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第一章:「龍門」
第十四話:「蒼龍門の継承者、彩琳」
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蒼龍門の広間。
鍛錬を終えた弟子たちを下がらせると、彩琳はゆるやかに歩み出た。
その瞳がリンを射抜く。
「……久しぶりね、リン」
かつて朱雀流で幾度か顔を合わせたことのある後輩に向ける声音だった。
だが今、その響きには私情よりも「蒼龍門後継者」としての威厳が勝っている。
リンは姿勢を正し、深く一礼した。
「はい、彩琳様。こうして再びお目にかかれること、光栄に存じます」
彩琳は目を細め、じっとリンを見据えた。
「あなたが朱雀流に残るか、あるいは玄武門に戻るか……その行く末に耳していたわ。まさか蒼龍門を選ぶとは、私も少し意外だった」
リンは静かに頷いた。
「私にとっては大きな決断でした。けれども、今の私には……ここでしか学べないことがあると考えました」
彩琳はしばし無言のまま、その答えを測るように視線を注ぎ続ける。
彩琳の沈黙は、ただの威圧ではなかった。
彼女は目の前に立つリンの姿勢、息遣い、わずかな仕草に至るまでを観察していた。
やがて、蒼龍門の後継者は口を開いた。
「言葉だけでは、私たちは納得できないわ。ここは武門――意志を示すには、技と身で語るべきでしょう」
リンは深く息を吸い、静かに頷いた。
「はい。どうぞ、ご指導を賜ります」
彩琳の唇がわずかに弧を描いた。
「よろしい。では――試みとして、私の後輩たちと手を合わせてもらうわ。彼らは蒼龍門の型を受け継ぐ者。あなたが本当にここで学ぶ覚悟を持っているのか、その身で証明してみせなさい」
彼女が手を打つと、広間の奥から三人の後輩が歩み出た。
体格も技もばらばらだが、いずれも研ぎ澄まれた気配を漂わせている。
彩琳は一歩退き、リンにまっすぐ視線を送った。
「朱雀流で培ったものがどれほど通じるか――そして、あなた自身がどんな未来を掴むつもりなのか。私に見せなさい、リン」
リンは胸の奥で高鳴る鼓動を感じつつ、深く一礼した。
「はい。全力を尽くします」
その瞬間、蒼龍門の広間に緊張が走った。
試練の幕が、静かに開かれたのであった。
リンは一歩進み出て深く頭を下げた。
「どうぞ、ご指導のほど……よろしくお願いいたします」
一人の青年が最初に進み出た。
屈強な体格で、拳を軽く握るだけで周囲の空気が揺れる。
「俺が先に相手をしよう。朱雀流の外弟子だと聞いたが……蒼龍の型を受け止められるか、見せてもらうぞ」
道場に張り詰めた気配が走る。
彩琳は一歩下がり、その様子をじっと見守った。
彼女の瞳には厳しさと同時に、どこか期待を帯びた光が宿っていた。
――リンの覚悟が、今まさに試されようとしていた。
先に進み出た青年は「蒼龍門の大器」とも囁かれる一人、黄震(こう・しん)。
恵まれた体躯と鍛え上げられた筋肉は、見る者に圧を与えるほどだった。
彼は静かに深呼吸し、腰を落として拳を構える。
その動きだけで、床板が軋むような重みが伝わってくる。
「朱雀流の軽妙な足運びが、蒼龍の力を受け止められるか……試してやる」
「……よろしくお願いいたします」
リンは一礼し、構えを取った。
朱雀流特有の前傾姿勢――間合いを測り、速さで差をつける姿勢だ。
だが黄震は微動だにせず、山のような安定を保ち続けている。
――動かない。
リンはじりじりと間合いを詰めるが、その胸奥には冷たい汗が流れていた。
朱雀流は読みと速度で先を取る。だが、この堅牢な構えの前では一手を誤れば逆に体ごと押し潰される。
「はッ!」
先に動いたのは黄震だった。踏み込みと同時に繰り出された正拳が、槍の突きのように鋭く一直線に迫る。
空気を裂く轟音。受け止めるのは無謀――リンは即座に身を翻し、半身をずらして拳をかわす。
しかし、黄震の拳は止まらない。
そのまま腕を返して打ち下ろす動作に移り、さらに足払いが続く。
連携の重さと堅実さに、リンの呼吸が一気に乱れた。
「……速さはある。だが軽い」
黄震の低い声が響く。
次の瞬間、再び拳が振り下ろされ、リンの視界を覆った。
――受けるな、流せ!
