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特別章 女騎士さん、北へ 《フェリー旅行》
五日目(5)
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「……ふう」
食事も終わり、一度部屋に戻った一行。
それぞれの自由時間となったこの時間に、ルーティアは一人、大浴場の露天風呂に来ていた。
ノーヴォリーヴェでも指折りの広さを持つこのホテルの温泉は、館内だけで数十にも及ぶ。
単に温泉が多いというだけではなく、その泉質は『硫黄泉』『単純泉』『酸性鉄泉』など多岐に渡るのが、このホテル最大の売りだ。
オキトでは夏に差し掛かる季節は、フォッカウィドーでは春の景色に近い。
雄大な景色に新緑が芽生えていても、外はまだ寒さを残している。
露天風呂の湯気のカーテンから見え隠れするその美しい景色を見つめながら、ルーティアは肌を暖めながらぼんやりと考え事をしていた。
「…………」
何を考えているのだろう。それを、自分で考えるように。
「お、ルーちゃん。考えが一緒だったようだね」
そこへ来たのは、タオルで身体を隠したマリルだった。
「マリル」
「お隣、いいかしら?騎士サマ」
冗談を言ってからかうように歯を見せて笑いながら、マリルは足をゆっくりと温泉の中に入れた。
「くうう~……。冷えた身体に染み込むぅ~……!」
「ははは。アルコールを入れているんだから、長湯はするなよ」
「肝に銘じておきます。……あー、いい景色だねー」
タオルを頭の上に乗せた2人は、肩まで露天風呂に浸かりながらノーヴォリーヴェの豊かな自然の景色に見とれた。
薄暗さは、じきに暗闇に変わる。
露天風呂を仄かに照らす魔法ランタンの光が暖かく辺りを照らし、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
静けさの中に、湯の水音がチャポ、チャポと鳴る。
「……ああ、いい景色だ」
ルーティアも、マリルのその言葉に賛同する。
故郷、オキトから遠く離れた地の温泉。
機会がなければ、この場所に自分が訪れる事など一生のうちに無かったかもしれない。一期一会、という言葉の深みを改めて感じる。
……まして、露天風呂という存在すら知らなかった自分を、懐かしく思う。
ふとルーティアは、自分が初めて温泉に行った時の事を思い出してみようとしてみた。あれは確か…… いつの事だっただろうか。
「マリルと初めて会った時も、確か温泉に行ったのだったな」
ルーティアが思い出して口に出した記憶に、マリルはくす、と笑った。
「なに、ルーちゃん。どうしたのよ?」
「いや、自分がこうしてすんなりと露天風呂に入っているという事実が可笑しくてな。風呂がこんなにも気持ちが良くて、身体も気持ちも癒やしてくれるものだと知ったのも……ほんの少し前に知った事だと思い出した」
「あはは、ルーちゃん、仕事人間だったからね。出会った頃とは別人みたいになっているもん、今のルーちゃん」
……その言葉に、ルーティアは少し不安になる。
そして、マリルに質問した。
「今の私は……少し前の私より、弱くなっているのだろうか?」
「え?」
唐突なその質問に、マリルは驚く。
しかしその質問をしてきた理由が、彼女にはすぐに分かった。そしてまた、微笑む。
「ううん。ルーちゃん、前よりずっと強くて、かっこよくなってると思うよ」
「……そう、だろうか」
「うん。あはは、まあ、へっぽこ魔法使いの素人目線だけどさ。でも、本当にそう思う」
ルーティアはきっと、自分が変わっていく事が怖くなっているのだ。
その怖さは、自分に対してではない。自分がこんな風に、休みを楽しむような人間になってしまった事で、オキトの王国を守れる騎士として存在出来ているのだろうか。その不安なのだろう。マリルは、そう感じていた。
それは、フォッカウィドー出発前のリーシャの感情にも似ている。
自分が離れる事で、オキトが、騎士団が、マグナ達が危険に晒されないか。その不安のため、彼女は最初この地に来る事に躊躇いを見せていた。
騎士とは、強くならねばいけない。
その存在が、王国の存亡のためにあるがゆえ、なによりも強さが求められる。
ルーティアも、リーシャも……オキトの国の騎士達は皆、そうだろう。
オキト国王がルーティアに休日を楽しむようにマリルを差し向けたのは、娘を心配する父親の心境だったのだろう。
