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第一章:「龍門」
第十三話:「己が道を選ぶ時」
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黒鷹派の影たちが三老師の威光に押されて退いた後、道場にはひと時の静寂が訪れていた。
しかし、その沈黙の中に漂う緊張は、嵐の前触れのように重く圧し掛かっていた。
白蓮は弟子たちを下がらせ、リンを前に座らせた。
「……リン。選ぶのは、お前だ。玄武に戻るか、朱雀に残るか。あるいは――」
彼は言葉を区切り、静かに目を細める。
「己が信じた道を歩むか、だ」
リンは俯き、拳を強く握り締めた。
玄武に戻れば、血筋としての立場が得られる。だがそこには、董嵐らが仕掛ける陰謀が待っている。
朱雀に留まれば、仲間と共に歩める安心がある。だが、それはただ守られているだけではないのか。
胸の奥に残る蒼威老師の言葉が甦る。
――己を鍛える場を見誤るな。
その眼差しは、リンの弱さを見抜き、それを否定せず受け止めていた。
「……私は、まだ何も持っていない」
リンは小さく呟いた。
「力も……技も……心も。今のままでは、誰かに守られているだけだ」
白蓮の瞳が揺らぐ。
リンはその視線を正面から受け止め、深く息を吸った。
「だから、私は……蒼龍門に行きます」
道場に静まり返る空気。
白蓮はしばし黙してから、ふっと口元を綻ばせた。
「……そうか。ようやく己の火を見つけたな」
その言葉は、弟子を突き放すのではなく、送り出す者の温かさに満ちていた。
リンは胸の奥が熱くなるのを感じ、深く頭を垂れた。
白蓮はひととき目を閉じ、静かに頷く。
「ならば、私が道を整えよう。お前は朱雀の外弟子――その立場をもって他門へ修行に出すことは理に適う。だが蒼龍門を動かすには、まず橋渡しが要る」
白蓮は硯に筆を取り、すらすらと文をしたため始める。
「……白虎門の飛燕殿へ伝えを出そう。彼ならば、老師・玄潤殿に口を開ける。そこから蒼威老師へ話を繋げることができるはずだ」
墨の香が漂う中、筆先が紙を走る音だけが響いた。
その姿を見ながらリンは思った。
――自分の選択が、今、朱雀から白虎へ、そして蒼龍へと広がっていく。
白蓮は文を封じ、厳かな表情でリンを見た。
「リン。選んだからには、後戻りはできぬ。己を磨き続けねばならんぞ」
「はい」
その返答に、白蓮は深くうなずいた。
こうして、リンの「蒼龍門への移籍」という意志は、朱雀流の師の手によって、次なる道へと橋渡しされていくのであった。
白蓮は筆を置き、まっすぐにリンを見つめた。
「だが忘れるな。お前が選んだのは己の意志だ。三老師は、その覚悟を見極めようとしている。軽々しい決意では、必ず見抜かれる」
リンは真剣に頷いた。
「はい。私は……本気です」
その言葉に、白蓮はようやく小さく笑みを浮かべた。
「ならばよい。お前の答えをもって、三老師に挑むのだ」
こうして、リンの「蒼龍門への移籍」という意志は、白蓮の手で三老師へと橋渡しされていくのであった。
白虎門の一室。
飛燕は、朱雀流白蓮からの書簡を広げ、静かに目を通していた。
そこには簡潔にして力強い言葉が並んでいた。
――リンは己の意志で蒼龍門に修行を求めたこと。
――それが一時の逃避ではなく、己を鍛えるための決意であること。
――そして、この選択が朱雀流の名においても恥じぬものであること。
飛燕は読み終えると、長く息を吐き、瞳を閉じた。
「……白蓮め。厄介な賭けをする」
だがその声音に、わずかな笑みが混じる。
白蓮が弟子を信じてここまで推すことは稀である。
それだけリンの選択には重みがあるのだと、飛燕は悟った。
飛燕は立ち上がり、すぐに使者を呼ぶ。
「玄武の玄潤殿、蒼龍の蒼威老師に会談を求める。伝えよ――朱雀流の外弟子、リンの件について話がある、と」
数日後、密かに設けられた席に三老師が集う。
玄武門の玄潤は白き長髯を撫でながら、険しい目を飛燕に向けた。
「飛燕、何ゆえに我らを呼び集めた。軽々しく門を越えるなど、前例を作ってはならぬことは承知のはず」
飛燕は頷き、手元の書簡を卓上に置いた。
「承知の上だ。だがこれは白蓮殿の直筆。彼女があの少年の意志を保証している」
蒼龍門の蒼威は無言で文を手に取り、目を走らせる。
やがて顔を上げると、その双眸は深い湖のような静けさをたたえていた。