咄嗟に朱雀流で学んだ「相手の力を斜めに逃がす」受けを繰り出す。
腕がしなるように黄震の拳を逸らし、同時に半歩踏み込んで懐へ。
その手のひらが、黄震の胸へ向けられた。
「……!」
重さは逸らしたが、触れた瞬間に押し返すような圧力。
まるで壁に掌を突き当てたかのような衝撃に、リンは後方へ弾き飛ばされる。
道場の板の上に転がり、息を荒げながらもすぐ立ち上がったリンを、黄震は微かに目を細めて見つめた。
「思ったより……しぶといな」
広間に沈黙が落ちる。
彩琳は腕を組み、弟弟子の戦いぶりを観察しながらも、その瞳はリンに注がれていた。
「……まだ終わりじゃない。立ちなさい、リン」
その声に、リンは荒い息を整えながら小さく頷いた。
再び構えを取るその姿は、さきほどよりも迷いが薄れ、わずかに研ぎ澄まされていた。
黄震との一戦が終わり、リンは荒い呼吸を整えながら広間の中央に立ち続けた。
弟弟子や妹弟子たちの視線が一斉に注がれる。その多くは挑戦者を試す鋭い目であり、時に侮るような色さえ宿している。
「……次は私が」
凛とした声が響き、少女が一歩前に出た。
名を柳雪(りゅう・せつ)。黄震とは対照的に、しなやかで華奢な体躯を持つ。
しかしその立ち姿には、一切の隙がない。目に映るのは、鋭い獣のような反射と速さだった。
「黄震兄さんの重さに耐えたのは見事。でも、速さを前にしてはどうかしら」
挑発的な言葉を口にしつつも、礼は欠かさない。彼女の両足が軽やかに床を打ち、まるで風が舞い込むように場の気配が変わった。
「……よろしくお願いいたします」
リンは再び一礼し、構えを取る。だが、次の瞬間にはもう柳雪の姿が視界から消えていた。
「――っ!」
背後に気配を感じた時には、手刀が首筋を狙っていた。
辛うじて身を沈めてかわす。だが柳雪の動きは途切れず、流れるように蹴りが腰を薙ぐ。
衝撃が走り、リンの体が横へ弾き飛ばされる。
(速さを読むんだ、……!)
必死に息を整え、目を凝らす。柳雪は風のように舞い、立て続けに攻め立てる。
朱雀流で培った「間合いの読み」がなければ、すでに打ち倒されていた。
やがて、リンの心に一瞬のひらめきが生まれる。
――相手の速さに合わせて動こうとするから遅れる。先を読んで、自分から一歩動けばいい。
柳雪が踏み込んだ刹那、リンはわずかに先んじて身体を横へ滑らせた。
手刀は空を切り、逆に柳雪の懐ががら空きとなる。
リンはその胸元へ掌底を突き込んだ。
「くっ……!」
柳雪は即座に後方へ跳び退き、受け身を取る。
胸に手を当てて息を整え、やがて笑みを浮かべた。
「……やるじゃない」
広間に再びざわめきが走る。黄震が腕を組んで頷き、他の弟子たちも互いに視線を交わしていた。
その様子を見て、彩琳は小さく口角を上げる。
「……少しは、蒼龍門に来る意味を示せたかしらね」
リンは荒い息を整えつつも、その視線を正面から受け止め、深く頷いた。
黄震の重さ、柳雪の速さを凌いだリン。
その姿に弟子たちの表情も変わり始めていた。
最初の侮りは消え、次に出る者の瞳には「試してやる」という闘志が宿っている。
「次は俺が相手を務める」
静かに声を発したのは周嶺(しゅう・れい)。
中背で黄震ほどの体格はない。だが、その歩みは落ち着き払っており、場の空気を制する威圧感を放っていた。
一歩踏み出すごとに、周囲の空気が張り詰めていく。
「間合いを制する者は、戦いを制する。……朱雀流の速さが、どこまで届くか見せてもらおう」
リンは汗に濡れた額を拭い、深く息を吸って応じる。
「……よろしくお願いいたします」
