『隣の宇宙人に恋して──銀河の片隅で愛を叫ぶ〜誰か助けてください〜』

キユサピ

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番外編:「誰かが見ている──静かな狂気と正直すぎる助手」

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第一幕 奇妙な視線



「……あの、私、どこかおかしいんでしょうか?」

そう言ってソファに座った依頼人は、どこか怯えた様子をしていた。木崎陽菜──二十八歳、都内の中堅広告代理店に勤める会社員。ストレートの長い黒髪を肩にかけた清楚な雰囲気の女性だった。だがその瞳には、数日眠れていない者特有の濁りがあった。

真木誠探偵事務所。時計の針は午前十時を指している。

「この二週間ほど、ずっと“誰かに見られてる”ような気がするんです。……家でも、会社でも、道を歩いていても。だけど、誰もいないんです」

「尾行されているとか、部屋に侵入された痕跡とかは?」

真木が尋ねると、木崎は力なく首を振った。

「それが……まったく証拠がないんです。ただ……些細な違和感が積み重なっていて」

彼女の話を聞きながら、真木の隣に座るユリカは黙ってメモを取っていた──ではなく、タイピングしていた。真木が導入したばかりのノートパソコンに、光るような速さで文字が入力されていく。内容を一切見ずに入力しているように見えるのは気のせいではない。

「例えば……どんな違和感ですか?」

「帰宅したらカーテンの位置が少し違っていたとか、鍵を閉めたはずのポストが空いていたとか……。部屋の空気が違う気がする日もあります」

「侵入の痕跡は?」

「……一切ないんです。逆にそれが、余計に気味が悪くて」

木崎がかすかに震えながら言った。ユリカは彼女をまっすぐに見つめて言う。

「“気のせい”で済ませるには、証言に一貫性がありすぎます」

「……え?」

「言葉の端々に“違和感”を感じたタイミングが正確に三日周期で発生している。これは心理的な不安ではなく、何らかの“意図された接触”が存在している可能性が高いと考えます」

真木は思わず肩をすくめた。

「……また出たな、法律辞典みたいなロジック」

ユリカは首をかしげる。

「私、辞典のようですか?」

「たとえ話だ。記憶力と分析力が異常なんだよ、君は。まあ、それが頼りになるんだけどな」

木崎が驚いたようにユリカを見つめた。

「すごい……まるでコンピューターみたい」

「実際、私の脳内処理速度はCore i9に近いです」

「……それもたとえ話だよ、ユリカ」

「失礼。慣れていなくて」

ユリカはぺこりと頭を下げた。その姿に木崎は微笑むが、すぐに表情を曇らせる。

「でも……証拠がないんです。本当に私の思い過ごしだったら、なんだか怖くて……」

真木は書類を手に取る。

「では、こちらで張り込み調査を行いましょう。盗聴器・盗撮の検査も含めて、自宅まわりを徹底的に洗います。会社の通勤ルートも確認する必要があるかもしれません」

「お願いします……本当に……本当に、もう限界で」

彼女の目には涙がにじんでいた。真木は静かにうなずく。

「安心してください。……あなたの背後に、何がいるのか。必ず突き止めます」

その言葉に、木崎陽菜は深く頭を下げた。

──だが、ユリカはその頭の角度と、涙を拭く指の動きに、わずかな“違和感”を感じ取っていた。

「……何かが、合わない」

それは、表情と感情のズレか、あるいは──それ以上の、何か。

彼女の脳内では、見たものすべてが“数字”となって流れていた。

第二幕 張り込みと違和感

「……本当に張り込むのか。しかも、二日間ぶっ通しで」

真木誠はカップ麺をすすりながら、マンションの向かいにあるコインパーキング内の軽バン車内で、ぼやくように言った。助手席では、ユリカが水しか口にせず、無言でノートパソコンを操作している。

対象は、木崎陽菜の住むマンション。5階建ての築浅物件、3階の一室。ベランダは裏手に面しており、道からは直接見えない。玄関側を見張っても大きな成果は出ないだろうが、ユリカの提案で、防犯カメラや周囲の環境を記録・解析する意味もあって「丸一日」の観察が必要と判断された。

「そろそろ交代で仮眠取れよ。俺が──」

「まだ大丈夫です」

「いや、君さ、寝てないよな……?」

「“眠る”という行為の目的は、情報処理と身体回復です。私は、前者については起きているほうが効率がいいんです」

「宇宙人かよ……」

「はい」

「冗談だよ」

真木が呆れ気味に笑うと、ユリカはきょとんとした顔をして、それからほんの少し微笑んだ。

「それでも、効率の良い冗談でした」

「なんだその返し……」

──そのとき。

ユリカがパソコン画面に表示された人物の画像を指差した。

「真木さん、彼です。昨日も深夜二時に現れた男性と服装・身長が一致。今夜も同じ時間帯に、同じ場所を通りました。しかも、木崎さんの部屋の前を三度往復しています」

真木が画面をのぞき込むと、確かに黒いパーカー姿の男が、マンションのエントランス前をうろついていた。

「顔は見えないな……だが動きは怪しい。木崎さんの部屋のインターフォンやポストには?」

「接触なしです。ただし、行動がパターン化されすぎている」

「どこに行く?」

「確認中ですが、近くのコンビニの裏手に消えました」

真木は車のドアをそっと開けた。

「……ユリカ、続きは任せる。俺が少し尾行する」

「気をつけてください」

「もちろん」

真木は夜の街へと溶けていった。

ユリカはひとり残され、静かにパソコンとカメラを操作しながら、ふと窓の外に視線をやった。

──そこで、一瞬だけ。

向かいのマンションの影に、何か“別の気配”があったように思えた。

「あれ……?」

瞬きひとつの間に、それは消えていた。

ユリカは警戒心を強めながら、すぐさま周辺映像を巻き戻して確認した──しかし、映像には何も映っていない。

「……私の錯覚?」

いや、違う。

宇宙人である自分の“感覚”が揺れたのは、気のせいではない。
それは、“視線”と“感情の歪み”がぶつかり合ったような瞬間だった。

──見られていた。
──見ているだけではない、何かが「こちらを見返していた」。

「真木さん……早く戻ってください」

ユリカは警戒を強めながら、いつもより速いタイピング音を響かせた。


第三幕 追跡と空白時間


夜の街は静かだったが、路地裏の空気はどこか淀んでいた。真木誠は、数メートル先を歩くフード姿の男を見失わないよう慎重に尾行していた。時折、男は立ち止まり、背後を確認するように周囲を見回すが、訓練を積んだ真木の動きには気づかない。