しかし、彼女の事を気遣い、彼女が休日を楽しむ事で騎士としてのルーティアが失われ、国の防衛が少しずつ崩れていってしまうのではないだろうか。
それはきっと、王国騎士団のエースがゆえの悩み。
……だけど。
「ルーちゃん、前より強いよ」
マリルは自信たっぷりにもう一度言った。
「どうしてそう思う?」
「今日の試合見ていて思ったんだ。フォッカウィドー国王との試合…… ルーちゃん、なにがなんでも勝ってやろう、って思ってああいう攻撃したでしょ?」
「……ああ」
ルーティアもマリルも、その時の国王の様子と表情を見て苦笑いをする。
「国を背負っての交流試合……。前のルーちゃんならきっと『騎士』として戦っていた。でもそれだときっと、国王に負けていたと思う。
でもルーちゃんは、『休む』事を知ったからこそ、ああいう事が出来たと思うよ」
「……」
ルーティアは、マリルの次の言葉を待つようにじっ、と彼女の目を見た。
「前のルーちゃんや、前のリッちゃんはきっと……強くなるために、強くなってたんだと思うんだ。あはは、上手く言葉に出来ないんだけどね。
でも今の2人はきっと、その先を見据えて強くなろうとしている。だから、前よりもずっと騎士としても、人間としても強くなってるんだよ」
「……その、先」
「ルーちゃん、国王と戦う時に言ってたじゃん。『休みがくるならば、私は明日に進む』って。きっと、あれが今のルーちゃんが強くなってきた証拠なんだと思う」
「……え。そんな事言っていたのか、私」
「え。ルーちゃん、あれ意識してなかったの?」
「全然覚えていない」
「あははは。だとしたらもう、その考え方が染み込んでるんだろうね。
つまりは、自分が王国を守るために強くなるだけじゃなくて、そこにプラスして『自分』を守ろうとするために強くなってきたんだよ。明日のために戦う……自分を大切にして、背負うものがあるからこそ、どうあっても生き延びようとする。
なんだって、そうなのかもね。勉強でも、仕事でも、家庭でも……自分をもっと大切にすれば、もっともっと、上手くいくようになるのかも」
「……」
マリルのその言葉は、温泉のようにルーティアの身体と心に染み込んだ。自分自身が、その言葉に納得が出来たからだろう。
戦いが、楽しい。それは、明日がくるのが、楽しみだから。だからこそ、頑張れる。思えば、とても単純な話なのかもしれない。
しかし、人は何故か、自分を休ませる事を罪のように感じてしまう事が時としてある。
本当は、休みたいのに。
だが、ルーティアは、休みを知ったからこそ、強くなれた。
以前のような、勝利に我武者羅に向かうような強さは、自分には無いだろう。
そこに代わるように、みんなを、そして自分を守ろうとする強さが生まれてきた。
その思いはきっと、勝利に向かう強さより、ずっとずっと、強い。過去の自分と勝負をしても、自分は負けないだろう。心からそう思えた。
「ありがとう、マリル」
「うん?どうしたのよ急に」
「オキト国王の命令とはいえ、私に付き合ってくれて。マリルがいたからこそ、私は強くなれた。師匠のようなものだ」
「え?……あ、あははは。やめてよー、アタシが騎士団のエースの師匠だなんて。ただの魔術団のへっぽこ魔法使いなんだから」
「でも、マリルのおかげで、ここまでこれた」
「……。て、照れるなぁ……。ルーちゃん、真顔でそういう事言うんだからなぁ……」
マリルは温泉に口元を隠して、ぶくぶくと泡を出す。
そして、自分も恥ずかしい言葉を言おうと、少し決心したような顔つきになってルーティアの方を向いた。
「……アタシこそ、ありがと、ルーちゃん。今まで、楽しかった」
「おいおい。それじゃあ、今日で関係が終わるみたいじゃないか」
「まさか。これからもずっとずっと、よろしくね。まだまだルーちゃんに紹介したい事、いっぱいあるんだから」
「そうなのか?私はもう休日の過ごし方は一通り学んだと思ったのだが」
「まさか。ルーちゃんはまだ休日の一割もマスターしていません。修行が足りんよ」
「むう。奥が深いものなのだな」
「そうよ。休日は、奥が深いんだから。リッちゃんと一緒に、まだまだ休んでいくわよー」
「ははは。よろしく頼む」
冷えた身体と心も暖まり、それを冷やそうとする夜風が心地よく吹く。
フォッカウィドーの星空に、2人の笑い声が上っていった。
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