両者、構えを取る。
周嶺は腕を前に出さず、ただ自然体で立つ――しかしその立ち位置が、じわじわとリンの自由を奪っていった。
――遠い。近い。いや、わからない……。
一歩踏み込めば届きそうなのに、その一歩が命取りになる気配。
リンの背筋に冷たいものが走る。
「……っ!」
決意とともに踏み込む。だがその瞬間、周嶺の体がわずかに動いた。
たったそれだけで、リンの拳は空を切り、逆に肘が眼前に迫る。
「ぐっ……!」
慌てて身をひねりかわすも、頬を掠める衝撃にリンは冷や汗を流す。
――私の動きが、全部読まれてる……。
周嶺は攻め急がない。ただ一歩、一歩と詰める。
そのたびにリンの間合いは奪われ、逃げ道が塞がれていく。
「迷いがある。お前の速さは本物だが……間合いを支配できねば、速さは生きない」
その言葉と同時に、拳が重く振り下ろされる。
咄嗟に両腕で受けるリン。
全身に響く衝撃。足元の板が悲鳴を上げ、リンは膝を折りかける。
――押し潰される!
必死に体を捻り、拳を斜めに流す。朱雀流の型で重さを逸らす。
しかし周嶺はすぐさま次の一歩を踏み込み、再び間合いを奪いに来る。
息を荒げながら、リンは悟った。
「……ただ速さで戦おうとするから、封じられる。なら……!」
踏み込まず、退かず――あえて「間」を崩さない。
相手が支配する空間の内で、一瞬だけ動きを止める。
「……?」
周嶺の目がわずかに揺らいだ瞬間、リンは反射のごとく低く潜り込み、相手の懐へ入り込む。
その掌底が、周嶺の脇腹へ叩き込まれた。
「……っ!」
鈍い音と共に周嶺の体がよろめき、しかしすぐ体勢を整える。
その目は険しさから、静かな笑みに変わっていた。
「……なるほど。速さを捨てて間合いに挑むか。悪くない」
場の空気がふっと緩む。
弟子たちのざわめきの中で、彩琳が一歩前に進み出る。
その視線は、倒れず立ち続けるリンに注がれていた。
「……これで三人。朱雀流で学んだものを、確かに見せたわね」
リンは肩で息をしながらも、姿勢を崩さず深く頭を下げた。
「……ご指導、ありがとうございました」
広間には静寂が訪れ、試練の一幕が終わりを告げていた。
広間の奥、重厚な扉が静かに開いた。
現れたのは**蒼龍門首長・雷玄(らい・げん)**と、三老師の一人、**蒼威(そうい)**であった。
雷玄は長い袖を揺らしながら、落ち着いた足取りで道場の中央まで進む。
その気配だけで、弟子たちの視線が一斉に向けられた。
蒼威は首長の隣で静かに立ち、冷静な眼差しをリンに向けている。
彩琳は弟弟子たちを落ち着かせ、ささやくように言った。
「……首長と老師が来られた。リン、心を整えて」
リンは深く息を吸い込み、目の前に立つ二人を見据えた。
雷玄は柔らかくも重みのある声で告げる。
「……なるほど、これが朱雀流で修行を積んできた者か」
「三戦すべてを観た。速さ、読み、そして間合い……お前の成長は確かだ」
蒼威は黙したまま、鋭くも優しい眼でリンを見つめる。
その視線は、過去の戦いと試練、そして今後の可能性をすべて見透かすような圧を放っていた。
リンは緊張と期待が交錯する胸の内を感じながらも、足元をしっかりと踏みしめた。
鍛錬を終えた弟子たちを下がらせると、彩琳はゆるやかに歩み出た。
その瞳がリンを射抜く。
「……久しぶりね、リン」
かつて朱雀流で幾度か顔を合わせたことのある後輩に向ける声音だった。
だが今、その響きには私情よりも「蒼龍門後継者」としての威厳が勝っている。
リンは姿勢を正し、深く一礼した。