「……コースが不自然だな。わざと撒こうとしてる?」

男はまるで“尾行されていること”を前提に動いているかのような足取りだった。目的地があるというより、誰かを誘い出そうとしているようにも思える。真木の刑事時代の勘が、警鐘を鳴らしていた。

──そのとき。

「……ッ!」

突如、男が曲がった角を追いかけた真木の目の前に、誰もいなくなった。

「消えた……?」

いや、違う。あの足音は──屋根の上だ。

真木はとっさに背後の壁に身を寄せ、視線を上に向けた。
その瞬間、黒い影がビルの屋上から一閃、何かを投げた。

「っ、避け──!」

鋭く空を裂いたのは、重みのある金属製の何か。ギリギリでかわした真木の足元に、ガチャンと音を立てて落ちたのは、鉄の杭のようなものだった。

「本気でやり合う気かよ……!」

真木は素早く杭を拾い、ビルの横手にある非常階段を駆け上がった。屋上に出ると、黒い影はすでに次のビルへ飛び移ろうとしていた。

「待てッ!」

声を張ったが、影は真木の声に反応せず、跳躍して隣のビルに着地──と、同時に姿が掻き消えた。

「消えた……いや、これは……!」

真木が目を凝らすと、そこには“闇と同化”するように紛れる特殊な素材のコートを着た男の背中が、わずかに浮かび上がっていた。

次の瞬間、警報音が響いた。

──ユリカからの緊急通信。

「真木さん、戻ってください。何者かがこちらを偵察しています。対象は先ほどの人物とは別個体です。マンション裏手で、私の存在を“認識していた”可能性が高いです」

「くそ……こっちも襲撃まがいのことをされた。明らかに、木崎さんじゃない“何か”が混じってる」

真木は足元の杭を手に、全力でビルを駆け下りた。



数分後。張り込み車に戻ると、ユリカが無表情で迎えた。

「どうでした?」

「……逃げられた。ただ、奇妙なことがある」

真木はユリカに杭を見せた。

「これ、金属製で重い。市販品じゃない。軍用か、それに近い何かだ」

ユリカは杭を手に取り、重さを確認するように指先で撫でた。
一瞬、瞳が僅かに煌めく。

「……組成が違います。地球上の加工では難しい。少なくとも、21世紀の日本では製造できません」

「おい、まさか……」

「真木さん。これ、恐らく“宇宙技術由来の兵装”です」

車内に、静寂が走った。

「……なんでストーカー案件が、こんな話になるんだ」

真木は頭をかきながら、深く息を吐いた。
ユリカはなおも真剣な表情のまま、パソコンに向かう。

「……解析終了。問題の男性の顔が、一瞬だけ映像の反射に写っていました」

「誰だ?」

「“桐野貴志”。木崎陽菜さんの元恋人。昨年、交際終了後に一度ストーカー行為で接近禁止命令を受けています」

「だが、それだけじゃないな?」

ユリカは無言でうなずく。

「この“桐野”の行動には、23時から翌朝5時までの“空白時間”が存在します。GPSも停止、SNSや通信履歴もゼロ。人間の生活パターンとして、不自然すぎます」

「つまり……何かに接触してる?」

「もしくは──操られている」

真木は黙って唇を噛んだ。

事件は、ただのストーカー案件ではなかった。背後にいるのは、桐野か、彼を利用する何者かか。だが、もしもその何者かが“人間ではない”としたら──

「ユリカ、お前の勘でいい。これは、地球外の干渉か?」

ユリカは少しだけ黙り込み、それから静かに言った。

「……確率で言えば、32%。ただし、これまでの類似事案と一致するパターンが複数ある。限りなくグレーです」

「正直すぎる宇宙人の見解ってやつだな」

「はい。なので、断定はしませんが──十分に危険です」

真木は、座席に体を預けながら、遠くに見えるマンションをにらんだ。

「……誰かが見ている。それも、ただのストーカーじゃない何かが、な」


第四幕 暴かれる記憶


「すみません。何度も同じことを聞かれているのはわかっているんです。でも……木崎さん、もう一度だけ、思い出せる範囲でお願いできますか?」

真木の声は穏やかだった。
午後の光が差し込む事務所。木崎陽菜は深く息を吐いて、目を閉じた。

「……夜、ベランダに誰かがいたような気がして。気配というか、音が……変な風の音みたいな……。それで目が覚めて……」

真木は頷きながらノートを取っていた。その横ではユリカがパソコンを操作しつつ、時折、陽菜の顔を無表情に見つめている。

「起きたのは午前3時32分でした。その時間、木崎さんのマンション近辺で気象センサーが“異常な風圧変動”を記録しています。通常の気流ではありえません」

「……え? じゃあ、本当に……何かが来てたってこと?」

「可能性はあります。ですが、それが“人間”とは限りません」

陽菜が目を見開いた。

「ちょっと待ってください。つまり……本気で“そういう存在”が関わってるかもしれないってことですか?」

「私たちは、あらゆる可能性を排除せずに調査するだけです」

真木がそう言うと、ユリカも軽く頷いた。

「それに、あなたの“空白時間”は今回が初めてではありません」

「……え?」

「3か月前の同日、そしてそのさらに2か月前。あなたのスマートフォンと周辺家電の動作ログが、一定時間すべて“停止”しています。ちょうどあなたの記憶が曖昧な日の深夜帯と一致します」

陽菜の指が震えた。

「それって、なにかに……操られてるってことですか?」

ユリカは、目を細めて答えた。

「“操られる”と“書き換えられる”は違います。もしあなたの記憶が書き換えられているのだとすれば、加害者は非常に高度な技術──もしくは認識干渉能力を持っている可能性があります」

「なんで、そんなことが……私に……」

「理由はまだわかりません。ただ、あなたが“観測対象”になっている可能性が高い」

真木が補足するように言った。

「観測対象……?」

「ユリカの言い方はちょっと特殊だけど……つまり誰かが、あなたを見張っている。実験のように、あるいはモニタリングのように」

陽菜の顔が青ざめた。言葉が出ない。

「ご安心ください。現在のあなたの状態は正常です。ただし、再び接触がある可能性は高い。その場合、事前に対処できるよう我々が常時監視下に置きます」

「“安心”って……本当に安心できるんですか?」

陽菜の声は震えていた。だがユリカは、いつものように無表情で首を傾げた。

「安心は、相対的な感情です。絶対的な安全は保証できませんが──“観察”される側から“観察する側”へ逆転することは可能です」

真木は、ふっと息を吐いて笑った。

「……それ、普通に言うと“張り返す”ってことだよな」

「はい。張り返します」



その日の夕方。真木とユリカは、木崎陽菜の部屋に設置された監視装置と干渉防止機材の調整を終え、事務所に戻っていた。

「ユリカ、お前……記憶操作って、実際にあるのか?」

車内で真木がぽつりと聞いた。

ユリカは一瞬、視線を泳がせ、それから前を向いた。

「地球の科学では不可能です。ただし、複数の知的生命体はそれに近い能力を持つとされる記録があります。“観測対象の意識状態を編集”することで、記憶の連続性に疑似的な“空白”を生じさせる……」