「……なるほど。確かに己で選び取った道と見える。だが、この決断が本物かどうかは我らが見極めねばならぬ」
玄潤は机を叩いた。
「軽挙だ! もしもこれが玄武門の内紛を逃れるための方便ならば、いずれ禍根を残す。黒鷹派に狙われている以上、その身を移すだけで我らに火の粉が降りかかるのだぞ」
飛燕は静かに返した。
「だからこそ、三老師の名の下に承認する意味がある。少年リンは、各門の均衡を乱すのではなく、新たな秩序を学ぶ器を持っているやもしれぬ」
蒼威はしばし目を閉じ、やがて口を開いた。
「……よい。直接会わせてもらおう。選んだ道が真であるかどうか、我が目で確かめたい」
玄潤はなお反発を見せたが、蒼威の言葉に沈黙を強いられる。
飛燕はその様子を見て、心中で静かに頷いた。
――これで道は開ける。
だが、それは同時にリン自身が三老師に己の意志を示さねばならぬということを意味していた。
こうして、三老師の合議は「リンを直接試す」という形でまとまった。
次なる舞台は――朱雀流の道場。
三老師が再び集い、リンに己の選択の重みを問う時が迫っていた。
朱雀流の道場に、蒼威老師が姿を現した。
黒鷹派との一件以来、二度目の対面。だがその眼差しは変わらず厳しく、まっすぐにリンを射抜いていた。
「……再び会うことになるとはな」
老師の声は低く、しかし響きを持っていた。
リンは深く頭を下げる。
「はい。あの時、老師の言葉を胸に刻みました。そして……私は自分の道を定めたのです」
蒼威はしばし黙した。
黒鷹派との一件で見た少年が、再び目の前に立っている――その姿に、ただの偶然ではなく確かな意志の力を感じ取っていた。
「……再び会うことになるとはな」
低く響く声には、過去を踏まえた重みがあった。
リンは強く頷く。
「はい。玄武の血を否定するのではなく、朱雀での学びを無にするのでもない。ただ、今の自分に必要なのは、蒼龍の流れに身を置き、自らを鍛え直すことだと感じました」
蒼威の瞳に、一瞬の静かな光が宿る。
「よかろう。だが、蒼龍門は安易な憧れで立てる場所ではない。己を律し、龍のごとき厳しさに耐えられるか……それを見極めねばならぬ」
老師の言葉は、承認の前触れでもあり、試練の宣告でもあった。
白蓮は黙して見守り、リンの決意が揺らがぬかを見極めようとしていた。
こうしてリンと蒼威老師の正式な対話が始まり、彼の「蒼龍門への移籍」を巡る試練の幕が開いたのである。
しかし、その沈黙の中に漂う緊張は、嵐の前触れのように重く圧し掛かっていた。
白蓮は弟子たちを下がらせ、リンを前に座らせた。
「……リン。選ぶのは、お前だ。玄武に戻るか、朱雀に残るか。あるいは――」
彼は言葉を区切り、静かに目を細める。
「己が信じた道を歩むか、だ」
リンは俯き、拳を強く握り締めた。
玄武に戻れば、血筋としての立場が得られる。だがそこには、董嵐らが仕掛ける陰謀が待っている。
朱雀に留まれば、仲間と共に歩める安心がある。だが、それはただ守られているだけではないのか。
胸の奥に残る蒼威老師の言葉が甦る。
――己を鍛える場を見誤るな。
その眼差しは、リンの弱さを見抜き、それを否定せず受け止めていた。
「……私は、まだ何も持っていない」
リンは小さく呟いた。
「力も……技も……心も。今のままでは、誰かに守られているだけだ」
白蓮の瞳が揺らぐ。
リンはその視線を正面から受け止め、深く息を吸った。
「だから、私は……蒼龍門に行きます」
道場に静まり返る空気。
白蓮はしばし黙してから、ふっと口元を綻ばせた。
「……そうか。ようやく己の火を見つけたな」
その言葉は、弟子を突き放すのではなく、送り出す者の温かさに満ちていた。
リンは胸の奥が熱くなるのを感じ、深く頭を垂れた。
白蓮はひととき目を閉じ、静かに頷く。
「ならば、私が道を整えよう。お前は朱雀の外弟子――その立場をもって他門へ修行に出すことは理に適う。だが蒼龍門を動かすには、まず橋渡しが要る」
白蓮は硯に筆を取り、すらすらと文をしたため始める。
「……白虎門の飛燕殿へ伝えを出そう。彼ならば、老師・玄潤殿に口を開ける。そこから蒼威老師へ話を繋げることができるはずだ」
墨の香が漂う中、筆先が紙を走る音だけが響いた。
その姿を見ながらリンは思った。
――自分の選択が、今、朱雀から白虎へ、そして蒼龍へと広がっていく。
白蓮は文を封じ、厳かな表情でリンを見た。
「リン。選んだからには、後戻りはできぬ。己を磨き続けねばならんぞ」