「はい、彩琳様。こうして再びお目にかかれること、光栄に存じます」
彩琳は目を細め、じっとリンを見据えた。
「あなたが朱雀流に残るか、あるいは玄武門に戻るか……その行く末に耳していたわ。まさか蒼龍門を選ぶとは、私も少し意外だった」
リンは静かに頷いた。
「私にとっては大きな決断でした。けれども、今の私には……ここでしか学べないことがあると考えました」
彩琳はしばし無言のまま、その答えを測るように視線を注ぎ続ける。
彩琳の沈黙は、ただの威圧ではなかった。
彼女は目の前に立つリンの姿勢、息遣い、わずかな仕草に至るまでを観察していた。
やがて、蒼龍門の後継者は口を開いた。
「言葉だけでは、私たちは納得できないわ。ここは武門――意志を示すには、技と身で語るべきでしょう」
リンは深く息を吸い、静かに頷いた。
「はい。どうぞ、ご指導を賜ります」
彩琳の唇がわずかに弧を描いた。
「よろしい。では――試みとして、私の後輩たちと手を合わせてもらうわ。彼らは蒼龍門の型を受け継ぐ者。あなたが本当にここで学ぶ覚悟を持っているのか、その身で証明してみせなさい」
彼女が手を打つと、広間の奥から三人の後輩が歩み出た。
体格も技もばらばらだが、いずれも研ぎ澄まれた気配を漂わせている。
彩琳は一歩退き、リンにまっすぐ視線を送った。
「朱雀流で培ったものがどれほど通じるか――そして、あなた自身がどんな未来を掴むつもりなのか。私に見せなさい、リン」
リンは胸の奥で高鳴る鼓動を感じつつ、深く一礼した。
「はい。全力を尽くします」
その瞬間、蒼龍門の広間に緊張が走った。
試練の幕が、静かに開かれたのであった。
リンは一歩進み出て深く頭を下げた。
「どうぞ、ご指導のほど……よろしくお願いいたします」
一人の青年が最初に進み出た。
屈強な体格で、拳を軽く握るだけで周囲の空気が揺れる。
「俺が先に相手をしよう。朱雀流の外弟子だと聞いたが……蒼龍の型を受け止められるか、見せてもらうぞ」
道場に張り詰めた気配が走る。
彩琳は一歩下がり、その様子をじっと見守った。
彼女の瞳には厳しさと同時に、どこか期待を帯びた光が宿っていた。
――リンの覚悟が、今まさに試されようとしていた。
先に進み出た青年は「蒼龍門の大器」とも囁かれる一人、黄震(こう・しん)。
恵まれた体躯と鍛え上げられた筋肉は、見る者に圧を与えるほどだった。
彼は静かに深呼吸し、腰を落として拳を構える。
その動きだけで、床板が軋むような重みが伝わってくる。
「朱雀流の軽妙な足運びが、蒼龍の力を受け止められるか……試してやる」
「……よろしくお願いいたします」
リンは一礼し、構えを取った。
朱雀流特有の前傾姿勢――間合いを測り、速さで差をつける姿勢だ。
だが黄震は微動だにせず、山のような安定を保ち続けている。
――動かない。
リンはじりじりと間合いを詰めるが、その胸奥には冷たい汗が流れていた。
朱雀流は読みと速度で先を取る。だが、この堅牢な構えの前では一手を誤れば逆に体ごと押し潰される。
「はッ!」
先に動いたのは黄震だった。踏み込みと同時に繰り出された正拳が、槍の突きのように鋭く一直線に迫る。
空気を裂く轟音。受け止めるのは無謀――リンは即座に身を翻し、半身をずらして拳をかわす。
しかし、黄震の拳は止まらない。
そのまま腕を返して打ち下ろす動作に移り、さらに足払いが続く。
連携の重さと堅実さに、リンの呼吸が一気に乱れた。
「……速さはある。だが軽い」
黄震の低い声が響く。
次の瞬間、再び拳が振り下ろされ、リンの視界を覆った。
――受けるな、流せ!