「つまり、編集された記憶を、本人が“夢”や“勘違い”と錯覚する?」

「その通りです。しかも高精度で行われた場合、ほとんどの人間は違和感すら持ちません」

真木はしばらく黙っていた。

「じゃあ、ユリカ。……お前は、記憶を編集されたことがあるのか?」

ユリカは、少しだけ口を開きかけて、そして閉じた。

「……わかりません」

「わからない?」

「もし編集されたとしたら、私はそれを“自覚できない”状態にされている可能性があります。ですが──ある日、突然“何かが不自然だ”と感じた日があります」

真木はそれ以上聞けなかった。助手であり、観察対象であり、そして何より“異質”でありながら人間味を帯び始めた彼女。
問い詰めることが、どこか残酷に思えた。

「……なら今は、とりあえず木崎さんを守ることを考えよう」

「はい。全力を尽くします」

その返事は機械のように正確だったが、どこか微かに“安心”の色を帯びていた。

第五幕 崩れる境界


翌日、真木誠探偵事務所。

いつも通りの朝だった。
けれど、どこか空気が違う。ユリカの表情は変わらず無表情だが、真木には“張り詰めた何か”を感じ取っていた。

「……ユリカ、何かあったか?」

「いえ。……正確には、“私に関する記録”に不整合がありました」

「不整合?」

「はい。私の記録──つまり、自分自身で記録しているメモリー領域に、数時間分のデータ欠損が見られました」

真木は椅子に深く腰掛けた。

「……つまり、自分で自分の記憶が抜けてるのを検出したってことか?」

「はい。通常であれば“そんな記憶は元から存在しなかった”と処理されるよう編集されるものですが、私は“外部からの干渉”があった痕跡として検知できた」

「外部……って、まさか、あのストーカーと関係ある?」

「可能性はあります。ただし、今回の干渉は“極めて高度”であり、これまで遭遇した地球内の技術レベルを遥かに超えていました」

「……地球内の、って。お前、そんなに何を知ってるんだよ」

「その点は今、思い出せない部分も多く……おそらく、以前の干渉のせいで私の中の“記録”が削除、あるいは封印されている状態にあります」

真木は目を細めた。助手であるユリカが“記録を消された”という事実は、何よりも重大だ。

そのとき、事務所のドアが鳴った。
来客だ。

「──こんにちは、突然すみません」

現れたのは、30代前半の落ち着いた風貌の女性。だがその目は、どこか怯えたように揺れていた。

「調査の依頼で……」

話を聞けば、彼女──橘由美子(たちばな ゆみこ)は大手出版社の編集者だった。最近、自宅に不審な人物が出入りしているような形跡があり、不安になって真木の噂を聞いて訪ねてきたという。

「最近、デスクの位置が微妙に変わっているとか、電気がついていたとか……。最初は自分の思い違いかと思ってたんですが、ある日、玄関の鍵穴が傷ついていたんです。……誰かが、入ろうとした跡です」

「警察には?」

「通報しました。でも、証拠不十分で“気のせい”で済まされてしまって……」

ユリカが、静かに彼女のバッグの縁を見つめていた。

「──バッグの底部、微細な砂粒が数種付着しています。海浜ではなく、建設用のシリカ系混合砂。これは都内だと……」

「江東区の再開発エリアくらいしか、ないな」

ユリカと真木は同時に頷いた。

「そこに何かあるかもしれません」



同日深夜。

真木とユリカは、由美子の自宅に簡易センサーと隠しカメラを設置して監視を始めた。何もない夜が続く──かと思われた3日目、画面にノイズが走った。

「……来たか」

画面に映ったのは、フードを深くかぶった人物。奇妙なことに、体温センサーが反応しない。

「ユリカ、あれ……人間じゃないのか?」

「情報が乏しいですが……おそらく、遮断装置を身に着けています」

「……お前は、あれが“誰”か見当つくか?」

ユリカは静かに、けれど確かに言った。

「……同族かもしれません」

「……!」

真木の背中を、冷たいものが走った。



次の日の夜、真木がふと自分のスマホの履歴を確認すると、1件だけ“身に覚えのない”検索履歴が残されていた。

《真木誠 能力 制限解除》

「……これ、俺じゃない」

ユリカが傍らで画面を覗きこむと、微かに眉を動かした。

「……誠さん。あなたも、観察対象にされている可能性があります」

「なんで、俺なんだよ」

「それは──あなたが、“制限されている側”だからです」

「……どういう意味だ?」

「誠さんが過去に経験した、何かの“喪失”──あるいは記憶の断絶。その原因が、通常の事故やトラウマではなく、“意図的な制限”である可能性があります」

「……俺も?」

「はい。あなたがこの事務所を始めた動機、それすらも“誘導された”可能性は否定できません」

真木は口を開けたが、言葉が出なかった。

過去の記憶──刑事時代の最後の事件──唯一、解決できなかった“失踪事件”。
あれは本当に、自分が“無能だったから”なのか?
それとも──誰かが、何かを封じたのか?

