってないようなものだった。
 食べる前でも無傷でたどり着けるほどの実力をを持っていたのだが、今では全力疾走をしながら罠を回避することができるまでに成長していた。

 疾風の如く常人離れした速さで真っ暗な坑道を駆け抜け、ライトは数分で神樹の下までたどり着いてしまった。

「クっ……火の回りが早い……水牢! リッカー!! どこだ! 返事をしてくれ!!」

 神樹はとうとう倒れながらその身を燃やしていた。
 ライトは大声でリッカに声をかけながら部屋の中へと入って行くも、索敵スキルに魔王の仲間が引っかからない事実を認識していた。
 しかし、この索敵スキルを回避することが可能かもしれないという、か細い望みを捨て切ることはできない。
 だが、そんな望みとは裏腹に、燃え盛る部屋の温度は生き物が耐えられる限界を超え、煙も排出されることなく充満していた。
 その脅威はライトも例外ではなく、水牢の術を使って水球の中に入っていなければ数秒で意識を刈り取られることだろう。

「クソ……せっかく魔王を倒したっていうのに……なんで死にたがるんだよ!! リッカ!」

 嘆きのように叫んでみてもなにも反応はない。
 もし生きていたとしても、大声を上げるような体力は残されてはいないだろう。
 なぜなら、最後の力を奪ったのはライトであり、倒れこむリッカをしっかりとその目で確認してしまったのだから。
 神樹が倒れたちょうど下あたりにリッカは横たわっていたはずだ。
 この状況で生きているという可能性はほとんどない。
 索敵に引っかからない理由なんて、もう死んでいるからというのが一番の理由だろうことは明らかだった。

「……馬鹿野郎」

 ライトは室内を飛び回り、粗方周囲を確認し終えたら、神樹の前で膝をついた。
 その寂しげな姿は、リッカを救えなかった遣る瀬ない思いを抱いていることだろう。
 せっかく魔王を倒したというのに、ライトに残されたものは英雄としての偉業だけ。
 自画自賛することしかできない偉業になんの価値があるのだろうか?
 誰かに喜ばれてこそ、偉業とはその真価を発揮するものなのだ。

 仕方なくライトは影移動をしてもう一つのやらなければならないことを片付けに行くことにした。
 それは、街でぶつかったってしまった女性への償いだ。
 もしかしたら、こちらも、もう遅いかもしれないが、それでもライトは加害者としての責務を果たさなければならず、そのまま放っておくことはできない。
 魔王を倒すことに全振りしたステータスには回復系の技はない。
 魔王は倒せても、誰かを癒すことはできない。
 しかし、それでも、過ちは受け入らなければならないし、それが真っ当な生き方なのだ。

 ライトは影移動で転んだ女性の下まで向かった。

 懸念していた影移動の不具合もなく、帰りはすんなり思い描いていた出口へと辿りついた。

 そして、影から這い出たライトが見たもの。
 それは、まだ立てないでいた女性の目の前に、大きなガーゴイルが立ち塞がっている光景だった。

 少しづつ狂わされたライトの運命は、この出来事で大きく変貌しようとしていた。


 英雄として輝かしい未来が待っているはずだった。


 魔王を倒した男の末路。


 鬼族の誇りとやらに固執した愚者を嘲笑うかのように、耳元で囁かれるのは魔王のあの笑い声。


 ただの幻でしかない精神の異常をきたすほどの出来事。


 それをまた、ライトは自らの手で犯してしまう。


「いやぁーーーー!」


 ガーゴイルの首を切り落とし、女性へと手を差し伸べると、女性は倒れたガーゴイルを見て悲鳴をあげた。

「もう大丈夫です。この魔物は死んでいます。危ないところでしたね」

 パニックになった女性を悟すように、優しい口調で安全だということを示したライト。

 しかし、女性の目に映る畏怖の対象はライトだった。

 震える目が涙を流してライトを見上げている。

「助けて……お願い……します」

 その目は明らかにライトへと向けられ、自分を殺さないで欲しいと懇願している目だった。
 今この女性になにをしたところで勘違いを増長するだけだろう。
 ライトは苦々しい表情を浮かべると、差し伸べた手を引いてなにも言わずに後ろへと下がった。

 ライトが下ると、女性は立ち上がれない足を這いずって、手だけで一目散に動き始めた。
 そんなにまでして逃げたくなるほど怖かったのかとライトは目を逸らす。

 しかし、ライトの耳に入ってきた声は、女性の泣きはらした声だった。

「ガーゴイルさん! ガーゴイルさん! ごめんなさい! 私のせいで……あぁ……」

 その声の方へ目を向ければ、女性は首のないガーゴイルに覆いかぶさっていた。
 死んでしまったガーゴイルを憂いて泣いている。


 その様子を見た途端、ライト瞳孔は大きく開いた。


 ……どこかで見たような光景。


 ……そう、これは、魔王が見せた魔物と人間が戦いを始めたころの記憶。


 ……首を落とされたガーゴイルを憂いて、村の男が泣き叫んでいる光景と同じだった。


「嘘だ……そんなこと……」

 その光景を見て、ライトは怯えて後ずさる。
 周りを見ると、女性と首が落ちたガーゴイルしかいない。
 幸いなことに、この光景を目撃しているものはいなかった。

 この女性とガーゴイルを消せば、なにごともなく世界は回り始める。
 自分の罪を消せる絶好の好機だった。
 ライトはそんなことができる力があり、そして、なおかつ、魔王を倒した英雄でもある。

 この出来事を帳消しにしなければ、自分が築いた偉業に傷がついてしまう。
 あれほどのことを成し遂げた男の末路がこんなことではいけない。
 そんなことがあってはならないのだ。

 ライトは女性とガーゴイルに向けて影を伸ばした。

「影の中に……閉じ込めてしまえば……」

 影は二人の下で大きく広がり、あとは引き込むだけ。
 ライトが念じれば、すぐにでも事は収まり、なにごとも起きなかった世界に改変することができる。

 あとは念じるだけ。

 しかし、フラッシュバックのようにライトの脳裏を駆け巡ったのは、魔物と仲良くしていた村の男を処刑した国と、その国に屈した村が蹂躙される光景。

 この影の中に二人を引き込めば、あの光景と同じ運命を辿るような気がした。

 尋常じゃない動悸と発汗がライトを襲う。
 二、三秒で終わるはずのことがいつまで経っても行動に移せない。

 魔王はもういない。

 ライトの行いを咎める者はもういないのだ。

 それに、ライトに逆らえる力を持つ者もこの世に存在しない。

 なにをやっても許されるだけの力を手に入れた。

 なにを迷う必要があるのか?

 孤児と虐げられ、魔王に弄ばれ、鬼族の屈辱を胸に抱き生きてきた人生に、やっと訪れた好機だった。


 しかし、ライトがした選択は……


 自分の過ちを受け入れることだった。


 ライトは伸ばしていた影を戻し、その場に崩れ落ちる。

 過ちに過ちを重ねる行為を是とできない自分の弱さに涙を流した。

 魔王を倒した男の末路がこんな結末で終わることに憤りを感じた。


 なにも救えなかった。


 リッカも。


 鬼族の誇りも。


 足を怪我しただけの女性ですらも救えない。



 そこには、自分の無力さを痛感したちっぽけな英雄が、大通りの真ん中で泣き崩れていた。


















 ——記憶に反映させますか?


 ——はい。


 ***
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