『隣の宇宙人に恋して──銀河の片隅で愛を叫ぶ〜誰か助けてください〜』

キユサピ

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第8話「さよならの代わりに、コーヒーを」

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「絵里子さん、最近来ないなあ……」

コーヒー豆の香ばしい香りが漂う昼下がりの喫茶店で、マスターの何気ない独り言が、ポツリと落ちた。

「……誰?」と誠。

カウンターに座る誠の隣、例によってストローでアイスコーヒーを吸っていたユリカが、ぴくりと眉を動かす。

「常連さんさ。もう十年近く通ってくれてる。いつも深煎りのブレンドを頼んで、二杯目はカフェ・オレ。窓際の席に座ってね……ここ三週間、音沙汰なしなんだ」

「三週間か……旅行にでも行ってるんじゃ?」

「ならいいんだけどね。あの人、日記みたいに書いてたんだよ。あそこのノートに」

誠が目を向けると、店内の一角、小さな丸テーブルに一冊の厚いノートが置かれている。表紙に「ご自由にどうぞ」と柔らかな文字が手書きされていた。
 カウンターに置かれた分厚いノートを、ユリカがぱらぱらとめくっている。

「──“深煎りブレンドにミルクを入れると、ちょうどいい苦みと優しさになります”。これ、絵里子さんですね。書き方がいつも丁寧で、文末に必ず句点を打つのが特徴です」

 誠は頷きながら隣の席に座る。

「でも、ここ最近は書いてない?」

「ええ。三週間前が最後です。その前は週に一度は来ていた形跡があります」

 ユリカはノートの背表紙に付けられたしおりを挟み、ふと窓の外に視線を移した。

「ただ、絵里子さんが来なくなったのは……彼女が1人では来店しない人だから、かもしれません」

 「連れがいたってことか」

 「ええ。書き込みを分析すると、毎回『私たち』という主語を使っていました。“今日は私たちのお気に入りのカップが使われていて嬉しかった”とか、“私たちはこの席が好き”とか」

 誠は感心したように笑う。

「それ、普通は読み飛ばすな。……じゃあ、その“私たち”のもう1人が来なくなったから?」

「可能性は高いですね。……そして、おそらくその“もう1人”も、ここに記録を残している」

 ユリカは別のページを開く。

「──この筆跡。絵里子さんの隣に書かれているこのコメント、“たまには薄めのローストも悪くない”というのが、毎回少しずつ表現を変えて、同じ日に記録されています。……男性、40代後半。万年筆の使い方にクセがあり、左上がりに文字が傾いている」

 「男か。……で、そっちの方が来なくなった」

 「ええ。そして、絵里子さんも同時に姿を見せなくなった。偶然とは考えにくいです」

ユリカは、ぺらりともう一枚ページをめくる。

「……最後の書き込み。どちらの筆跡でもありませんが、日付はその翌週。“今日も会えなかった。もしかして、もう来ないのかな”──と、書かれています」

 誠は黙ってコーヒーを啜った。温度は少し下がっていたが、それでも苦味はきちんと舌に残った。

「別れたのか、それとも……最初から関係に名前なんかなかったのかもな」

「うん。だから“私たち”だったのかもしれませんね」

 ユリカはノートをそっと閉じる。

「勝手な憶測だけど。たぶん、同じ時間を過ごすのに、理由なんて必要なかった2人。──でも、どちらかが一歩引けば、それだけで均衡は崩れる」

「どっちが先に、来るのをやめたんだろうな」

「わかりません。けれど、残された書き込みのトーンを見る限り……先に来なくなったのは、たぶん男性の方」

「なるほど」

 誠はもう一口、冷めかけたコーヒーを飲んだ。喉を通るそれは、思ったよりも淡くて、どこか切なかった。

「それで、絵里子さんも来なくなった」

「ええ。でも……どちらも責められません。関係って、そういうものです」

「ふーん。説得力あるな」

 誠は言ってから、ちらりとユリカの横顔を見た。彼女の瞳は、窓の外にある空の色を映していた。

 ──本当のところは、誰にもわからない。ただ、2人がこの店で過ごした時間が、確かに存在していたことだけは、ノートが教えてくれている。
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