崩れていく認識。
日常と非常識の境界が、音もなく溶けていく。

そしてユリカが、ぽつりと呟いた。

「私はきっと、誠さんを“監視するため”に派遣された……だけど、それは今では、どうでもいいことです」

「──ユリカ……?」

「今は、“あなたを守る”方が優先順位が高い。それだけです」

その言葉に、真木は初めて、助手が“正直すぎる”という事実の裏に、かすかな感情の芽生えを感じた──

第六幕 “監視する者”の正体


「……思い出した。いや、正確には“思い出しかけた”と言ったほうがいいか」

午前3時の事務所。真木誠は、ユリカと二人で監視モニターの前にいた。
カメラには再び例のフードの人物が映っているが、動きが妙にぎこちない。

「なんだ、あれ……何か探してるみたいだ」

「動線が合理的すぎます。人間の“無意識”を一切含まない移動……あれは機械の可能性があります」

「……機械? おいおい、本当にどこまで非現実なんだよ」

ユリカが目を伏せる。

「“観察者”が直接動くことはありません。代行を使います。私の世界では、こうした“記録係”をドローン生命体と呼びます」

「記録係、って……お前を見張ってたってことか?」

「はい。私は一度、逃げ出した記録係でもありますから」

真木は思わず息をのんだ。

「お前……逃げてきたのか、地球に」

「はい。“ある記憶”を封じるために。それは私にとって“嘘”の始まりでもありました」

その瞬間、監視モニターが大きく乱れた。
画面に映っていたドローン生命体が、由美子のマンションから立ち去る姿が映る。

「奴は……何かを確認して、引き上げたな」

ユリカが立ち上がる。

「追いましょう。今なら、まだ間に合うかもしれません」

「待て、追ってどうする。こっちは人間だぞ、しかも地球の」

ユリカは振り返った。真木の瞳に、自分の“正直さ”では測れない何かがあるのを感じて。

「誠さんはもう、十分に“地球人”ではありませんよ。少なくとも、ただの探偵ではない。違いますか?」

「……やっぱりな。お前も薄々感づいてたか」

真木はゆっくりと懐から取り出す。
一枚の古びた写真──6年前の失踪事件で消えた女子高生の家族写真。

「この子──綾乃。こいつの行方を追って、俺は刑事を辞めた。捜査資料はすべて封印された。でも……それでも俺は、この子の“空白の3日間”がどうしても理解できなかった」

「記録の齟齬ですね」

「そう。映像も音声も、全部あった。なのに……“本人の存在感”だけが空っぽだった」

ユリカが顔を上げる。

「その現象、私の世界では“存在の位相ズレ”と呼ばれます」

「……つまり、その3日間、彼女は──この世界にいなかった?」

「厳密には、“観測不可能な層”に存在していた可能性が高い。観測されなければ、記録されない。記録されなければ、証拠にならない」

真木は立ち上がった。

「じゃあ、今こそ“観測”してやろう。俺の記憶が曖昧でも、俺が探偵を続けている限り、真実からは逃げられない」

ユリカは目を見開いたあと、微かに頷いた。

「誠さんがそう言うなら、私はあなたを補佐します。私の正直さが、あなたの嘘を見抜く助けになるなら」



その夜、二人は江東区の再開発エリアに向かった。

ユリカが立ち止まる。彼女の目には、見えない“痕跡”が浮かんでいた。

「ここです。記録係が最後に立ち寄った地点。存在の痕が残っています」

「何がある?」

「“扉”です。……この世界と、もう一つの層を繋ぐ」

地面をなぞると、ユリカの指先に青い光が浮かんだ。次の瞬間、薄く空間が歪む。

──それは小さな、しかし確かに“異世界の断片”だった。

「……なんだよ、これ……夢でも見てるのか」

「いいえ。これは、“あなたの過去”に繋がる現実です」

ユリカが先に足を踏み入れる。

「……誠さんが忘れていること。私が消された記憶。私たちが出会う以前の、全てがここにあります」

真木は躊躇うように足を出す。

その瞬間、脳裏に閃光のような記憶の断片が走った。

──泣き叫ぶ少女。
──監視される家族。
──そして、もう一人──微笑む銀髪の少女の姿。

「……あれは……ユリカ……?」

彼女は、昔会っていた。
自分がまだ刑事だった頃、“事件の鍵”として呼ばれた謎の証言者。記録には残されなかった。けれど、確かに彼女はそこにいた。

──ユリカは、かつての自分を“助けた”存在だったのだ。

「記憶を消されたのは、俺だけじゃなかった……!」

「誠さん、……。あなたが失った“過去”は、あなたがこれから守る“未来”と、繋がっています──」

ユリカの声が、遠くで響く。

しかし次の瞬間、“扉”は閉じた。

──二人の足元が、ぐらりと揺れた。

第七幕 歪められた真実と再起動する探偵


――夢だと思った。
だが、目が覚めても、それはまだ「目の裏」に焼き付いていた。

銀髪の少女。
凍るように冷たい視線と、それとは正反対の、優しく微笑む口元。
あのとき、事件現場で目が合ったあの少女は──

「……ユリカ」

真木誠は、自室のソファに半ば転がるように目を覚ました。
外はまだ朝も早い。カーテンの隙間から入る光が、わずかに机を照らしていた。

ユリカは、台所で湯を沸かしていた。

「おはようございます、誠さん。昨夜はショックで脳に微弱なショートが起きていましたので、強制的に休眠モードへ」

「なんだそれ……てか、“休眠モード”って言い方が怖いわ」

「人間でいうところの深い睡眠と同義です。必要な記憶の整理も済ませておきました」

「……記憶の整理って」

「昨夜の“扉”で見た過去。それは確かに“本物”です。あなたは6年前、私に会っています。そして……あの事件は、未解決のまま“封じられた”のです」

真木は、机の引き出しを引いた。そこには一枚の古びたUSBメモリ。

「ずっと、これの中身を見るのが怖かった。でも今なら、開ける覚悟ができてる気がする」

ユリカが頷いた。

「開けましょう。すべてを、再起動させるために」



USBの中には、6年前の事件現場で撮られた未公開の動画が一本だけ残っていた。

真木が再生ボタンを押すと、画面に映ったのは──廃工場。
パトカーのライトがくすんだ鉄骨を照らし、カメラがブレるたびに、叫び声がかすかに聞こえた。

そしてその中央で、ひとりの少女が──銀髪の少女が、誰かをかばうように立っていた。

「これ……俺のボディカメラの映像か……? いや、違う……俺はあの場にいなかった……記憶では」

「あなたの記憶は、人工的に“抜かれて”います。私の能力では、完全には戻せません」

「じゃあ……誰が、こんなことを……」

「“記録係”は“観察対象”を改竄することがあります。記録が完全でなければ、観測も不完全になる。私がこの星に逃れた理由は、“真実の記録”を取り戻すためでもあります」