咄嗟に朱雀流で学んだ「相手の力を斜めに逃がす」受けを繰り出す。
腕がしなるように黄震の拳を逸らし、同時に半歩踏み込んで懐へ。
その手のひらが、黄震の胸へ向けられた。
「……!」
重さは逸らしたが、触れた瞬間に押し返すような圧力。
まるで壁に掌を突き当てたかのような衝撃に、リンは後方へ弾き飛ばされる。
道場の板の上に転がり、息を荒げながらもすぐ立ち上がったリンを、黄震は微かに目を細めて見つめた。
「思ったより……しぶといな」
広間に沈黙が落ちる。
彩琳は腕を組み、弟弟子の戦いぶりを観察しながらも、その瞳はリンに注がれていた。
「……まだ終わりじゃない。立ちなさい、リン」
その声に、リンは荒い息を整えながら小さく頷いた。
再び構えを取るその姿は、さきほどよりも迷いが薄れ、わずかに研ぎ澄まされていた。
黄震との一戦が終わり、リンは荒い呼吸を整えながら広間の中央に立ち続けた。
弟弟子や妹弟子たちの視線が一斉に注がれる。その多くは挑戦者を試す鋭い目であり、時に侮るような色さえ宿している。
「……次は私が」
凛とした声が響き、少女が一歩前に出た。
名を柳雪(りゅう・せつ)。黄震とは対照的に、しなやかで華奢な体躯を持つ。
しかしその立ち姿には、一切の隙がない。目に映るのは、鋭い獣のような反射と速さだった。
「黄震兄さんの重さに耐えたのは見事。でも、速さを前にしてはどうかしら」
挑発的な言葉を口にしつつも、礼は欠かさない。彼女の両足が軽やかに床を打ち、まるで風が舞い込むように場の気配が変わった。
「……よろしくお願いいたします」
リンは再び一礼し、構えを取る。だが、次の瞬間にはもう柳雪の姿が視界から消えていた。
「――っ!」
背後に気配を感じた時には、手刀が首筋を狙っていた。
辛うじて身を沈めてかわす。だが柳雪の動きは途切れず、流れるように蹴りが腰を薙ぐ。
衝撃が走り、リンの体が横へ弾き飛ばされる。
(速さを読むんだ、……!)
必死に息を整え、目を凝らす。柳雪は風のように舞い、立て続けに攻め立てる。
朱雀流で培った「間合いの読み」がなければ、すでに打ち倒されていた。
やがて、リンの心に一瞬のひらめきが生まれる。
――相手の速さに合わせて動こうとするから遅れる。先を読んで、自分から一歩動けばいい。
柳雪が踏み込んだ刹那、リンはわずかに先んじて身体を横へ滑らせた。
手刀は空を切り、逆に柳雪の懐ががら空きとなる。
リンはその胸元へ掌底を突き込んだ。
「くっ……!」
柳雪は即座に後方へ跳び退き、受け身を取る。
胸に手を当てて息を整え、やがて笑みを浮かべた。
「……やるじゃない」
広間に再びざわめきが走る。黄震が腕を組んで頷き、他の弟子たちも互いに視線を交わしていた。
その様子を見て、彩琳は小さく口角を上げる。
「……少しは、蒼龍門に来る意味を示せたかしらね」
リンは荒い息を整えつつも、その視線を正面から受け止め、深く頷いた。
黄震の重さ、柳雪の速さを凌いだリン。
その姿に弟子たちの表情も変わり始めていた。
最初の侮りは消え、次に出る者の瞳には「試してやる」という闘志が宿っている。
「次は俺が相手を務める」
静かに声を発したのは周嶺(しゅう・れい)。
中背で黄震ほどの体格はない。だが、その歩みは落ち着き払っており、場の空気を制する威圧感を放っていた。
一歩踏み出すごとに、周囲の空気が張り詰めていく。
「間合いを制する者は、戦いを制する。……朱雀流の速さが、どこまで届くか見せてもらおう」
