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一話 『山の上の、女子高生』
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「……ふぅっ」
我が家の前。
自転車を止めて、ペットボトルの緑茶の最後の一口を飲み干す。
スマホの時計を見た。学校を出たのが12時ちょうどくらいで……今が51分。
「ついに一時間を切ってきたか……」
嬉しいような、悲しいような。
着々と成長を遂げる自分の体力。
私は薄笑いを浮かべながらスマホの画面を消してバッグにしまった。
額の汗をハンカチで拭いながら、私は少し上を見上げた。
自分の少し前方にある電信柱。その上にある看板は少し古ぼけた電飾の看板。黒い文字で、こう書いてあった。
『 民宿 ヤマガミ 』
幼い頃から見慣れているこの看板を、何故か今日は見つめている。
進級をしたからだろうか。自分の将来のコトが頭を過っているからだろうか。
……私は、どんな感情でこの看板を見つめているのだろうか。
でも、今は……。
我が家に帰ってきた少しの安堵感が、私を包んでいた。
「ただいま」
私は自転車を押しながら、我が家……民宿ヤマガミの庭の中に、入っていった。
――
我が家は、大きく三つに分かれている。
まず一つは民宿としての大本、私達家族が『本館』と呼ぶ大きな家。
養蚕業をしていた私の御先祖様の家を改装してできた民宿。
そして一つ、『新館』と呼んでいる施設。別に新しいワケでもないのだが、私達はそう呼んでいる。
本館だけで収まりきらないお客さんを泊めるために建てた二階建ての家だ。
最後に一つ。私達家族が住む、『家』。
ここにはお客さんは泊めない。完全に私達が住むための、家。
私は帰宅したらまず、『本館』へ行く。
本館の入り口は二つ。お客さんをお迎えするための玄関と、私達が出入りする調理場への入り口がある。
私は調理場の方の入り口へと歩んでいき、引き戸を開けた。
「ただいま」
「お。おかえり柚子。新しいクラスどうだった?」
広い調理場。
スチール製の大きなテーブルが中央に大きく構え、その横には大量のコンロや大型の魚焼き器が並ぶ。
私の母……山賀美 愛純は、その大きなスチールテーブルに宿帳を広げ、何やら書き物をしていた。
私が帰ってきて、最初に此処を訪れる理由。それは母が我が家にいるコトよりこの調理場にいる事が多いのが理由だ。
まず、ただいまを言いたい相手。それが母親だから。
「んー、別に。特に変わりなしかな。葵とちょっと話して帰ってきただけ」
「なんだ。ついでに遊んで来ればよかったのに、葵ちゃんと」
「葵はそのまま部活行っちゃったよ。新学期から忙しいみたい」
「あー、吹奏楽部だっけ?忙しそうだねー」
母は、私の親友の葵のコトをよく知っている。娘に親友がいるコトは、母にも嬉しいコトらしい。葵の話をする時の母の表情は、いつも笑っていた。
しかし、私はそんな母に笑いながらも釘をさしておく。
「忙しいのはウチも一緒でしょ。今日から『職人さん』7人だっけ?部屋準備しておこうか?」
「いや、それより夕飯の買い出しお願い。今日は鰤の照り焼きでもしようと思ってるから、買ってきてくれるかな」
「ん。じゃあこのまま行ってくるね。あとは?」
「あとはウチの野菜と山菜で作ろうと思ってるけど……あー。みりんと醤油が切れそうだった。悪いけどそれもお願い」
「えー……。一気に荷物重くなるじゃん……」
「あはは、ごめんねー。でもよろしくね柚子ちゃん♪」
「おにー」
私は笑いながら、母親から何枚かの紙幣を受け取った。
はぁ、と溜息をついて、笑顔で手を振る母に「いってきます」と言って調理場を後にした。
「……もうひと踏ん張り、か」
せっかくただいまを言ったのに、今度は買い出し。しまった自転車をもう一度出してこなくては。
まあ……それも私の日常の一つだ。不満はあるけれど、慣れたものだった。
私は鞄を、『家』の方へ置きに行く。
私達、山賀美家の家は、本館や新館より少しだけ立地が上の場所にある。
この土地が山の中腹にあるからだろうか。生まれた時からこうだったから、疑問に思ったコトもなかった。
本館や新館とは違う、私達の家。民宿ではない、私の場所。勿論ではあるが、唯一の私の落ち着ける場所だ。
私は家に入り学校鞄だけ玄関に置いておくと、そのまますぐに買い物に出ていく。
こういうのは一度休むと面倒になるだけ……自転車を漕ぐスイッチが入っている今のうちに買い出しに出た方が楽なのだ。
「……さ、いってきますかね~」
行きに10分。帰りに30分。
……またもやいきはよいよい、かえりはこわいの山道の旅が始まるのだった。
私は自転車にまたがり、家の前から続く下り坂を下っていく。
今更だろうが、自己紹介の続き。
私、山賀美柚子は、『民宿』で生まれ育った。
山の中腹にある、南桑村という村に唯一ある、民宿『ヤマガミ』。
父と母、二人の妹、それから祖父母の、まあまあの大家族で暮らしながら民宿で生計をたてている、山賀美家の長女。高校三年生。
そんな私の、普通。
でも他の人から見ると、少しだけ普通と違う。
その日常の中のページを、切り取っていこうと思う。
何もない。
でもきっと毎日、何かがある。
そんな山の中の、小さな民宿のお話。
――
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