そのとき、PCの画面が突如として暗転。強制シャットダウンされたように電源が切れた。

「何だ……?!」

ユリカが立ち上がる。

「アクセスを検知されました。“彼ら”が気づいたようです。つまり、次に来るのは──」

──警告音。
事務所の外のセンサーが異常を感知する。

「来たか……!」

真木は即座に非常灯を切り、ユリカはすでにブラインドの影へ滑り込んでいた。

数秒後。
ドアをノックする音。

「探偵さん、お久しぶりです。高野です。ちょっと、話があってね」

真木はギクリとした。

高野──元同僚の刑事。だが、彼の中には“何か”が混じっていた。

「なぜここに……このタイミングで……」

ユリカが囁いた。

「誠さん、彼の脳波パターン……異常です。人間の範疇を逸脱しています」

「……乗っ取られてるってことか」

「正確には“共有”です。脳の一部に、記録係の機能が埋め込まれている。彼は“観測”されながら生きています」

「じゃあ、俺たちの動き……全部筒抜けってことかよ……」

真木は深く息を吸い、扉を開けた。

「高野さん。……久しぶりですね」

「おう、元気そうだな。君が辞めてから、ずっと追いかけてたよ、あの事件」

「……あの事件、まだ終わってないと?」

「むしろ、“今からが本番”じゃないかな?」

桐野がにやりと笑ったその瞬間、背後の影が動いた。

「ユリカ、逃げろッ!!」

次の瞬間、破壊音。
ユリカの手の中に、空間を裂くような青白い閃光が走った。

「転送口、開きます。誠さん、私と一緒に!」

「逃げてばっかじゃ、終わらねえ……でも、今は」

真木はユリカとともに、空間の裂け目に飛び込んだ。



――転送先。そこは東京の“裏側”、電子ノイズに包まれた空間だった。

「ここは……?」

「データの中にある“記録されなかった東京”。非存在領域です。観測できない場所なら、しばらく身を隠せます」

「なんだよその世界観、どこまで行くんだよ……」

「誠さんが“本気で真実に向き合おうとした”とき、私の世界もまた応答を始めます。だから、もう隠してはいけないのです」

ユリカが振り向く。

「私が何者で、なぜあなたの助手になったのか。その答えは、もう……誠さんの中にある」

真木は深く頷いた。

「なら、向き合ってやるよ。嘘つきだらけのこの世界で、“正直すぎる助手”が本当に味方なら──俺は、どこまでもやってやるさ」


第八幕 静止した時間と忘れられた少女


東京の“裏側”。
人間の認識では到達できない、情報の死角。
真木誠と天音ユリカが飛び込んだのは、観測すらされない非存在領域――いわば“都市の記憶が抜け落ちた断片”だった。

辺りには、確かに見覚えのある街並みが並んでいた。
でも、どこかおかしい。
看板には何も書かれておらず、通り過ぎる人々は影のように輪郭が曖昧で、誰ひとり喋らなかった。

「ここは……?」

「“都市の観測が途切れた記憶領域”です。観測者──彼らの記録から漏れた空間。時間も意味も、ここでは曖昧になります」

「つまり……俺たちは、誰にも“見られてない”ってことか」

「ええ。ここでなら、かつて記録されなかったものと“接続”できます」

ユリカが指をすっと前に伸ばすと、空中に青い粒子が舞い上がる。
点と点が線を結び、やがて一つの“扉”を描き出す。

その扉の奥に、古い木造の一軒家が浮かび上がった。

「……ここ、俺の実家じゃないか……?」

「この記憶、あなたの中にもあります。でも本来は──」

「消された、ってことか」

「正確には、“封印された”。記録係が危険と判断した記憶に施す処置です」

真木はゆっくりと扉に手をかけた。



玄関の引き戸を開けると、6年前の匂いがした。

畳の匂い。
母が焼いた食パンの匂い。
それに混ざって、ひとつ、異質な気配が。

「誰か、いる……」

ユリカが先に進み、古い居間の障子をすっと開くと、そこには少女がいた。
膝を抱えて座っている。
年齢は十歳前後、銀の髪。
だが、それはユリカではない。

「……私?」

ユリカが思わずつぶやいた。

「いいえ、違う……けれど、似ている。とても強く、私と接続されていた存在です」

真木が近づき、そっと声をかける。

「……お前は……誰だ?」

少女は顔を上げた。

その瞳の奥には、宇宙すら内包する深い深い静寂があった。

「……記録係、第零群。私は“α(アルファ)”。あなたが6年前に守った少女です」

「……!」

真木は、一気に過去の記憶が蘇るのを感じた。

6年前。
未解決となった“多重誘拐事件”。
廃工場に閉じ込められていた複数の子どもたち。
その中に、居た少女。

それが──この少女、“アルファ”。

「あなたは私を救った。そしてその代償に、“真実を忘れた”」

ユリカが小さく頷いた。

「誠さんがその時失ったものは、“記憶”だけではありません。“可能性”と“立場”も封じられました」

「……高野が、関わってたのか?」

「当時は“彼”ではありません。もっと別の、“高位記録係”の判断です。私はその後に逃げ延び、そして──あなたの隣に越してきた」

アルファが真木に歩み寄る。

「あなたの記憶を、すべて返しますか? ただし、それは“今のあなた”を壊すかもしれない」

真木は目を閉じた。

「知るべきだ。誰かが嘘をついてるなら……俺は、嘘の世界ごと叩き壊してやる」

「了解しました」

アルファが真木の額に指を当てる。

次の瞬間、光が弾けた。



過去。現在。未来。
ありとあらゆる時系列の断片が、真木の脳に流れ込んでくる。

彼は知った。
自分がなぜ刑事を辞めたのか。
なぜ“宇宙人”の存在を一度は信じ、そして否定したのか。
なぜユリカがここにいて、なぜ自分を“選んだ”のか。

すべてが、ひとつの線に繋がっていた。

そして──目覚めた。



真木は目を見開いた。
非存在領域の街並みは、少しずつ崩れていく。

「……記憶、戻った……!」

ユリカがそっと彼を支える。

「誠さん、あなたはもう“ただの人間”ではありません。あなたの脳は今、記録係と“共鳴”しています。だからこそ──彼らは、あなたを恐れる」

「だったら、こっちも応えてやる」

真木は立ち上がった。

「俺は探偵だ。人の嘘を暴くのが仕事だ。“宇宙”だろうが“神”だろうが──嘘を吐いた奴は許さねぇ」

ユリカが笑った。

「頼もしい限りです、誠さん」

その時、空間に警報音。

「観測者がこちらを補足しました。非存在領域が崩壊します!」

「戻るぞ、ユリカ。……“あいつら”を迎え撃つ!」





第九幕 真実を求める探偵と観測される街


【1:帰還】

閃光の中、真木誠と天音ユリカは“非存在領域”から現実世界へと戻ってきた。
気づけば、事務所のソファに身体を投げ出していた。ユリカも隣に座り、手には未開封の紅茶缶と、なぜかぬるいサンドイッチがあった。