リンは汗に濡れた額を拭い、深く息を吸って応じる。
「……よろしくお願いいたします」
両者、構えを取る。
周嶺は腕を前に出さず、ただ自然体で立つ――しかしその立ち位置が、じわじわとリンの自由を奪っていった。
――遠い。近い。いや、わからない……。
一歩踏み込めば届きそうなのに、その一歩が命取りになる気配。
リンの背筋に冷たいものが走る。
「……っ!」
決意とともに踏み込む。だがその瞬間、周嶺の体がわずかに動いた。
たったそれだけで、リンの拳は空を切り、逆に肘が眼前に迫る。
「ぐっ……!」
慌てて身をひねりかわすも、頬を掠める衝撃にリンは冷や汗を流す。
――私の動きが、全部読まれてる……。
周嶺は攻め急がない。ただ一歩、一歩と詰める。
そのたびにリンの間合いは奪われ、逃げ道が塞がれていく。
「迷いがある。お前の速さは本物だが……間合いを支配できねば、速さは生きない」
その言葉と同時に、拳が重く振り下ろされる。
咄嗟に両腕で受けるリン。
全身に響く衝撃。足元の板が悲鳴を上げ、リンは膝を折りかける。
――押し潰される!
必死に体を捻り、拳を斜めに流す。朱雀流の型で重さを逸らす。
しかし周嶺はすぐさま次の一歩を踏み込み、再び間合いを奪いに来る。
息を荒げながら、リンは悟った。
「……ただ速さで戦おうとするから、封じられる。なら……!」
踏み込まず、退かず――あえて「間」を崩さない。
相手が支配する空間の内で、一瞬だけ動きを止める。
「……?」
周嶺の目がわずかに揺らいだ瞬間、リンは反射のごとく低く潜り込み、相手の懐へ入り込む。
その掌底が、周嶺の脇腹へ叩き込まれた。
「……っ!」
鈍い音と共に周嶺の体がよろめき、しかしすぐ体勢を整える。
その目は険しさから、静かな笑みに変わっていた。
「……なるほど。速さを捨てて間合いに挑むか。悪くない」
場の空気がふっと緩む。
弟子たちのざわめきの中で、彩琳が一歩前に進み出る。
その視線は、倒れず立ち続けるリンに注がれていた。
「……これで三人。朱雀流で学んだものを、確かに見せたわね」
リンは肩で息をしながらも、姿勢を崩さず深く頭を下げた。
「……ご指導、ありがとうございました」
広間には静寂が訪れ、試練の一幕が終わりを告げていた。
広間の奥、重厚な扉が静かに開いた。
現れたのは**蒼龍門首長・雷玄(らい・げん)**と、三老師の一人、**蒼威(そうい)**であった。
雷玄は長い袖を揺らしながら、落ち着いた足取りで道場の中央まで進む。
その気配だけで、弟子たちの視線が一斉に向けられた。
蒼威は首長の隣で静かに立ち、冷静な眼差しをリンに向けている。
彩琳は弟弟子たちを落ち着かせ、ささやくように言った。
「……首長と老師が来られた。リン、心を整えて」
リンは深く息を吸い込み、目の前に立つ二人を見据えた。
雷玄は柔らかくも重みのある声で告げる。
「……なるほど、これが朱雀流で修行を積んできた者か」
「三戦すべてを観た。速さ、読み、そして間合い……お前の成長は確かだ」
蒼威は黙したまま、鋭くも優しい眼でリンを見つめる。
その視線は、過去の戦いと試練、そして今後の可能性をすべて見透かすような圧を放っていた。
リンは緊張と期待が交錯する胸の内を感じながらも、足元をしっかりと踏みしめた。
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