「はい」
その返答に、白蓮は深くうなずいた。
こうして、リンの「蒼龍門への移籍」という意志は、朱雀流の師の手によって、次なる道へと橋渡しされていくのであった。
白蓮は筆を置き、まっすぐにリンを見つめた。
「だが忘れるな。お前が選んだのは己の意志だ。三老師は、その覚悟を見極めようとしている。軽々しい決意では、必ず見抜かれる」
リンは真剣に頷いた。
「はい。私は……本気です」
その言葉に、白蓮はようやく小さく笑みを浮かべた。
「ならばよい。お前の答えをもって、三老師に挑むのだ」
こうして、リンの「蒼龍門への移籍」という意志は、白蓮の手で三老師へと橋渡しされていくのであった。
白虎門の一室。
飛燕は、朱雀流白蓮からの書簡を広げ、静かに目を通していた。
そこには簡潔にして力強い言葉が並んでいた。
――リンは己の意志で蒼龍門に修行を求めたこと。
――それが一時の逃避ではなく、己を鍛えるための決意であること。
――そして、この選択が朱雀流の名においても恥じぬものであること。
飛燕は読み終えると、長く息を吐き、瞳を閉じた。
「……白蓮め。厄介な賭けをする」
だがその声音に、わずかな笑みが混じる。
白蓮が弟子を信じてここまで推すことは稀である。
それだけリンの選択には重みがあるのだと、飛燕は悟った。
飛燕は立ち上がり、すぐに使者を呼ぶ。
「玄武の玄潤殿、蒼龍の蒼威老師に会談を求める。伝えよ――朱雀流の外弟子、リンの件について話がある、と」
数日後、密かに設けられた席に三老師が集う。
玄武門の玄潤は白き長髯を撫でながら、険しい目を飛燕に向けた。
「飛燕、何ゆえに我らを呼び集めた。軽々しく門を越えるなど、前例を作ってはならぬことは承知のはず」
飛燕は頷き、手元の書簡を卓上に置いた。
「承知の上だ。だがこれは白蓮殿の直筆。彼女があの少年の意志を保証している」
蒼龍門の蒼威は無言で文を手に取り、目を走らせる。
やがて顔を上げると、その双眸は深い湖のような静けさをたたえていた。
「……なるほど。確かに己で選び取った道と見える。だが、この決断が本物かどうかは我らが見極めねばならぬ」
玄潤は机を叩いた。
「軽挙だ! もしもこれが玄武門の内紛を逃れるための方便ならば、いずれ禍根を残す。黒鷹派に狙われている以上、その身を移すだけで我らに火の粉が降りかかるのだぞ」
飛燕は静かに返した。
「だからこそ、三老師の名の下に承認する意味がある。少年リンは、各門の均衡を乱すのではなく、新たな秩序を学ぶ器を持っているやもしれぬ」
蒼威はしばし目を閉じ、やがて口を開いた。
「……よい。直接会わせてもらおう。選んだ道が真であるかどうか、我が目で確かめたい」
玄潤はなお反発を見せたが、蒼威の言葉に沈黙を強いられる。
飛燕はその様子を見て、心中で静かに頷いた。
――これで道は開ける。
だが、それは同時にリン自身が三老師に己の意志を示さねばならぬということを意味していた。
こうして、三老師の合議は「リンを直接試す」という形でまとまった。
次なる舞台は――朱雀流の道場。
三老師が再び集い、リンに己の選択の重みを問う時が迫っていた。
朱雀流の道場に、蒼威老師が姿を現した。
黒鷹派との一件以来、二度目の対面。だがその眼差しは変わらず厳しく、まっすぐにリンを射抜いていた。
「……再び会うことになるとはな」
老師の声は低く、しかし響きを持っていた。
リンは深く頭を下げる。
「はい。あの時、老師の言葉を胸に刻みました。そして……私は自分の道を定めたのです」
蒼威はしばし黙した。
黒鷹派との一件で見た少年が、再び目の前に立っている――その姿に、ただの偶然ではなく確かな意志の力を感じ取っていた。
「……再び会うことになるとはな」
低く響く声には、過去を踏まえた重みがあった。
リンは強く頷く。
「はい。玄武の血を否定するのではなく、朱雀での学びを無にするのでもない。ただ、今の自分に必要なのは、蒼龍の流れに身を置き、自らを鍛え直すことだと感じました」
蒼威の瞳に、一瞬の静かな光が宿る。
「よかろう。だが、蒼龍門は安易な憧れで立てる場所ではない。己を律し、龍のごとき厳しさに耐えられるか……それを見極めねばならぬ」
老師の言葉は、承認の前触れでもあり、試練の宣告でもあった。
白蓮は黙して見守り、リンの決意が揺らがぬかを見極めようとしていた。
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