「……ああ、戻ってきたのか」

「現実時間では、わずか十数秒しか経過していません。でも、あなたの脳内処理は48時間分のデータを同時に通過しました。少し、頭を冷やす必要があります」

真木は額を押さえながら、小さく笑った。

「48時間分の人生、取り戻した気分だよ」

その目には、もはや躊躇はなかった。
6年前の記憶──異星の少女・アルファとの邂逅。
記録係に消された記憶の断片。
今はもう、全てが彼の中で輪郭を持っている。

「記録係は……“観測”という名の支配をしていたんだな」

「彼らは、“この世界を記述するための存在”です。物理法則、記憶、制度、社会構造……すべてを“情報”として再構築し、不要な逸脱や破綻を調整している」

「つまり、宇宙人とか超能力とか、そんな“存在してはいけない”ものは、記録から抹消する」

「その通りです。そして、あなたは今や……その“逸脱”に完全に接続してしまった」

ユリカが、わずかに頬を染めた。

「……ですから、今後はますますお守りします、誠さん」

「いやいや……そっちが保護対象だろ」

互いにくすりと笑い合った、その瞬間だった。

――「警告:誤認識者、真木誠、観測対象に指定」

どこからともなく、機械的な警告音が響いた。

ユリカの端末が自動的に起動し、赤い文字で警告が表示される。

「……観測係が直接動き始めました。これは、都市レベルでの観測強制モード……“強制再構築”が始まる可能性があります」

「強制……何だって?」

「世界の辻褄が合わない箇所を、“強引に作り変える”。人も、建物も、記憶も。──たとえば、私やあなたが“いなかったこと”に書き換えられることすらあります」

真木は静かに立ち上がった。

「だったら、消される前に俺たちの痕跡を残してやろう。……探偵としてな」



【2:観測都市・東京】

それからの数日間。
真木誠探偵事務所は、奇妙な案件を立て続けに引き受けることになる。

「ビルの階段が昨日と違ってる」
「通っていた小学校が、地図から消えている」
「隣人の顔が毎日違う」

都市全体が“変容”している。
誰かが、何かを上書きし続けている。

「これ……観測者たちの“微調整”か」

「はい。都市の“情報破綻”を、日常として再構築しています。ですが、それは非常に粗い。無理矢理な再設計の連続です」

「つまり、やつらは焦ってる。こっちの行動が想定外なんだ」

やがて、調査の過程で、ある奇妙な人物に出会う。
──名前は榊 理一郎(さかき・りいちろう)。
都市伝説ライターを名乗り、都市の記録に関する研究を続けているという。

「君たち、“彼ら”の目を真正面から見てるんだな。実に……興味深い」

「観測係のことを知っているのか?」

榊はわずかに口角を上げた。

「都市は記録でできている。“物語”という名の仮想現実が、観測者の都合で編まれている。君たちはいわば、その“物語の外側”だ」

「なら、その“物語の本体”に近づける方法を教えてくれ」

「可能性ならある。……だが代償は大きい。“物語を壊す者”は、記録の敵として抹消される」

真木は、わずかも躊躇しなかった。

「それでも構わない。嘘を嘘のまま放置するわけにはいかない」

ユリカが、その横顔を静かに見つめていた。

【3:記録の穴】

真木とユリカ、そして都市伝説ライター・榊理一郎の3人は、都市の“記録の歪み”を追うことになった。
その手がかりとなるのは、《観測者が記録から漏らした、例外的な空白》──つまり、「記録の穴」だ。

「特定のエリアでだけ、監視カメラが一切反応していない時間帯がある。それが毎週決まった時間にだけ」

「……空白時間だな。あの日のように、俺たちが非存在領域に引きずり込まれたような……」

榊が紙の地図を広げて、赤ペンで円を描いた。

「このエリア、3日前の午後3時18分から21分まで、すべての電子記録が消えてる。“誰もいなかった”ことにされている」

「誰もいなかった……のではなく、“いたことを消された”ってことか」

ユリカがすぐさま補足する。

「この都市全体を“観測の範囲”とするなら、記録されていない現象は、すなわち異常。観測の隙間です」

「なら、そこに踏み込むしかないな。……真実を探るには、記録されない場所に行くしかない」



【4:記録の向こう側へ】

そして訪れた、その時間帯。

午後3時17分。真木とユリカは、都内某所の廃工場跡地に足を踏み入れていた。周囲は音もなく、まるで都市の残響だけが漂っているかのようだった。

「静かすぎるな……」

「観測係は、この空間の一切を“見ていない”ことにしているので、波動、磁場、電磁干渉すら動きません。いわば、情報の“死角”です」

そのとき、何かが“点滅”するように視界を揺らがせた。

──まるで、視界全体にノイズが走ったような。

「誠さん、記録係が気づいた可能性があります。観測されない行動をとる者は、即座に“修正対象”になる」

「それでも行くぞ。ここが、真実の入り口なんだろ?」

真木は、ためらいなく歩を進めた。

そのときだった。

「誠……また、来たんだね」

聞き覚えのある声だった。
少女の声。微笑むような、寂しげな声。

ユリカが警戒するように周囲を見回す。

「誰ですか?」

「……アルファ、だ」

現れたのは、6年前に出会った異星の少女。
観測係の介入によって、真木の記憶から“削除”されたはずの存在だった。

だが、彼女は微笑んでいた。

「記録からは消された。でも、私はここにいる。記録ではなく、観測の隙間に」

「君は……この記録都市の外から来たんだな?」

「ううん。私は記録そのもの。あなたたちと出会った“例外”として、この記録世界に存在し続けている。記録係は私を“誤記”として処理できなかった」

ユリカが息を呑む。

「そんな……記録係が処理できない“矛盾”が残っていた?」

アルファは静かに頷いた。

「でももう、限界なの。この都市全体が、例外を消すための“大規模修正”に入る。あなたたちの記憶も、存在も、いずれ消される」

「なら、どうすれば止められる?」

「“記録の最深部”にアクセスするしかない。“物語の中枢”──そこで、真実を書き換えるんだ」

真木は一歩踏み出す。

「だったら、そこまで案内してくれ。もう逃げない。俺は……この都市と向き合う」



【5:観測係、接触】

その瞬間だった。
空間が波打ち、背後に“それ”が現れた。

観測係。
全身を白い光で包まれた、顔のない人影。
ただ存在しているだけで、世界の輪郭が歪む。

「警告:記録違反者。処分を開始します」

真木の身体が、急激に“情報として削られていく”感覚に襲われる。

ユリカが前に出た。

「やめなさい。彼はまだ、観測係によって認定された存在です!」

「警告:観測拒否。修正を行います」

そのとき、ユリカが手を伸ばし、光の存在に触れた。
彼女の指先が淡く輝き、観測係の光を打ち払った。

「……あなたたちに、“愛”の記録は処理できません。だからこそ、私はここにいます」

「愛……?」

ユリカが、真木の手を取った。

「私は、あなたを守るために作られた。そして今、それを選んだ。観測も記録も関係ありません。これは、私自身の選択です」

真木が笑った。

「……じゃあ、これは俺からの選択だ」

そして、観測係に向かってこう言い放つ。

「探偵・真木誠は、記録を疑う。物語の嘘を、暴いてみせる」

観測係は、光の中へと消えていった。
その場に残されたのは、静かな都市の風と、2人の影だけだった。


第十幕 観測都市の記憶


【1:街が語り始める】

「昨日見た景色と、今日の景色が少しだけ違うような気がしませんか?」

探偵事務所のソファに腰かけた天音ユリカが、何気なくそう呟いた。

真木誠は、コーヒーを注いでいた手を止めた。

「またか。空の色が違う、電車の到着時刻がズレてる、隣のカフェの看板が一瞬“無地”になってた……最近、君の違和感報告がやたら多いな」

「それらすべてに共通しているのは、“誰も気づいていない”ということです」

「つまり、“街の記憶”が書き換えられている?」

「ええ。観測係の力ではなく、もっと深い層から。“観測都市”自体が何かを訴えているのかもしれません」

誠は眉をひそめた。

「都市が記憶を持ってるってことか。……街が、意志を持ち始めてる?」

「いえ、“記録”に意志があるとは限りません。ただし、“再生”されている痕跡が見られる。まるで、過去のデータが何かに上書きされているように──」

そのとき、事務所のドアがノックされた。

「失礼します……真木探偵、ですよね?」

姿を見せたのは、目の下に濃いクマを浮かべた女性だった。年齢は30代半ば、だが見るからに疲れきった様子で、背中を丸めて立っていた。

「お話を……聞いていただけますか」



【2:繰り返される“夢”】

依頼者の名は、新崎遥香(にいざき・はるか)。地元の中学で音楽教師をしているという。

彼女の話は、一見して「ただの夢の話」のように聞こえた。

「私、同じ夢を何度も見るんです。全く同じ構図、同じセリフ、同じ順番で。……子供のころに住んでいた町で、自分が子供になってる。そして……誰かと約束をして、最後に“バスに乗り遅れる”」

真木はしばらく無言で聞き入っていたが、ふとユリカと視線を交わした。

「その夢、何か変化は?」

「……ありました。今週に入ってから、“夢の中の景色”が現実と一致し始めてるんです。街路樹の並び方、電柱の傷、店の看板のデザイン。現実が、夢に追いついてきている」

「現実が夢に追いつく? 逆じゃなくてか?」

「ええ……まるで、夢の方が“正しい”歴史だったみたいに」

誠は深く息を吐いた。

「つまり、夢で見た街が、本来の街だった可能性がある。現実の方が後追いで作り直されてる……」

「観測都市そのものが、“過去を模倣して構築されている”と仮定すれば、辻褄は合います」

ユリカの表情は、どこか張りつめていた。

「では、依頼の内容を確認します。“自分の見ている夢が、何なのかを知りたい”──で間違いありませんか?」

「……はい。できれば、“この夢が終わらない理由”も知りたい」



【3:夢と記録の交差点】

翌日。
真木とユリカは、新崎遥香の“夢に出てくる町”を検証するため、都内某所の古びた商店街を訪れていた。

そこは、確かに彼女の夢に出てきた風景と一致していた。電柱の番号、並ぶ自転車、つぶれた時計屋……どれも正確すぎた。

「ただの偶然じゃ説明つかないな。……この街、いつ再開発された?」

ユリカが携帯端末を操作して答えた。

「再開発記録はありません。過去40年間、一度も変化がないとされています」

「ウソだな。現地の地形は明らかに“造られてる”。細い路地や歩道の傾斜が、都市計画にない」

そのとき、ふいに街の空気が“切り替わった”。

まるで、誰かが“スライドショー”を切り替えたように、光の加減と空気の密度が変わったのだ。

「ユリカ……今、見たか?」

「ええ。これは“部分的記録の再読み込み”です。観測都市のメモリ領域に異常が出ている」

そしてその瞬間──

商店街の先、角の古書店からひとりの少女が現れた。
彼女は、真木の方をじっと見つめて微笑んだ。

どこか、懐かしい。

「真木さん……“思い出しちゃった”んですね?」

彼女は言った。

「私は、あなたが“初めて消された街”で出会った少女──記録の“最初の穴”です」



【4:消された少女】

「記録の“最初の穴”?」

真木誠が思わず問い返すと、少女は小さく頷いた。彼女の姿は、旧いフィルムのように微かにノイズがかかっていた。

「あなたは一度、私を見つけているんです。だけど──その記憶は消された。あなたの意思じゃない、“この都市”の手によって」

「都市が……記憶を消す?」

「観測都市〈グリッド・アーカイブ〉は、情報を管理するために最適化を繰り返してる。人の記憶も例外じゃない。“都市に必要のないデータ”は定期的に破棄される。その第一例が、私だった」

ユリカが静かに口を挟んだ。

「つまり、彼女は“忘れられる存在”として都市に取り込まれた。……だとすれば、都市の意思が自己改変を始めた証拠です。これはただのエラーではなく──意思による削除」

少女は名乗った。

「私の名前は、絢香(あやか)。この街が“まだ名もなかった時代”にいた、最初の住人のひとり」

「つまり、君の存在が記録の端に引っかかって再生された……?」

「いいえ。私は“誰かに呼ばれた”んです。──真木誠、あなたに」



【5:夢の座標】

その夜、誠の夢に絢香が現れた。

静かな電車のホーム。光の角度は昼と夜の境目。

「思い出すには、もう少し時間がかかると思います。でも、もう一度あなたが私を“探す”ことで、都市の記録は反転する」

「……何を探せばいい」

「“空白になった三日間”です」

誠の胸に鋭い違和感が走る。刑事時代、たった一度だけ、理由もなく三日間の記憶を失ったことがあった。診断では“過労”とされたが、どうしても腑に落ちない。

──あのとき、自分は何をしていたのか。

「あなたが“その三日間”を取り戻すことが、都市の中に残る唯一の“反証”になるかもしれません。どうか……“私がここにいた”という記憶だけは消さないでください」

夢が終わる直前、彼女の言葉が静かに耳に残った。



【6:ユリカの告白】

翌朝。

誠はユリカにすべてを話した。夢で見た少女のこと、三日間の記憶喪失のこと、そして“誰かに消された痕跡”。

ユリカは珍しく表情を曇らせた。

「……私には、はっきり分かっていました。あなたが“過去に一度、都市に干渉された”ことを」

「じゃあ、なぜ黙ってた」

「記憶の再構築に外部干渉を加えると、精神に重大な負荷がかかる危険がありました。私が……あなたの中の記録を壊してしまうのが、怖かった」

誠は黙ったままユリカの顔を見つめる。

彼女の視線が逸れた。その様子はまるで、初めて“人間らしさ”を垣間見せたようだった。

「でも、もう黙っていられません。あなたの過去が、都市にとって“鍵”になっているのなら──」



【7:空白を埋める旅】

誠とユリカは、三日間の記録を探るべく、かつて誠が刑事時代に担当していた旧事件ファイルを洗い直した。

その中に、未解決の児童失踪事件があった。報告書には「遺留品なし」「通報者不明」「関係者記憶喪失」という不可解な言葉が並んでいた。

誠の胸がざわつく。

──この案件だけ、やけに“曖昧”な記録しかない。

「この事件が、消された三日間に関わっていた……?」

「その可能性が高いです。とくに“通報者不明”という記録。通常、通報記録には番号が残るはず」

「つまり……“誰も通報してないのに、警察が動いた”。それが俺だ」

ユリカは言った。

「あなたはこの事件で、“消されるほどの真実”を掴んだ。そして、それを都市が許さなかった」



【8:記録の崩壊】

真木とユリカが当時の現場を再訪すると、あらゆる監視カメラ、警察記録、報道記事がごっそり“空白”になっていた。

「あからさま過ぎる……。まるで“誰かに来てほしくなかった”みたいだな」

「……いえ。これは、都市の記録が“崩れている”証です。維持できない過去を、手動で消去している」

絢香の姿が、ふたたび現れた。

「今なら、あなたに見せられる。……“あの日、何があったのか”を」

そして彼女が手を差し出した瞬間、視界がブラックアウトした。

次に見えたのは、あの日の光景──
あの失踪現場で、真木誠は何かと対峙していた。巨大な黒い影、人の形を模した“観測者”がそこにいた。

「君は……あのとき俺に何を言おうとした……?」

少女の口が、震えながら動いた。

「わたしは……“観測される側”じゃない。“観測する側”のデータだったの。……それを伝えに来たの」



【9:記憶の再構築】

真木が目を覚ますと、ユリカの瞳に光が宿っていた。

「都市の“深層記録”にアクセスしました。これで、あなたの記憶は元に戻る……はずです」

そして誠の脳裏に、少女との約束が蘇った。

──「絶対に、また会いに来てね」

「……ああ、やっと思い出した」

彼女は“データ”などではなかった。
あのとき誠が救おうとした、“ひとりの子供”だった。



【10:都市が観ている】

その夜、事務所に戻ったふたりのもとに、新たな“通知”が届いた。

〈第512観測区域における記録干渉を確認。対象:真木誠〉
〈都市意識:優先監視対象に指定〉

ユリカが画面を見てつぶやいた。

「……これは、“都市があなたを敵視し始めた”というサインです」

誠は静かにうなずいた。

「いいさ。ようやく俺の番が来たってことだろ」

外の景色は、微かに揺れていた。まるで都市そのものが、呼吸しているように。


第11幕 点と点 線と線


  
夕方の探偵事務所に、柔らかな光が差し込んでいた。ユリカは静かに、机の上に並べられた資料を見つめていた。

「……やっぱり、どう考えても不自然なんです。木崎陽菜さんが初めて事務所を訪ねてきた日、彼女は“現在進行形”の被害を訴えていたはずなのに……その前後の映像が、完全に記録から抜けているんです」

真木は頷いた。

「監視カメラにも、駅の改札にも、通った痕跡がない。なのに──事務所にだけ、姿を現している。まるで、ピンポイントで出現したみたいに」

「しかも、彼女の在籍していた高校には“木崎陽菜”という生徒が登録されているけれど、学校側が提供した書類や登校記録は、どこか曖昧で……データにノイズが混じってる感じなんです」

「まるで……誰かが作った“木崎陽菜”を、現実に当てはめて存在させていたような……」

ユリカが目を細める。真木は息をついた。

「犯人……いや、加害者だった三島の件も不自然だ。“執着”が極端に強い上に、異常なほど事細かに記録を取ってた。でも、事件後に調べると、彼があれほど記録魔だった理由が、まるで本人にもわかってなかった」

ユリカは無言で真木を見つめた。いつもの理知的な瞳。その奥に、言葉にできないなにかを感じた。

「君……何かに気づいてるね?」

「……いえ。まだ、断定はできません。けれど、いくつかの“点”が線になりかけています」

そう言って、ユリカはある封筒を差し出した。

「先週、私が密かに収集していた資料のひとつです。事件に関わった周囲の人物──被害者、加害者、目撃者……その多くが“同じ時期”に、同じ“夢”を見たと報告しているんです」

「夢……?」

「はい。“異様に静かな街”と“時計のない空”。そして、誰かに“見られている”という感覚。それを“現実と混同した”ような発言がいくつも出ています。症例に近いかと思いましたが、これは偶然とは思えません」

真木は額に手を当てた。

「観察されてる……ってことか」

ユリカは頷かず、代わりにそっと視線を落とした。

「この事件は、終わったように見えて……まだ始まりにすぎないのかもしれません。真木さん、ひとつだけ──」

「ん?」

「“真実”って、なんだと思いますか?」

唐突な問いだった。だが、真木は答えを探すように言葉を絞った。

「……全部、嘘じゃない。だけど、全部が真実でもない。“誰か”にとっての都合のいい一部が、真実として残る。そんなもんじゃないか」

ユリカは一瞬、表情を失いかけ──そして、微笑んだ。

「やっぱり、あなたは探偵ですね」

その言葉に、真木は肩をすくめて応じた。

事務所の窓の外では、日が沈みかけていた。静かすぎる空の向こうで、何かがこちらを覗き込んでいるような──そんな錯覚を、真木はふと覚えた。



 しかし、これらは全て真木が見た長い長ーい夢の中での話。

けれど、目が覚めてからもしばらくこれが夢か現実か分からない状態が続いた。

実際の出来事が浮世離れしすぎているあまり、夢の中ではすっかりユリカを宇宙人として理解していた真木なのであった。
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